00 守護者 00
古い物語を読んで、はるばるこの地にやって来た。南方大陸から東大陸、更に北方大陸に渡ったイグとヤグの二人の少年は、北方の更に西側にたどり着く。
〈見てヤグ、ようやく集落だ〉
〈はあ、良かった。これで水が飲めるね〉
北方の大都市エスクランザ国を出ると、森林も無い砂だけの道が長く長く続いた。集落は各地に点在するが、大切な水筒の水が底をついても次の水場が無い事もある。昼間は暑くて夜は寒い。それを繰り返し、水と食料が途切れて三日目の朝方、ようやく新たな集落が見つかった。
〈小桃の木だ〉
〈あっちに森もあるね。そうか、潮の匂いもするし、海が近いんだ〉
村としての囲いも無く、点々と小さな小屋が立てられて、周囲にはぱらぱらと果実と豆畑が広がっている。今までと少し湿度が違う事から、ここは他よりも水が豊富らしい。それをぼんやり見渡していると、イグの目の前にハラリと木の葉が落ちてきた。
〈あらら、珍しいね。猫犬と犬狼なんて〉
〈〈!!〉〉
大きな木の上から、突然声を掛けられた。見上げると太い枝の一本に、男が一人しな垂れかかっている。収まりの悪い灰色の頭髪を、結い上げて羽根飾りで飾っている。一見して無人にも見える青年だが、長い尾がぶらりと垂れ下がる。来訪者を笑顔で出迎えると、器用に枝を伝って二人の前に飛び降りた。
〈あなたは、もしや大猿族の、こ、こんにちは!〉
〈初めまして、こんにちは!〉
初めて出会う西の守護者に、緊張したイグとヤグは畏まる。それに笑った大猿の青年は、〈僕はカウスだよ〉と名乗って二人を集落に招待した。
〈あー、レオスとエルモの物語か、懐かしいね〉
冒険記に触発されてここまでやって来た二人の少年。一通り集落を案内して、近くの家の縁側に座り込んだカウスは、当たり前のように部屋の奥に茶を要求した。ほどなく現れた者の姿に、同じ様に腰掛けていた少年たちは目を見開いて立ち上がる。
〈ここは茶屋ではない。飲んだら出て行け〉
長身のカウスよりも背の低い青年。だが白髪に銀色の瞳の種族は、白大猿という稀なる存在であった。頭の良い猿族の中でも、更に優れているという彼らは虚弱体質だと南方大陸では認識されている。
〈いいからいいから。あれはケヘラって言うんだ。愛想無いでしょう?あんまり他人と関わりたくないんだって。だから僕、こうして交流しているんだよ〉
〈・・・はあ、〉
〈・・・そうですか、〉
虚弱体質で他人と関わりたくない。そんな繊細な種族の縄張りに無断で踏み込み、更に茶まで要求したカウスの厚かましさの方が気になった。二人の少年は無言で出されたお茶を飲み下し、早めにこの場を立ち去ろうと気を遣うが、カウスはのんびり寛ぎ始める。
〈そういえばカウスさん、ここの猿族の頭に、僕たちご挨拶したいのですが〉
〈ああ、大丈夫。今お茶、出してくれたでしょ?〉
〈〈?〉〉
〈一応、頭はケヘラなんだ。愛想が無くて、ごめんね〉
〈〈!!!〉〉
挨拶も無く部族の頭の縄張りに踏み込んで、本人に茶まで出させた。他部族ではあり得ない失礼な状況に、イグとヤグは背筋を伸ばして身を固めるが、カウスは長い足を組んでのんびり笑う。
〈で、副頭は僕。けっこう野心家で、毎日ケヘラから頭の座を奪おうと、日々策略を練っています〉
〈〈!!?〉〉
〈嘘です。部族の頭なんか、面倒くさいのでやりたくありません〉
〈〈???〉〉
巻き込まれると大変なことになる、他部族の繊細な問題。立て続けに聞かされた厄介事に、苦い顔をした客人を見てカウスはにこにこと笑っていた。
〈〈・・・・・・・・〉〉
**
〈へー、東大陸の魔戦士ねー。でも僕は、その天上人の子の方が気になるね〉
〈確かにそうですね。あの子、ミギノは無人におかしな言葉を覚えさせられてて、少し心配だったもの〉
〈だよね。僕たちの事も、お別れの挨拶で「食べるー」って、手を振ってたものね。無人はミギノで遊びすぎだよね〉
〈〔ミギノ〕っていうの?その天上人〉
〈はい。魔戦士、みたいな人に拾われて、ファルド軍の将軍に狙われてて、ガーランドの人たちも気にしてた子です〉
〈僕たちも気になるけど、エルヴィーさんが怖かったから、彼にミギノの事は任せたんです〉
〈そういえばエスクランザでも、天上の巫女だって、騒がれてたよね〉
〈ふーん〉
ーーカタリ。
〈〈!?〉〉
音と共に、背後には盆が置かれている。皿に乗せられた豆飯は、食べやすい片手の大きさに握られていた。
〈食ったら、とっとと帰れ〉
〈あ、あの、〉
更にケヘラは空になった湯呑みに、お茶をつぎ足した。そしてとても迷惑そうに眉を顰める。頼んでもいないのに用意された持て成しに少年二人は顔を見合わせて戸惑うが、見ていたカウスは片目を瞑って〈この人、不器用なんだよね〉と笑った。
**
〈ごちそうさまでした〉
〈携帯飯まで貰って、ありがとうございます〉
〈僕の握り豆は、ケヘラのより美味しいよ。期待してね〉
背中に旅の荷物を背負い、見た目は商人の様な二人の少年。背の低いイグに背の高いヤグ。各大陸を旅する二人の少年を見て、カウスは一年前に村を旅立った、小さな鼠猿族の少女を思い出した。
(〔ミギノ〕の背は百六十に満たない、黒髪の女の子、ね。・・・ミュイやあの子たちも、そろそろ帰って来れるかな?)
少し離れた畑の向こう側に、小さな鼠族を引き連れて彼らに自然のあれこれを教えている青年が見える。金の短い髪を跳ねさせて、緩やかに巻き付けた下衣の足下には、旅に出る前の鼠猿族の子供たちが纏わり付いていた。
〈そうだ〉
村を出る挨拶をすませて、背を向けて歩き出す二人を呼び止める。くるりと振り返った好奇心旺盛な犬族に、ケヘラは手を振って笑った。
〈この先には海しか無いかもしれないけど、もし西大陸、見つかったら僕にも教えてね〉
〈はい!〉
〈帰りに報告に寄りますね!〉
〈・・・・・・・・〉
木陰から旅人との別れを遠目に眺めていたケヘラは、小さくなるまで二人の少年を見送っていたカウスの背中に不満をぶつけた。
〈なんだ今の。笑えん〉
〈だって、天上人が、〔生きて〕この地に降りるなんて、エスクランザ国でも創世記だよ。そんな事が、まさか今の世で起こるなんて、気にならないか?〉
〈だが何故それと、アトラ・ステスの浮上が関わる。おかしな事を言うな〉
姿の見えなくなった少年たち。彼らの向かう道の先には大海が広がっている。ぽつりぽつりと等間隔に小さな島が円状に六つ、それ以外は何も無い青い海。カウスたちこの地に留まる猿族は、その光景を毎朝眺めているのだ。二人の旅人が訪れたこの日の朝も、西の果ての塔から海の異変が無いか調査済みだった。
遥か昔、無存在と呼ばれる者たちと戦った真存在。その中でも、知恵の守護者と呼ばれる猿族は、この世の〔厄〕の動きを陸から監視する役を持つ。
永く続く役目を、子供の遊びのように声かけしたカウスをケヘラは叱りつけたのだが、本人は嬉しそうに眼を細めた。
〈僕ね、天上人とは、〔始まりの血〕を持つ者だと思うんだ〉
〈・・・始まりの血〉
〈会ったこと、ないけどね。でも〔始まりの血〕と出会ったら、自分がどれほど変わるのか、興味があるよ〉
緋を散らした様な金色の眼、穏やかに笑うカウスの眼の奥に、いつもの狂喜が宿っている。線が細いただの無人にも見える、荒事にはむかないと侮られる猿族の青年は、守護者としての好戦的な表情を海に沈んだままの〔敵〕に向けた。そしてここには居ない天上人の少女に身悶える。
〈〔始まりの血〕、いいなぁ。あの子たち、会ったんだ、いいなぁー〉
〈だが彼らは、それほど影響を受けていない様に見えた。出された物を完食してしまうあの純粋さから、天上人だと、欺されている可能性もある〉
〈無いよ。無いね。あの子たちは、まだ子供だから、分かんなかったんだよ。〔始まりの血〕って、僕たちにとっては、番と出会うよりも、身に刻まれるものなんだ〉
〈・・・・・・・・〉
〈どんな娘なんだろ、どうしよう、見た目も僕の好きな感じだったら、どうなっちゃうんだろ。ううっ、いいなぁ、あの子たち。・・・でもあの子たちの話によると、見た目は猿鼠の子に似てるのかな?鼠猿かー・・・。鼠猿〉
〈おい、猿鼠に手を出すなよ。ヒエとは争うな〉
畦道から畑に転がり落ちた茶色の毛の塊を、慌ててつかんで救出した。ヒエと呼ばれた青年は、しゃがんで子供の泥土を払っている。それを見た緋色の瞳はつまらなさそうにケヘラを振り返った。
〈ヒエとケンカ?そんな面倒くさい事、しませんよ。・・・でも〔始まりの血〕が関わったら、ドキドキが押さえられなくて、どうなるかは僕にも分かんないけどね〉
〈・・・・・・・・〉
〈そうなったら、よろしくね?頭〉
**
〈ここが地図の場所?〉
広がる一面の大海には、白い波の線だけが寄せては消える。しばらく目を凝らして水平線を眺めていた二人の少年だが、長旅の疲労から溜め息が零れ出た。
〈やっぱり無いね〉
〈あの冒険記がいちばん古かったからね。きっと作り話だったんじゃないかな?〉
〈そんな、冒険者イオスと戦士エルモの冒険記は本物だよ!〉
〈またイグの悪い癖が出たね。・・・まあでも、魔戦士は本当に居たしね。わかったよ。イオスとエルモも居たって事で、〉
〈居たって事で?〉
〈守護者のカウスさんも、この先には何も無いって言ってたでしょう?昔々の物語なんだよ。きっと創作だ〉
〈じゃあなんでカウスさんたちはここに居るのさ!守護者って、真存在の敵を見張る人達なんだよ!〉
〈でもカウスさんたちの村、けっこう牧歌的だったじゃない。敵を見張るっていったって、見張る敵が居る島が見当たらないよ。・・・冒険物語は創作だね〉
〈ムッ!・・・適当。そういうヤグも、なかなか番、見つからないよね。〉
〈お嫁さんて、言って!〉
言い合って睨み合ってみたが、打ち寄せる波と穏やかな気候に負けた。イグは岩陰を見つけるとヤグの言葉を適当に受け流す。
〈そうだったね、お嫁さんお嫁さん。ハァ。さあ、そろそろここで、お昼にしようか〉
〈そうだね!カウスさんの手作り!北方は豆飯が多いよね。だからかな、最西にも豆飯が浸透してる〉
〈うん。たまに携帯用の握りに酸っぱい実が埋めてあって、僕あれ苦手〉
〈そう?僕はあれ好きだな。海草と煮付けたやつも好き〉
大きな袋から、あれこれと取り出した荷物の一つがこぼれ落ちた。友人の粗相を拾ってあげようと屈んだイグだが、臭い消しの葉に包まれた見慣れない布の塊に、ふと手を止める。
〈ヤグ、袋から何か落ちた、・・・え、?、待って、・・・それ、何?〉
家族に姉が多いイグには、自分が使用しなくてもその布の用途が分かってしまった。女性が子を産む準備の為に、身体に変化が現れる。その一つが下腹部からの出血なのだが、何故かその処置の為の布を友人は隠し持っていた。
〈これ?、何って、あの子の証だよ〉
〈いや。その、それ、血糊だよね、なんの、あの子?、あの子の?〉
〈うん、ミギノの証。もう乾いてるしヤヤナの葉に包んでたから、分からなかった?僕、イグは知ってると思ったよ。僕がこれ持ってるの〉
〈ねえ、それって、〉
〈あの子珍しい匂いだったから、記念にね。すごく離れても忘れないように念のために拾っておいたの。ほら、大きな街でたくさんの香水や薬に混ざると、匂いって混乱しちゃうでしょう?〉
〈うん、じゃなくてヤグ、それって、え?、いつ手に入れたの?〉
〈ほら、僕、皆とお別れした日に忘れ物しただろ?ガーランドの砦に取りに戻ったら、ミギノ達が騒いでたんだ。あの子、慌てて厠に走り込んだから、何かと思ったら初花星になったって〉
困惑、軽蔑、嫌悪、混乱、憐憫、様々な思いが錯綜したが、今までの友人としての付き合いの年月に、それらをぐっと飲み込んだ。
〈で、・・・ヤグ、それでなぜ、君がミギノの初花星の、その、それを、〉
〈大丈夫。ミギノには分からないように、居なくなってから厠から拾っておいたんだよ〉
〈・・・・・・・・ヤグ、〉
〈だって血を持ってたら、あの子が他のどんな臭いに塗れても、お尻の匂いよりもすぐに探し出せるでしょう〉
短絡思考な友人の、それにがっしりと結びついてしまった行動力。脱力に腰掛けた少年は、遠い瞳で穏やかな大海を見つめた。
〈ヤグ、ミギノを探してどうするの、今更。もうエルヴィーさんも居ないんだよ。脅されないよ、僕たち〉
〈違うの。ほら、あの子の傍にはアピーが一緒にいるでしょう?〉
〈アピー?・・・君、まだアピーのこと、諦めてなかったの?〉
〈・・・・・・・・・・えへ、だって、遠鳴きで無視されたの、僕初めてだったから、あれからすごく、アピーが気になって・・・〉
〈・・・そう。はぁ、なんかもう、どうでもイイや。お昼を食べよう。それ、衛生的に良くないから、早くしまうか捨てるかしてよ〉
〈捨てないよ!これでミギノが分かるんだから!〉
ーービュウッ!バサリッ!バサリッ!
真っ青な青空に、陽を背に一羽の鳥が舞い降りた。南方大陸では見たことの無い黒い鳥は、利発そうな黒目を輝かせて纏わり付く。
〈あっ!こら、あっ、!!!〉
バサリッ!バサリッ!
〈うわ、大きな鳥、ほら、そんな血糊を、こんな所で振り回すからだよ!〉
ツンツン!!ガブリッ!!
〈あっ!やめ、あっ!!、返して!!〉
〈カァッ!カァッ!カァッ!〉
バサッ、バサッ、バサッ、バサッ・・・。
〈あーあー・・・、ミギノ、行っちゃった、〉
〈ミギノじゃないけどね。大海に出ちゃったね。諦めなよ。むしろなんか、良かったよ。〉
〈あーあー・・・、〉
**
『くっ、っくしゅんっ!・・・あ、本当の鼻水出た。ぷるりん肩に乗ってるよね?』
(・・・・)
「ミギノ、大丈夫?あ、ヒスの葉っぱあるよ、あれで拭こうね」
『誰か噂してる。悪口?悪口はくしゃみ二回だっけ?一回?』
「ミギノー!お船だよ!大きなお船ー!」
「アピー、大声出しちゃ駄目だよ!僕たち追われてるんだよ!ッチ、トラー、見てるなら、アピー捕まえてきてよ、目立っちゃうだろ。ほらミギノ、これでフンッてしなさい!」
『え、葉っぱ?葉っぱに何するの?』、
「エルビー、押さないでください、鼻を」、
『かぶれる、未知の葉っぱ、怖い』
[・・・・・・・・]
(・・・お前の声が、一番大きいよ。)




