四
どで! と引っくり返った芸者の吉奴は、天を仰いでふごーっ! ふごーっ! と恐ろしいほどの苦悶の呼吸音を立てている。
「く……苦しいっ!」
二郎三郎は「処置なし」と言いたそうに、何度も首を振って声を上げた。
「握り飯を百個も食ったんだ。平気なはず、あるまい。ま、自業自得だな!」
吉奴は二郎三郎の声が聞こえていないのか、うーっ、うーっと唸っているばかりだ。
ひょい、と首を動かし、二郎三郎は億十郎たちを見やった。眉がぴくりと持ち上がり、唇の端が持ち上がって、皮肉そうな笑みを浮かべる。
「よお! そこにいるのは、八州廻りの大黒億十郎じゃねえか! 珍しいな。何か俺に、用があるのかね?」
億十郎は会釈して口を開いた。
「はい。拙者、二郎三郎殿にお頼み申し上げたき儀あり、参上仕りました」
ちょっと間をおいて、口を開く。
「頼みごとについては、以前に書状をお出ししたはずですが?」
二郎三郎は、くしゃっと顔を笑いに歪めた。
「怖いなあ……。俺に何を頼みたいのだ? 待て!」
軽く右手を挙げ、やっこらしょと立ち上がる。
「立ち話もなんだ。場所を替えよう」
顎をしゃくり、億十郎に向かって「上がれ」と命ずる。億十郎は、源三と理恵太を促して、本堂に上がり込んだ。
本堂の床には、界撰和尚と吉奴の二人が、浅瀬に打ち上げられた鯨よろしく、苦しそうにのた打ち回っている。億十郎は二郎三郎に尋ねた。
「このお二人、医者を呼ばなくても、よろしいのか?」
二郎三郎は冷厳な顔つきで二人を見下ろし、肩を竦めた。
「心配ない! 二人とも、こんな馬鹿な真似、毎度のことだ。ま、半日も放っておけば、元に戻る。大食らいなど、自慢にもならねえ!」
どすどすと足音を立て、奥へと歩き出す。
「全く、雑用が多くて敵わねえ! 書状だと? そんなの、忘れちまっているよ。おい、こっちだ!」
案内されたのは、住職の私室らしき部屋だった。八畳敷きの部屋で、家具らしきものはほとんどなく、簡素な部屋だ。
どかりと窓側に座り込んだ二郎三郎は、ぱんぱんと手を叩く。すぐに答があって、からりと障子が開いて、縁側に小僧が膝をついた。
「俺は億十郎と話があるからな。しばらく、界撰の部屋を借りるぞ! あと、茶を用意せよ!」
小僧は「へーい!」と返事をすると頭を下げ、立ち上がる。二郎三郎は慌てて「それから、茶菓子もな!」と言い添えた。
億十郎たちは、二郎三郎と向かい合う位置に、それぞれ座り込む。二郎三郎に、億十郎は理恵太を紹介した。
「理恵太殿と申される。実は──」
二郎三郎は、目の前に座った理恵太を見て、微かに笑った。
「そっちのお嬢さんは、どうやら【遊客】のようだ。さては、億十郎の頼みってぇのは、娘さんに関係あるのかね?」
億十郎は無言で頷いた。さすが【遊客】同士、即座に見抜いたのだ。
理恵太は「虚ろ舟」の記録箱を取り出すと、二郎三郎の目の前に、ぴしゃりと叩きつけるように置いた。
「これを解析して貰いたいのです! F22ラプターの、フライト・レコーダーです」
理恵太は挑戦的な目付きで、二郎三郎を睨みつけた。興奮で、頬が赤い。
二郎三郎は問い掛けるような表情になると、右の眉をくいっと持ち上げた。
「そいつぁ……確か、アメリカ空軍の戦闘機だな。二十一世紀のクラシック戦闘機たあ、豪儀じゃねえかい! なーるほど。あんた、もしかして〝戦略大戦世界〟から来なすったのかね?」
理恵太は昂然と顔を上げた。
「あたしの戦闘機です! 今は千葉の……いえ、ここでは上総国というのでしたね。袖ヶ浦海岸に不時着したままになっています。なぜあたしが、〝戦略大戦世界〟からここ、江戸世界に漂着したか、江戸世界のどの座標に、世界の裂け目があるか、フライト・レコーダーを解析すれば、判明すると思うのです」




