1-6-1
1-6-1 8月6日金曜日
ピポピポピー、けたたましく朝6時に目覚ましが鳴り、いつものように目が覚めるといつもと同じ2階の自分の部屋、同じパジャマ、同じベッドの上だったが何かに抱き付かれている感じがした。
夏の朝とはいえ暑苦しいと、手をやると今日も柔らかい感触がした。
また大人のヒカリが酔っ払って寝ているのかな、そういえば昨夜外に出ますとメールが着ていたし、おいおい2日続けてはさすがに仏の平助さんも怒るぞと目をやるとパジャマ姿のかわいいヒカルが横に寝ている。
暑苦しさは直ぐに消え、思わず「ラッキー」と叫ぼうとした口を押さえた。
これは何と言う幸せだ。こんな日が毎日続けばいいのに。
いつもかわいいけど寝顔も特にかわいいよなぁと顔を近づけたが、昨日の酒臭さとはとは違い爽やかな香りがしていた。
そして、いつもは半獣への恐怖心で萎縮してしまうのに、今日はなぜだか半獣の顔は頭をよぎらなかった。
でも、彼女は今日もまた「この平助のバカ」とか「この意気地なし」とかグニャグニャ言っている。
どんな夢でも見ているのかなこいつはと鼻でも摘んでやれと手を伸ばしたが、彼女を起したくもないし、かわいい顔が台無しになるので、何もしないでずーっとこのまま見ていたかった。
その時「平助、起きたの、早く朝ごはんを食べなさい」1階から母の声がした。
最悪だ、今日の朝ごはんは要らないと叫ぼうかと思ったが、俺の調子が悪いのかと母が心配して部屋にでも来られたらもっと最悪になると仕方なくベッドからそーっと起きて着替えた。
今は我慢だと部屋を出るとき振り返ってヒカリの寝顔を見ると「あぁ、駄目だ無理だ」
今日はどうしても我慢しきれずに、特にかわいい寝顔に昨日のお返しとばかりに顔を近づけ軽く頬におはようのチュをしてしまった。
なぜか、実行に移してもあれだけ怖がっていた半獣の顔は頭をよぎらなかった。
俺は達成感と嬉しさの余り1オクターブ高い声で
「はい、今行きます。母さん、ヒカリちゃん今日も駄目みたいだよ」とウキウキしながら1階に降りていった。
俺にはそんな気は無いのだが、いつもと違ってニコニコしながら朝ごはんを食べているみたいだ。
「今はニコニコ、さっきは変な声、平助、昨日映画館で何か良いことでもあったの」と母が不思議がるが
「いや、全然、なーんにもないけど。今日も暑くなるかな」とか日頃言わないことを楽しそうに話すので
「ヒカルちゃんとは上手くいっているの」といつもとは違うことを訊いてくる。
食べていたご飯が少しむせたが、母も俺と彼女の関係を薄々気がついているようだった。
「あぁ、上手くいっているよ、母さんが心配することなんて何も無いよ」
「それじゃいいけど。そうそう、明日土曜日だから母さんお休みでしょ、最後に母さん、ヒカルちゃんとお出かけしたいな」と頼むので、そっか約束の1週間が明日で終わるのか、あっと言う間だったな。
考えてみると、この1週間俺が彼女を独り占めしていたのか、母にはすまないことをしたなと
「お出かけね、分かった。起きたら訊いてみるよ」と答えると、母は嬉しそうに朝ごはんを食べて、仕事に出て行った。
ふっと、今日は酔っていないのにどうして俺の部屋に寝ているんだ。
何か目的があるのかなと思い、直ぐにでも部屋に戻りヒカリに詳しく事情を聞きたいけど熟睡している彼女は当分起きないはずだ。
それに、半獣の恐怖心から解き放たれた俺が彼女の寝ている部屋に戻ると、理性を無くし襲いかかり最低な男になりかねないし、このまま家に居ては駄目だ外に出ようと、いつものジョギングで玄関を出ると今日も朝の勉強会に向かう隣の南に出くわした。
「おっ南、おはよう」と今日は朝から元気よく挨拶すると南はトコトコと俺に駆け寄り、心配そうな顔で、
「ヒカリさん、昨日の夜、突然家に来たけど、とても心配そうな顔をしていたわ。
いつもあんなに明るいのに、彼女どうかしたの」
「えっ、ヒカリが南の家に、それで、彼女どうしたの」と訊き返すと
「私が、どうしたのこんな遅くにと訊くと、彼女が婚約の報告に来たって。
そして、真剣な顔をして木槌と杭を貸して下さいって。
それと、もし私がいなくなったら平助さんをよろしく頼みますと、彼女いなくなるって田舎に帰るだけじゃないの、私、変な娘ねって思ったけど。
そうそう、あんた達、私に黙っていつ婚約したの」と今度は南が訊いてくる。
婚約と聞いて、許婚から婚約へワンランクアップしたのか、そうだ、1度目の傷は、許婚を意味し、2度目の傷は、婚約を意味するのかとやっと理解した。
ひょっとして3度目の傷は、結婚を意味するのかなと喜びが込み上げ始めたが、
ふと、南から借りていった木槌と杭が妙に気になりだした。
昨日のメールを思い出すと「よかったら使って下さい」と俺に木槌と杭を渡してきたし、アラタは「今度はお前が選択する番だ。心臓に杭を打つか否か」とか言っていたし「じゃ、婚約の後は、今度は俺が彼女の心臓に杭を打つか選択する番だ」
その時、俺にも今朝ヒカリが俺の部屋に来た本当の理由がやっと分かった。
ヒカリは俺に心臓に杭を打てとでも、私が否なら私が貴方の横で寝ている間に杭を打って下さいとでも言うのか、彼女は命をかけて杭を打たれる恐怖心と戦いながらずーっと俺の傍にいたというのに、それなのに俺はバカみたいに「ラッキー」とか言ってニヤケていただけなのか。なんて愚かな男なんだ。
そんな自分を恥じて顔が赤くなり、早くヒカリに謝りたくて、南からの問いに答えることなく急いで自分の部屋に戻ると彼女は既に自分の部屋に戻っていた。
俺はノックもしないで急いで彼女の部屋を開けると、ヒカリは勉強でもしているのか机に座ってパソコンを叩いていたが、振り返って俺に「駄目ですよ、女性の部屋にノックなしに・・」と言う暇もなくギュウと彼女を抱きしめた。
「ごめん、俺が馬鹿だった。早く理解してやれなくて。
すまない、お前にあんなことをさせてしまって」と泣きながら顔を崩して謝ると
「私の勇者様は、強い方なので泣いたりはしませんよね」と彼女も涙目になり
「ごめんなさい、今の私にはあれしか出来なくて」と優しく答えた。
俺が少し落ち着いたので「今朝のうちにどうしてもう一度噛まなかったんだ」と訊くと
「第三の傷は、基本的には合意の上でないと噛めないし、平ちゃん今朝はぐっすり寝ていたので、それに色々あるんですよ家族のこととか手続とかがね。
それに、あれもまだだし」と恥ずかしそうに笑っていた。
「今まで、俺を無視して一方通行的に噛んできたのに、今度は合意がいるとか家族とか手続とか面倒くさいなぁ。それにあれもまだだって言うし、何のことだよ」
「はいはい、貴方はいつもそうです。私のことなど何も分かってくれません」と怒り出したと思うと
「結婚って言うと、そういうものでしょ」今度は急にモジモジ言うので、
俺は、結婚と言う言葉を聞いてやっと分かったが
「急にそんなことを、ここで言うのは、まだ心の準備が出来てないし、ちょっと恥ずかしいな」と俺もモジモジしていると
「この、いけず」と彼女から一発頭を叩かれたが、どうしても今は言えなかった。
それから彼女から色んな俺への愚痴が出てきたが、彼女が言うその手続の方が気になったので
「手続って婚姻届みたいなものかな、いつでも異世界に行って書くぞ、いや書かせて下さい」と今度は堂々と言ったが
「そうならいいんですけどね、最悪な手続なのです」と彼女が顔を曇らせたので、この話はそこまでにした。
「後は家族だな、そうそう母さんが、明日2人で買い物にでもどうかって言っているよ」
「おばさんとは話したいことがいっぱいあったけど、会うのは毎日夕食だけだったし、私も明日は用事が無いのでOKです。でぇ、平ちゃんは同伴ですか」
「悪いけど用事があるから、それはご勘弁」と硬派な俺は女の買い物には付き合えないと特に用事がないのに断わり、その後も何のことはない話をお昼までしたが、思い返してみるとヒカリの家族って今まで一度も話に出てきたことがないやとその時は軽く考えていた。




