side γ.瞳 ※
ある日の昼下がり、リュディアはいつもの様に庭を散歩していた。その途中、庭作業している者たちに遭遇するのはただの偶然だ。
そう、名目上は単なる偶然である。
庭師見習いの少年は、彼女のそんな名目も知らず、リュディアを笑顔で出迎える。小休憩に入った彼は、おもむろに訊いた。
「そういや、お嬢って何色が好きなんだ?」
「色?」
「そ。今って品種ひとつとっても色んな色で咲くの多いから」
春は彩り豊かに花が咲く。それならリュディアの好きな色を優先させたい、と当然のように笑う。
エルンスト家の使用人である彼には、仕える家の人間の好みに合わせたいと考えるのは至極当然のことだった。しかし、最優先に訊かれたリュディアはわずかに動揺し、頬を紅潮させた。当然とはいえばそうだが、自分の好きな色を優先することに疑問もない様子がなんだか気恥ずかしい。
「え、えっと……」
急には好きな色をうまく絞れず、リュディアは少し悩む。
「淡い色の方が好きなんだっけ」
以前、ドレスの色味を彼に打ち明けたことがある。それを覚えていてくれた事実に、リュディアの胸は温かみを帯びる。
「……ええ。桃色より淡い、桜色が可愛くて、好き、ですわ」
目元がつり気味な自分が好むには愛らしい色合いすぎただろうか、と恥じ入りながらも、リュディアは正直に、けれど小さく呟いた。
ぽつり、と呟かれたそれをきちんと拾って、庭師見習いの少年は思案しながら口にする。
「なら……紫羅欄花はもう少しで終わるし、金魚草や麝香連理草とかかな。ひらひらしてお嬢のドレスみたいで可愛いの」
どうだと伺いを立てられ、リュディアは一瞬ぎゅっと唇を噛んで黙った。そうしないと動揺のあまり怒ったような言葉が出そうだった。自分に可愛いものが似合う、という彼の当然が嬉しかった。
「楽しみに、してあげますわ」
庭師見習いの少年は彼女の言葉にはりきって応じるのだった。
数日後、訪問した第一王子のロイに、リュディアは訊ねた。
「ロイ様は、何色がお好きですか?」
「どうしたんだい?」
「先日、好きな色を聞かれて、他の方はどういう色が好きなのかと思いまして」
ロイが質問の意図を訊き返すと、そんな純粋な興味が返った。他の婚約者候補の令嬢と違い、媚びからくるものではない問いを、ロイは喜ばしく感じる。
「そうだな、白かな」
「ロイ様に似合っていて素敵ですわ」
「ありがとう。けど、僕は一番不似合だと思うよ」
好きな色と言っておきながら、似合わないと断ずるロイにリュディアは戸惑う。似合わないのではないか、という自分のような不安によるものでなく、ロイの否定は断定だった。
「国を治めるには泥を被る必要がある」
綺麗なものだけを視界に入れては治世などできない。清濁を併せて呑むべき人間がまっさらでいられる訳がないのだ。
「民に持たれる印象として望ましい色だが、僕は無垢でいてはいけない」
民のために泥を被る覚悟があるロイを、リュディアは眩く感じる。彼は本当に王子に、ひいては国王になるために生まれたような人だ。
「なら、どうして?」
その色を好きだというのか。リュディアはその理由が気になった。
「フィルが僕に似合うと言ってくれたんだ」
ただそれが嬉しかったと笑う彼は、妹を愛しむ兄の顔をしていた。
さきほどとはうってかわって、ロイが嬉しげに表情を和らげるものだから、リュディアは可笑しくなる。
「ふふ、それは素敵ですわね」
誇らしげに頷くロイに、同じく妹を持つリュディアは納得した。
「フィルは何色が好きなんだ?」
書斎で書類に目を通していたロイの許に、妹のフィリーネが訪ねてきた。そのまま休憩にお茶をすることとなり、先日のリュディアとの会話を思い出したはずみで出た問いだった。
「色ですか?」
「ああ。薔薇が特別好きじゃないのは聞いたけど、好きな色は聞いたことがなかっただろう」
フィリーネは思案し、俯く。その際、彼女の長い金糸の髪が肩から落ち、顔に影を作った。
「ちょっと待ってください。厳選します」
どうやら候補が複数あるらしい。特に一つと限定した訳ではなかったが、妹の真剣な様子にロイは黙して、答えを待つことにした。
「やっぱり、金? いや、瞳の蜂蜜色も捨てがたいですし、ロイ兄様に似合うのなら白……、けど青も似合うし、迷いますね」
ぐぬぅ、と苦悶を浮かべる妹に、ロイは首を傾げる。
「僕を基準にしていないか?」
「え。だって、私が大好きなのはロイ兄様ですから」
当たり前だ、と不思議がるフィリーネだが、ロイからすれば妹の物差しの偏り具合が気になった。
「僕はフィルが好きな色を知りたいのに」
少し寂しげに言うと、フィリーネは呵責を受けたように怯んだ。それから、もう一度悩みだし、しばらくして解を出す。
「桃色ですっ」
「どうして桃色なんだ?」
「兄様たちが似合うと言ってくれて嬉しかったので!」
ぱっと表情を輝かせる妹に、ロイは笑いだす。眼差しで疑問を投げかけられ、ロイはこみ上げる可笑しさを宥めつつ答える。
「僕たちは兄妹なんだな、と思っただけだ」
「? そりゃそうですよ」
可笑しそうな兄の様子に、フィリーネは首を傾げるのだった。
王城の庭園の東屋の一つ、そこで第三王女フィリーネは異母兄にあたる第二王子のクラウスと和やかにお茶をしていた。
兄妹三人で、はまだ困難な関係だが、相手がフィリーネであればクラウスは快くともにお茶をしてくれる。春の陽射しを受け、柔らかく光る銀糸の髪から覗く金緑色の瞳があたたかい。
「クラウス兄様は何色が好きですか?」
「色?」
唐突な質問にクラウスが首を傾げる。彼と話すときはロイの話題を避けているため、フィリーネは自分がロイに訊かれたことがきっかけだとは明かせなかった。
「クラウス兄様の好きなものを知りたいなぁ、と思って」
代わりに、知りたい理由を告げる。これも正直な気持ちだ。
「そ、そうか……」
妹から慕う言葉を受け、クラウスは照れて、頬に朱が差す。
「そうだな。オレは……」
考え込むクラウスが何色をあげるのだろう、とフィリーネはどきどきしながら回答を待つ。
「……赤」
思い至ったクラウスがぽつりと零す。
「クラウス兄様は、赤色がお好きなんですね」
好きなものを一つ知れて嬉しいとフィリーネが喜ぶと、その顔を見て、クラウスははにかむ。
「ああ。フィルがそうして嬉しそうに笑うのを思い出すからな」
以前、赤い薔薇が似合うとフィリーネは彼に告げたことがあった。それを兄が覚えていていてくれたとは。しかし、好きな色を選ぶ基準が自分と一緒だ。
「どうした? 急に笑いだして」
「ふふっ、内緒です」
ロイが可笑しそうにしていた理由に、フィリーネはようやく気付いたのだった。
あのとき、訊き返せばよかった。
リュディアは後悔していた。好きな色を訊かれたとき、答えるついでに訊き返していれば、庭師見習いの少年の好きな色を知れたのではないか、と。
そのことに気付いたのは、ロイとお茶したときに彼が訊き返してきたからだ。単に会話を続けるためだったのかもしれないが、それと同じことをリュディアはあのときできなかった。
庭師見習いの少年は、自分の話を聞くばかりで、あまり自身の話をすることがない。だから、彼のことで知っていることをひとつ増やす機会を逃した事実を惜しく感じてしまう。
あとから訊いても変に思われないだろうか、と不安が過る。
「おう、お嬢。今日はどうした?」
散歩に出かけると、そんなリュディアの心境など知らず、のほほんと笑う庭師見習いの少年にわずかに腹が立った。先日の話から、リュディアの部屋から見える花壇は桜色の花を基調に植え変える予定だと、嬉々として報告してくる。
自分より楽しみにしていないか、とすら思える。
勝手に恨みがましい眼差しを送っていたら、庭師見習いの少年はこてり、と首を傾げた。
「何?」
「わたくしたちのことばかりでなく、自分の好きな色の花を咲かせたいとか思ったりしませんの?」
エルンスト家の者の嗜好を優先するのは仕事柄仕方ないとはいえ、思うぐらいは自由ではないのか。
「好きな色か……」
問い質された庭師見習いの少年は、リュディアをじっと見つめる。
「な、なんですの?」
凝視にリュディアはたじろぐが、彼は得心したように笑った。
「なら、淡い青かな。お嬢の瞳、花弁みたいで綺麗だもん」
自分の瞳の色を見て、好きな色を決められ、リュディアはぼっと顔を真っ赤にした。あまりのことに二の句が継げなくなる。
彩りある花が咲く花壇のなかで、彼が選んだのは瞳だった。
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