⑤
朝露が王都の石畳を濡らしていた。宿の前には旅装束を整えた一行が立ち、荷馬車には旅の荷が積み込まれている。
セレスティアは、すでに鎧の手入れを終え、朝日の中で背筋を伸ばしていた。その姿はまるで彫像のように隙がなく、鋼の冷気すら感じさせる。
「皆さん、支度は整いましたか?」
低く、澄んだ声が朝の空気を裂く。鋭さこそあれ、命令ではない。責任感と緊張感がにじむ言葉だった。
「はい、準備は万端です。……その前に、一つお願いがあります」
ユーリが一歩前へ出た。セレスティアが小さく頷くと、彼はゆっくりと視線を巡らせながら口を開いた。
「改めて、この旅を共にする者として、互いの力や役割を確認しませんか。セレスティア殿に、皆のことをもっと知ってもらいたい。……その方が、きっと信頼を築けると思うんです」
セレスティアは少しだけ驚いたような表情を見せたが、すぐに無言で頷いた。
「いいだろう。戦力の確認は重要だ。……では、頼む」
その目は真剣だった。形式ではなく、彼女は本気で旅の安全を守るつもりなのだ。ユーリもそれに応えるように、まずは自分から名乗った。
「ユーリ・アルシェリア。基本は戦術指揮と魔法、それから……いざという時の前衛も務めます。今はまだ未熟ですが、いくつか女神の加護を得ています」
「……ふむ」
セレスティアが短く返し、続いてリディアが進み出た。
「リディア・アルシェリア。私の専門は攻撃魔法、とくに火属性の魔法が得意よ。炎の剣も使えるし、攻め手としては頼りにしてちょうだい」
炎を纏った幻影の剣を指先で生み出すと、セレスティアが思わず目を細めた。
「……炎系統に偏りはあるが、扱いは相当熟練しているようだ」
「ありがと。嬉しいわ、そう言ってもらえると」
次に、アリアがにこやかに前に出た。
「アリア・アルシェリアです。私は魔法も使えるけど、得意なのは剣術の方です。学院では男子相手でも勝てるくらいでしたから、護衛役にもなれますよ」
剣の柄に手を添えたその姿に、セレスティアは少し意外そうな顔をする。
「魔法学院で……剣術? ……珍しい取り合わせだな」
「よく言われます。でも、それが私らしさですから」
そして、エルナが静かに一歩進む。
「エルナ・アルシェリアです。精霊魔法を扱えます。癒しの力と、風と水の精霊たちとの対話を得意としています。森や自然に関わることなら、任せてください」
エルナの言葉に、セレスティアの瞳が少し柔らかくなった気がした。
「……精霊との対話。貴重な能力だ。自然の変化にも気づけるだろう。助かる」
「ありがとうございます」
最後に、後方で控えていたミリアとメルリナが、そっと顔を上げた。
「ミリアです。以前はユーリ様の屋敷でメイドをしていました。今は戦う力はありませんが、食事の支度や雑務などで、お役に立てるよう努力します」
「メルリナです。……特別な力はありませんが、子どもたちの世話や物資の管理なんかは得意です。少しでも助けになれれば」
セレスティアは二人に視線を向けた後、ほんのわずかに口を引き結んだ。
「非戦闘員の同行は本来避けるべきだが……旅の規模を考えれば、後方支援もまた重要。気を抜かず、責任を持って行動してくれ」
その言葉に、ミリアとメルリナがそろって「はいっ」と応じた。
そして――静かに、王都の大門が開いた。
太陽が高く昇り、まっすぐに伸びる街道を照らしている。旅の始まりを告げる光の中を、一行は進み出した。
セレスティアが最前を歩き、ユーリが続く。リディアとアリアがその両脇を固め、エルナ、ミリア、メルリナが荷馬車の周囲に配された。
風が、未来を予感させるように頬を撫でる。
――そして、セレスティアの胸中。
(妻が三人。あの落ち着き、あの信頼感。まるで……一つの家族のようだ)
彼女はわずかに眉を寄せる。
(私に……そんなものは、ない。必要も、ない)
でも、心のどこかで小さなざわめきがあった。
この旅の中で、それが何をもたらすのか。まだ、彼女自身も知る由もなかった。
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旅の始まりは、思ったより穏やかだった。
王都の門を抜けてから、しばらくはなだらかな街道が続く。天気は快晴。雲ひとつない空の下、鳥のさえずりと馬車の車輪が石を擦る音が混じり合い、のどかな旅情を彩っていた。
そんな中、前を歩くリディアとアリアが陽気に談笑していた。
「ねえ、覚えてる? 前にアカデミーで演習したとき、アリアの剣が木人形に突き刺さって抜けなくなって――」
「やめてリディア、それまだ言うの? 恥ずかしいんだから!」
笑い声が響く。アリアが頬を赤らめ、リディアが肩を震わせて笑っている。そのすぐそばを歩くユーリが、微笑ましく二人を見守っていた。
「それよりも、ユーリ様が試験中に魔法詠唱間違えて、教官のズボン燃やしかけた事件のほうが――」
「ちょ、それは俺の名誉に関わるからやめてくれ」
「ふふ、そんなこともあったんですね……」
エルナが穏やかに微笑み、ミリアが控えめに口元を押さえて笑っている。メルリナは「それくらい笑える話があると、旅も楽しくなりそうですね」と優しい声で話した。
セレスティアは、その光景を後方から静かに見つめていた。
にぎやかで、温かくて、やたらと距離が近い――それが、彼らの“普通”なのだと、ようやく理解し始めていた。
しかし、それはセレスティアにとって“異常”に見えた。
彼女の旅は常に孤独だった。任務として、剣を携え、命令に従い、与えられた任務を果たす。それだけだ。仲間と呼べる存在もなく、共に笑い合うなど考えたこともない。
そして何より――その中心に立ち、当たり前のように皆を包み込むユーリという男の存在が、どうにも理解できなかった。
(……なんなんだ、この男は)
歩きながら、ついセレスティアは小さくため息を吐く。
ふと前を見ると、ミリアが少し距離を詰めてユーリの隣に立った。
「ユーリ様、今日はお昼に、少し早めに休憩されてはいかがでしょうか? パンとスープ、お出しできます」
「うん、それはありがたいな。皆もお腹空いてるだろうし、木陰があれば休もう」
「承知しました」
ユーリとミリアが自然に言葉を交わす様子を見て、セレスティアの目が細くなる。
(……メイドか。にしては、ずいぶん距離が近い。物腰も丁寧すぎる)
考え込んでいると、リディアとアリアがこちらを振り返ってきた。
「セレスティアさんも、お腹空いてません?」
「……私は大丈夫だ」
セレスティアは少し硬い声でそう返した。二人は顔を見合わせて、また笑う。
「そっか。でも、休憩になったらちゃんと食べてね。旅は体力勝負よ」
「……わかっている」
笑い声がまた風に流れる。
セレスティアはそのたびに、何かが胸の奥で引っかかる感覚を覚えていた。
やがて、一行は小さな丘を越えたところで、川沿いの木陰を見つけた。
「よし、ここにしよう」
ユーリの声で皆が腰を下ろし、休憩の準備が始まる。ミリアはすぐに包みを広げ、パンや干し肉、軽く温めたスープを配っていく。メルリナが手際よく水を汲み、子どもたちの飲み水を整えていた。
「いただきます!」
「いただきます~!」
パンをかじる音、スープをすする音、そしてまた笑い声。
セレスティアは川辺に腰を下ろしたものの、背筋は真っすぐのままだ。パンに手を伸ばしつつも、食事というより“補給”のように黙々と口に運んでいく。
――ふと。
「セレスティアさんって、旅は慣れてますか?」
エルナが声をかけた。セレスティアは少しだけ間を置いて答える。
「……王都の任務で何度か。だが、護衛としての任務が多い。こういう……のどかな旅は、珍しい」
「そうですか……じゃあ、今日は少し肩の力を抜いてもいいかもしれませんね」
エルナはにこやかに微笑んでそう言ったが、セレスティアは黙って頷くだけだった。
(……抜けるものなら、抜いている)
けれど、彼女の耳に響くのは、またあの笑い声だった。
「ユーリ様、このスープ、よくお召し上がりでしたよね」
「うん、懐かしい味だな。ミリアが作ると、やっぱりほっとする」
「……うふふ、ありがとうございます」
目の前で展開される、自然体の親密さ。照れたように頬を染めるミリア。からかうリディアと、冷やかしながらも優しく見守るアリア。どこまでも柔らかい空気。
セレスティアは黙って、スープを飲み干した。ぬるくなっていたが、思いのほか胃に染みた。
その晩、一行は森の入り口近くで野営をすることになった。ミリアとメルリナがテントの設営を手伝い、リディアが火を起こす。アリアが周囲を見張り、エルナが風精霊を使って結界の確認を行っていた。
セレスティアはその様子を見ながら、ふと自問する。
(あの距離感に、自分は踏み込めるのか? ……いや、踏み込む必要などない。私は、任務を果たすだけ)
けれどその夜、隣のテントから聞こえてきた、くすくすという笑い声と、誰かの甘えるような声に、セレスティアは寝返りを打った。
眠れなかったのは、空が曇っていたせいだけではなかった。




