春告げる風が吹く頃に
琥珀が目を覚ましてから、さらに数日が過ぎた。彼が鬼退治に協力してくれる以上、回復を待った方が良い。この依頼をこなすのは、『立春』からはあくまで咲羅と夕詩だからだ。
そして直接鬼を倒すこと以外にも、二人にはすべきことがあった。あの深藍という鬼が残した言葉の真意を探ることだ。鵜呑みにするほどではなくとも、引っ掛かっていることであり、裏付けを取らなければならない。依頼人がいつも正しいとは限らないのだ。
とはいえ、毎日あの集落に通う訳にもいかない。時間の余裕がないのだ。そこで先に咲羅と夕詩だけで向かい、滞在することとなった。琥珀の怪我が癒えれば、春雪から報せが来るよう手筈を整えた。
今は、調査を兼ねて集落を歩いている。人の話からだけでは見えない手掛かりを捜すためだ。
冬の冷たい風に、咲羅のワンピースの裾が翻る。フリルがたっぷりあしらわれた黒一色に、ステンドグラスを模した不規則な色と図形の組み合せが綺麗な羽織がよく映えている。
「原因を見極めろって、どういうことかな。鬼が人を襲う理由は、何も捕食のためだけじゃないものね」
沈黙に飽きたのと考えをまとめるため、そして夕詩の意見を聞くために独り言のように話を振る。隣を歩く夕詩は、灰色の空を見上げたり周りを観察するのを中断して答えた。
「おれは春雪ほど経験はねぇからな。確かなことは言えねえけど、やっぱ人を襲うことに利益があるからだろ。それがどんなものであれ」
前に視線を戻し、また警戒を始める。本人曰く「注意しているだけ」らしいが、まるで他人には懐かない動物だ。それも主人には忠実で、仲間は気に掛けてくれるような。
「そっか、それもあるわね。わたし、何かを守るためかなって思ってた。仲間とか領地とか。少なくとも、彼らは愉しみや欲望のまま人を襲っている訳じゃなさそうだし」
互いに親しげに名を呼び合っていた深藍と柚葉という彼らは、あの時人を傷つけていなかった。琥珀も咲羅達より少し早く駆けつけただけと言っていた。彼らふたりがその気になれば、人二人程度簡単に息の根を止められていただろう。
「だからね、説得は難しくても対話ならできるんじゃない? もちろん挑まれれば戦うつもりでもあるけれど」
原因を妖側だけに求めてはいけない。偏見をせず、対等に考える。
陰陽師などのような妖に関わる技術のある者が、人と妖の仲立ちをするべきというのが春雪の理想であり、『立春』の方針だ。そのため『立春』はかつて春雪が所属していた寄合のように、ただ妖を滅することはしない。
「でも、この集落を歩くって選択は外れね。鬼が人を襲ってまで求めるようなものはなさそう。痕跡も一切ない」
「なら次は聞き込みか。目撃者……は違うな。この辺りに詳しい誰かに、鬼が出る前に変わったことはなかったかでも聞きに行くか」
寄合としての『立春』が本格的に発足する前から春雪と組んで妖退治をしていた夕詩は、流石に段取りが効率的で分析も的確だ。
咲羅もそれには賛成し、依頼人に聞いていたこの辺りに詳しい人の所へ向かうことにした。
近くの山を含め辺りをよく知る者たち何人かに尋ねたところ、人が狩りの時に妖の領域を荒らしてしまったのではないかという推測を聞いた。彼らは人智を越えたモノに畏敬の念を持っているからこそ、その異変に気付いたのだろう。
妖を視て、関わることができなくとも、感じることはできる。だが、それができる人間はここ最近減った。そのために人と妖との不都合が生じ、『立春』のような寄合への依頼が増えたのだろう。
ならば人と妖の事情に通じ、関係が拗れた時にはどこに原因があるのかを公平に判断できるような者たちが必要だ。『立春』はそんな存在を指標にしている。
「夕詩、どう思う?」
「あの推測は、だいたい合ってると思う。少なくとも、検証するに値するだろうな」
「わかったわ。ならわたしが行ってくるから、夕詩は聞き込みと警戒の続行をお願い」
「ああ、了解した」
分かれ道で、咲羅と夕詩はそれぞれ別の道へ往く。咲羅は先程の話に聞いた妖の領域と思われる山への道、夕詩は家々が立ち並ぶ集落へ戻る道へ。
じゃれ合いの口論をよくする二人だが、互いをよく信頼している。特に夕詩は、信頼できない者に背を預けるような真似はしない。
*
「夕詩! どうだった?」
一時間後、決めていた集合場所に咲羅よりほんの少しだけ遅れて現れた夕詩に駆け寄った。走る動きに合わせてワンピースの裾がはたはた揺れて、フリル部分の白が覗く。
「あの鬼たちの被害者はなしだ。春雪の結界のおかげで、ここ数日鬼を見た者もいない」
「そう。わたしの方は収穫あったよ。妖の痕跡がみつかったわ」
羽織の袂から取り出した手帳には、咲羅があの場で感じた妖の痕跡と考察が書き付けられている。ぱらぱらと捲った頁に、痕跡は鬼だと思われると記されていた。但し深藍と柚葉ではなく、別の一族である可能性が高いと注意書がある。
「もしそうなら、深藍と柚葉が集落まで下りてきたことに説明がつくのよ。痕跡の方は数が全然違ったから、追われて……とか」
「なら次相手すんのは集団か? 対策立てねぇとな」
「戦うのは、先に仕掛けられたらよ。何もしていないのなら、今はまだ誰も悪くないもの」
師匠と弟子、揃ってお人好しな陰陽師が周りに多いものだと、夕詩は呆れからではない溜め息を洩らす。彼らの美点であり、夕詩もまた悪くはないと思っているのだが。
「あ、春雪さんから連絡。……水蓮鏡」
咲羅と夕詩の目の前に水鏡が現れる。映しているのは、ここから離れた『立春』の景色だ。向こうには、春雪と琥珀がいる。
「夕詩、咲羅。そちらに鬼が近付いているようだ。時間がないから琥珀を送るが、くれぐれも無理はさせぬようにな。二人ならば、心配はいらぬだろうがな」
春雪が言い終わるのを待って、琥珀がこちら側へ来る。向こうから触れた途端波紋が広がり、完全に通り抜けると琥珀は二人の前にいた。
春雪が用意した書生服に身を包み、その印象的な瞳が目立たないよう学生帽をかぶっている。腰には紐であの方相氏の面がくくりつけられており、左手に矛を携えていた。
「春雪さんの見立てによると、鬼は集団らしいです。僕や貴方方の見た、あのふたりではないようですね」
ここ数日である程度の信用はしたのか、琥珀は春雪の名は比較的よく口にする。夕詩はそれよりは少ないが、やはり呼ぶ。これまで一度も名前で呼ばれたことがないのは、咲羅だけだ。
「無駄なことを考えている暇があるのなら、対策を考えてください。後方支援の貴女が、戦闘の要なんですから」
「なんでわかるのよ。対策なら、か、考えてるもん」
「ああ。咲羅は感覚派だから、戦闘時に考えて動いたりしたら止まるぞ」
「……本当ですか、夕詩」
「ああ、本当本当。いや、あの時は流石に焦ったな」
ふざけて脅すように夕詩が言うと、琥珀が金の目を丸くした。いつもの冷静な表情以外も見てみたかったが、これは恥ずかしい。
「夕詩! うまくいってるんだからいいじゃん!」
「動揺すると口調が子供っぽくなるんだよな。わかりやすいんだよ、咲羅は」
「もう、夕詩!」
からかわれていても、咲羅は楽しそうに笑っている。ひらひら翻る羽織やワンピースの裾も相まって、春風のような雰囲気だ。優しく吹く、雪を融かす暖かい風。
そのままの笑顔で振り返るから、琥珀は一瞬驚く。今や、彼をそんな目で見る人はいなくなった。いや、昔もいただろうか。感謝されたことはあっても、身近な存在に対するような感情を向けられたことはなかった。
「気配なら、わたしでも辿れるから大丈夫よね。ほら、琥珀」
自然と差し伸べられた手に他意はなく、無邪気な笑みが浮かべられる。逐一裏を疑うのが無意味な程、咲羅は琥珀にまっすぐな感情を向けてみせる。
今も、動かされもしない琥珀の手をとった。
「……結構です。人間の幼子じゃあるまいし、貴女と手を繋ぐ理由はないですから」
断る表情に罪悪感がほんの少しだけ混じっているように見えるのは、咲羅のお人好しが過ぎるだろうか。前よりは荒くなくほどかれた手を下ろす。
「途中におれたちの泊まってる宿屋か。悪ぃけど、おれは一旦寄ってくぞ。輝星を取りに行かねえと」
「わたしも着替えないと。こんな格好じゃ戦えないし」
「ある程度の猶予はありますが、急いでくださいよ」
この中で、戦闘ができる程準備が整っているのは琥珀ぐらいだ。夕詩は脇差が一振だけで、本人が動きにくいと言う洋装。咲羅に至っては、戦闘には向かないワンピースに視界を遮りそうな羽織だ。
宿屋に着いてから五分と経たないうちに、それぞれ戦装束を身に纏った二人が出てきた。
紺色の道着姿の夕詩の腰元に増えた、もう一振が輝星だ。打刀で、影断よりも長い。陰陽師の咲羅は武器は持たず、夜の背景に雪の積もった椿が映える振袖に、雪を思わせる白の袴姿だった。
「じゃあ、行こうか」
咲羅は声と共に妖の気配を探る。感じたのは、痕跡とよく似た気配だった。おそらく同族なのだろう。さらに深藍と柚葉もいるようだ。範囲が広いのは、戦闘になっているからだろう。
方向さえ特定できれば、あとは向かうだけだ。今は走るより早い手段を使うつもりだ。
「風翼!」
これは咲羅が使える、春雪のものとまったく同じ術。使用者との相性がある陰陽術は、師弟だからといって同じ術をそのまま受け継げる訳ではないのだ。
風に包まれるのを感じると、夕詩と琥珀の手を取る。この術は、触れている相手にも干渉することができる。離れないよう手を強く掴むと同時に舞い上がる。
前へ飛ぶよう意識すれば、耳元で風が唸る。冷たい冬の空気は咲羅の力に変わり、背中を押す。
妖たちの気配の元へ辿り着けば、鬼たちが入り乱れて戦っていた。このままでは、いずれ集落にまで下りてくるだろう。それを阻止するためにもこの戦いを制するのが、咲羅たちにできることだ。
夕詩と琥珀が、武器を手に鬼たちの中へ飛び込んでいく。彼らは新たに乱入したふたりを敵と見なし、襲い掛かってくる。
「深藍! 柚葉!」
見知ったふたり組をみつけた咲羅は声をかける。人より背が高いとはいえ、周りの鬼も大きい。それでも、血縁の違いかふたりは目立っていた。
「お前、妖退治屋!」
「何の用だ。今人間にまで関わっている暇などないぞ」
「わたしたち、あの鬼たちが集落まで来たら困るの! 利害は一致するはずでしょう? お願い、協力して!」
咲羅にとって、これは一つの賭けだった。三つ巴で不利になるのは、特に人数の少ない咲羅たちか深藍と柚葉だろうが、持久戦に入れば咲羅たちが負ける可能性が最も高い。
しかし、他の鬼一族にふたりが追われているのではないかというのは、あくまで推測の域を出ない。もし違っていたら、咲羅たちに後はない。
「その判断、気に入った。協力してやろう」
「いいのかよ、深藍」
「この戦況では、味方が増えた方が良いだろう? 行くぞ、柚葉」
「おう!」
鬼ふたり組が加わったことには、夕詩と琥珀も気付いたようだ。さらに勢いを増して攻め始める彼らの後方支援が、咲羅の役目だ。
夕詩の姿はみつけやすい。小柄な身体を活かして、彼は鬼たちの間を縫って駆け抜けている。攻撃に移るその瞬間、夕詩の黒い瞳と目が合う。
「菫紫電!」
夕詩の輝星が、紫に輝く電気を纏う。音を鳴らすほどの電撃が、夕詩の攻撃をより強力なものにした。
息の合った戦い方をしているのは、深藍と柚葉だ。背中合わせで互いを軸に相手を変えては、日本刀で薙ぎ払っている。その連携を崩そうと襲ってくる鬼たちは、ちょうどふたりの死角を狙っていた。
「雨紫陽花!」
水流が、柚葉のすぐ近くまで迫っていた鬼を弾き飛ばした。振り返った柚葉は、咲羅に無事を知らせるように笑いかける。
尺の長い武器を使っている琥珀は、体格差をものともせずに渡り合っている。複数を相手にしても、素早く回転させた矛で鬼を寄せ付けない。
「椿焔!」
琥珀が矛を突いたその隣を、椿の花の形をした炎が飛ぶ。弾けた炎は赤い椿の花弁だ。落ちてもなおその形を保つ椿の、美しさと強さに似た炎だった。
「感覚だけで動いている割には、上出来ですよ」
「もう、何様なのよ。さあ、次で決めるから!」
鬼たちを傷つけ過ぎず、しかし戦意は奪える程強く。そして広範囲に。この吹雪のような争いを終わらせるのに必要なのは、圧倒的な強さではない。
咲羅は右手を高く上げる。春風を吹かせるのだ。春を呼べる程でなくても良い。切り取った季節を、味方に変える。
「東風桜!」
桜の花弁を伴った、強い風が吹き荒れる。たった今、咲いた桜を散らしてきたばかりのような薄紅色の風は、仲間を攻撃することはなく、鬼たちの動きだけを止める。
「彼女の名、佐保風って……」
「ああ、春雪がつけた苗字だ。ぴったりだろ?」
佐保風とは、春風の名の一つだ。春の女神の名が、佐保姫ということに由来している。
風が止む。薄紅色の沈黙がその場を支配していた。集まった視線の先、いつもとは違い凜とした表情で立っているのは咲羅だ。
そんな彼女に、ひとりの鬼が近付く。他より身体が大きく、角も太く立派だ。理知的な瞳が咲羅にまっすぐ向けられる。
「我は、この一族の長だ。我らは鬼の中でも戦闘に秀でた一族。故に、この戦いを制した者の言葉に耳を傾けよう。いかに、妖退治屋で人間とはいえ」
「ならば、一つお願いが。もうあなた方の領地を荒らさないよう伝えるので、この近くの集落の人間を襲わないでください」
見上げなければならない程長身の鬼に対し、咲羅は物怖じせずに向かい合う。
対等に、誠意を持って頭を下げる。元はと言えば、先に手を出したのは人間の側なのだ。彼らだけを悪く言うことはできない。
「約束事には、対価を要求させてもらうが?」
「構いません、わたしにできることなら」
「では、先程のように春を喚んでみせよ。なかなか良い技だったぞ」
咲羅は顔を上げた。思っていたよりも条件が簡単だったからだ。一つ頷いて、術に丁度良い場所を探して辺りを見回す。桜色の目を留めた先にあったのは、梅の木だ。春告草の別名を持つ花。
咲羅が触れると、蕾がついて花が開いた。桜とはまた違った、より白に近い花が木を飾る。
「やはり、良い。……では、我らはここから手を引くとしよう」
長の号令で、鬼一族は山頂の方角へと去っていった。
「これで終わりか」
「そうだね。帰ろっか、琥珀」




