黄金色の瞳の鬼
咲羅と夕詩が依頼を一時中断してまで連れ帰った鬼は、二日後に目を覚ました。
鬼という妖は元々力が強く、よほどのことがない限り傷もすぐに回復する。それだけ深手を負ったのだろう。
当番制で傍についていた咲羅が他の二人に報せに往こうと立ち上がる。最初に視た時春雪が「悪意のあるモノには視えぬが、一応」と言ったため、そうなったのだ。
ゆっくりと開かれた瞳の金は、朝陽にも似た美しさをしていた。咲羅は思わず目を奪われる。
「あ……。急に起きちゃ駄目よ」
身を翻し、春雪と夕詩がいるであろう居間へ往く。果たしてそこに二人はいて、春雪は読んでいた本から、夕詩は手入れをしていた刀から咲羅に視線を移した。
「あのひと、今起きたよ」
「ああ、わかった」
「では、往くとするか」
部屋では再び戻った三人を、疑わしげに鬼が見ていた。咲羅や夕詩よりは、少しばかり歳上の姿。凛とした顔立ち、印象的な黄金の目。だがその気配には、善いものと悪いものが混じり合っている。それは珍しいことだ。
偶々妖の行為が受け取る人により、善くも悪くもなることはあっても、ここまで両方の気配を併せ持つモノはそういない。
視線を合わせたまま、双方相手の出方を窺うように動かない時間が数秒。先に口を開いたのは、春雪だった。
「ここは妖退治屋『立春』、私は管理人の春雪だ。君の名と何の妖かを教えてはくれぬか」
「……断ります。妖退治屋に正体を教えるなんて愚かな真似、したくありませんから」
取りつく島もない内容ではあったが、対話の意思はあるらしい。彼は逃げようとする様子もなく、じっと三人を観察している。
「ふむ……。その瞳の色と鬼の一種であるということ、君が持っていた面から察するに、君は方相氏ではないか?」
逆に鬼を見つめ返し、探った気配と考察から導き出した結論を春雪が問う。長年妖退治に携わってきた春雪には知識も経験もあるため、このようなことができる。
その言葉にはっとした鬼は、布団のすぐ近くに置かれていた面に触れた。
それは彼が紐で服にくくりつけていたもので、汚れた衣服を取り替える時に外して置いておいたのだった。彼と同じ金の目が四つ並んだ鬼の面は、特徴的だが咲羅や夕詩には何かわからなかった。
「春雪さん、方相氏って?」
「方相氏は追儺や鬼やらいと呼ばれる、鬼を払う儀式にて鬼を追い払う役目を持つ者だった」
「『だった』って、過去形なのか?」
「うむ。かつては鬼を払う者であったのだが、時代が下るにつれ追われる側になってしまった存在だ。現在で言う節分の原型だな」
鬼という穢れを祓う者であったための善いものと、追われる側になったための悪いもの、それが彼の気配の正体だった。
大衆のほとんどの認識はただの鬼であるが、方相氏であることを覚えている人が存在するために、まだ強い退魔の力を持ち合わせているのではないかと春雪は語った。
「だから、何ですか。おかげで僕は、どっち付かずの中途半端な存在です。鬼の敵であり、人には恐れられる」
「わたし、あなたのこと怖いなんて思わないよ」
「つまらない嘘は結構です。妖退治屋の貴方方が災厄の象徴たる鬼を害あるモノと判断できないのは、命取りでしょう」
話が続かない。咲羅たちがいくら話しかけようとも、鬼の返答で会話はぶつ切りになる。嫌味を含んだ、敬語だが攻撃的な話し方だ。
「助けて頂いたことには感謝しますが、頼んだ訳ではありませんので、貸し借りは無しということで。失礼します」
「ちょっと待って!」
立ち去ろうとした鬼の手を、咲羅が咄嗟に掴んだ。
「往く場所がないなら、『立春』に来なよ。あなたの退魔の力を必要とする人が、きっといる。ねえ春雪さん、いいでしょう?」
「ああ。君の力は誰かのために在るものではないか? それに、私達には縁もあるようだ」
節分の日と立春には深い縁がある。季節の境目、特に重要な立春にこそ鬼を祓う行事があり、それに関わる方相氏と、立春の名を冠した寄合。同じく妖退治をする者達。
「こじつけだと言われればそれまでかもしれぬが、良い縁の理由の一つになればいい」
「……おかしな人達ですね。妖退治屋なのに」
「おれらは、誰彼構わず退治してるわけじゃねえ。どっかの寄合と一緒にすんなよ」
夕詩の言葉に、春雪が苦笑いをする。
かつて春雪が所属していた陰陽師の寄合は、依頼さえあれば原因も調査せずにただ妖を滅するような寄合だった。多くの妖が警戒しているのは、そこの陰陽師なのだ。
それに違和感を覚えた春雪は独立し、今の『立春』を設立したのだった。『八百万』の助力や実績もあり、今は人にも妖にも認知されつつある。
「どちらにしろ、僕が貴方方を信用することは有り得ません。そんな場所に、留まるとお思いですか?」
「じゃあせめて、今回の依頼だけ力を貸して。あなたの力が、わたし達には必要なの!」
勢い込んだ咲羅が、より力を入れて鬼の手を握る。単に引き止める口実というより、かなり本気で協力を頼むつもりだ。せめて必死なことだけは伝われば良い。
「何故僕が? 利益があるわけでもないのに。むしろ、手の内を知られることになるでしょう。そんなこと、するわけがない。人間なんか、もう二度と信用しない……っ! この退魔の力を恐れ、手のひら返しをして僕を悪に堕とした人間なんか!」
振り払われて尻餅をつく。金に輝く鬼の瞳は、鋭く冷たい猛吹雪に似た激しさを伴っていた。
咲羅は悲しげな目で鬼を見上げるが、夕詩が共感できるのはどちらかと言えば鬼の方だった。咲羅を助け起こしつつ、自身の考えを告げる。
「咲羅。誰かを信頼するってのは、難しいんだよ。あんたはそうじゃなかったとしてもだ」
「違うわ。このひとは、本当は人が大切なはずよ。そうじゃないなら、どうしてこんなに怪我してまであの鬼たちを退けようとしたの? それに『もう二度と』ってことは、前は信じていてくれたんでしょう?」
まっすぐに向けられた咲羅の桜色の瞳に縫い付けられたかのように、鬼がぴたりと動きを止めた。
「裏切るのは、いつだって人間ね。ごめんなさい。信じてくれなんて言えない。けれど、わたしはあなたを裏切らないよ」
「……どうでしょう。それが貴女に、証明できますか?」
「できる。約束するわ」
笑顔で右の小指を差し出す咲羅に、鬼は怪訝そうな表情を向ける。構わず左手で彼の手を取り指切りをした。動きに合わせ、咲羅の栗色の髪が揺れる。
「わたしは佐保風 咲羅。あなたは?」
「僕に名前はありません。好きに呼んでください」
問い掛けるつもりで春雪と夕詩を見る。すぐには思いつかないから、他の二人に案がないかと言いたいのだ。
「では、琥珀はどうだ? 君の瞳に、よく合う名だと思うのだが」
「お好きにどうぞ。僕はただその固有名詞が、僕を示す単語だと覚えれば良いだけのことですから」
「いちいち面倒くせぇ言い方する奴だな」
成り行きに口を挟まず、ただ見ているだけでいてくれた夕詩が、ぽつりとこぼす。立てた膝に肘をついて、さらに右手に顎を乗せた姿は不遜だ。
が、対する鬼も負けてはいない。
「事実でしょう。僕から名を欲した訳ではありませんから」
「ふん。だからって、迷惑ってとこでもなさそうだな。案外気に入ってんだろ、この捻くれ者め!」
「失礼な人ですね。勝手な解釈をしないでください!」
「否定しねぇんだな。いや、できねえのか?」
黒と金の瞳が真正面から向き合う。実在はしない、間にある火花が見えそうな勢いだ。取り残された咲羅と春雪は、呆気に取られることになった。
「咲羅。この場もしばらくは収まらぬだろう。彼らのために軽食でも準備しようと思うのだが、手伝ってくれるか?」
「うん、そうだね……」
依然口論を続ける二人を残し、咲羅は春雪の後を追いつつ客間の襖をそっと閉ざしたのであった。
それに気付かないのか無関心なのか、二人が言い合いを止める気配はない。
「名前をつけるってのはなあ、縁を繋ぐってことなんだよ! あいつら陰陽師からしたら、普通とは重みが違ぇんだ!」
名前をつけ、縁ができるというのは一種の呪だ。陰陽師や妖は、名前一つで縛られることさえある。
「僕が頼んだ訳じゃありません! 適当に呼べば良かっただけのことじゃないですか!」
「んなことができる奴らじゃねえんだよ! どうしようもない、お人好し共だからな!」
今から一年近く前、そうして夕詩も救われた。無関心に流れる景色の中、自分にさえ無頓着だった夕詩に、あたりまえのように手を差し伸べてくれた。
春雪は、名前一つをきっかけにして夕詩を救ってみせた。彼だからこそ、できたことだった。それが春雪のよく言う縁なのだろう。
「だったら、何故貴方が口出しするんですか。関係のないことのはずです」
「あんた、春雪と出会う前のおれに似てるんだよ。表面上は全然だけど、どっかがな。だから、あの時おれができなかったこと……あんたの背中を押してやる」
春雪の名を口にした途端、夕詩の纏う雰囲気が変わった。
彼の金の眼差しが、理解できないと言っていた。簡単にできてたまるかと夕詩は思う。
当事者であったにも関わらず、春雪に救われたと解ったのはかなり後だ。ふとした日常の営みでさえ時に新鮮なのは、春雪に出会い夕詩が変わったからなのだ。
「まあ、おれはあんたに、無理してまでここに居着いて欲しい訳じゃねえし。冬をやり過ごす場所くらいに思ってればいいだろ」
「冬を、やり過ごす場所……」
「ここはまだ発足したての寄合だ。部屋は無駄にあるし、この寒空の下にあんたを投げ出すのも寝覚め悪ぃしな」
そうして漆黒の目を細めて笑った表情には、ほんの少しだけ春雪に似た雰囲気が漂っていた。それもまた、夕詩が春雪から貰ったものの一つなのだろう。
出ていこうとして開けた襖の向こうにいた咲羅に驚いたせいで、先程まで見せていた剣のような実直さは消え去ったが。
「あ、夕詩も食べる? わたしと春雪さんでおにぎり作ったのよ」
「ん? ああ、一つ貰うぜ。ありがとな」
「はい。ほら、琥珀も」
差し出されたのは、まだ暖かく湯気の漂うおにぎりだった。できたては熱いくらいで、琥珀のためにと冷めないうちに持ってきたのだ。
それをじっと見つめたまま、彼はまだ受け取ろうとはしなかった。一応警戒している相手から、食べ物を貰うことをしたくないのだろう。或いは、毒が仕込まれているとでも疑っているのだろうか。
「人間の仕込む毒程度、僕には効きませんから。ご飯が冷めるのは忍びないので、貰ってあげますよ」
「ふむ。それは良い心掛けだな」
「っ!」
いつも咲羅や夕詩にしている癖か、つい琥珀の頭を撫でようとした春雪に彼は素早く反応した。さっと後方へ動き、傍らに置かれていた自身の矛を構える。
「すまない。つい、な」
「…………わかりましたが、僕に気安く触らないでください」
見るからに他意はなかったらしい春雪を前に、流石に気まずかったのかうつむいた琥珀は矛を置く。
部屋の中心辺りにある布団には戻りたくないのか、隅へ移動し手に持ったままのおにぎりを口にした。手の届く距離に矛があることから、危害を加えるつもりはないが咲羅の望んだように信用する気はないのか、まだ警戒しているようだ。
「琥珀、これも」
それに構わず近付いてくる咲羅は、けして空気が読めない訳ではない。屈託なく距離を詰めるのが、咲羅なりの仲良くなりたい者に対する関わり方なのだ。
これまでそういった他人との接し方を知らなかったらしい琥珀は、戸惑いながら咲羅から渡された椀と箸を受け取った。
「春雪さんの作った豚汁よ。春雪さんの料理の腕前はすごいんだから」
無言で豚汁を食べ始めた琥珀は、ほっと息を吐いた。仏頂面が和らいでいて、気に入ったようだ。
そんな琥珀を見て、咲羅は彼に「言った通りでしょう?」というふうに笑ってみせたのであった。




