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規制がアサヒビールを追い詰めた?
1980年代アサヒビールは倒産の危機にありました。
ビール市場はキリンが圧倒的でアサヒビールのシェアは10.6%でした。
1986年、そこで新しく社長になったのが住友銀行から来た樋口廣太郎は
「何とか売れるビールを作れ」と部下に言ったら
「それはもうさんざんやっているがダメなんです。」と言われました。
そりゃそうだよね。
「そうか。じゃあ美味しいビールは作れるか?」と聞いたら
「それは作れます。」と答えます。
「じゃあ何故作らないんだ?」と尋ねると
「農林省の規制があり日本の麦を20%使えと言われております。それで味が悪いんです。値段も高くなります。でも日本のビール会社は皆同じなのでしょうがないんです。」
という返事が返ってきました。
アサヒビールは潰れる寸前でした。
農林省の指導を守っていても潰れる
破ってもどうせ潰れるという崖ぷちでした。
で「農林省にそれは法律ですか?」と確認してみると
「法律は無い。」
「通達か?」
「違う。」と分かり
どうせ潰れるんなら好きに作ろうとなり生まれたのがアサヒスーパードライです。




