焦げたスカートと優しい嘘
その日の夜。ユーリは学園の食堂にも寄らず、重たい足取りのまま中庭へと向かっていた。
夕食の時間を過ぎ、校舎の喧騒が徐々に静まっていく中、月だけが白く辺りを照らしていた。夜風は思いのほか冷たく、制服の下からじわりと体温を奪っていく。それでもユーリは足を止めることなく、中庭の一角に設けられた訓練用の魔力標的の前に立った。
「……あんな失敗、二度と繰り返すわけにはいかない」
低くつぶやいた声が、ひんやりとした空気に吸い込まれていく。
自分の力の未熟さが、誰かを傷つけかけた。それが悔しかった。――何より、リディアを傷つけたことが、胸の奥で棘のように残っていた。
ユーリは懐から杖を取り出すと、標的に向かって静かに詠唱を始めた。
「……ライト・スパーク」
詠唱と同時に放たれた光球が、一直線に標的へ向かう。だが、速度と圧力にムラがあり、軌道がやや逸れていた。命中はしたものの、標的の縁をかすめただけだった。
「クソ……っ!」
悔しさが込み上げ、思わず歯を食いしばる。
再び魔力を練り、構えを整える。
「ライト・スパーク! ……ライト・スパーク!」
光の軌道は何度も放たれるが、安定しない。少し力を込めれば爆ぜ、抑えようとすれば届かない。
(俺の力は――常人のそれじゃない。制御が難しいなんて、わかってたはずなのに)
それでも諦められなかった。繰り返し詠唱を続けるうちに、制服の下は汗でじっとりと濡れ、息は荒くなっていた。それでも、彼は魔力が枯れるまで撃ち続けた。心が折れそうになっても、立ち止まらなかった。
その夜だけで終わるはずだった修練は、気づけば幾日にも渡って続いていた。
そして、ある夜のこと――
「ライト・スパーク! ……ライト・スパーク……!」
声が掠れ、魔力も尽きかけながら、それでも指先に力を込めた。
「……中々上手くいかないな……」
乾いた息を吐きながら標的を見つめたその時――ふいに、背後に誰かの気配が走った。
反射的に振り返ると、月影の中に立つひとつの人影。
淡い光に照らされたその髪は、まるで星屑を編んだように金色に揺れていた。
「……熱心なのね」
木陰から姿を現したのは、リディアだった。
普段のような堂々とした態度ではなく、どこか気まずそうに足を運んでくる。
「リディア……? どうしてここに……?」
「偶然通りかかっただけよ。……べ、別にあなたのことが気になって来たわけじゃないから」
リディアは腕を組んでそっぽを向いたが、その声音には確かな揺らぎがあった。
ユーリの額ににじむ汗と、何度も放たれた痕跡が残る標的。それらに彼女の視線が向けられていた。
「……さっきの魔力の流れ、詰まってたわ。――最初の集中はいい。でも最後で解放のバランスが崩れてる。少し、練習……付き合ってあげてもいいわよ」
呟くようにそう言った声は、思ったよりも柔らかかった。
「えっ……」
「だから、教えてあげるって言ってるの。……勘違いしないでよね? 次の授業でまたペアにされた時、私が損するのはごめんだから。……それとも、また私のスカートを焦がすつもりなのかしら?」
精一杯ツンとした態度を装っているが、その言い訳にはどこか無理があった。
ユーリはふっと力の抜けるような笑みを漏らす。
「ありがとう、リディア」
「っ、なっ……な、名前で呼ばないで!」
彼女は頬を赤く染め、ぷいっと背を向けた。だがその背中には、以前のような棘はなかった。
月明かりの下、金髪がふわりと揺れ、どこか優しく見えた。
その姿に、ユーリはそっと思う。
(この子……本当は、すごく優しいのかもしれない)
それはまだ、友情とも、何か特別な感情とも言い切れない、けれど確かな変化の始まりだった。
星空の下で交わされた言葉と沈黙。その夜、二人の距離はほんの少しだけ近づいたのだった。
<リディア視点>
リディアはここ数日、夜になるとなんとなく寮を出て、人気の少ない中庭の近くをふらりと歩くのが習慣になっていた。理由は……自分でも、よくわかっていない。
(別に、あいつが気になるとか、そういうのじゃないし)
口ではそう言いながらも、足は決まって同じ方向へ向いていた。
最初にそれを見かけたのは、本当に偶然だった。
授業での魔法暴走――自分のスカートを焦がされた、あの失敗の翌晩。リディアは、少しだけ気晴らしのつもりで外に出た。
そしたら――いた。
月明かりの中、石畳の上で一人、魔力標的に向かって魔法を放ち続ける姿。
何度も、何度も、詠唱し、構え、そして崩れる。全身汗だくで、息も絶え絶え。それでも彼は立ち上がって、また詠唱を始めた。
(……あれから、毎晩……)
リディアは、訓練場の柱の陰や、木立の影からそっとその様子を見守り続けた。
最初はただの偶然だった。けれど、翌日も、その翌日も……彼は変わらず、黙々と修練を続けていた。
(本当に、バカじゃないの)
何度そう思ったことか。
普通の魔術師なら、一度や二度の失敗で落ち込んで終わるところを――あいつは、まっすぐにその原因と向き合って、ひたすら努力していた。誰に見せるでもなく、誰に褒められるでもなく。あの失敗を、本気で悔いていた。
その背中を見ているうちに、リディアの胸の奥に何かがわずかに、じんわりと、広がっていくのを感じていた。
(……あいつ、本気で……)
そして今夜もまた、彼はいた。
杖を握りしめ、ボロボロになった標的に向かって、擦り切れた声で魔法を放ち続けていた。
その姿に、気づけばリディアの足は、木陰を出て前へと踏み出していた。
こんなこと、するつもりじゃなかったのに。
「……熱心なのね」
口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
ユーリが振り返り、自分の名を口にした時、どうしようもなく心臓が跳ねた。
「べ、別に、あなたのことが気になって来たわけじゃないから!」
思わず声を張って否定した。自分でも子供じみているとわかっていた。でも、そう言わずにはいられなかった。
――だって、本当に気になっていたから。
ユーリの額の汗も、焦げた標的も、何よりも、その努力の積み重ねが。
そして、自分のために、それをしてくれていることも……ちゃんと、わかっていた。
「……さっきの魔力の流れ、詰まってたわ。少し練習、付き合ってあげてもいいわよ」
精一杯、素っ気ない声を装って言う。
(あんたが……またスカート焦がしたら困るから、ってだけ。別に他意はない。ほんとに)
でも、心の中では、ほんの少しだけ違う思いが芽生えていた。
(……少し、話してみたいだけよ。ちゃんと、面と向かって)
ユーリの「ありがとう」の言葉に、顔が熱くなるのを感じた。
「な、名前で呼ばないで!」
思わず叫び、背を向ける。
けれど――その背中越しに感じた彼の笑顔に、なぜだか胸が少しだけあたたかくなった。
(ほんと、バカなんだから……)
でも、そんなバカなところも――ちょっとだけ、嫌いじゃない。
そう思えた夜だった。




