第21話 司祭様は実家(?)に挨拶に出向く
エンデアヴェント市からガリア王国ルテティス市までは直線距離にして約千キロほど離れている。
当然、道のりとなればそれ以上だ。
それほど長い距離を徒歩や馬で移動するのは時間がかかり過ぎてしまう。
そういうわけで、まず二人はゲルマニア連邦の中心都市の一つ、ベイルン市へ向かうことにした。
エンデアヴェント市からベイルン市までは二百キロ以上離れている。
そこまでの移動は竜車鉄道を利用する。
竜車鉄道とは、翼を持たない歩行型の竜に引かせた列車のことである。
金属製のレールの上を走る。
その速度は約四十キロから五十キロほどなので、エンデアヴェント市からベイルン市までは五、六時間もあれば到着する。
「そろそろ正午ね」
時計を見ながらセリーヌは呟いた。
アレクサンデルは頷いてから、バッグから弁当を取り出す。
「そろそろ食べようぜ」
無論、いつものセリーヌの手作り弁当である。
中身は手や木製の串で突き刺して食べることができるものがメインだ。
フォークやナイフを洗うことができないからである。
「こういうのもたまには良いわね」
セリーヌは景色を見ながら呟いた。
アレクサンデルは同意するように頷いた。
不思議といつもよりも美味しく感じる。
「だが、セリーヌ。浮かない顔だな。……ベイルン市は故郷じゃないのか?」
ベイルン市は神聖ゲルマニア連邦の有力諸侯の一つ、ブライフェスブルク選教候領の首都である。
そしてセリーヌはブライフェスブルク選教候の娘……つまりセリーヌにとっては故郷となるのだ。
「いや……降臨祭に挨拶に行けなかったから、ご不快に思われていないかなと」
「ちゃんと手紙は出したし、返事も来たんだろう? 怒ってたのか?」
「いえ、気にしてはいないようだけど……」
アレクサンデルとセリーヌはベイルン市から、ルテティス市行きの飛行船に乗る予定だ。
飛行船が出立するのは明日。
つまりベイルン市で一泊することになる。
そこで泊るついでにセリーヌはブライフェスブルク選教候へ挨拶をする予定だ。
今まで逃げ回っていたが、さすがにお膝元まで来て、通り過ぎるわけにもいかない。
それは父親であるブライフェスブルク選教候の顔に泥を塗る行為だ。
「何なら、泊ってきても良いんだぞ? 一泊だけとはいえ、家族水入らずで過ごしたらどうだ?」
「……家族、ね」
どこか物憂げな表情でセリーヌは呟いた。
アレクサンデルは首を傾げる。
「……もしかして、家族仲があまりよくないのか?」
「いえ、そんなことはないわ。みんな、親切な方たちよ」
「……」
果たして家族のことを「親切な方たち」と言うだろうか?
アレクサンデルはセリーヌの言い方が少し気になった。
「……その、アレク」
「どうした?」
「私は、実は養――」
その時、列車内で車掌の声が響いた。
あと少しで停車駅に到着し、そこで三十分間の休憩をする……とのことだ。
「すまん、セリーヌ。よく聞こえなかった。……なんて言った?」
「……いえ、何でもないわ」
「そうか?」
「ええ……本当に、何でもないわ」
そういうセリーヌの顔は「何でもない」わけでもなさそうではあったが、無理に聞き出すのも良くないと考えたアレクサンデルは深くは追及しなかった。
ベイルン市に到着した二人は少し高めの宿を取った。
そこから二人は別行動に移ることになる。
セリーヌはブライフェスブルク選教候のもとへ、アレクサンデルはお留守番だ。
「司祭服で行くんだな」
「ええ。さすがに私服で行くわけにはいかないからね」
司祭服に着替えたセリーヌは答えた。
きちんと正装をして会いに行くのが、最低限の礼儀である。
「しかし、新鮮だな……」
司祭服を来たセリーヌを見るのは初めてだった。
しげしげとアレクサンデルはセリーヌを眺める。
さすが司祭服なだけあって、良い生地に良い染料が使われているのがよく分る。
色は緑色だ。
ほかにも黒や白などの色があるらしく、その時々によって着る服が違う、というのがセリーヌの説明だ。
当然と言えば当然だが、肌の露出はできるかぎり抑えられていて、髪すらもフードのようなもので覆われていた。
(うーん、だがエロくないのが逆にエロいような……)
体がすっぽりと覆われているせいか、セリーヌのメリハリのある体が強調されているように見える。
少し露出があれば視線が分散されるが、このように体がすっぽりと覆われていると、どうしても布地を大きく押し上げる胸部に視線が移りがちだ。
しかしあまりジロジロ見るのも良くない。
アレクサンデルは誤魔化しついでに褒めることにした。
「よく似合ってる。うん、可愛いよ」
「か、可愛いって……それ褒めてるの?」
「褒めてる、褒めてる。お前がいる教会なら、俺は毎日通うよ」
まあ、可愛すぎて祈りに集中できないかもしれないが。
「そう言えば、セリーヌってドレスとか着たことあるのか?」
「ドレス? そりゃあ、あるわよ。社交界とか……まあ、そんなに何度もあるわけじゃないけど」
「見てみたいな。きっと、凄く可愛くて、綺麗なんだろうな」
何気なくアレクサンデルが言うと、セリーヌは顔を真っ赤にさせた。
「な、何を急に言ってるのよ!」
「いや、すまん。嫌だったか?」
「べ、別に……嫌じゃない、というか……まあ、機会があったら見せてあげる」
それからセリーヌは上目遣いでアレクサンデルを見上げた。
その仕草があまりにも可愛らしく、思わずドキッとする。
「その代わり、その時は一緒に、踊ってくれない? その、あの時みたいに」
「別に良いけど、俺は社交ダンスは踊れないぞ?」
「私がリードするから。何なら教えてあげても良いし」
そう言ってからセリーヌは小声で呟いた。
「その時は―人として……」
「何か言ったか?」
「いえ、何も。じゃあ、私はそろそろ行くわね」
ブライフェスブルク選教候の住まうベイルン宮殿はベイルン市の中心部に位置している。
この宮殿は三十年ほどまえに新築されたばかりのもので、非常に開放的で荘厳なものとなっており、ベイルン市にやってきた商人や貴族、聖職者たちを威圧している。
ゆっくりとセリーヌが門へと近づくと、衛兵が停止を呼びかけた。
セリーヌは髪を隠していたフードを取り外した。
「セリーヌ・フォン・ブライフェスブルクです。この度、ベイルン市に立ちよる用事がありましたので、閣下にご挨拶に伺いに参りました」
簡潔に要件を伝える。
本人確認が終わると、すぐに通してもらえた。
それから真っ直ぐ選教候の執務室へと向かった。
セリーヌが来たことはすでに伝わっていたようで、選教候はソファーに座って待っていてくれた。
テーブルの上には珈琲が二つ、並んでいる。
「お久しぶりです、お養父様。それと降臨祭の日は、ご挨拶に赴くことができなくて申し訳ございません」
セリーヌは頭を深々と下げて挨拶をした。
するとブライフェスブルク選教候は目を細める。
「頭を上げてくれ、セリーヌ。事情は教皇聖下から伝え聞いている。いろいろあったのだろう?」
いろいろ。
一体、教皇が自分のことを何と伝えたのかセリーヌは気になった。
もっとも予想はできる。
精神的な病気を患っているから、休ませた……そんなところだろう。
(……分かってるよ)
セリーヌは両手を強く握りしめた。
酒や薬に溺れてしまうのも、睡眠薬が手放せないのも、自傷をしてしまうのも、時折幻聴や幻覚が聞こえるのも……
普通ではない。
病気と言っても差し支えないだろう。
それでもセリーヌはそれを認めたくはなかった。
「……申し訳ございません」
「……何故謝る?」
「卑しい身の私を、養子として迎えてくださったにも関わらず、ブライフェスブルクの名を与えてくださったのにも関わらず、ご期待に沿えず申し訳ありません」
ブライフェスブルク選教候がセリーヌを養子に迎えたのは、セリーヌが将来聖職者として出世すると、教皇……とまでいくかはともかく、枢機卿にまでは上り詰めるだろうと見込んでのことだ。
にも関わらず精神を病み、休職するようなことになった。
セリーヌはそれが申し訳なくて、申し訳なくて、仕方がなかった。
「ははは! そう気にするな。誰にでも挫折や失敗はある」
「しかし……」
「君はまだ十六だろう? 私はね、五年、十年程度の短期的な利益のために君を養子に迎えたんじゃない。もっと、二十年、三十年、四十年、そして百年先を見据えて君を養子に迎えた。わかるかね? 君の人生はまだまだ長い。それまでに結果を出してくれれば良いんだよ。この程度のことで失望したりはしない。なぜなら、私は君を信用しているし、期待しているからだ。君ならば、必ずや枢機卿に……いや、もしかしたら初の女性教皇となるかもしれないと」
そう言ってからブライフェスブルク選教候は軽くセリーヌの肩を叩いた。
「君はいろいろと抱え込み過ぎだな。もっと私を、家族を頼ってくれても良い。確かに君と私は、私たちは血の繋がりはないし、ある程度の利益を見越しての関係ではある。だが利益だけを理由に私は他人を家族に迎え入れたりはしない」
「ありがとう、ございます。……お養父様」
再びセリーヌは頭を下げた。
ブライフェスブルク選教候は顎に手を当ててから言った。
「今日は泊っていきたまえ。私も、妻も……子供たちも君と話がしたがっていた」
セリーヌの脳裏にアレクサンデルの顔が思い浮かんだ。
アレクサンデルを宿で待たしている。
が、養父の提案を無下に断るわけにもいかないし、アレクサンデルは泊っていくべきだと言うだろう。
「では、お言葉に甘えて。……ですが、知人を宿に待たせています。彼と連絡を取っても構いませんか?」
「彼? 男性なのか?」
「え、あ……はい」
やってしまった。
セリーヌは自分の迂闊な舌を切り落としたくなった。
「ふむ、なるほど。どこの家の男性かな? 同じ聖職者とか?」
「……いえ、彼は平民です。冒険者を、しています」
嘘を言ってもすぐにバレてしまうだろうと思ったセリーヌは正直に答えた。
セリーヌの返答はブライフェスブルク選教候にとっては意外なものだったらしい。
目を見開いてから、少し考え込んだ様子を見せた。
「……まあ、君ならば節度はわきまえているだろう。念のために聞くが、信用できる人物なんだろうね?」
「はい。それは……シャルロットが証明してくださるかと」
「ほう! モンモランシ選教候のお墨付きか。ならば、問題はないだろう」
あの変態メイドのお墨付きの、どこに問題がないのだろうか?
セリーヌはその判断基準がイマイチ分からなったが、都合が良いのでそういうことにしておくことにした。
「何なら、彼もここに泊ってくれても構わないよ。呼んだらどうだい?」
「それは……」
セリーヌは少し考えてから答えた。
「いえ、それはまたのご機会にということで。彼もきっと、混乱すると思いますし、準備ができておりませんから」
未だにセリーヌも見知らぬ大貴族の邸宅に招かれれば緊張する。
貴族に慣れていないアレクサンデルならば尚更だ。
「ふむ……冒険者の話を聞いてみたかったのだが。まあ、しかし迷惑を掛けるわけにはいかないな」
「お心遣い、感謝いたします」
「ああ。だが、今度、機会があれば会わせてくれ」
「はい、必ずや」
しかし恋人ではないのに同棲していることを含め、アレクサンデルとの込み入った複雑な関係はどう説明すれば良いのだろうか。
セリーヌは内心で頭を抱えた。