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電脳八州廻り~大黒億十郎の探索~  作者: 万卜人
第九回 【遊客】能力発現の巻
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 水戸家の屋敷は、水道橋近く根津権現に隣接し、加賀中納言と、小笠原信濃守に挟まれている。さすが御三家の一つであり、敷地は広大である。

 億十郎は不忍池からぶらぶらと、根津門前町を左に折れ、水戸屋敷を目指した。

 手には『大日本史』を包んだ荷物を持っている。霊雲寺に差し掛かったところで、億十郎の足が、ぴたりと止まった。

「そろそろ、出て来ても良い頃合じゃないのか?」

 億十郎の呟きに、背後から「へへっ」という軽々しい笑い声が漏れた。

 振り返ると、九八の平太が、小腰を屈め、頭を掻いている。

「旦那には敵わねえ! 何でも、お見通しでござんすねえ!」

 踊るような足取りで、近づいてくる。ちょっと伸び上がるような動きで、億十郎が抱えている包みを指さした。

「そいつは、何でやす?」

「『大日本史』だ。お前が欲しがっていたものだ」

 一瞬、平太の顔に緊張が走った。が、すぐに、拭ったように下卑た表情に戻る。

「仰る意味が、判りませんがね」

「俺には判っているさ。鴉!」

 今度は平太は、表情を変えなかった。俯き加減になり、上目遣いになる。そろそろと、両足が背後を探って、いつでも逃げ出せる構えだ。

「お前が鴉、だな?」

 億十郎はおっ被せた。

 ニッタリと、平太の顔に、ふてぶてしい笑いが浮かぶ。腰が伸び、背筋を反らして平太──鴉──は頷いた。

「ああ、お察しの通り、俺が鴉だ。いつ気付いた……。ああ、そうか! この前、南町の岡崎が、あんたの家を訪ねたらしいな。その時に、俺の正体を知ったのか」

 瞬時に、平太は変貌を遂げていた。どことなく、一本か二本ぐらい抜けたような間抜け面は、経験豊かな隠密の顔に席を譲っていた。両目が油断なく動き、億十郎の変化に対応している。

 もう平太とは呼べない。ここには、忍者の鴉だけが存在していた。

 億十郎は、この場で居合い抜きをしたらどうなるかな、と考えていた。

 ぱっと、鴉が右の手の平を挙げた。

「おっと! 馬鹿な考えは止しにしやしょう! あんたは強い。だが、それも剣術だけの話だ。忍術と、剣術は目的が違う。勝負など、阿呆らしい……」

 恐れ入った。一瞬の、億十郎の闘気を、鴉は察知したのだ。

「剣術と、忍術は、どう違うのだ?」

「剣術は、相手を倒すのが目的だ。忍術は、逃げるのが目的さ。どんな卑怯な手を使っても、生き延びる。あんたが抜き打ちを仕掛けた瞬間、俺は……」

 と、鴉はいきなり地面を爪先で蹴った。ぱっと砂煙が立ち、億十郎の視界を奪った。

 はっと億十郎が辺りを見回すと、鴉の姿は、どこにもなかった。

 ──これ、この通り。姿を晦ます……。

 鴉の声は、水戸屋敷の塀向こうから聞こえてくる。しかし気配は、寺の塀から伸びている、一本の老松から発していた。

 億十郎は無言で、刀の柄から小柄こづかを抜き取ると、発止とばかりに投げつけた。

 活っ! とばかりに、小柄が老松おいまつの幹に突き刺さった。と、影が老松からさっと空中に飛び出し、塀の屋根に飛び移る。

 鴉だった。

 屋根に片足を載せ、鴉は苦々しい顔つきになっていた。

「あんたには、俺の気配が判るらしいな。さすが【遊客】の血を受け継ぐだけはある」

 口調には、僅かに悔しさが滲んでいる。億十郎は鴉の言葉に、立ち竦んだ。

「拙者が【遊客】の血を引くと、なぜ判った?」

 鴉は薄く笑った。

「判るさ。【遊客】は【遊客】同士、お互いの存在を察し合う。俺が【遊客】の力に目覚めた時、最初に感じたのは【遊客】の気配だった。その内、あんたのように【遊客】の血を引く人間も、判別できるようになった。最初に見たときから、あんたは【遊客】の血を引くと悟っていたよ」

 億十郎は叫んでいた。

「それでは教えてくれ! 拙者が【遊客】の力に覚醒するためには、何が必要なのだ?」

 鴉は、ゆっくりと首を振った。

「それは、判らん。目覚める切っ掛けは、人それぞれだ。俺は、その中でもかなり珍しい例で、最初に目覚めたのは、子供の頃だった。眠っている間に、目覚めたのだ。だから、参考にならん。以来、俺は水戸家中で、忍びとして生きている」

 鴉はちらっと、億十郎の抱えている包みに目をやった。

「さあ、億十郎。その包みを俺によこせ! 最初からの約束ではないか!」

「判った」

 億十郎は短く答え、ゆっくりと水戸屋敷に歩み寄ると、包みを塀の側に置いた。さっと離れ、鴉に向き直る。

 鴉は最早、どこにもいなかった。いつの間にか、姿を消していた。

 慌てて地面に置いた包みを見ると、やはり包みは消え失せていた。玄妙とさえ言える。鴉の手際であった。

 億十郎は、微かに敗北感を感じていた。


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