一
億十郎が懇意にしている【遊客】は、品川成覚寺側の、通称【のたくり長屋】に住まいを持っている。
大金を持っている【遊客】が、貧乏人が身を寄せ合うようにして住んでいる裏長屋に居を構えるとは、実に酔狂な人物である。
翌日、億十郎は、理恵太と源三を伴い、相手の住まいを訪ねたが、生憎と留守だった。
億十郎がどうしようかと首を捻っていると、隣の腰高障子が開き、前掛けをした小男が顔を出した。何か細工仕事をしていたのか、前掛けには、細かな木屑がついている。
小男の手足は細いが、指先は太く、がっしりとしている。節くれだった職人の指先だった。多分、居職の、飾職人か、何かであろう。
「旦那は、留守ですよ!」
目が近いのか、しげしげと億十郎の全身を眺めると、ちょっと照れたような笑いを浮かべる。
「あのう……伊呂波の旦那をお訪ねで?」
口調が改まる。億十郎が侍なので、態度を変えたのだ。億十郎は頷いた。
「左様。二郎三郎殿は、いずこへ他行なさったのかな?」
小男は、ぴょこりと首を下げ、項に手をやった。
「へい! 旦那なら、成覚寺にお出かけで」
億十郎は頷いた。
「そうか、それなら、寺へ参ろう。世話になった!」
長屋をゆっくりと歩き出す億十郎に、理恵太は話し掛けた。
「億十郎さんの訪ねた相手って、どんな相手? やっぱり【遊客】?」
億十郎は理恵太の問いに答えてやる。
「左様。お名前は、鞍家二郎三郎殿と仰る。もちろん【遊客】で御座るが、【遊客】は【遊客】でも、このお江戸を開闢なされた、創設者のお一人で御座る」
理恵太は目玉を、ぐりぐりと動かす。
「創設者って、どんな意味よ?」
「言葉の意味通りで御座る。拙者も詳細は知り申さぬが、何でも、この江戸を創設した【遊客】の方々がおられて、鞍家殿は、そのお一人だという話で御座った」
「へえ……」
理恵太は、すっかり感心している。ついで、思い出したように質問した。
「でも、何で隣の男の人は、伊呂波の旦那って呼んでいたの? 仇名か、何か?」
「まあ、そのようなもので御座るな。伊呂波の旦那という通称の謂れは、御本人にお会いなされれば、判明いたすで御座ろう」
億十郎は、わざとぼやかした答え方をした。億十郎の顔つきに、からかっている色を見て、理恵太はちょっと気分を害したようだった。
長屋を出て、少し歩くと成覚寺である。成覚寺の前には、なぜか沢山の人々が集まり、物見高い様子で本堂を覗き込んでいる。
「これは……」
億十郎が絶句すると、源三が後を引き取る。
「何かのお祭りで御座いますかな?」
億十郎と源三は顔を見合わせた。祭りにしては、妙に静かである。億十郎は目の前の人だかりに近づき、伸び上がっている町人に声を掛けた。
「少し尋ねたいが」
「何でえ?」
振り返った若い町人は、声を掛けてきたのが六尺豊かな身体つきの武士だと悟って、慌てて態度を改めた。
「何か、お尋ねで御座いますか? お武家様」
「成覚寺で何があるのだ? 祭礼でもあるのか?」
億十郎の質問に、町人はニヤリと笑い返した。
「とんでも御座いません! ああ、でもお祭りみたいなものか……。いや、今から大変な勝負が始まるんでござんすよ!」
「勝負? 聞き捨てならぬな!」
俄かに好奇心が刺激され、億十郎は本堂に目を向けた。億十郎の頭は、群衆から一つ分、確実に上に出ている。少し伸び上がれば、覗き込めた。
成覚寺の本堂では、二人の人物が向かい合い、正座をしていた。
一人は袈裟姿の僧侶である。がっしりとした身体つきで、頭がひどく大きい。剃り上げた頭からは、汗掻きらしく、大量の汗粒が噴き出していた。
対するもう一人は、僧侶に負けず劣らず巨体の──何と、芸者であった。巨大な島田髷に、これでもかと簪、笄、櫛が差し込まれ、将棋盤のような珍妙な顔には、こってりと白粉が塗りたくられている。
二人の真ん中には、直径三尺はありそうな丹塗りの皿が置かれ、皿には山盛りの握り飯が盛られていた。
二人を見守るように、一人の武士が間に座っている。月代は剃らず、蓬髪に髷を乗せていた。顔は馬のように長く、唇が分厚く、横に広い。
理恵太が人込みを掻き分け、無理矢理ぐいぐい前へ身体を捻じ込んでくる。真ん中の侍の姿を目にし、億十郎を振り返った。
「あれが、伊呂波の旦那?」
億十郎は無言で頷いた。億十郎を見上げた理恵太は、ゆっくりと顎を引いた。
「なるほど、伊呂波の謂れが判ったわ!」
ちょっと笑った。
なぜ〝伊呂波の旦那〟かと言うと、座っている侍の着物の柄であった。
黒地に、白抜きで、伊呂波四十八文字が一面に描かれている。それで〝伊呂波の旦那〟と、知り合いには呼ばれているのだ。
億十郎が、今から訪ねようとした【遊客】で、名は鞍家二郎三郎である。
鞍家二郎三郎は、少し姿勢を正すと、口を開き、大声を上げた。
「では、これより成覚寺住職、界撰和尚! 対するは、品川宿芸者吉奴の二人による、握り飯の大食らい勝負を始める! 双方とも、正々堂々と戦い、後にいかなる遺恨も残さぬのを、誓うか?」
吉奴と、界撰住職は、二郎三郎の声に、同時に頷き「誓う!」と叫んだ。
億十郎が声を掛けた町人が、尋ねられる前に解説を始めた。結構、話好きらしい。
「あそこに座っている界撰って坊主と、あの化け物みたいな芸者の吉奴が、握り飯なら百個は食えると何かの拍子に言い出しましてね。お互い、自分が江戸随一の大飯食らいだと自慢し合って、引っ込みがつかなくなっちまったんで。真ん中に座っている、伊呂波の旦那ってお侍が、二人の争いを仲裁する羽目になって、この勝負に審判役をお引き受けなすったんで」
億十郎は呆れた。
「それで、勝負か? 大飯食らいの?」
町人は頷き、声を潜めた。
「二人のどちらが勝つか、今、賭けているんで。旦那は、どっちに乗りなさいますか? 良かったら、あっしが請けますがね?」
町人は、ニヤニヤと笑いながら、億十郎を見上げた。話し好きかと思ったら、賭けを申し出るためだったらしい。
億十郎は、ぶすりと不機嫌に答えた。
「拙者はこれでもお上の御用を勤める、関東取締出役である。賭け事は、お上がきつく禁じる御法度である! であるから、拙者はお主の言葉を聞かなかったことにする。二度と、賭けなどと言わぬようにな!」
「へえ……これは失礼しやした!」
町人は恐縮した。
二郎三郎は宣言した。
「では、只今より勝負を開始する! 各々、食らいたまえ!」
どーん、と大太鼓の音が鳴り響いた。向かい合う二人は、ぐっと身を乗り出し、真ん中に盛られている握り飯の山に手を伸ばした。
大飯食らい勝負が始まった!




