第二三話 届けられた手紙
~~ジン王国 エディルネの酒場~~
「いらっしゃい……今日も来てくれたんだね! 衛兵さん」
「ようイフサン、また上手い酒を頼むぞ!」
この日もイフサンは酒場にて、客をもてなしていた。彼はここで働くのが好きであった。無論、強制労働の準備期間として、働かない選択肢はないが、彼はそんな境遇にありながらも仕事に意味を見出だしていた。
客の大半である衛兵は、純粋にイフサンの作る酒が好きであった。彼が作る酒はどれも繊細で、麦酒の泡はキメ細やかかつ黄金比だ。蒸留酒も優れた樽や果実を使っている訳ではないのに、彼が器に注ぐと美味しく感じられた。
「おいイフサン、梅酒をよこしてくれ!」
「はいよ! ちょっと待ちな!」
「早くしてくれよ! オメェの酒が呑みたくてここに来たんだからよ!」
ジン王国には、桜や梅といった固有の木々が存在する。主にアンカラの南方に咲くのが桜であり、西の町であるエディルネやその近郊に咲くのが、梅である。そして、この店で最も人気なのはエディルネ近郊にある梅を使って作られた梅酒であった。
また、特産品といえるほどエディルネの梅酒は有名であり、それが呑めるこの店には、近郊のみならず、隣国の国境付近の町であるエピロスからも、よく人が訪れていた。
「これがあの有名なエディルネの梅酒か。初めて呑むなぁ」
「絶品だぞ!」
この日も多くの客の応対に追われ忙しさを感じながらも、イフサンは確かな充実感を覚えていた。
夕方からの開店に向けて一時閉店していたところ、一人の女性がイフサンを訪ねて店へやってきた。それはファリドの姉であり、友人のトゥヴァであった。
「今日もお疲れ様。今いいかしら?」
「なんだいトゥヴァ。浮かない顔なんかしちゃって」
イフサンはさっきまで衛兵たちの使っていた食器をガシャガシャと洗いながら答えた。
「実はね、アンカラからお手紙が届いたの」
「へぇ、ファリドから?」
「いいえ、ポニーからよ」
「へぇ、ポニーが手紙をよこすなんて珍しいじゃん。でも、友人から手紙が来たってのに、なんでそんなに暗い顔してるの?」
イフサンは食器を洗う手をとめ、トゥヴァの顔色が暗い理由を尋ねた。普段は周りを和ませる空気をまとう彼女にしては、珍しく緊張感が張りつめているようすであった。
「内容がとっても重たくて、私……怖くなってしまって……」
「……読んで聞かせてくれ」
手紙の内容は、数日後にフィンやその他アンカラの子供たちが、ジン王国から脱出を図るというものであった。また、経由地であるエディルネへは貨物馬車で向かうという旨が書かれていた。
その不可逆的な内容に、二人は困惑した。
「イフサン、この手紙にはね……。私たちにも来てほしいって書いてあるの」
「いやだね、俺は行かないよ」
「そっか……」
「もしかして、トゥヴァは行きたいの?」
「えぇ……。ここにいたら、毎日心が張りさけそうだもの。弟や妹のように思っていた子供たちも、理不尽にリエールへ連れていかれて、生きているのかどうかさえわからない。ここから抜けだせるのなら、私は抜けだしたいわ……!」
「そうなんだ……行きたいなら止めないよトゥヴァ。トゥヴァには世話になったし、俺のために残ってくれなんて言えないよ……それに……」
「それに……?」
「ファリドも一緒なんだろ? それなら、なおさらそうした方が良い。この国で血の繋がった家族が生きているなんて奇跡だ。側にいてあげなよ」
トゥヴァは幼いころ、まだ五歳にも満たない弟のファリドや両親とともに家族で暮らしていた。
ある日母親の持つ美貌が、リエール王国から訪れた軍団長の目に留まった。今考えれば拒否権などなかったのであろう。母は家族を残し軍とともにエディルネから去っていった。
その日を境に父親は荒れていき、大量の飲酒からか、トゥヴァやファリドに対し激しい罵声や暴力を振るうようになった。そのため、トゥヴァは情報屋に成りたてで、頻繁にエディルネへ赴いていたポニーに懇願し、ファリドをアンカラへと逃がした。
ポニーが初めてエディルネを訪れたとき、町を案内したのがトゥヴァであり、それ以来、二人は親密な関係を築いていた。当時のトゥヴァには頼る相手がおらず、ポニーに心の内を明かしたところ、彼女は難色を示しながらも二つ返事で引きうけてくれたのである。
また父親の暴力はやむことを知らずつづいていたが、トゥヴァが成長し母親に似てきたからだろうか、途中でピタリとやんだ。そんな父親も先月、トゥヴァに一言『すまない』と言いのこし息を引きとった。
数週間前、ファリドがトゥヴァの許へと訪れていたのは、トゥヴァがファリドへ父親の訃報を知らせる手紙を送っていたからであった。彼女は、ファリドにまた一緒に暮らそうと話しを持ちかけたが、ファリドはすでに労働を辞めることができない状況にあったため、断念することとなった。
トゥヴァはまとう雰囲気やその容姿から人に好かれる素質があった。そのため、衛兵に贔屓されてこの店で女給として働くこととなった。その後、店を誰に任せようかという話が出てきたおりに、同じ店にいたイフサンを店主として推薦したことで、彼も衛兵の贔屓を受けるようになったのである。
「どうしてあなたは来てくれないの?」
「俺は……この店が好きだ」
「嘘よ、いつも窶れるほど走りまわって、気苦労も絶えないじゃない!」
「っせぇよ……。俺がここを離れる訳には行かないだろう……」
「どうして……?」
「その手紙に書いてあるだろう。子供たち全員を連れていくことは無理だと。俺までいなくなったら、残された連中はどうすんだ。誰が支えてやんだ?」
「そ、そうだけど……。それなら私も行かない……。私がいなくなったら、きっと衛兵たちは子供たちに今よりももっと酷い仕打ちをするようになるわ!」
「俺がそうはさせない……! 俺だってトゥヴァにキッカケを貰ったお陰で、今では気に入られてんだ。子供たちは俺が守ってみせる。だからトゥヴァはファリドとともに行くべきだ!」
「そんなの私だけずるいじゃない……!」
「トゥヴァ、この世でたった一人の弟だろ! 血の繋がった家族と暮らせる機会を無駄にすんじゃねぇ!」
イフサンはつい声を荒らげた。夕日の差しこむ小窓から、外の通りを歩く人々の視線が感じられた。彼は大きく溜め息をついたあと、言葉を吐きすてた。
「急がないと夜の営業が始まっちまう……今日は帰ってくれ」




