side ζ.準備 ※
※本編25./コミック19話前(5巻収録)
※一部、side D. およびside γ. に触れております。
カチコチ、と秒針の跳ねる音だけがその場を占めていた。
時間を確認するために懐中時計に視線をおとしていたハインツは、視線を持ち上げ直立する少年へと戻す。背筋はまっすぐに伸びているが、表情には苦いものが滲んでいた。
「顔に出さない」
「でも、師匠……」
指摘すると、へにょりとさらに表情が弱々しいものへの変わった。
「使用人は誰に見られずとも、静かに控えているものです」
泣き言を言わないよう釘を刺すと、少年は表情に力を入れた。若干強張りぎみだが、先ほどよりはマシになった。理想とする凪いだ表情には程遠いが、今回は表情をゆるめないことを及第点とする。
かれこれ、二十分は直立不動を保っているのだ。少年にとっては、すでに辛いものだとハインツも解っている。
護身の指導をしている関係上、彼は自分のことを師と仰いではいるが、彼は庭師見習いであり従者教育など本来は不要だ。仕える主が、貴族のパーティーに少年を出席させる許可さえださなければ。
よりにもよって、参加させるパーティーは王族主催の第一王子の誕生祝い。ハインツも指導を厳しくする他なかった。彼も内心嘆息したい心境だった。
無茶なことを許可しようとしたのであれば、ハインツも主の公爵を諫める。しかし、彼に関しては見込みがあった。主も、できないことを課したりはしない。この少年は、庭師を目指しているためか、こつこつと経験を積み重ねることに手を抜かない。彼ぐらいの年頃なら、一番嫌になる工程から逃げないのだ。それだけで充分伸びる。
針が目的のところまできたので、ハインツがよしと言うと、少年は力を抜いて、疲労の含んだ吐息を吐く。
「君は逃げようとはしませんね」
素朴な疑問を呟くと、きょとりとした銅色の瞳が見返した。
「お嬢の頼みを聞くって決めたのは俺なのに、どうして逃げるんです?」
最終的に現状を選んだのは自身だと、彼は断言する。だから、逃げないと。自身の選択から逃げない少年に、ハインツはかすかに口角をあげた。
エラ夫人は夫が膝を痛めてからは、ダンス指導に重きをおくようになった。彼女のダンスへの熱はすさまじく、彼女の指導についてゆけず挫折する者もいる。それでも、彼女の指導によりダンスの腕は確実にあがるため、エラ夫人をダンス教師にと要望する家は多い。
しかし、素質のある者、やる気のある者しか受けないため、彼女の指導を受けられる人間は限られている。
エルンスト公爵家のリュディアも、その限られた者の一人だった。
指導を始めた当初は、がむしゃらにでも練習に食らいついてくる精神を気に入ってのことだった。その分、早く目に見える結果を得ようとする嫌いがあったため、基礎を怠らないよう何度も注意をした。おそらく、成果をだして親に褒めてもらいたかったのだろう。幼い子供にはよくあることだ。
それがいつからか、結果を焦らず、目の前のことに真剣に臨むようになった。負けていられないという対抗心を感じるので、何か触発されることがあったのだろうと、エラ夫人は推察する。なんにせよ基礎練習に精を出すのはよいことだと、それはそれでエラ夫人の指導は熱心になった。
ダンスの基礎であるワルツのステップを教え始めてしばらくして、リュディアが誰かを意識していることが明確になる。
ホールドの位置、目線の高さ、それらがすべて一定になったのだ。令息令嬢は、異性への接触を控える風潮により、最初は一人で練習することがほとんどだ。そのため、家族や親戚などの実際の相手がいない子供はパートナーのイメージができず、本来はホールドや目線の位置がぶれる。
彼女の婚約が確定するようであれば、エラ夫人もシャドウダンスを教えようと検討はしていた。しかし、彼女の目線の高さは、エラ夫人の知る第一王子の身丈よりいくらか上であった。おまけに、女性側がリードするかのような妙なクセまでついてしまっている。
これは由々しき問題だと、エラ夫人は原因を突き止める。
そうして、現在――
「またリードがゆるんでいますよ! しっかりあなたが方向を誘導しなさい」
「はいぃっ」
エラ夫人が少年へ檄を飛ばすと、ビクゥッと彼の肩が跳ねた。気を抜くと花を映えさせることに注力し、自身の存在を希薄にしてしまう彼だ。腕が鳴る教え子が増え、エラ夫人は今日も指導をゆるめないのだった。
装飾品などを最低限にしてほしい、と珍しい注文をしたにもかかわらず仕立て屋はいくつかの仮縫いのドレスをもってきた。
やさしい桜色や、光沢のない柔らかな白、淡い青など、どれも長く眺めていても眼に負担のない色合いのものばかりだ。刺繍などは決まったデザインのドレスに行うとのことで、そちらはデザインの図案が別途用意されていた。
「どれもディアに似合いそうね」
満足げな母親の言葉に、リュディアも頷く。
「ええ、これなら大丈夫そうですわ」
光源を少なくして、それでも華やかなドレスがいいなど、リュディアは我儘な注文だと思っていた。けれど、これから図案の刺繍が入ることを考えると、宝石などなくとも華麗になること必至のものばかりだ。
「あとは、ディアの好きなものを選ぶといいわ」
「と、言いましても……」
最終決定は着る本人の直感だと言われ、弱る。どれも素敵だ。
「好きな色とかでいいのよ。それなら、桜色のかしら?」
「好きな、色……」
母親の助言を受けて、リュディアは春先の庭でのやり取りを思い出す。庭師見習いの少年が好きだと言った色は確か――
「これにしますわ」
リュディアが選んだのは、淡い青が要所に映えるドレスだった。ダンスのパートナーを務める彼が一番長く眼にするものが、彼の一番好きな色ならきっと負担も少ないことだろう。
サイズ調整のために仮縫いのドレスへ袖を通す。振り返ると、母の腕のなかにいる妹が桃色の瞳をまんまるに見開いていた。
「どうかしら? フローラ」
「うっ、ねーしゃ、きれー!」
「ふふっ、ありがとう」
頬を紅潮させ、瞳を輝かせる妹の感想に、リュディアは照れながらも礼を返した。妹のおかげで、自分の選択に自信がもてた。
公爵様に呼ばれた。
師匠ことハインツさん経由なので、俺の庭作業にも、公爵様の仕事にも支障がないよう調整されていることだろう。
ダンスの練習もないのに俺は今、公爵様のおさがりの服を着ている。作業着だと採寸が取りづらいんだそうだ。
「あのー……、なんで採寸なんているんですか?」
メイドさんに指示される通り腕をあげると、そこに測り紐が当てられる。測定結果を記している人は、もしかしなくとも仕立て屋さんだろうか。
「私が子供の頃のだと、流行りからズレてしまうからね」
俺が採寸される様子を、楽しそうに眺めていた公爵様は答える。つまりは、新しく服を仕立てるということだ。
「従者に気を留める人なんていないと思いますけど」
お金をかけさせるのが悪くて、おさがりでいいんじゃないかと提案すると、公爵様は一着の服を広げて見せた。
「イザークに合う私の服だと、こうなるよ」
び、びらびら……っ;
俺のサイズに合うパーティ用の服は、ジャボというらしいスカーフみたいなタイが三重になったレースで、留めるブローチも煌々しかった。公爵様なら着こなせるだろうが、俺には到底無理だ。
「……流行りって大事なんですね」
「そうだろう」
従者用とはいえ、パーティに出向く服装にはそれなりに流行というものがある。時流に合わない服を着た場合の悲惨さを、公爵様は判りやすく教えてくれた。
震撼する俺に、公爵様は満足げだ。
「ディアの隣に並ぶに相応しいものを用意してあげよう」
「ヨロシクオネガイシマス」
お嬢に恥をかかせたらいけないとトドメを刺されれば、俺はもう異論はなかった。公爵様が、どうしてこんなに嬉々としているのか不思議だったけど、お嬢のためならきっと悪いようにはしないだろう。さっぱり判らないからデザイン云々は公爵様に委ねた。
昼下がり、エルンスト公爵家のメイド数人に囲まれる少年がいた。
「あ、あのっ、自分で着れますんで……っ」
手に持つ服をとられないように、と庇いながら、メイドたちに対峙する少年は、本来なら邸内にいるはずのない庭師見習いだ。
当たり前のように着替えを手伝われようとされて、彼はたじろきながらも自分の意見を主張した。メイドたちからすれば、務めの一つなので何とも思わないことだが、他人に着替えを任せることに慣れていない少年からすれば、とてつもなく恥ずかしい。
「ですが、着方が分からないものもあるでしょう?」
「……っせめて、シャツとズボンぐらいは一人で着させてくだささい!」
少年の必死の主張により、メイドたちは着替え用にあてられた部屋から一時退出する。出たドアの前で、彼女らはお互いの顔を見合わせて、くすりと笑みを零した。
「平民の男の子って、こんなことを恥ずかしがるのね」
「いつもはお嬢様の方が赤くなっているのに」
珍しいものをみたと、メイドたちは微笑み合う。
今年は正式に指導を受けているが、去年リュディアのダンスの練習に付き合っていたことを使用人たちは知っていた。二人がこっそりしているつもりだったので、黙認していたのだ。
「あの、後は分からないんで、よろしくお願いします」
「はい、お任せください」
しばらくしてドアが開き、自分でできる限りの服を身に着けた少年が顔を覗かせた。メイドたちは、心得たと笑みを深くする。
支度する間、髪を整えれば他人にされるのはリュディアに髪を梳かされて以来だと感想を零し、男の自分でこれだけ時間がかかるなら彼女は昼食をとれているのかと危惧をする。化粧に入るまでに着替えながらつまめる軽食を食べていると伝えると、少年は安堵した。
すべてが彼女に繋がっていると彼は気付いているのだろうか。メイドたちは、少年の無意識に内心可笑しくなる。支度が整うと、彼はぱんっと自身の両頬を打ち、指導された従者としての表情になる。
「では、いってまいります」
静かに礼を執り、去る少年の背に、メイドたちは健闘を祈った。
コミック5巻のRT企画もおかげさまで、最終目標を達成しました。
皆様、応援くださり、誠にありがとうございます。モブすらの存在を知っていただく機会を増やしていただけ、とても嬉しいです。
今回も、日芽野先生がご厚意でイラストを描いてくださいました。素敵なイラストをありがとうございます。
こんな素敵なマンガを描ける日芽野先生を、自分も一ファンとしてもっとたくさんの人に知っていただけたら、と思います。
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