川上洋平という男
「君、ミスコン出てくれへん?」
僕の前に座る、川上洋平という男はそう言うと、ナンをちぎってカレーに浸し、口に運んだ。
「ミスコンって、あのミスコンですか?」
僕の考えが正しければ、僕の知っているミスコンは僕には関係ない。だからといって他のミスコンが思い当たるわけでもなかった。
「そのミスコンやね」
彼はそう言った。
僕が彼に出会ったのは、今から十分くらい前。二限の講義を終えて大学内を駅に向かって歩いていると、「なあ、君」と突然彼に話しかけられた。
淡いジージャンの下に白いTシャツを着た彼の首元にはサングラスがぶら下がっていた。サングラスの重みでTシャツがⅤネックのように垂れ下がっていたのを見て、僕は彼を怪しい人間だと判断した。
「何ですか?」と僕は訝し気に尋ねると、彼は「俺、見ての通り怪しい者なんやけど」と切り出し、食事に誘われた。ナンパはないとしても、宗教勧誘やネットワークビジネス、投資詐欺、様々な可能性がる。僕が答えあぐねていると、彼は僕に学生証を見せた。本大学に通う商学部の二年生だった。
この大学はキャンパスが広大で、構内を歩いている人間が必ずしもここに通う学生とは限らない。そのため、彼が僕と同じ学生だと知ると僕の警戒心は少し薄れて、奢ってもらうことを条件に、昼食を共にすることにした。僕は正門近くのカレー屋さんを所望した。
そして蓋を開けてみればそれはミスコンの勧誘であった。
「いや、ちょっと・・・」
僕がそう言うと、洋平は被せるように、
「ちょっと、何? 僕なんてイケメンじゃないし、なんて言わへんやろな?」
と言った。
「僕なんてイケメンじゃないし、って言おうとしてました」
僕は黄色みがかったターメリックライスをスプーンですくい、カレーに浸して口に運んだ。洋平に勧られてバターチキンカレ―を頼んだが、あまり味がよく分からなかった。最近は、何を食べても同じ味である。
「あんな、ちゃうねん、その、あれごめん、名前なんやったっけ?」
洋平がそういう。僕はまだ名前すら言っていなかった。
「荻原鉄平です」
「てっぺーか。あんな、てっぺーがイケメンかどうかを決めるのはてっぺーじゃないねん。俺はてっぺーをイケメンだと思った。この時点でもうてっぺーはイケメンやねん」
僕の名前を「てっぺい」と発音しないのはよくあることだが、彼の場合はより顕著に僕の名前を平たく呼ぶ。
「暴論ですね」と僕は言葉を濁す。
「暴論だって立派な論や」と洋平。
「何でもいいですけど、僕はやめておきますよ」
洋平は手を頭の後ろで組んで少し何かを考える様子を見せた。そして、ラッシーのストローを手に取ってグラスの中で氷をかき回し、一口飲んだ。
「てっぺー、普段何してるん」
洋平がそういう。
「何って、何してるんでしょうね」
「バイト?」
「バイトはしてないです」
「友達は?」
「いないですね」
「一人も?」
「はい」
「友達は欲しくないんか?」
「別にいいですね。意味ないんで」
「寂しいやっちゃな」
洋平は再びナンをちぎった。何の時間なんだろうかと、そんなことをぼんやりと考えるが、何でもいいやと、僕はすぐにさじを投げた。
時計を見ると、十二時四五分だった。あと五分で、三限の講義が始まる。
「なんか悩みとかないん?」
洋平は咀嚼しながら僕に尋ねる。
「営業トークの切り口変えてきましたね」
「そりゃそうやろ。相手の問題点を探し出して、その解決策を示すのが営業の基本やねんから」
「悩みですか。あるとすれば早くこの話が終わって欲しいっていうことくらいですね」
奢って貰っておいてこんなことを言うのも不躾であるが、僕はミスコンには興味はない。そうであるならば退屈な政治の話をしてくれた方がよっぽど有意義に思えた。
「解決策、あるで」と洋平は言った。「ミスコンに出るって言えば話はしまいや」
不覚にも、僕は少し笑ってしまった。笑うのは久しぶりのことだった。僕が笑うと、洋平は満足げな笑みを浮かべ、ここぞとばかりに語り始めた。
「あれやな、ずいぶんつんけんとしとんな。何をそんなつんけんしとんねん。それがてっぺーの問題点や。なんやねん。言うてみいや」
洋平は僕を警戒させないためか、目は合わせなかった。右ひじをテーブルに着き、指先でストローの先端をいじくりまわしていた。
勧誘が長くなりそうな気がした僕は、一つ小さな溜息をついた。
「二年前に友人が死んだんですよ」
どのみちもう二度と会うことはないのだから言っても構わないと、そう判断して僕は口にした。
洋平は固まった。想像通り、期待通りの反応だった。話はこれにて終了。そのつもりだった。
「ミスコンに出て、彼が生き返るなら僕は出ます。でも生き返らないなら出ません」
自分で言っておいて自分が惨めに感じられた。僕はまた溜息をついてナンをかじった。飲み込むと、どっしりとした重さを腹の中に感じた。まだ数口しか口を付けていないのにも関わらず、お腹がいっぱいだった。満腹感も充足感も何もないただの異物感が腹に残った。
「そうか」と洋平は低い声で言う。「なんていう人やったん?」
洋平は真っすぐ僕を見ていた。話はどうやら終わらないようである。
「三限、ないんですか?」
僕は時計を見た。講義まではあと三分。今からでも走れば間に合うかもしれない。
「あんで。人類社会学概論」
「出なくていいんですか?」
「ええやろ。どうせ、農耕文化が人類の発展に与えた影響とか、そんなどうでもええ話なんやし。それよりもてっぺーの友達の話を聞かせてくれよ」
「小林弘樹です」
「小林弘樹か。悪い奴ではなさそうやな」
「名前で分かるんですか?」
「なんとなくな。少なくとも萩原鉄平よりはいい奴やろ」
「まあ、いい奴ではありましたね」と答えた。
何から話そうか、と僕は考えを巡らせた。知らない人に亡くなった友人のことを話しても仕方がない。かといって、知らない人だからこそ話しやすいということもある。もちろん、それが洋平の狙いだということは分かっているが、洋平の思惑通りに動くことは別にいけないことではない。
「友人というか、友人になれそうだったって感じですね」と僕は話し始めた。「僕はこんな人間だったから元々友達はいなかったんですよ。その人とは、そうですね、だいたい何かの文句を言ったり、誰かの悪口を言ったり、そんな話ばかりしていて、まあ、それでも楽しかったんですよ。こういうのも悪くないのかなって思ってて、そんな矢先に死んだんです。事故で」
結局僕は、思いついたことを思いついた順番で話した。
「そうか、そうか」と洋平は何かを踏みしめるように言う。「楽しいよな、悪口。」
「そうですね。楽しいです」
「同じクラスの人みたいな感じ?」
「そうですね」
「向こうもあんまり友達おらんかったタイプやったん?」
「いや、その人は割と友達が多かったですね。ちょっときっかけがあって個人的に仲良くなって」
僕が弘樹と仲良くなったのは、選択授業の美術の時間にお互いに肖像画を描くときに、ペアになったことがきっかけだった。美術を選択した人が他にいなかったこともあり、毎週一回、彼とは二人で絵を描き合っていた。すぐに仲良くなったわけではない。僕たちは氷が溶けてゆくみたいに、少しずつ、少しずつ仲良くなっていった。
「ほんであれか、どうせ失うくらいならもう友達なんていらない、みたいなことか」
「そう聞くと単純に聞こえますけれど、でもまあ、平たくすればそういうことです。こういう経験がない人には分からないと思いますけれど」
「まあ、そうやな。気安く同情すんのも違うと思からせえへんけども」
三限が始まる時間になり、カレー屋さんの客は僕たちだけになった。外国人の店員さんがやってきて、僕たちのグラスに水を注いだ。僕はそれを一口飲み、グラスをテーブルの端に置いた。
「まあでも、これはあくまでも俺の意見やけど、今それだけ凹んでるっていうのはいいことでもあると思うねん」
「どうして?」
「それってつまり、それだけ楽しかったって事やん」
「どうでしょうかね。元々こういう人間だったって可能性もありますけど」
僕がつい口をついて出る言葉はいつも後ろ向きのものばかりである。
「心のどこかでは、また友達が欲しいと思ってるんちゃうんか?」
「まあ、もちろんいればいいとは思いますけれど」と僕は言う。「何ですか、だったらミスコンにっていうことですか?」
「まあまあ結論を急ぐな。まあ、そういうことやねんけど、そうやなくてな。そういう時に自分から進んで何かをするっていうのは難しいと思うねん。せやからこういう機会に」
「言いたいことも分かりますけれど」と僕は洋平の言葉に被せる。「それとこれとは別ですね。ミスコンには出ないです」
洋平は「そうかそうか」と、今度は土の表面をきれいに整地するように言った。「ちなみに、ミスコンの運営委員の仕事の一つにな、うちのミスコンをプロモーションに使ってくれるような企業とか団体にコンタクトをとって売り込んでいくってのもあんねん」
急に何の話だろうか、そんなことを考えながら僕は話を聞いていた。
「要は営業やな。でもな、やっぱりいきなり押しかけてすぐに、いいですね、やりましょう、なんて風にはならんねん。話を聞いてくれれば御の字で、大抵の場合は門前払い。だけどな、俺はそこでは諦めへんねん。なんでかって言ったら、俺が本当に相手のためを思って押しかけているからやねん。業績の上がらない企業だったり、プロモーションのやり方が間違っている会社に対して、俺たちを使えば絶対に上手くいくと、そう思っているからこそ、しつこく、何度も営業をかける。だからな、一回断られたとしても、むしろそこがスタート地点くらいに考えてんねんな。何が言いたいか分かるやろ?」
「迷惑な人ですね」と僕は心底げんなりとしていた。
「でも、俺はお前がミスコンに出ることがお前のためになるとほんまに思っとる。だから、悪いが手加減はせえへんで」
洋平はそう言うと、一枚の小さな紙きれを財布から取り出して渡してきた。
「まあ、とりあえず渡しておくわ。気が変わったら連絡して」
受け取ってみると、それは洋平の名刺だった。
「名刺なんて持ってるんですね」
彼の名刺には、彼のミスコンの役職及びラインのQRコードが記載されていた。確かに、これがあればいつでも彼に連絡ができる。
「多分てっぺーが思てる以上に色んな人と会ってんで。不便で作ってもうたわ」
そう言ってその日は別れた。
その日以降、講義が終わって教室を出ると、そこにはいつも洋平が立っていた。そして、そのたびに僕はご飯に誘われ、行ったり行かなかったりした。どうして洋平は僕の授業を知っているのだろうか、聞いてみると、僕と同じ学科の男から僕の時間割を聞きだしていたみたいだった。告げ口した男と僕は一度も話したことがなく、名前もはっきり覚えていないくらいの奴だった。
初めのころは、僕は洋平を煙たがってはいたものの、バイトをしていない僕はお金がなく、タダ飯と思って洋平と食事をしていた。ミスコンの話をしたり、洋平の過去の話を聞いたり、ときおり恋愛の話にもなった。話しているのはいつも洋平ばかりで、僕はぼんやりと聞いているだけのことが多かった。
ミスコンについても、僕はずいぶんと詳しくなっていた。ミスコンについて何も知らなかったが、候補者集めに始まり、イベントの企画及び準備、それにミスコンのスポンサーとの打ち合わせと、想像しているよりもずっと彼は忙しそうだった。
なぜ彼が大事な学生生活を削ってそんなことをしているのかというと、それは少しでも就活を有利に進めるたという何とも現実的な理由だった。イベントの企画営業に進みたいらしい。彼には夢があるみたいだった。
僕には、どうして彼がここまで僕に固執しているのか分からなかった。僕でなくとも、ミスコンに適した顔のいい男など他にもたくさん大学にはいるだろう。僕は様々な理由を付けて彼の誘いを断り続けていた。
しかし、彼の誘いを断り続けていてやがて気が付いたことは、このままでは何も変わらないということだけだった。学校と自宅の往復を繰り返し、ただただ時間だけが過ぎてゆく。一人の時間で僕は感傷に浸り、現実逃避を続けている。そして、少しずつこのまま僕は年を取ってゆき、気付いたときには全てが手遅れになってしまう。そう考えると、心の奥底で焦燥感のようなものが芽生え始めるのであった。悲しい出来事があったからといって、世界が僕に優しくしてくれるわけでもないのである。
僕は、誰かがここから自分を連れ出してくれることを望んでいた。他人本意であることは重々承知の上で、それでも自分から何かをする気にはどうしてもなれなくて、それはどうしても恐ろしいことに感じていた。また何かを失ってしまった時、今度こそ正気ではいられないような気がしてしまう。
もちろん、洋平が僕を連れ出そうとしていることには気が付いていた。なんども洋平と話した。気が付けば、僕はずいぶんと洋平と親密になっていた。無論、洋平は多忙な人間であり、かつ先輩であるので気安く友人と呼べるようなものではなかったが、それでもある種僕のリハビリテーションとしては十分すぎるほどだった。
一大決心だった。僕はミスコンに参加する旨のメッセージを洋平に送った。




