第五章 魔族の襲来と決断
戦が終わり、王都の喧騒も遠ざかる。
ユーリとセレスは、幾日かをかけてアルシェリアへの帰路についた。
道中は騎馬と馬車を併用した穏やかな旅路だった。
戦後の疲労は確かにあったものの、二人きりで過ごす時間の中で、それは甘美に塗り潰されていった。
──夜。仄暗い野営の帳の中。
肌を寄せ、指を絡め、息を溶かし合うたび、
セレスの面差しはかつての騎士然としたそれではなく、恋するひとりの女そのものであった。
その瞳にあるのは、誓いでも忠義でもない。
ただ「ユーリ」という男を愛し、求める想いだけだった。
「……ねえ、ユーリ……もう一度……」
「……セレス、お前って本当に……」
冷たい夜風も、焚き火の音も、遠くの虫の音さえ、ふたりには届かない。
ただ、体温と心音だけが互いを確かめ合っていた。
──こうして旅路は、まるで蜜に満ちた小舟のように、
穏やかで、甘やかな余韻とともに終わりを迎える。
そして、アルシェリアの門が見えた瞬間。
「帰ってきたな……」
ユーリが呟くのと同時に、出迎えの一団が駆け寄ってきた。
「ユーリ様ぁあああっっ!!!」
「兄様っ……!!」
「ユーリさん……無事で……!」
先頭に立っていたのは金髪のリディア、そのすぐ後ろには銀髪のアリア、そして緑髪のエルナだった。
その三人の背後には、メルリナとミリアの幼馴染コンビも涙ぐみながら駆け寄ってくる。
──そして。
「……ふぅん。なんだか、距離が……近いわね、その騎士さんと」
リディアの目が、隣を歩くセレスに鋭く向けられた。
「セレスとの距離がなんだっていうんだよ…」
「セレスティアさん、ですのよね? 副団長殿のこと……?」
アリアが遠慮がちに問いかける。
だがその視線も、セレスとユーリの間に流れる空気を敏感に感じ取っていた。
そんな中、エルナがぽつりと小さく言う。
「……あれ……ユーリさん、今、“セレス”って……呼びましたか?」
瞬間、場の空気が一変した。
「えっ? え、え? ねぇ、前まで“セレスティア殿”じゃなかったっけ!?」
「ちょっと! いつからそんな仲になったのよ!?」
「うぅ……ユーリ様ぁ……」
リディアがズイと詰め寄れば、アリアはうるうると潤んだ目で問いかけ、
エルナはおずおずと袖を引き、ミリアはほろりと涙を浮かべ、
メルリナに至っては、がしっと腰に抱きついてきた。
「……ったく……久しぶりの帰還なのに、歓迎がこれか」
ユーリが苦笑まじりにそう呟けば、隣で静かに立っていたセレス──いや、“セレス”が微かに頬を染めて言った。
「私と……ユーリ殿の間にあった変化は、きっと皆様にも……いずれ、わかっていただけます」
その言葉に、妻たちはいっせいに「わかる前に説明してもらうわよ!!」と詰め寄るのだった。
──そんな、賑やかで温かい帰還のひととき。
ユーリは、セレスの手を握ったまま、小さく笑った。
(ここが……俺の帰る場所だ)
彼の心にあったのは、戦功や地位ではなく──
この笑い声と、愛すべき者たちの存在だった。
再会の喜びとちょっとした修羅場を経て、屋敷の中庭で小さな宴が開かれた。
陽が傾きはじめたアルシェリアの空は淡く茜色に染まり、皆の頬にもようやく柔らかな笑みが戻っていた。
「でも、ほんとよかったわ……ちゃんと帰ってきてくれて」
リディアがそう言って、焙じ茶を手にする。
「王都じゃ大変だったんでしょう? セレスティアさんもお疲れ様でした」
エルナがそっと笑みを向け、セレスは静かに頷いた。
「セレス…これからは私たちは家族になるのですから私の事は愛称のセレスと呼んで下さい」
「うん、わかったわ!これからはドンドンユーリに甘えちゃいましょう」
「ありがとう。だが……私はまだ、貴女たちのようには……」
「いいのよ、そんなの。ほら、アリアなんて最初、私に睨まれて毎晩泣いてたんだから」
「ちょ、ちょっと! リディア姉さま、それは……過去の話です!」
賑やかな笑いが弾ける。
その中心にいるユーリは、改めてこの場に還ってきた実感を噛みしめていた。
──ふと。
「そういえば、ユーリ様が王都に行っている間に……ちょっとした事件があったんです」
ミリアが、ぽそっと口にする。
「事件?」
「うん。ある日の早朝、森の外れで倒れていた子を保護したの。角のある、少女……」
「角?」
「ええ。小さくて、痩せてて、獣人……なのか、魔族なのか、よくわからないけれど……。記憶がね、ほとんどなくて」
「名前も、自分の出身も言えなくて……でも、うっすら“逃げた”とか“誰かが来る”って、怖がってたのよ」
と、アリアが説明を続ける。
「今はどうしてる?」
「離れの部屋で保護してるわ。人の話はちゃんと理解してるけど……あまり喋らない子。目だけが、ものすごくよく動いてるの」
「最初はこっちの動きにすごく警戒してたけど……最近は、エルナにだけは懐いてるみたい」
「……たまに、手握ってきたり、服の裾を引っ張ったりします。喋るときは、ぽつりぽつりと……。でも、あれは……寂しがり屋です」
エルナがそう言って小さく笑った。
「ふむ……。会ってみたいな。俺が帰ってきたこと、もう知ってるのか?」
「いえ……まだ知らせてないの。少し驚かせるかもって思って」
リディアが肩を竦めた。
「だったら、今夜にでも俺から話そう。大事になりそうな気がする」
その言葉に、皆の表情がほんのわずか引き締まる。
──新たな出会い。
それが吉と出るか、凶と出るかは、まだ誰にもわからなかった。
そしてその夜。
ユーリは静かな足音で、離れの一室へと向かう。
扉の向こうにいるという、「角の少女」。
彼女との出会いが、また一つ、アルシェリアの物語を動かしていくことになる──




