十二
すたすたと室内に踏み込むと、書類を繰っている司令官に近づいた。上体を折り曲げ、顔を近づけ、何か囁いている。
司令官が顔を挙げ、億十郎に視線をやった。アイリータに頷くと、手を挙げ、億十郎を手招きした。
億十郎は、理恵太と共に、近づいた。司令官は億十郎を見上げ、鋭い目つきになった。
制服に書かれている番号は「5」とあった。つまり司令官五号というわけだ。
全身胆力の塊、といった印象である。静かに座っているだけだが、頭は寸刻も休まず、恐ろしい勢いで活動しているのが、表情からも窺えた。一瞬で、司令官は億十郎を評価したようだった。
両手を組み合わせ、静かに話し掛けた。
「なるほど……。アイリータ大尉から話は伺っている。私は司令の、マット大佐」
言い終わると、微かに笑った。
「大佐で司令官とは階級が低すぎると思われるかな? 私は、兵士たちの階級を、あまり重要視していないのでね。だから、この〝戦略大戦世界〟では、大佐が最も階級が高く、将軍クラスは存在しないのだよ。しかし大佐でも、ここでは司令官と呼ぶ決まりだ。最低でも准将でないと、司令官とは呼ばないのだがね。さて!」
椅子の背凭れに上体を預けた。ぎしっ、と微かな軋み音がする。
「何でも君の江戸仮想現実と、こちらの〝戦略大戦世界〟を繋ぐ関門ができてしまったようだね。私の推理では、そんな真似をするのは、こっちの誰か、と考えている。なぜか、という疑問は残るがね」
将軍の位が存在しないということを、なぜか司令官はひどくお気に召しているらしかった。口調は誇らしげで、満足が滲み出ている。
しかし億十郎にとって、将軍はただ一人、江戸城におわす征夷大将軍だけである。
司令官が話している間にも、背後の同じ司令官たちは、独楽鼠のように八面六臂の活動を続けている。
ちょっと顔を顰め、司令官は立ち上がった。
「ここでは詳しい話をするには、不適当だ。場所を替えよう!」
先に立ち、司令官は司令室に隣接する、私室らしき場所に案内した。ぱたりと扉を閉めると、司令室の喧騒はぴしゃりと遮断される。
私室は落ち着いた造りの、奥に長い部屋だった。四人掛けの椅子があって、向かい合わせになっている。
億十郎と理恵太が並んで座り、向かい合わせに司令官と、アイリータが座った。
「煙草はどうかね? ここは喫煙ができるようになっている。私は喫煙という悪習に染まっていてね、時々息抜きに、ここで一服するのだよ」
にやっと笑って、司令官は煙草を勧める。
億十郎は、懐から煙管を取り出した。
「拙者は、これで」
珍しげに、司令官は億十郎の煙管を見詰めた。億十郎が司令官から着火具を借り、煙管に火を点ける仕草を、じっと見詰める。
「なるほど。君が江戸仮想現実から来たという話は、本当らしいな。実は今でも、敵の策謀ではないかと、疑っているのだ。何しろ、別の仮想現実と接続するなど、信じられない事態だからね」
ぷっと億十郎は煙管を吹いて、灰を用意されている灰皿に落とし、懐に仕舞い込んだ。真っ直ぐ司令官を睨み、口を開いた。
「水戸天狗党の首領らしき男と、筑波山において手合わせを致した。中々、手強い相手で御座った。顔は、天狗の面を被っていたので判り申さぬが、確かに筑波山と、こちらの〝戦略大戦世界〟とは通路ができており申す」
億十郎は、自分が敵の諜者ではないかと非難されていると感じていた。怒りが、語尾を震えさせる。
司令官は「まあまあ」と両手を上げた。
「済まなかった。あらゆる可能性を考えるのが、私の役目でね」
億十郎は、指令官に疑問を呈した。
「お手前は、自分を何人も分身させ、司令官のお役目を勤めておられるようで御座るが、それで、不都合は起こりませぬのか?」
司令官はにっと笑った。
「皆、私と寸分たりとも違わない同一人物だからな。私自身、数年前に〝ロスト〟を決意したときも、不安はまったく感じなかったよ。お互い〝戦略大戦世界〟で戦闘指揮をする任務に、一命を捧げているからね」
億十郎は頭をゆるゆると振る。司令官は自信たっぷりであるが、億十郎には、それで何の問題も起きないとは、とても信じられない。
「各々の連絡は、どうするので御座る? 別々の命令が、同じ戦場に届いた場合は、混乱するのでは?」
「それは断固ない!」
司令官は断言した。
「皆、同じ思考、同じ作戦を展開している。同一戦場で、矛盾した命令が錯綜するなど、ありえない!」
隣の、アイリータが「ぷっ」と吹き出す。
司令官は、アイリータに怒りの視線を向けた。
「何が可笑しい!」
アイリータは両手を挙げ、首を振った。
「あたしがF22で江戸仮想現実に転移したときの記録を調べていたのですが、まさに億十郎さんの指摘したような状況でした。あたしが受けた指令は、十七号司令から受けたもので、敵基地偵察命令でした。ですが、後で指令記録を調べると、二十六号司令は直前に命令を変更していました」
「何いっ!」
司令官は絶叫していた。
「そんな、馬鹿な……」
立ち上がり、私室の電話を取り上げた。
「俺だ! 五号司令官だ! 二十六号司令の居所を知りたい。何っ、第四指揮所にいるのか? よしっ、今から直ちに連絡を取れ! こちらの司令室の映話で面会する」
慌しく私室から司令室へと走ってゆく。億十郎たちは、五号司令官の後を追った。
司令室に飛び込んだ五号司令官は、他の司令官たちに喚く。
「大変だ! たった今、知ったのだが、二十六号司令官が、妙な指令を出したらしい」
「何だと?」
残りの司令官は、一斉に吠えた。
五号司令官は、司令室の一角に指を突き立てる。
「今、映話を繋げている!」
億十郎が五号司令官の指先を見ると、天井からギヤマンの板が下がっている。見ていると、板が光り出して、画像が浮かび上がった。
億十郎は、初めて見る光景に、立ち竦んだ。
俄かに浮かび上がった知識により、映像を伴った連絡法であると知る。
映話装置に浮かび上がったのは、他の司令官と寸分違わぬ、二十六号司令官の姿であった。
二十六号司令官の姿を見て、億十郎は「あっ」と叫び声を上げていた。
五号司令官は、億十郎の反応に不審の表情を浮かべる。
億十郎は、たった今、判った。
筑波山で、億十郎と戦った相手は、二十六号司令官だったのである。
なぜなら、画面に映った司令官の右手親指は、ぐるぐる巻きにされた包帯に包まれていたのだ。