九
自宅に戻ると、意外な人物が億十郎を待っていた。
「今、帰った!」と奥に声を掛けると、源三が顔を出し「お客様がお待ちで御座います」と上がり框に片膝をつく。
「客? 誰だ」
源三は真剣な表情であった。
「へい、南町定町廻り同心。岡崎様と仰る方で御座います」
源三の返事に、億十郎は無言で上がり込む。
そのまま、急いで客間へと移動した。後から源三がひそひそと付き従った。両刀を抜くと、源三に手渡す。源三は億十郎の左後ろに位置を取った。もし、相手が抜き打ちを仕掛けても、すぐ刀を取れる用心である。
客間は六畳敷きで、粗末ながら床の間もあり、源三が江戸に戻るたび丹念に掃除しているので、塵一つない。もっとも億十郎は、滅多に使用しないので、汚れる機会そのものが皆無であるが。
縁側近くに、一人の武士が端座していた。年齢は三十代半ば、億十郎よりは少し年上と見えた。着流しに、髷は「八丁堀銀杏」で、黒の羽織と一見して判る姿である。
顔はまん丸で、福々しいが、身体つきは意外と痩せている。どことなく、春の風に吹かれているような茫洋とした表情である。
「お待たせ致した。大黒億十郎で御座る」
対面して座ると、岡崎は「あいや!」と軽々しく手を振った。
「いきなり押し掛け、申し訳御座らん。本来なら、小者などに手紙を申しつけ、用件を伺うのが礼儀で御座るが、ちと急ぎの御用これあり、無礼を承知で参上仕った。南町定町廻り同心。岡崎俊介で御座る」
すらすらと詫びを言上する岡崎に、億十郎は「油断がならぬ」と心中で密かに構えていた。
岡崎と名乗る同心の顔つきは、いかにも一本どこか抜けたように茫洋としている。
だが、仮にも南町同心を拝命している相手である。茫洋とした表情で、相手を油断させる策だと思っていた。
そう言えば、岡崎は単身で来ている。同心なら手先の一人や二人、同道していそうなものだが、急ぎの用があるというのは、本当なのだろう。
源三は一礼して、茶の用意に厨へ歩いてゆく。
億十郎は煩雑な時候の挨拶など抜きにして、すぐに本題に入った。
「それで、御用と仰るのは?」
岡崎の目が、きらりと光った。岡崎の目の光に、億十郎は相手の本性を垣間見た気がした。
「目黒富士における、娘たちの失踪について、で御座る。拙者の耳にするところでは、大黒殿は筑波山で、水戸天狗党と接触したかに、聞き及びますが?」
「ほほお……」
億十郎は一息ついて、岡崎を見詰め返した。
その時、源三が盆を掲げて縁側に膝をついた。盆には、湯呑みが載せられている。
「茶で御座います」
するすると動いて、億十郎と岡崎の前に湯呑みを置く。そのまま盆を膝前に抱えて、一礼して去って行く。
そのため、億十郎は考えを纏める時間が取れた。相変わらず、源三は心得きっている。
わざと時間を掛け、億十郎は一服すると、湯呑みを畳に置いた。
「岡崎氏のお聞き及びになったのは、本当で御座る。確かに拙者は、筑波山において、水戸天狗党と名乗る集団と、顔を合わせて御座る。が、その仔細は、お手前の手先である九八の平太なる者よりお聞き及びと存ずるが?」
億十郎の返事に、岡崎は眉を顰めた。
「九八の平太? そのような小者。拙者には覚えが御座らんぞ!」
「何と!」
億十郎は目を瞠った。




