第四十八話 決着
巨大な蜘蛛は、腹を刺されたことを覚えているのか、こちらの動きを完全に追っていた。
脚がわずかに動くだけで空洞の床が震える。さっきの個体とは比べものにならない圧力だった。
グランが斧を構え直す。
「脚を一本でも落とせれば楽になるが……」
低く呟きながら振り下ろす。刃は脚の関節へ叩きつけられたが、鈍い音を立てて弾かれた。さっきの個体よりも明らかに硬い。わずかに傷が入っただけで、脚はそのまま床を踏み直した。
グランが短く息を吐く。
「……やはり硬いな」
蜘蛛はすぐに反応する。
脚が振り下ろされる。
カナトは横へ飛んで避けた。衝撃で足元の石が跳ねる。体勢を立て直しながら、短剣を握り直す。脚はやはり簡単には崩れない。
「……やっぱりか」
小さく呟く。
その間にも蜘蛛は動く。巣が揺れ、天井から糸が落ちてくる。太い糸が床に叩きつけられ、岩へ絡みつく。
カナトは息を詰め、横へ跳ぶ。糸は岩へ張り付き、そのまま白く固まっていく。吐き出した直後は粘り、すぐに鉱石のように硬くなる。
視界の端でグランが動く。斧を振り、子蜘蛛を二匹まとめて叩き潰した。だがその間にも、巨大な蜘蛛の注意は完全にカナトへ向いている。
腹を刺したのが効いている。
カナトは息を整えながら距離を取る。
「完全にこっちを見てるな……」
蜘蛛の脚が再び振り上がる。
カナトは足元の巣を踏み越えながら横へ逃れる。粘着はもう残っていないが、硬化した糸が足を引っ掛ける。踏み込みが鈍る。
「足場が悪い……」
小さく吐きながら、それでも足を止めない。視界の端ではグランが位置を変えながら子蜘蛛を払っている。斧が振るわれるたび、黒い影が床へ叩きつけられていく。だが倒してもすぐに別の個体が這い出してくる。完全に相手をする余裕はない。蜘蛛の注意はカナトに集まり続けている。
それでも、カナトは土へ意識を向ける。
地面がわずかに沈む。
蜘蛛の脚が踏み直す。
体勢は変わらない。
脚が多すぎる。
「一本ぐらいじゃ意味ないか……」
呟きながらもう一度魔法を使う。足元の土がわずかに崩れるが、蜘蛛はそれを気にも留めない。脚が踏み直され、すぐに重さが支え直される。
蜘蛛が低く体を沈めた。
腹がわずかに引き締まる。
次の瞬間、糸が吐き出された。
カナトは反射的に横へ跳ぶ。吐き出された糸は空中でわずかに弧を描き、そのまま岩へ絡みついた。粘り気のある白い糸が広がり、ほんの数秒で鉱石のように固まっていく。
その横でグランが動く。斧が振り抜かれ、子蜘蛛がまとめて吹き飛ぶ。脚を踏み越え、位置を変えながら少しずつ横へ回り込んでいく。
だが蜘蛛はそれに気付かない。
視線はカナトへ向いたままだ。
脚が再び振り上がる。
カナトは足場を蹴る。硬化した巣を踏み越え、壁際へ寄る。胸が焼けるように熱い。呼吸が荒くなる。それでも止まるわけにはいかない。
「……まだ動ける」
息を吐きながらもう一度魔法を使う。足元の岩がわずかに崩れる。蜘蛛の脚がそこへ踏み込む。だがやはり体勢は崩れない。巨大な体は、わずかな地形の変化など意に介さない。
蜘蛛が体を持ち上げる。
脚が高く振り上がる。
空洞の空気が一瞬止まったように感じる。
振り下ろされる脚。
カナトは横へ跳ぶ。
脚が床へ叩きつけられる。
鈍い音が響く。
次の瞬間、岩が崩れた。
蜘蛛の脚が沈む。
わずかだが、巨大な体が傾いた。
腹が露出する。
その隙を、グランは見逃さなかった。
「そこだ!」
低く吐き出すように言いながら、子蜘蛛を踏み越えて脚の間へ潜り込む。斧を握り直し、そのまま体ごと踏み込む。
蜘蛛が気付く。
脚が動く。
だが体はまだ傾いている。
斧が振り上がる。
次の瞬間、斧が振り下ろされた。
刃が腹の付け根へ叩き込まれる。
鈍い音が空洞に響く。外殻が割れ、斧の刃が深く沈み込んだ。
蜘蛛の体が大きく震える。
脚が暴れる。巣が揺れる。天井の糸がきしむ音が空洞全体に広がる。体液が床へ飛び散り、黒い影が揺れながら崩れていく。
巨大な体がゆっくりと傾いていく。
そして、床へ落ちた。
鈍い衝撃が空洞全体に広がる。岩壁に響いた振動が、少し遅れて足元へ伝わってくる。
脚が一度だけ痙攣し、それから完全に動きを止めた。
静寂が落ちる。
空洞のあちこちで動いていた子蜘蛛たちは、親の体から離れるように散っていった。さっきまでのざわめきが嘘のように、空洞には静かな空気だけが残る。
カナトは息を整えながら、ゆっくりと立ち上がった。胸の奥が熱い。さっきまで全身を追い回していた脚の重さが、ようやく消えていく。
「……終わったか」
小さく呟く。
グランが斧を引き抜く。
刃先についた体液が床へ滴る。
それから蜘蛛の体を見下ろした。




