side39.子守唄
※コミカライズ5巻以降
「やぁ、ヴィア。今日も女神のような美しさだね」
昼下がりに帰宅した夫が、いの一番に自室へ会いにきた。その開口一番がこれだ。毎日のようにいって飽きないのかと思うのだが、彼は何度でも君に恋をすると豪語し、実際に毎度新鮮さをもって口にする。だからか、オクタヴィアの耳にも快く聴こえ、何度でも心をくすぐってくるのだ。
淡い金糸の髪に、嫋やかに笑む桃色の瞳には意思の強さが秘められている。流水のように流れる髪も透き通るような白い肌も、豊満な胸元でありながら華奢な手足も、造形美が集約されており、誰もジェラルドの讃美を過分と思わないだろう。
「ああ、だが万人のための神であっては困るな。私だけの女神でいてほしいから、君が人間でよかったよ」
「ふふ、私も貴方だけを見ていたいので、外野を視界に入れないといけない神格など御免被りますわ。ジェラルド様」
オクタヴィアも、愛する者だけしか構う気はない。社交界というものは様々な思惑が巡る。大事にするものが何かを正確に把握し、揺るがないようにしていなければ、簡単に他者に絡めとられる場所だ。だからこそ、揺るぎない愛を得られた幸運に感謝する。
ジェラルドは、妻の言葉に感極まり抱きしめる。それに妻もやわらかく抱き返した。
「そういえば、フローラはどうしたんだい?」
二人の間に空間を作って抱く癖がついてしまっていた。その空間に収まるはずの存在がないことに、ジェラルドは珍しさを感じる。自身で歩けるようになってきた娘だが、母親の膝のうえがお気に入りの場所なのに。
「寝室ですわ。ディアが寝かしつけてくれて、二人でお昼寝中なの」
次女のフローラが、姉のリュディアの手を握って離さなかったらしい。そのため、そのまま寝かしつけを頼んだところ、長女のリュディアまで寝入ってしまったらしい。
「雨音が心地よかったんでしょうね」
妻とともに耳を澄ますと、窓の向こうでしとしとと雨音の子守唄が聴こえた。これに加えて、体温の高い小さな手や健やかな寝息が傍にあれば、夢路に誘われるのも道理だ。
「素晴らしい光景に違いないが、天使たちの眠りを妨げてはいけないね」
姉妹で仲良く眠る姿は想像するだけでも、十二分に愛らしい。ぜひ拝みたいと願望が湧くが、ジェラルドはぐっと堪える。
「特に、ディアは頑張り屋さんだからね」
「それに甘えるのも下手だわ。だからこそ、からかい甲斐があるのだけれど」
父への尊敬、母への憧れ、公爵家に生まれた誇り。それらを素直に抱いてくれたのは喜ばしくはあるが、そのために長女は気負いすぎる嫌いがある。妹が生まれたばかりの頃の行き過ぎた厳しさでの横暴な行動は、素直に甘えることができないゆえの唯一の発露だったのだろう。そのため、あの頃は発散すら抑え込むのは、と対処に踏み切れなかった。
ひとりで抱えていたものを吐き出せる相手ができてからは、ずいぶんと表情がやわらかくなった。それでも、本来の生真面目な気質はそのままなので、今回のような不意に湧いた息抜きは歓迎する。
「そういうヴィアも、あまり人に甘えないだろう」
「私は、相手を選んでいるのよ。ジェラルド様だから、存分に甘えられるわ」
「それは光栄だ。もっと困るぐらい甘えてくれてもいいんだけどね」
「甘やかしすぎよ」
「ほら、自分で律するじゃないか。やはり、ディアは君に似たんだ」
喜ぶ様子しか浮かばず、自分が彼を困らせるのは難しいだろうとオクタヴィアが笑みを零すと、長女が自分似だと断定された。気を許した相手限定で感情が顔に表れやすいところは、夫似だと反論が浮んだ。だが、論点はそこではないので、思うに留める。
「なら、甘えたいときに甘えられる相手がもう見つかって、ディアは幸運ね」
自分がジェラルドと出会ったのは学生の時分のことだった。それまでに強かになった自分と違い、彼と親しくなっていなかったら、娘は固さが残ったままその歳まで成長したかもしれない。
「頑張り屋といえば、彼もだね」
妻の挙げた人物に思い至り、ジェラルドは娘との共通点を憂う。
「好きなことに真っ直ぐなだけじゃなく、できることを抱え込みやすいから」
できないことまで無理をすることはないが、努力で及ぶ範囲で自身でやると決断したものに対して努力を積み重ねる性質がある。己の判断に責任をもつのは美徳ではあるが、彼もなんだかんだと甘える頻度は少ないようなので、いささか心配になる。
「私までイザークに甘えてしまっている」
抱え込みすぎないかと心配しておきながら、自分も増やしてしまっている。子どもの域をでない彼に頼ってしまい、不甲斐なさを感じ、ジェラルドは淡い青の瞳を伏せる。
「あら、そうなの?」
「きっかけ程度でもいいから変化がほしいことがあってね。それを、彼に頼んだんだ」
友人が会うたびに憔悴してゆく様子を見ていられず、きっかけを求めた。彼が適任だったのは、単なる偶然だというのに。髪と瞳の色が同じの同世代というだけ。彼自身に選択させたとはいえ、彼の優しさに甘えたことに変わりはない。
「後悔しているの?」
「いや、彼に頼んでよかったと思っているよ」
庭師見習いの少年と友人を引き合わせたことに後悔はない。
同じ視点でも、できることできないことがある。大人では友人とその妻の懐に入ることなどできなかった。子どもの彼だから成し得ていることだ。
妻が食事をきちんととるようになったなど、ささいな変化を喜ぶ友人に、ジェラルドは友人こそ血色が戻り、表情が豊かになったことに安堵した。妻第一で自身を二の次にする友人が、自身にも気を回せるようになったのは喜ばしい限りだ。
「なら、いいじゃない。文句を言われたときにしっかり受け止めれば」
よい結果を得られているのであれば、喜んでおけばいい。不満や苦情がでてから、それを受け止め憂えればよいのだと、オクタヴィアは断じた。
憂慮すら結果論でいいといわれ、ジェラルドは眼を丸くする。それから、可笑しさが湧いた。
「言ってくれるかな」
「イザーク君が本当に無理していたら、きっとディアが気付くわ。貴方のせいだって分かったら、叱られるかもね」
「ディアは怒った顔も愛らしいから、弱るな」
誰かのために怒ることができるぐらい優しい子に育ったなら、良いことだ。その成長も含めて自分が喜んでしまいそうで、ジェラルドはそうならないことを祈る。できるなら、彼自身から苦情を申し立ててもらわねば、愛娘に嫌われてしまう。けれど、それはそれで彼と気安い関係になれたことを喜んでしまうかもしれない。難しい問題だ。
どちらに怒られても嬉しいと悩む夫が、オクタヴィアには可笑しい。彼の愛情深さゆえの悩み方だ。
「子どもに甘えられたら、嬉しいものね」
「ああ、甘えてくれない子ほどね」
ジェラルドは、愛娘に交換日記をしたいとお願いされた日を記念日にして毎年祝おうとして、執事と愛娘本人に止められたほどだ。だが、それだけの歓喜であった。フローラのように素直に甘えてくれるのも嬉しいが、甘えてくれる機会の少ない相手だとその喜びも一入なのだ。
「なら、私も甘やかしてくださる?」
「喜んで、最愛のヴィア」
子どもたちの話をしていたところで、オクタヴィアがそうおどけると二つ返事で了承が返った。
目の前の彼女も、まさしくジェラルドがもっと甘えてほしい人だ。
「今なら、隙間なんていらないのよ」
そう腕を首の後ろへ回される。ジェラルドは、乞われたままに隙間などなくなるほど妻を強く抱きしめた。満足げに身をゆだねる妻へ、ひたすら愛しさが湧く。
「危うく、君を全身で感じる機会を逃すところだったな」
甘えてくれてよかったと零す夫の首元で、オクタヴィアはくすくすと喉を鳴らす。そんな小さな笑みの吐息すらくすぐったく感じる距離だ。
互いに口にせずとも、娘たちが起きるまでと相手の体温と鼓動を堪能する。しとしとと雨の音だけが部屋を満たす。もう言葉などいらなかった。
雨音の子守唄が、その時間を延ばしていった。
2020.04.21のコミカライズ連載開始から6周年を迎えました。
応援くださる読者様、モブすらをご愛顧くださり、誠にありがとうございます。
愛情もってコミカライズくださる日芽野先生にも、感謝の絶えない日々です。
自分は果報者です。








