第三一話 シリウス
ハッシュはステラをエスコートしながら、街を歩いていた。お目当ての場所へ辿りつくと、彼は彼女の手を引き、店内へと入った。
「あなたほど美しい方が、こんなみすぼらしい服を身にまとっていてはいけません。さぁ、お金のことは気にせず!」
ハッシュに連れられて入ったお店は、流行りのコートや化粧品、小物や宝石類がところせましと綺麗に陳列されていた。そのなかでも、ステラがひときわ目を惹かれたのは春物の革製のコートであった。値札には、十シリウスと記されていた。
「それを気に入ったのですか? お安いご用で!」
そう言うとハッシュは颯爽とそのコートを買いあげた。
「ちょ、ちょっとお待ちを……十シリウスなんて高価なもの!」
「十シリウスを高価だなんて……あなたはなんて堅実な金銭感覚を備えている方なんだ……!」
正銀貨とは、大陸の最南端に位置する国であるエルペト王国が発行する硬貨の通貨単位のことである。硬貨は寸分の狂いもなく均一に製造されており、表面に鳥、裏面にアイリスの花が刻印されていた。
正銅貨十枚で正銀貨一枚と同等の価値であり、正銀貨十枚で正金貨一枚と同等の価値である。そして、一シリウスとは正銀貨一枚分のことであった。
シリウスが大陸全土に広がる前は各国が独自の硬貨を発行していたが、技術力の低さから一枚一枚にばらつきがあったため偽物が出まわることが多々あった。しかし、あるときを境にエルペト王国の硬貨であるシリウスが、各国の硬貨にとって代わることとなった。
エルペト王国の発行する硬貨はその高度な造幣技術により、複製や偽造が不可能であったため、その信頼性の高さから人々はシリウスを使いはじめたのだ。それ以降、各国が発行していた硬貨の価値は暴落し、シリウスが全土で使われるようになったのである。
十シリウスはルーダン王国においては、決して子供が一着の衣服に使える金額ではなかった。それは庶民が奮発して贅沢をするさいの金額であった。
ステラは、よく城下街へ降りて街の人々と交流していたので、そういった金銭感覚は備えていた。だからこそ、ハッシュが無理をしていると感じたのである。しかし、エピロスの街に住む人々を見ると、誰もが毛皮や絹でできたオシャレで精巧な衣服を身にまとい着飾っていた。
王都から離れた国境付近の街でもそういった身なりをしていることから、ステラは、この国の生活水準がルーダン王国よりも高く、発展した国なのだと悟り、それ以上追及することをやめた。
「少し紅茶でも呑みませんか? あるいは葡萄酒でも」
「お、お酒ですか? お酒なんて呑んだことありません!」
「え、ステラさんっておいくつなんですか……お酒が呑める程の大人らしさを感じるのですが……おっと失礼、オレは一九歳です」
「わたしはまだ一一歳ですわ……人を見る目がないんですね……!」
「え、いや……思ったとおりです。十歳を越えれば飲酒は合法。もしかして貴女は……外国の方なのですか?」
ステラは墓穴を掘った。ふとした発言で、窮地に陥ってしまったのである。速くなる鼓動を感じながら平常心を装い、ハッシュの方を見た。
するとハッシュは、なにかに感づいたような顔をしていた。
「もしかしてステラさん……初めて出会ったときの格好からして貴女は……エディルネから来たのではないですか……?」
ステラは心臓がとまりそうになった。違法な入国が発覚すれば、極刑は免れない。今この場から逃げたとしても、ハッシュが憲兵に通報すれば、街を出る前に捕まってしまう。
ステラはハッシュを見つめ、必死に哀願した。
「お願いです……決して……誰にも……!」
するとハッシュは笑った。
「ハハハハ! なにもそんなにビビりちらかさなくても!」
ステラはハッシュの意図が読めずに顔をしかめた。
「そうか……ジン王国からリエール王国に……。見かけによらず豪胆でなんとも……。ステラさん、オレは貴女の味方だ! そればかりか、ますます貴女に興味が沸いてきた」
「それは……どういう意味ですか……?」
「オレは貴女を通報したりしませんよ。今、オレは……上手く言えないけど、ワクワクしてる。異国から逃れてきた身寄りのない少女を助ける王子様……まるで寓話の世界だ……。これはオレの人生の……船出だ!」
「ボヤージュ?」
「失礼。これは地方の言葉で、船出を意味します。まだ見習いですが、もうすぐ航湖士になるもので!」
彼は燃えていた。そしてステラの手を取り、青い瞳を見つめ言葉を投げかけた。
「オレは貴女を助けるために生まれてきたんだ……。オレを頼ってくれ!」
「少し……考えさせてください」
ステラはその日の夜、フィンたちへ相談した。
「見ず知らずの僕たちを助けるなんて……やっぱり読めない人だ」
「自分も同感です」
「ねぇフィン、サリーフさん。わたし……ハッシュさんを頼ってもいい気がするわ!」
ステラ曰く、ハッシュは日常に飽き飽きしていて、新しいなにかを求めていたのだという。
彼は、もうすぐギムナジウムという学校を卒業し、社会のレールに沿ってさらに退屈な日々が始まることに嫌気がさしており、人生に刺激を与えてくれる出来事を待っていたというのだ。
「信用できると思うかい?」
「あたしはできると思うわ」
ポニーが澄ました顔で口を挟む。そして言葉をつづけた。
「だってソイツ、ステラに惚れてるもの」
「あははは……」
ステラは思いあたる節があり、苦笑いを浮かべた。露骨に嫌そうな顔をするステラの表情を見てポニーは笑った。
そんな二人のようすを見て、フィンは心を決めたようであった。
「二人ともなんだか楽しそうだし、頼ってみるのもアリかもね。吉と出るか凶と出るかは相変わらず賭けだけど、僕は二人の感性を信じるよ」




