二
目にも止まらぬ素早さで、界撰和尚と芸者の吉奴は、手にした握り飯をぐわっと開けた大口に放り込む。ぱくりと唇が閉じると同時に、ごくりと喉が動いた。
もう、飲み込んでいる。咀嚼する余裕すらなかった。
飲み込んですぐに、次の握り飯に手が伸びた。ここまでは、二人とも全く同時であった。
ぱくり! ごくり! ぱくり! ごくり! と、二人とも拍子を計っているかのように、次々と握り飯を口に入れてゆく。見る見る皿に盛られた握り飯の山が低くなってゆく。
とうとう、皿が空になった。
「次!」
二郎三郎が叫ぶ。
叫び声に応じ、奥からどたばたと足音を響かせ、握り飯を山盛りにした皿を抱えた小僧たちが現われた。
あたふたと二人の中間に握り飯の山を置いて、空になった皿を抱えて消えた。和尚と吉奴は、次の皿が来るのを待ちかね、床に置かれると、すぐに手を伸ばす。
「すげえ……!」
源三が感嘆の声を上げていた。
億十郎を見上げ、首を振りながら呟いた。
「あっしは、江戸の町で、何度か大飯食らいや、大酒呑み勝負を見てきましたが、今度という今度は心底、魂消ましたな!」
億十郎は、源三の感想に正直、頷いた。
江戸の町では何度か、華美、贅沢を禁じる禁令が出されている。その中に、大食競争などの、食べ物を粗末に扱う催し物も含まれていたと記憶する。
しかし、その種の禁令は、江戸の町人は一切、気にしなかった。どんなに禁令が出されても、結局は、なし崩しになるのが判りきっているからだ。
その種の禁令は俗に「三日発布」と呼ばれ、町人は「ああ、そんなのがあったな」くらいの感想しか持たない。
何しろ南北両町奉行に所属する与力、同心を合わせて二百人もおらず、その人数で江戸百万の人間を総て監視するなど、不可能である。言わば、それらの禁令は幕府の愚痴のようなものである。
ただ、言い掛かりをつけられる危険があるので、表面上は着物の柄を地味に見せかけ、その実、極めて手の込んだ模様にするとか、見えない部分に金を掛けるなどの【粋】を誇ったりする程度である。
実際、贅沢禁止令を忠実に守っているのは武士だけだ。というより、贅沢をするほどの収入がないという絶対的な理由が大きい。
江戸では、人の上に立つ人間ほど格式貧乏、という逆説が成立していた。
億十郎は勝負から目を離し、空を見上げた。
秋の空は変わり易い。いつの間にか、上空にはどんよりとした雲が覆っていた。
雨になるかもしれんな……。
ふと、そんな予感を憶えた。
「和尚っ! 負けるなっ!」
「吉奴っ! お前には百文賭けてるんだぞっ! 頑張れっ!」
口々に声援が巻き起こる。それまで黙りこくっていた見物人が、白熱した勝負に興奮を隠せなくなったのだ。
わあわあという大歓声の中、界撰和尚と吉奴は黙々と、握り飯を口の中に押し込んでゆく。
二人とも、顔中からだらだらと大汗を掻いていた。特に界撰和尚は酷い。滝のように大汗を掻き、袈裟はびっしょりと濡れている。
吉奴のほうは……。これもまた、和尚に負けず劣らず酷い有様だ。
巨大な顔面に塗りたくった白粉が汗で流れ、さらに真っ赤に塗り込んだ口紅が流れて、縞模様になっている。
最初の目にも止まらぬ、素早い動きはなくなり、大儀そうに手を伸ばし、あんぐりと大口を開けて握り飯を無理矢理ぐいぐい、力任せに押し込んでいる。
「もう、どれほどの数を食べたかな?」
「ええと……。二人とも、八十は越えたはずで御座いますな」
源三は、意外と冷静に数えていたらしい。
「百は、行くかな?」
幾らなんでも、無理だと億十郎は思っていた。
しかし二人は、ぜいぜい、はあはあと苦しい息をしながらも、握り飯を掴む手は止まらなかった。お互いを仇敵のように睨みながらも、意地になって食い続ける。
その時、強風が吹きつけた。
轟っ、と地鳴りのように大風が吹きぬけ、本堂の横に立つ、銀杏の木を揺らす。
びかっ! と一瞬の稲光が、本堂に正座する二人の姿を青白く浮かび上がらせる。
ごろごろごろ……。遠くから聞こえる雷に、見物人は不安そうに顔を見合わせた。




