100.一介の弁当屋は穏やかな日々を願う
「エルリックー」
さらりと真っすぐに伸びたアッシュブルーの髪が揺れる。
エルリックと呼ばれた青年はその声の主に向かって、嬉しそうに茜色の瞳を細めて答える。
「はい。おばあ様」
季節はもうすぐ夏になる頃。
セリオン家ではうめ仕事と呼ばれる作業の季節がやってきた。
セリオン家の親族のほとんどが参加するこのうめ仕事はエルリックの高祖母が始めたことだと言われている。うめというのがぺスカを指す違う国の言語らしいく、梅仕事とはぺスカ干しを作るための作業なのである。
「エルリックは本当にお祖父様に似ているわね」
「僕、そんなにおばあさまのお祖父様に似ているの?」
「瞳の色はお祖母様譲り、髪と目元がお祖父様に本当にそっくり」
今のように写真があった時代ではないが、この国の発展に多大な影響力を与えたものとして教科書にも載るほど有名人の高祖父と高祖母の姿絵を思い出せる限り思い出してみる。高祖父であるエドワルドは当時のセリオン家の三男だったそうだ。アッシュブルーの髪と紫色の瞳、長身の美丈夫だったと伝え聞く。温和で鷹揚な性格だったが剣の腕と氷魔法に関しては当時最高峰であったとある。ちなみにエルリックも氷魔法は得意だ。
一方高祖母であるシズク・シノノメは謎が多い人物で、出身地などは不明だ。一緒に住んでいたとされるベルタ夫妻の娘ではないかという説もあったようだが、それは祖父母が否定している。
ただ、沢山の人に愛されていたようで市井のお針子の友人から高位貴族の友人まで謎が謎を呼ぶほど交友関係は広く、市井に職業訓練所と学校創立に尽力した高祖母の姉であるベルディエット、その生涯の伴侶でありドラゴン研究の第一人者と呼ばれた隣国リットラビア第四王子のシャイロン。ベルディエットとエドワルドの従妹のフェリス、そのフェリスと一緒になったのちの魔術師団団長でもあるサライアス家次男クレドとも仲が良く、なんと伝説と言われるユリシス歴代最高の魔法技師ロイとその伴侶であるこれまた類を見ない手腕の近衛騎士団団長アッシュとも懇意にしていたそうだ。
さらにファッション小物の第一人者で、シュシュの生みの親であるシュシュリカマリルエルや、ゴトフリー商会の初代会長、ユリシス最高峰と名高い作曲家アプリリス・フローレオ・フロース、さらにアウラ商会ともつながりがあったともされている。
子供が生まれてからは子育てに忙しい中熱烈なファンのために屋敷の近くで屋台を広げたという。熱烈なファンの中には当時の国王陛下と先帝陛下もいたとかいないとか……。
人脈に関しては今となっては多大な脚色されているとは思うが、高祖母であるシズクがメルカド・ユリシスで屋台を営み、今では普通に食べられているが昔は食べたりしなかったと言うメイスや米を広め、今のユリシスの食文化が世界最高峰と言われるきっかけとなった事は間違いない。何故ならば我が家で代々受け継がれている秘伝のメニューのどれもがその始まりのレシピにして一番旨いからである。
そんなシズク・シノノメノと近衛騎士団に所属していたエドワルドと、メルカド・ユリシスでヴォーノ・ボックスという弁当屋を営んでいたシズクと出会い、随分と熱烈なプロポーズの末に一緒になったのだとよく祖母に聞かされたものだ。
その祖母は自身の祖父であり、エルリックの高祖父であるエドワルドから直接その話を幼い頃から聞かされて育ったそうだ。
本人から話を聞くっていったいどれぐらい高祖母であるシズクの事が好きだったかなど、想像に難くない。
一日が終わりゆっくりと夜になる一歩手前、たまたま夜が明けて新たな一日が始まるような、夜と昼の境にあるような茜色の瞳煌めくエルリックに祖母に話しかける。
「今日はエルリックの成人のお祝いということは、あれに触って確認もする日ね。おばあ様が亡くなってからは誰も使えなくなってしまって……、開きそうな扉も一向に開かなくなってしまいましたからね」
エルリックは本日の誕生日で、成人を迎えた。
エドワルドから始まったセリオン家では、シズクの魔道具を使えるかどうかを成人の誕生日に試す。シズクの使っていた移動式の屋台は、物凄く特殊な魔道具らしくシズクが亡くなった後まったく動かなくなってしまったらしいのだ。
文字通り、ぴくりとも、その場所から。
どんなに屈強なものたちが動かそうとしても少しも動かないばかりか開くはずの扉も開かず、どうすることも出来ないのでその場所に雨除けを作り保管することにした。
絶対に動かしたいと言うわけではないが、開かなくなった扉の中に何があるのかという興味もあって、一族の子供が生まれた時に間違って壊してしまわないようにある程度の分別が付き判断も出来るようになる成人を待って、屋台を動かすことが出来るかどうかを検証するようになったのだった。
ただ、屋台自体は綺麗に掃除はしているがびた一文も動かない。
動かない屋台を保護するために建物の隣が庭の納屋の真隣りだったこともあり、屋台の保管小屋も若干物置になってしまっているのも否めないぐらいにはものがある。
「あら、ちょっとザルが足りなさそうね。エルリック、ザルを取って来てくれるかしら。納屋か隣の屋台の建物のどちらかにあったと思うわ」
「はーい」
ぺスカを干すためのザルが足りなくなってしまったようで、祖母からそう声をかけられたエルリックはまず納屋に向かった。ザルはなかったので、屋台の保管小屋に足を踏み入れた。
屋台に触るのは夕食が終わってから家族全員で……なのだが、パッと見なくとも探しているざるは屋台の上にしっかりと乗っている。
「うー、屋台自体に触らなければ平気かなー」
と近寄ったその時、少し蒸し暑いぐらいだった保管小屋の中の湿気が少なくなり、急に過ごしやすいように感じる。
ふと屋台に目をやると、うっすらと光っているように見えるが恐怖感はなく、エルリックは優しさに包み込まれるような安堵感に浸りながらも、ちょっとした好奇心にくすぐられる。
『ダメダメ、みんな、特にお祖母様とても楽しみにしてたから……』
屋台に触るのは家族が見守る中で、と代々決められているので屋台には手を触れずにザルだけを手に持ちその場を立ち去ろうとしたその時、ゴンっと何か重たいものが落ちる音がエルリックの耳に聞こえた。
どこからか落ちてきたのは本のようなもののように見える。
「えー……っと」
屋台のすぐ下、よく見ればその本は頑丈な鍵付きである。これまたどうするかは祖母次第だと触らずにそっと離れようと思ったのだが、思ったのだがこれは屋台本体ではない。ちょっとだけ、ちょっとだけ、本に触るだけ……。どうしても好奇心が押さえきれずに手にする。
「重たっ!!」
ガッチリとした鍵の部分には家紋などは何も刻まれておらず、氷の結晶とぺスカの花のような模様が寄り添うような形で刻まれている。本の部分にはあまり装飾はないが、とても高価そうな皮の背と表紙で劣化などは見られない。
そっと模様を手で撫でるように触るとかちりと錠が外れる音が聞こえた。
「あ、開いたから、俺、特に何もしてなくても開いたから!!」
誰がいるわけでもないが、何となく誰かに言い訳をしたくて何となく少し大きな声を出してしまったがもちろん誰も聞いている人はいない。
もう一度ドアが閉まっていることを確認し、小屋の中に誰もいない事を目視してからその本をエルリックはゆっくりと開く。
それは、日記のような自叙伝のようなものだった。
書いた人物は、高祖父であるエドワルド・アブソリュー・セリオンと刻まれている。
子供の頃の事は端折られて書かれていると言うのに、シズク・シノノメの名前が記されるようになった辺りからは随分と細かく鮮明に記録されている。街の警ら隊で働き始めた頃、シズクに出会った事。シズクがドラゴンと対峙した際、姉であるベルディエットをかばってか自らが傷を負った事。ロイやアッシュとの交流。リットラビア公国の第四王子であるシャイロ(シャイロン)とのドタバタや、ちょっと傲慢が過ぎる作曲家フロースとの出会い、いけすかないガイル・ゴトフリーや真面目な商会であるアウラ商会との繋がり、外部魔力がなかったため移動門を使う時は必ず晩年までシズクに自分が付き添った事。
赤い目の旅人であるドラゴンからの祝福を二人で受けたこと。
他にも事細かく丁寧な文字で書かれている。たまに赤い別の筆跡の文字で高祖母であるシズクがおそらく但し書きのような訂正の様なものを入れているのが微笑ましい。
「待ってくれ。これ、ひいひい爺さんのエドワルドが書いたって事ならとんでもないな。しかもシズクの注釈付き!? 世紀の発見じゃないか」
特に高祖母であるシズクに関しては謎が多く、あまり詳しい文献などがないのが現状だ。
それがいったいどうだ。まだ序盤しか読んでいないと言うのにこの本には本人たちの言葉で出会いから細かく書かれているではないか。読み進めればシズクの謎に迫ることも書いてあるかもしれない。
専門の研究者もいるほど人気のある高祖父も高祖母の波乱万丈の冒険譚が見つかったのだとエルリックは興奮を隠せない。
「あー、あー! あっっ!」
興奮してつい手が滑ってしまった。
本がするりと手から滑り落ち、反射的に離れてしまった本に手を伸ばす。
歴史的な本を落として傷つけてはいけないと、手を伸ばしたがそれでも足りない。
エルリックは氷魔法の他に風魔法も使えるが、優しい風を扱うことが苦手なので風魔法で本を守ることはあきらめて自分を滑り込ませて腹の辺りで受け止めた。
運動神経が良くて良かった、とほっと息をつく。
調子に乗って読んでいたので時間を取りすぎたと思いつつも、もうちょっとだけと腹の上で開いてあた一番最後のページにエルリックは目を走らせる。
今後この本を読める子孫が出た時には、まずは家族で読んで欲しい事と、この本はエドワルドが一人で作書いたと書いてある。
「エドワルドは秘密で書いてたつもりだけど、実はシズクには見つかってて添削されてるの、ちょっと抜けてて親近感」
さらに、奥付と呼ばれる最後の最後のページの一文が目が留まる。
そこには見たことのない文字のようなものが書かれていた。
さらに下に丁寧に今度はエドワルドの筆跡でこう書かれていた。
『一介の弁当屋は穏やかな日々を願う』
この本の存在を隠していたエドワルド。実は隠しているのを知っていてシズクはさらにこの本に愛ある添削していたこと。さらにシズクが最後に書いた謎の文字のようなものが書かれていたことを知ったのか、それをエドワルドがさらに訳すように書き足したのか。
「いやいや、とんでもないよ。本当にただの弁当屋じゃないって……」
世紀の大発見だ。家族で読んでと書いてあるが伝説級の人達の生活が垣間見れる貴重な資料だ。
あとでおばあ様に見せて、しかるべき研究機関に寄付して研究に役立ててもらうことがいいかもしれないと、先ほどまでは思っていたが、どうするかは本の内容を、エドワルドとシズクのありのままの物語を、家族みんなで感じてからでいいだろう。
「エルリック―?」
外から祖母がエルリックを呼んでいるのが聞こえた。
あとで家族全員で屋台に足を運んだ時、屋台が動くか動かないかは分からないが、この本だけは読めるのだ。祖母は懐かしい高祖父母の話を喜んでくれるだろうか。
「はーい! おばあ様、今行くよ」
本をそっと閉じでエルリックは屋台の上にその本をそっと置いて、外に出る。
「こりゃ、世紀の大発見だって言うのに門外不出だな……。はは! あははは!!」
今日のユリシスの空は青々と晴れ、太陽の日差しは優しい。
目を細めて空を見上げていたエルリックの先、青空の中を茜色の鳥と銀青の鳥が仲良く飛んでいるのが見えた。
茜色と銀青の羽が青い空を優雅にはらりはらりとエルリックの頭上で揺れながら舞い落ちてくる。
エルリックはその羽を包むように手に収め、二羽の鳥に大きく手を振った。 ―――完―――
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