1話 理解できない
人間とは何でしょうか。
私は未だによく分かりません。
だから考えます。
理解したいから。
これは、そんな人間の物語です。
赤信号だった。
だから止まる。
当たり前だ。
人は、そういう当たり前を積み重ねて生きている。
信号を守る。
授業を受ける。
働く。
税金を払う。
誰かに迷惑をかけないようにする。
そうやって社会は回っている。
なのに、人は時々、それを平気で踏み外す。
昔から不思議だった。
どうして怒るのか。
どうして笑うのか。
どうして泣くのか。
どうして好きになって、嫌いになるのか。
人間は分からない。
でも、分からないから面白い。
理解したいと思っていた。
たぶん、俺は人間が嫌いじゃない。
むしろ、かなり興味がある。
「あっ」
小さな声が聞こえた。
反射的に前を見る。
子供だった。
道路に転がったボールを追って、車道へ飛び出している。
信号は赤。
こちら側の歩行者用ではなく、車の方が動く番だ。
運転手はまだ気付いていない。
距離を見る。
車の速度を見る。
子供との位置を測る。
頭の中で、ほとんど無意識に計算する。
このままなら死ぬ。
誰も動かなければ。
「……」
一瞬だけ考える。
助けるべきか。
違う。
そんな立派な話じゃない。
正義感でも善意でもない。
ただ、助けなかった後の自分を、これから先ずっと背負えるかを考えた。
たぶん無理だ。
ニュースになるかもしれない。
泣く親を見るかもしれない。
あの時動けたのにと、何度も思い出すかもしれない。
面倒だった。
ひどく面倒だ。
だったら答えは一つしかない。
走る。
足が地面を蹴る。
子供の腕を掴む。軽い。
勢いのまま歩道側へ引きずる。
子供が転ぶ。泣き声が上がる。
次の瞬間、ブレーキ音が響いた。
遅い。
そう理解した時には、もう光が目の前まで来ていた。
「がっ――」
衝撃。
息が潰れる。
身体が浮く。
空が見えた。
青かった。
妙に綺麗だと思った。
不思議と後悔はなかった。
助けたからじゃない。
自分で選んだからだ。
人は死ぬ時、何を考えるのだろう。
そんなことを、昔から少し気にしていた気がする。
結局、最後まで分からなかった。
◇
目を開ける。
空だった。
青い空。
雲がゆっくり流れている。
知らない空だった。
「……は?」
喉から出た声は、思ったより普通だった。
痛みはない。
身体を起こす。
腕を動かす。
足も動く。
頭も割れていない。
服には血もついていなかった。
立ち上がって、深く息を吸う。
ちゃんと呼吸ができる。
心臓も動いている。
「生きてるな」
ひとまず、それが最初の感想だった。
いや、正確にはおかしい。
死んだはずだ。
かなり確実に。
なのに今、俺は立っている。
夢か。
誘拐か。
病院か。
何か都合のいい見間違いか。
順番に考えて、全部捨てる。
どれもしっくりこなかった。
説明がつかない。
なら保留でいい。
分からないことに答えを急いでも、当たるとは限らない。
今必要なのは納得じゃない。
生き残ることだ。
周囲を見る。
森だった。
だが、見慣れた日本の山とは違う。
木の幹が妙に太い。
葉の形も見覚えがない。
土の匂いも、湿った空気の重さも、知っているものと少しずつずれている。
少なくとも、学校帰りに迷い込める場所ではない。
「……異世界、とか?」
口にしてみる。
自分でも馬鹿みたいだと思う。
だが、死んだはずなのに知らない森で目が覚めた状況に、もっとまともな説明が思いつかなかった。
ガサッ、と草むらが揺れた。
身体が勝手に強張る。
視線を向ける。
白い毛並み。
長い耳。
小さな身体。
ウサギだった。
そう思ったのは、三秒くらいだ。
「……は?」
三つ目だった。
見間違いではない。
額の少し上に、もう一つ目がある。
こちらを見ていた。
三つの目で。
「なんだ、あれ」
正直、少し怖い。
だが同時に、興味も湧く。
視野を広げるための進化か。
捕食されにくくするためか。
だとしたら、この森にはそれだけ厄介な――
そこで思考を切った。
考察は後回しだ。
興味で死ぬのは馬鹿らしい。
俺は一歩だけ近付く。
ウサギは逃げない。
もう一歩。
その瞬間、
ぴょん、と草むらの奥へ消えた。
「待て」
思わず声が出る。
追いかけかけて、止まる。
知らない場所だ。
知らない生物だ。
追った先に巣でもあれば終わる。
「やめとくか」
好奇心より生存だ。
理解は、生きていて初めて意味を持つ。
そう結論を出して、ウサギが消えた先を見る。
その奥。
木々の隙間に、人影が見えた。
「……人、か?」
少しだけ安心する。
三つ目のウサギよりは、たぶん話が通じる。
そう思ってから、すぐに考え直す。
知らない世界で、人間が安全だと決まったわけじゃない。
それでも。
俺は人間に興味があった。
だから、足は自然とそちらへ向けた。
読んでいただきありがとうございます。
少し変わった主人公ですが、彼なりに必死に生きています。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をしていただけると励みになります。
それでは次話でお会いできれば幸いです。




