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第二部【狂乱の海原編】第一章【開国の咆哮】第一話【黄金の港と黒い影(下)】

その脇には、

不機嫌そうに腕を組み、

壁に寄りかかるガルド提督の姿もあった。


「……ふむ。話には聞いていたが、

 想像以上に下品で品性の欠けた街だな」


ヴィンセント特使は、

手元の絹の手拭いで鼻を覆いながら、

窓の外の喧騒を冷ややかに見下ろした。

「泥と油の匂い、異民族の怒号、

 そしてルールも解さぬ蛮民ども。

 ガルド提督、

 君はこのような肥溜めのような場所に、

 本国の貴重な金貨と機材を

 大量に投じたというのかね?

 狂気の沙汰としか思えん」


「言葉に気をつけろよ、ヴィンセント特使」


ガルドが義眼をギラつかせ、低く唸った。


「その『肥溜め』が吐き出す

 高品質な魔素鋼インゴットのおかげで、

 本国の造船所がどれほど潤っているか

 知らんわけじゃねぇだろ。

 あのリン王子はただのガキじゃねぇ。

 下手に突けば、

 本国の艦隊ごと食い破られるぞ」


「ハッ! 愚かな」


ヴィンセントは嘲笑した。


「内陸の貧乏王子が

 少しばかり知恵を働かせたからとて、

 調子に乗るな。

 我がカイゲンが誇る圧倒的な

 『制海権』と『海上戦力』の前には、

 このような露店国家など

 指先一つでひねり潰せる。……さて、

 噂の『泥の王子』のおでましだ」


ギィ……と重い扉が開き、

リンとラグナルが室内に姿を現した。


リンはヴィンセントの前に進み出ると、

挨拶の言葉すら口にせず、

直立したまま冷ややかな眼差しで見下ろした。


「遠路はるばるご苦労。

 カイゲンの中央評議会からのお客さん」


「……これはこれは、

 無礼なご挨拶だな、リン摂政殿」


ヴィンセントは立ち上がりもせず、

薄笑いを浮かべながら、

一枚の羊皮紙――中央評議会の

金箔の印章が押された「命令書」を

テーブルの上に放り投げた。


「無駄な前置きは省こう。

 我がカイゲン中央評議会は、

 貴国とのこれまでの

『不透明かつ不平等な私的契約』を

 すべて無効と宣言する」

「……不平等?」


リンが眉をひそめると、

ヴィンセントは勝ち誇ったように

眼鏡の枠を押し上げた。


「然り。

 ガルド提督が貴国と結んだ契約は、

 本国の利益を著しく損なう甘い代物だ。

 よって本日より、

 以下の新条約を適用する。

 一、アリスト港および大霊樹鉱山の

   管理権は、

   すべてカイゲン中央評議会へ

   移管すること。

 二、我が国の駐留艦隊を

   ラグナ港へ常駐させ、

   その維持費は全額セルヴァ王国が

   負担すること。

 三、貴国のすべての輸出入は、

   カイゲンの認可を受けた

   商人以外これを禁ずる」


それは、言葉通りの

「完全な植民地化」の通告だった。


セルヴァが血を流して手に入れた

自由と資源を、

カイゲン本国がその軍力(暴力)を盾に、

そっくりそのまま奪い取ろうというのだ。


ガルドが怒りに顔を歪め、

口を開こうとしたが、

リンが静かに手を出してそれを制した。


リンは

テーブルの上の命令書を手に取ると、

一目も通さずに――ビリビリと

真っ二つに引き破り、

ヴィンセントの足元へ捨て去った。


室内の空気が一瞬で凍りついた。


「な……なにを……!?」


ヴィンセントの顔から余裕の笑みが消え、

激昂で血走った目がリンを睨みつけた。


「貴様……!

 我がカイゲン中央評議会の公式文書を

 破り捨てただと!?

 これが何を意味するか分かっているのか!?

 我が国の海上艦隊を敵に回し、

 この街を海の藻屑に変える気か!?」


「海上艦隊?」


リンは鼻で笑い、ヴィンセントに向かって

ゆっくりと歩み寄った。

その瞳には、かつて

王宮のガルシア大公を震え上がらせた、

狂気じみた泥臭い闘志が宿っていた。


「脅しのつもりか、眼鏡?

 お前たちは勘違いしている」


リンはヴィンセントの胸元を掴み上げ、

逃げ場のない距離で言い放った。


「お前たちが自慢する

 その『海』も『艦隊』も、

 胃袋が空っぽになればただの浮き木だ。

 我が国が

 明日から魔素鋼の供給を完全に止めれば、

 お前たちの自慢の装甲艦も、

 造船所の職人どもも干上がることになる。

 ……海の上に浮かんでいるだけで、

 世界を支配した気になっているんじゃない」


「くっ……離せ、無礼者!

 武力でお前たちを捻り潰すことなど――」


「やってみろ」


リンは

ヴィンセントを投げ捨てるように突き放した。


「武力で脅せばこの国が折れると思ったか?

 俺たちは一年前、

 綺麗事を抱いて餓死するより、

 泥をすすって

 敵の首を噛みちぎる道を選んだんだ。

 カイゲンの艦隊がアリストを焼く前に、

 お前たちの喉元を

 我が国の『泥の兵隊』どもが叩き潰すぞ」


ヴィンセントは床に腰を抜かしたまま、

ガタガタと震えてリンを見上げた。


そこにいたのは、交渉可能な

「一国の君主」ではなく、

自らの利益と生存のためなら

世界全体を巻き込んで自爆すら辞さない、

正真正銘の「怪物」だった。


「ひ……ヒィッ……! 後悔させてやる!

 本国艦隊を呼び寄せ、

 この港を火の海にしてくれるわ!」


ヴィンセントは捨てゼリフを吐き捨て、

逃げるように部屋を飛び出していった。


静まり返った室内で、

ガルド提督が深いため息をつき、

葉巻に火をつけた。


「……やりすぎだぜ、王子。

 あいつは

 中央の派閥でもかなり顔が効く奴だ。

 本当にカイゲン本国の『第三艦隊』が

 押し寄せてくるぞ」


「来させればいい」


リンは破り捨てられた命令書の破片を

踏みにじり、

窓の外の広大な海を見つめた。


「陸の戦いは終わった。……次は、

 あの『海』を俺たちのルールで

 塗り替えてやる」


陸の旧体制を叩き潰した落ちこぼれ王子リン。


次なる敵は、

大海原を支配する「巨大国家カイゲン」。


生き残りをかけた、さらに苛烈で泥臭い

「大海原の開国戦争」が、

いま幕を開けようとしていた。


©2026 [風風風]. All rights reserved.

ヴィンセント特使が吐き捨てた

開戦の予告は、

瞬く間にアリストの街へと波及した。


だが、かつてのセルヴァ王国のように、

民衆が「神の試練」と称して恐怖におびえ、

祈りを捧げるような光景はどこにもなかった。


9/5、18:30 に、第2話を投稿します。

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