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「うん。誰も反対する人はいないみたいだね。それじゃ、話をはじめようか。もし何か疑問に思うことがあっても、最後まで聞いてほしい。あとで必ず質問を受け付けるから。いいね?」
紫間さんは全員を順に見まわしていった。
誰もが黙ったまま頷いていく。
最後は私だったけれど、紫間さんは、私が頷くよりも前に、やわらかく目を細めた。
そして、滑らかに説明をはじめたのだ。
「むかしむかし………どれくらい昔かというと、この世界に人間という生き物が誕生した頃のことだよ。この国は、まだ日本とは呼ばれていなかったのかもしれない。それに、もしかしたら今みたいな形をしていなかったかもしれない。僕は歴史学者でも地学博士でもないからね、細かいことはわからない。ただはっきりしているのは、この世に誕生した人間は、皆それぞれ、不思議な力を持っていたということだ」
…………不思議な力?
私はつい声が漏れてしまいそうになって、慌てて口を塞いだ。
紫間さんはそんな私に微笑みながら、スッと人差し指を唇に当ててきた。
そしてその後ろでは、律ちゃんが心配そうに見守ってくれていて、そのたったひとつの眼差しが、私の気持ちを落ち着かせてくれた。
「不思議な力といっても、なにも空を飛んだり、手から炎を出したり、それこそ異世界のファンタジーみたいな派手なものじゃないんだ。なんとなく明日の天気がわかったり、なんとなく他人の嘘を見破れたり、なんとなく勘が良かったり、他には、そうだな………例えば人一倍動体視力が良かったり、他の人よりも足が速かったり、視覚、聴覚、嗅覚が秀でていたり、そんな力のことだよ。特技といってもいい。誰にだって何かひとつは周りの人よりも優れているものを持っていたりするだろう?今ここで言っているのは、そういう、ちょっと人とは違っている特徴のことだ。そして昔の人々は、そのちょっと人と違っている自分の特徴を、もっと暮らしに活かせないかと研鑽をはじめた。そうすると、中にはもともと持っていた不思議な力がさらに大きく強くなる者や、もともと持っていたもの以外にも、どんどん不思議な力の種類を増やしていく者が現れはじめた。逆に、どんなに時間を費やしても、変化を見出せない者もいた。けれどそこに優劣は存在しなかった。不思議な力を大きく、或いは増やした者は、そうでない者のためにその力を使ったからだ。そして、変化があらわれなかった者は、不思議な力の強い者にばかり頼っていては申し訳ないと思い、自分達だけでも少しでもより良く暮らせるように知恵を出し合い、工夫を行っていった。やがてそれが道具となったり、今で言うところのマニュアル的なものの作成に繋がっていったんだ。そうやって不思議な力が小さかった人も、徐々に徐々に、自分達だけで……つまり、不思議な力を頼らなくても生きていける術を手に入れたわけだ。一方、不思議な力を発達させることを選んだ者達は………」
紫間さんはそこで私達に背を向け、律ちゃんの隣まで移動すると、ゆっくり振り返った。
「当初からは想像もできないほどの進化を辿っていた。個人差はあるものの、冒頭の例に挙げた、空を飛んだり、手から炎を出すことも決して不可能ではなくなっていたんだ」
空を飛んだり、炎を出すことも…………?そんなまさか………
そんなこと到底信じられないのに、私は、ゾクリと体を震わせていた。
私の反応を見た紫間さんが、「信じられないって顔だね」と笑う。
けれど、「まあ、無理もないけどね」と続けると、その直後、自分の全身を私に見せつけるように、背筋と両腕を伸ばした。
そして……………
「――――っ!!」
紫間さんが、ゆっくり、ゆっくりと、宙に浮かびあがっていったのだ。
背の高い律ちゃんとそれほど変わらない身長の紫間さんが、私の目の前で、音もなく、ジャンプするような勢いも持たず、ただただふわりと、さっき部屋中に転がっていた風船のように浮かんでいく。
数cm、十数cmと浮かび上がり、やがて紫間さんの体は天井すれすれにまで達してしまう。
それを目撃した私は…………
ガシャンッ!!
驚愕のあまり、椅子から派手に転がり落ちてしまった。
「驚かせてごめんね。でも、これでちょっとは信じてくれたかな?」
紫間さんが天井すれすれで小首を傾げる。
椅子から落ちた私に誰よりも先に律ちゃんが駆け寄ってきてくれるけれど、私は紫間さんから目が離せなかった。
無意識のうちに律ちゃんの腕につかまった自分の手は、どうしようもなく震えていた。
「………律ちゃん、これって、夢じゃないの?今起こってることは、現実に起こってることなの?あの人は、今、宙に……」
宙に浮かんだままの紫間さんに釘付けになりながら、律ちゃんに問い詰めた。
「ユキ、落ち着くんだ。大丈夫だから」
律ちゃんはいつものように優しく声をかけてくれる。
けれど衝撃が大きすぎて、私は先走る気持ちから言葉への変換が追いつかなくなってしまう。
…………手品の一種じゃないの?何か仕掛けがあるんでしょ?そうよね?
心の中では必死にそう訴えているのに、声にならない。
すると、紫間さんがまっすぐに私を見下ろし、明るくフランクな表情を見せたまま、私に告げてきたのだ。
「これは手品の一種でもないし、何か仕掛けがあるわけでもないよ?」
「――――っ!?」
私が今心の中で思っていたセリフ、ほぼ一言一句そのままだった。
…………偶然……よね?でも、まさか…………
人が宙に浮かぶなんてあり得ないことを目撃している今、”偶然” という言葉はまったく価値を見失っていた。
愕然と紫間さんを見上げると、私を支えてくれていた律ちゃんが何かを察し顔色を変えた。
「紫間さん?何をしたんですか?」
律ちゃんの低い声が、珍しく怒気を孕んでいる。
けれどそんな律ちゃんをさらりと躱すように、紫間さんはにっこり笑って言ったのだ。
「偶然じゃないよ。そのまさかだよ」
「―――っ!!」
「紫間さん!」
やっぱり偶然なんかじゃない。
この人は、私の心の中で考えていることを見抜いてるんだ。
そう思った刹那、私の目の前から景色が消えた。
遠退いていく意識の中で、律ちゃんが私の名前を叫んでいる声だけが響いていた。




