01. それでも朝は来る
「……私ってさ、結局“そういうふうにしか見られてない”んだよね」
ベッドの端に座りながら、紙タバコをふかす。
この仕事を始めてから、もう何年になるのか分からない。
ガールズバーから風俗、今はキャバクラ。
“夜の世界フルコース”みたいな人生だなって、時々自分で思う。
⸻
店では今日もいつも通りだった。
店長はカウンター越しに、わざと聞こえる声で言う。
「お前さ、看護師とか無理だろ。中卒だぞ?」
一瞬、空気が止まる。
私はスマホおろして静かに見上げた。
「偏差値35に言われたくねえわ」
ボーイたちが吹き出す。店長は舌打ちして、それ以上は何も言わない。
その中で、ゆうやだけが私を見ていた。
心配そうな、何か言葉を飲み込んでいるような表情だった。
⸻
ゆうやは大学生。
あと一年で就職して、この店も辞める。
つまりこの場所から“抜ける側”の人間だ。
「ひまりさんも、ほんとはそっち行けると思いますけどね」
前にそう言われたことがある。
その“ほんとは”が、一番むかつくし、一番刺さる。
⸻
外に出ると、あみちゃんがタバコを吸っていた。
黒髪を揺らして、だるそうに笑う。
「ねえ聞いて。店長、また別の子に手出してた」
「ほんと懲りないね」
「懲りるわけないじゃん。あの人そういう生き物だし」
あみちゃんは笑ってるけど、目は笑ってない。
この店に“まともな人間関係”なんて期待してる人はいない。
「今日さ、りさから連絡来たんだけど」
あみちゃんがふと思い出したように言った。
その名前で、少しだけ現実に引き戻される。
りさ。
前は同じ店で働いていた女の子。
今はキャバを上がって、昼の仕事をしている。
それでもたまに連絡が来る。
「なんか金銭感覚抜けなくて困ってるんだって。100万くらいならいけそうな気がするって言ってたよ」
そう言いながら、あみちゃんが笑った。手元が揺れて、タバコの灰が落ちる。
この世界にいた人間は、この世界が染み付いてしまっている。完全には消えない。
形を変えて、どこかで続いてる。
あみちゃんは、タバコを靴で軽く踏んで消した。
「でもさ、りさってまだマシだよね。抜けようとしてるし」
「マシってなにそれ」
「だってさ、抜けようとしてる人と、もう戻れない人っているじゃん」
その言葉が、やけに軽い声で落ちた。
私は一瞬だけ、返す言葉が出てこなかった。
“戻れない人”。
誰のことを言ってるのか、あえて聞かない方がいい気がした。
⸻
店に戻ると、ゆうやが伝票を整理していた。
いつも通りの動き。
でもこっちに気づいた瞬間だけ、ほんの少し止まった。
「おつかれさまです」
それだけ言って、また作業に戻る。
その距離感が、いつも絶妙だと思う。
近すぎない。でも、遠くに行くわけでもない。
あみちゃんが隣に来て、スマホをテーブルに置いて私を見た。
「ねえ、まりちゃんさ」
「なに」
「ほんとに看護師とか、やる気あるの?」
ストレートすぎて笑いそうになる。
でも笑えない。
「……やる気ないなら、ここにいない」
自分でも、少しだけ嘘くさい声だと思った。
そのとき、奥からゆうやの声がした。
「まりさん」
振り向くと、彼は伝票を持ったまま立っていた。
「今日、ちょっと忙しくなりそうなんで……無理しないでくださいね」
それだけ言って、また戻っていく。
それ以上は何も言わない。踏み込まない。
でも、完全には離れない。
あみちゃんがそれを見て、小さく笑った。
「優しいね、あの子」
「優しいっていうか……なんかズルいよね」
「ズルい?」
「助ける気あるのに、助けきらない感じ」
言いながら、自分でもちょっと分からなくなる。
それって本当に“ズルい”のか、それともただの“優しさ”なのか。
そもそも、私は助けて欲しいのだろうか。
一体何から?
⸻
「ひまりさん、今日もお疲れ様でした」
ゆうやが車から軽く手を振る。
ありがとね、と言いながら車に背を向ける。
本名で呼ぶのって、ゆうやくらいだよなとふと思った。
マンションのエントランスに向かって歩く途中で、スマホが震える。
りさからのLINEだった。
『昼の仕事、普通にむずい。夜の方が楽まであるのやばいよね』
私は少しだけ笑ってしまった。
「それ言う時点で戻りかけてるじゃん」
そう返しかけて、やめた。
戻るとか戻らないとか、そんな単純な話じゃない気がしたから。
⸻
夜の空気は、相変わらず湿っている。
全てが曖昧なまま、時間だけが過ぎていく。
でもその中で、確かにひとつだけ分かることがある。
ゆうやは、まだここにいる私を“見ている”。
助けるわけでも、突き放すわけでもなく。
ただ、その位置から動かずに。




