精霊の森の中へ
夜が明け、柔らかな陽光が宿の窓から差し込んでいた。
小鳥のさえずりが、旅の始まりを優しく告げている。
「……ん……朝、ですね……」
アリアが最初に目を覚まし、隣で眠るユーリの肩に頬を寄せたまま、微笑を浮かべる。
その手は、夜の間ずっと彼の腕を包んでいた。
「うぅ……うるさい鳥ね……って、ん……ユーリ……?」
リディアもゆっくりと目を開けた。
寝ぼけながらも、ユーリの胸に顔を埋めるような格好になっていることに気づき、すぐに真っ赤になって跳ね起きた。
「な、ななななに寝ぼけてるのよ私っ! っていうか! アンタも! こっち寄ってきたでしょ絶対!」
「いや、俺は寝てただけで……」
「う、嘘よ! ……ま、まぁ……暖かかったから、許してあげるけど……」
照れたまま服を整えながら、リディアは目を逸らして急いで支度を始めた。
朝の空気は冷たく、しかし爽やかで、まるで新しい章が始まるのを告げるかのようだった。
三人は宿の食堂で朝食を取り、街の武具屋へと向かった。
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武具屋──《鋼の誇り》
「いらっしゃい、旅人さん。精霊の森へ行く人がいるって噂、聞いたよ」
武具屋の店主は筋骨たくましい中年の男。
彼はユーリたちを見ると、軽く目を細めた。
「変な気配が漂ってるらしいじゃない? 神聖な森なのに魔物が出るとも聞く……。
けど、俺が見た感じ、あんたらならやれるな」
「昨日来たばかりなのに噂の方が早いな……」
ユーリが苦笑すると、リディアが横から少し険しい顔で付け加えた。
「精霊の森って、本来は人を寄せ付けないほど神聖な場所よ。そこに魔物が逃げ出すって、相当の異常事態よね」
「うん。でも……だからこそ行かなきゃ。何が起きてるか確かめたい」
ユーリの瞳には、確かな意志が宿っていた。
「ほう。気に入った」
店主は満足げに笑い、いくつかの品を並べる。
「じゃあ、これはサービスだ。魔鉱石を仕込んだコンパス。それと──」
「やだ、何これ。けっこう良いモノじゃない」
店主が取り出した魔杖にリディアが目を輝かせた。
「そっちの嬢ちゃんも見る目あるな。気をつけて行きな。戻ってきたら、また土産話でも聞かせてくれよ」
「ありがとう、約束する」
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正午前、三人は街の北門に立っていた。
森までは半日の距離。途中にはいくつか小さな集落や祠がある。
「さあ、行きましょう、兄様!」
アリアが弾むような声で、ユーリの腕に寄り添う。
「気を抜かないでよね。あんたは無駄にモテるんだから……また変な女の子にぶつかってキスなんて、あり得ないでしょ?」
「いや、あれは事故で……」
「ふーん……まぁ、どうせこれから先、また女の子増えるんでしょ?」
「っ……リディア……」
「私も……アリアも、ちゃんと分かってる。アンタには“選ばれる”資格があるってこと。
でも、私たちはアンタの隣で、ちゃんと見ていたいの。……それだけよ」
「リディア……ありがとう」
「ふふ、お兄様……私も、リディアと同じです。ずっと……傍にいさせてくださいね」
──それぞれの想いを胸に、三人は森へと続く道を歩き出した。
乾いた風が旅の始まりを祝福するかのように吹き抜ける。
けれどその風の向こうには──誰も知らない、精霊の森の異変が静かに待っていた。
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夕暮れが差し始めた林道を、三人の影が細長く伸びていた。馬車は街に残し、精霊の森へは徒歩での移動となったが、不思議と足取りは軽かった。森の匂いが近づくにつれ、空気に淡い魔力の粒子が混じり始めていた。
「……ねえ、ユーリ。さっきの街の鍛冶屋の親父さん、ユーリの剣見た瞬間、変な声出してたよね」
リディアが軽く笑いながら言った。腰には新調した魔杖がぶら下がっている。
「ああ。精霊の森ってことで、こっちも全力で装備を創造してみたんだ、店主から見たら変な剣に見えたのかもしれない」
そう答えながら、ユーリがふと振り返ると、アリアが少し立ち止まっていた。
「……こうして旅をするのって、昔のことを思い出します」
「昔?」リディアが首をかしげる。
アリアは目を細めて空を見上げ、柔らかく笑った。
「私、子どもの頃……屋敷の裏庭で“騎士ごっこ”をしていました。兄の剣を借りて、こっそり真似をして……。もちろんすぐに見つかって、叱られましたけれど」
「え、あの兄さんって、あのエリオットよね? あんな堅物に見つかったらそりゃ怒るわよ……」
リディアがあきれたように笑い、アリアは肩をすくめる。
「兄は、“家の名”ばかりを重んじていましたの。女が剣を振るなど――と、軽蔑されていましたわ。何をしても兄の影がついて回って……。けれど、それでも……私、自分の手で誰かを守りたかったのです。剣で、戦うことで」
その瞳は、どこか遠くを見ていた。怒りや悲しみを超えた、静かな決意がそこにはあった。
「…アリアは守れるよ。それに俺も2人を守る。」
ユーリの言葉に、アリアの頬がほんの少し染まった。そして、そっと歩み寄り、彼の手を取る。
「ありがとうございます、お兄様。……私は、ただ守られるだけの女の子ではいたくありません。あなたの隣に立って、あなたを――支えたいのです」
「……フン。感動的なこと言っちゃってさ」
リディアがそっぽを向くが、その頬にはうっすらと赤みがさしていた。
「でもまあ、私だって魔法じゃ絶対に負けないんだから。ユーリに魔法で頼られるの、別に嫌いじゃないし」
「素直じゃないな。ありがとな、リディア」
「べ、別に褒められて嬉しいとか、そういうのじゃないから!」
言葉とは裏腹に、リディアの表情はどこか緩んでいた。
枝葉が揺れ、淡く光る小さな精霊の気配が、遠くから三人を歓迎するかのように漂っている。
新たな出会いと試練の気配を胸に――三人はその深き森の入り口を、ゆっくりと踏み越えた。
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踏み出した一歩目から、そこは別世界だった。
深緑の天蓋が空を覆い、差し込む光は葉の隙間をくぐって柔らかく地面を照らしている。風の音ひとつなく、空気は驚くほど澄んでいて、それだけで森が人の領域とは別の法則に従って存在していることを実感させた。
「……まるで、時間が止まってるみたい」
リディアが思わず呟く。彼女の魔力が周囲の気配と共鳴してか、指先に魔法光が淡く灯っていた。
「精霊の森って、ほんとにあったんですね……これだけ自然の魔力が濃いと、身体が軽く感じられます」
アリアも思わず息を呑むようにして辺りを見回していた。騎士の真似事をしていたとは思えぬほど、しとやかで静かな眼差しだったが、腰にはしっかりと細身の剣が備えられていた。
「……静かすぎるな。鳥の声も、虫の音も……ない」
ユーリが前を見据える。何かが違う。明らかに“異常”ではないが、“自然”でもない。
土の上を踏む音だけが耳に届く中、三人は言葉少なに進んでいく。
――ザッ。
突然、前を歩いていたアリアが足を止めた。
「……この地面、妙です。少し前に、誰かが通った痕跡がありますわ」
「足跡か?」ユーリが覗き込む。乾ききっていない苔の上に、確かに人の踏み跡のようなものがあった。
「でも、変ですよね……。この森って、基本的に人が立ち入らないって聞いたけど」
「うん。それに、獣道にしては踏み跡が一方向に偏ってる。逃げたか、追ったか……」
ユーリは周囲に視線を走らせながら、剣の柄に手を添える。
「――気をつけろ。これは……“戦った”後の空気だ」
辺りには微かに焦げたような、魔力の残滓が漂っていた。
それはごくわずかな違和感だ。だが、敏感な魔法使いであるリディアが、すぐにそれを察知した。
「……ここ、魔法が使われた痕跡がある。あんまり強いものじゃないけど、相当焦ってた感じ」
「精霊の暴走、じゃないですよね?」アリアの声が少しだけ緊張を帯びる。
ユーリは目を細め、ゆっくりと頷いた。
「わからない……けど、俺たちが想像してたより、森の中は穏やかじゃなさそうだ」
進むほどに、森は深くなる。木々は太く、根は地を這い、葉は風もないのにかすかに揺れていた。どこかで、誰かに見られているような気配がする。それでも姿はなく、ただ精霊の気配だけが漂っている。
「ユーリ……」リディアが小声で囁いた。
「……あんまり離れないで。私、こういう雰囲気、ちょっと……」
「大丈夫だ、リディア。絶対に守るよ」
ユーリが手を伸ばすと、リディアは照れたようにぷいっと顔を背けたが、しっかりとその手を握り返した。
「……な、何よ。ちょっと不安なだけなんだから」
「ふふっ、兄様、私にも……」
アリアが恥ずかしげに微笑むと、ユーリはそちらにも手を差し出した。
三人の手が、そっと重なった。
精霊の森の静寂の中で、確かにあたたかな絆がひとつ、またひとつと強まっていく。
だが、それは同時に、忍び寄る“異変”の前触れでもあった。
森の奥、目には見えない何かが静かに目覚めの時を待っていた――




