腐肖の子の幸運
死んでも良い!!
むしろ今死にたい!
いや、幸せ死する!!
って言うかした!!!!
この世に二つと無い奇跡の宝玉の如き尊き魔王の腕が!
自分の腰を抱いた!
螺鈿細工の指先が!顎を持ち上げた!
何より、あの凛々しく美しい、高貴な我らが魔王陛下の唇!
(私の、私なんかの手にキスを・・・・・・・)
何て勿体無い。
こんな、こんな幸運があって良いのだろうか?
実の親にすら邪魔者扱いされている、醜い出来損ないの自分が魔王陛下から口づけを賜る。
今まで自分を蔑んできた者達の顔を思い浮かべる。
父も、兄も、この事実を聞けば歯噛みして羨むだろう。
美貌を誇る貴族の御令嬢方など、何故だと涙して悔しがるのではないだろうか。
どれ一つとっても、魔王に従う者達にとって、いや、人間にとっても一生ものの栄誉だ。
そして
「乙女よ」
「そなたに相応しい愛らしい名だ」
美しい声で、耳元で優しく囁かれた言葉。
(勿体のう御座います、魔王陛下)
あるいは、似合いもしない美しいドレスを身に纏って飾り立てた明美を、揶揄していたのかも知れない。
それでも良い。
明美の頬を涙が伝う。
それでも生まれて初めて乙女と呼ばれ、その名を褒められた。
(女でもなければ、生まれ持った名でもないのに)
浮かれた気持ちが重く沈みこむ。
フェルナンジーニョ
それが明美が生まれた時に両親が付けた名前だった。
明美はモルガナ家の三男として生まれた。
最初は父によく似た明美を、兄達が母に似た容貌の持ち主だっただけに、父親はとても可愛がってくれた。
二人の兄も同様で、特に初めて弟ができた次兄は何かと兄貴風を吹かせたがり、いつも明美と一緒に遊びたがった。
あの頃は良かった。
両親の仲も良く、兄達と楽しく遊んでいられた。
子犬の様にじゃれあう三人の息子を、笑いながら見守る父と母。理想を絵に描いたような、幸せな家族。
(それを壊したのは私)
兄達が泥だらけになって走り回っている間も、明美は母親の側にべったりだった。
「フェルはお父様よりお母様が好きなのね」
母親はそう笑って、明美の頭を撫でてくれた。
「偶には父様も構ってくれないと寂しいぞ」
父親も笑って、明美を抱き上げてくれた。
それから少し時が経つと、明美は館を訪れる御婦人方に興味を示すようになった。
母の友人の他家の奥方や、その御令嬢。特に同年代の少女には興味津々だった。
「ま、この子ったら」
「やれやれ、この歳から女好きとは。正直な奴め」
美しく着飾った貴婦人や可愛らしい小さな姫君にまとわりつく明美に、両親はこんな幼いうちから異性を追い回していると苦笑していた。
そうだったら良かった。
女好きのプレイボーイ。
軟弱な女ったらしの遊び人。
ある意味、とても“男らしい”そんな男だったなら。
明美が興味を抱いたのは、彼女達のドレスや化粧。
桃色のレースに蝶のようなリボン。パニエでふんわりと広がった花の刺繍のスカート。
キラキラ光る宝石や、目元や唇を彩る化粧。
細いヒールの、ビーズ細工の付いた靴。良い匂いの香水とひらひら動く扇子。
なんて綺麗なんだろう。自分もあれを身に着けたい。
彼女達を真似て、庭で摘んだ花を髪に挿してみた。
母の鏡台にあった薔薇色の紅を唇に塗ってみた。
(ごめんなさい・・・・・・ごめんなさい、ごめんなさい)
父上、母上を責めないでください。
母上、父上を責めないでください。
全部、全部明美が悪いんです。
こんな風に生れた明美が。
男なのに、女の格好をしたがって、女として振る舞いたがる自分が悪いんです。
母上が悪いんじゃない。
家名に泥を塗って、両親を仲違いさせて、兄達を失望させて。
それでも女として振る舞うことを止められない自分が。
両親から贈られた名前すら、男の名前に耐えられず、勝手に女の名を付けて名乗っている。
両親からの最初の贈り物なのに。
「それで?」
「それで・・・・・」
「それで、そのどこが悪いのだ?それが“お前”なのだろう?」
優しげな、労わるような声に目を開く。
すぐ側に、腕を組んだ魔王陛下が立っていた。
「陛下」
「そなたの生き方をそなたが決めて何が悪い?」
少し眉を寄せ、苛立った様子で明美を見下ろしながら魔王は尋ねる。
「そなたの両親が悪くないように、そなたも悪くない。自分を責めるな」
「陛下・・・・・」
今まで一度も言われたことの無い優しい言葉に、明美は驚いて目の前に立つ魔王をまじまじと見つめる。
「しかし、私は家名に泥を塗った親不孝者です」
明美が女として振る舞い、化粧をし、女の服を着ることでどれだけ両親に恥をかかせてきたことか。
兄達も、そのことでどれだけ辛い思いをさせてしまったことか。
「ふむ・・・・・」
顎に手を当て、魔王は考える素振りを見せる。
やがて魔王は何度か頷くと、笑みを浮かべて明美の目を覗きこんだ。
「余は魔王。そなたの、そなたらの絶対の主である。異論は無いな?」
「もちろんでございます。我ら“魔”に属する者一同、陛下を主君と仰ぎ、絶対の忠誠を誓うものであります」
魔王陛下の問いに、明美は慌てて寝かされていた長椅子を降りて臣下の礼をとる。
「では、そなたの主君である魔王エルシオンの名をもって命ずる!今よりそなたは女として生きよ!そなたに“ベアトリス”の名と、“明美”のミドルネームを授ける。これより後は余に女として仕えよ!良いな?」
「・・・・・・・陛下・・・・陛下」
耳を疑う魔王の言葉に、明美は胸が詰まって言葉も出なかった。
女として生きよと、魔王陛下直々の命が下された。
これで明美は誰がが何と言おうとも、女として生きねばならないのだ。
女として生きる明美を、嘲ることは許されないのだ。
(今、私は女になった)
誰が何と言おうと、もう明美は女なのだ。女として生きる明美を侮ることは、勅令に背くことになる。
魔王陛下の名の下、魔王陛下から賜った名を持つ幸運な女。
それが明美、いや、ベアトリス・明美・モルガナなのだ。
「ありがとうございます、陛下。このベアトリス・明美・モルガナ、身命を賭して陛下にお仕え申し上げます」
今この瞬間、男のくせに女の服を着て化粧をし、女の名を名乗るモルガナ家の恥晒しな三男は消えた。
ここにいるのは魔王陛下から名を賜った、モルガナ家の長女ベアトリスだ。
ベアトリス=祝福された女は という意味。
繋げると 祝福された女は明美 となります。