再会と精霊の気持ち
森を歩いて数刻。
地形は複雑に入り組み、獣道のような細道を何度も辿っては戻ることを繰り返していた。
しかし――木々の合間から、ふと風に乗って、小さな声が届いた。
「ユーリ!? エルナさんも一緒なの?」
はっとして顔を上げると、確かに聞き覚えのある声がする。リディアの声だ。
「おう、無事だ!」
すぐさま声を返すと、わずかにざわめく葉音の向こうから、人影が二つ姿を現した。
葉をかき分け、息を切らしながら現れたのは、リディアとアリアだった。
「……よかった、本当に……!」
リディアは走り寄ってくるなり、俺の胸元に拳を当てて、小さく叩いた。まるで、怒りと安堵が入り混じったような仕草だ。
「ずっと探してたんだから。滑落したって聞いて、どれだけ心配したか……!」
「悪かった、はぐれちまって……。でも、エルナが冷静に森の気配を読んでくれたんだ。おかげで、無事に戻れた」
俺の隣に立つエルナは、どこか照れくさそうに視線を落としていた。だが、その手は俺の上着の裾を掴んだままだ。
その仕草に気づいたリディアが、ちらりとその手元に視線を落とし――眉をひそめた。
「……ふぅん?」
「……リディア?」
「ううん。なんでもないわ。ただ……」
彼女は言葉を濁したまま、エルナに視線を移し、それから俺の肩越しに目をやる。そのまま一拍の沈黙が流れた。
ややあって、アリアがふっと微笑みながら口を開いた。
「なんだか……空気が変わったみたいですね。おふたり、昨日とは違う雰囲気です」
「空気?」
俺が訝しむと、リディアはため息混じりに腕を組んだ。
「……もう、ほんとに、わかりやすいのよ、ユーリって。ねぇエルナさん、そのあたり、ちゃんと説明してくれない?」
「えっ、あ……いえ、その……」
エルナの耳がみるみる赤く染まり、マントの端をぎゅっと握りしめた。顔を隠すように少し俯き、そっと後ろへ下がろうとするが――俺がそっと手を添えると、立ち止まり、また傍に寄ってきた。
その様子だけで、すべてを察したのだろう。
リディアは小さく唇を尖らせて、「あーあ」とぼやいた。
「……まったく、エルナさんってば、顔に出やすいんだから」
「ふふっ。ユーリもいつもより静かだし。ねえ、リディア。もしかしてだけど……“そういうこと”よね?」
「たぶんね。一目見てすぐわかっちゃいますよ」
慌てて否定しようとするエルナの言葉を、アリアはひらりと手を振って遮った。
「ううん、いいの。気持ちはちゃんと伝わってる。わたしたち、怒ってなんかないから」
彼女は柔らかく微笑むと、エルナの手を優しく包み込むように握った。
「むしろね。こうやって、ユーリに心を許せる人がいて、ほっとしてるんです。私たち、ユーリのことが大好きだけど、全部を分かってあげられるわけじゃないから」
「アリアさん……」
「ユーリって、守ることばかり考えるでしょ? 自分のことは、いつも最後にする。だから、誰かに甘えられる時間ができるのは、私たちにとっても救いなの」
彼女の言葉はまるで、ずっと胸にしまっていた想いを、そっと口にしたような響きだった。
「……ありがとう、2人とも。俺、本当に助けられてばっかりだな」
「まったくよ。もっと素直になってもいいのよ? でも、今後は私たちにだって、ちゃんと時間を作ること!」
リディアは頬を膨らませながらも、どこか嬉しそうに笑って、俺の肩をぽん、と叩いた。
「……あの、リディアさん。アリアさん。ほんとに、わたし……迷惑じゃないですか?」
「何言ってるの。こんなに真っ直ぐで、真面目で、一途な人が仲間になってくれたら、むしろ心強いわよ。ね、アリア?」
「ええ。私たちは“競争”じゃなくて、“家族”になるつもりなんだから。エルナさん、あなたもその一人だってこと、忘れないで」
その言葉に、エルナの目元がわずかに潤んだ。
「……はい。ありがとうございます。わたし……頑張ります」
エルナの声は震えていたが、そこには決意の強さも宿っていた。
そのとき、森を抜ける風が、4人の周囲を静かに撫でていった。
枝葉が揺れ、鳥たちが一斉に飛び立っていく――まるで祝福のように。
そして、俺たちは改めて歩き出す。
傷つき、迷いながらも、互いに手を取り合い、支え合って。
今この瞬間から、4人での旅が――新しい絆の形が、始まろうとしていた。
その後、一行は休憩を取りながら森の中を進み、目的地――森の北端にある“精霊の祠”を目指して再出発することにした。
そこには、森の魔力の流れを制御する何かがあると、エルナが感じ取っていた。
「この森は……ただ荒れているだけじゃない。根本的な何かが壊されてる」
「だから、祠まで行って確かめる必要がある。……だろ?」
エルナは小さく頷き、俺の隣に並んで歩き出した。
手はつながない。けれど、確かにあの夜から、距離は近くなっていた。
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(エルナ視点)
――私は、何をしてしまったのだろう。
夜の静寂に包まれた森の片隅。木々の影が濃く落ちる中で、小さな焚き火の名残が、わずかに赤く光を残していた。
風が葉を揺らす音と、遠くの梟の鳴き声。それ以外には何ひとつ音のない、孤独な夜の景色。
その傍に、私は膝を抱えて座っていた。
誰もいない。
誰の視線も、声も、今は届かない。
それなのに、胸の奥が締め付けられるように苦しくて、ひとりぼっちでいるはずなのに、誰かに見られているような――そんな不思議な感覚に囚われていた。
「……ユーリ」
そっと、その名前を口にしてみる。
聞こえるはずもない彼の名前。それなのに、言葉にした瞬間、胸の中にぽたりと何かが落ちた気がした。
暖かいような、痛いような、でも確かに、彼の存在を思い出させる何か。
響いたその音に、私は目を閉じる。
――彼と、二人きりだった夜。
誰にも邪魔されない、森の奥。雨に濡れて、寒さに震えて、彼の腕の中に身を寄せたあの夜。
焚き火のぬくもりと、彼の体温。
それが、世界でいちばん優しいもののように感じられた。
「……信じられない」
自分の唇から、自然にこぼれた言葉。
でも、それはきっと本心だった。
私は、彼に――ユーリに、キスをした。
自分から。
それも、確かな意思で。
その時の私は、震えていた。寒さでも恐怖でもなく、何かもっと別の感情に。
触れたいと思ってしまった。彼のあたたかさに、手を伸ばしたくなった。
そして……彼が、その想いを拒まなかったことが、なによりも嬉しかった。
彼の瞳は、真っ直ぐだった。
私の不安を否定するように、優しくて、強くて、ずっと見つめてくれた。
そして、私たちは――言葉では言い表せないほど深く、繋がった。
その一部始終が、今も身体に残っている。
指先の感触、肌のぬくもり、息が触れ合った瞬間。
痛みさえ、彼と共にあるなら愛おしくて。
心が満たされて、でも同時に、罪悪感のようなものも確かに芽生えていた。
「……私は、こんなことをしていい立場じゃないのに」
私は精霊族の姫。
それを公にしたことはないけれど、森と精霊たちを繋ぐ唯一の血を引く者。
それが、どれだけ危険な存在であるか、誰よりも私自身が知っている。
薬の素材として狙われ、村ごと焼かれ、家族も民もすべて失った。
そんな私が、今こうして生きていることさえ、もしかすると罪なのかもしれない。
だからこそ、誰かに寄りかかってはいけなかった。
感情に流されてはいけなかった。
――でも。
「……嬉しかった。とても、嬉しかったの……」
声に出すと、また胸が熱くなる。
彼の腕に抱かれた時の、あの安堵。
私という存在を怖がらず、重荷だと責めず、ただ“ひとりの私”として、抱きしめてくれたこと。
私は、ずっと誰かに認めてほしかったのかもしれない。
“姫”でも、“精霊族”でもなく、“エルナ”という一人の少女として、存在を肯定してほしかった。
そして彼は、それをしてくれた。
迷いながらも、私の手を取ってくれた。
その瞬間から、私は……変わってしまった。
「……また、触れたいって思ってしまう。ユーリに……」
口にして、怖くなる。
こんな感情は、いけないのに。
もっと強くあらねばならないのに。
民の未来を背負う身でありながら、私はたった一人の男の温もりに心を揺らしている。
「……ユーリの隣にいられるなら、それだけで、きっと私は――」
そこで言葉は詰まった。
胸の奥から、何かがこみ上げてくる。
自分でも知らなかったような、どうしようもない切なさが溢れ出し、ぽろりと一粒、涙が頬を伝った。
わかってる。この想いが、どんな未来を引き寄せるか。
彼の傍にいれば、きっとまた誰かが傷つく。
それでも、それでも――彼が笑ってくれるのなら、私は……
「……好き、なのかな」
その言葉が口をついた瞬間、自分の想いが、逃れようのないものだと知った。
恋。
この胸を満たすのは、ただの憧れなんかじゃない。
彼が遠くを見ていると寂しくて、彼が自分の名前を呼ぶと嬉しくて――
私は、ユーリが好き。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……戻れない、ね」
もう、彼を“ただの旅の仲間”として見ることはできない。
でも、後悔なんてしていない。
彼と出会えたこと。
彼に救われたこと。
彼に触れた夜――あの瞬間があったから、私は今ここにいる。
涙がまた一筋、頬を伝って落ちた。
けれど、その顔に浮かぶのは、静かな微笑だった。
「……ありがとう、ユーリ。私を見てくれて……私を、選んでくれて」
闇に包まれた森の奥、誰もいない夜のひととき。
けれど、彼のぬくもりは、今も私の心の中に残っている。
たとえこれから、どんな未来が待っていても。
私はもう、彼の隣にいる道を選ぶ。
――その想いだけは、誰にも奪わせない。




