第33話 第三者視点:Sr.ヒスリック(5/7)
あの日以来。
私はアクジョレーテを避けるようになっていた。
正しくは、逃げた。
彼女の事が怖くなってしまったのだ。
あの時の顔が忘れられない。
あの時の声が忘れられない。
あれは私の知るアクジョレーテではなかった。
だからこそ。
彼に相談しなければいけないと思った。
「ナナシュタイザー様、よろしいでしょうか?」
私は勇気を振り絞って彼を呼び止めた。
今ではめっきり会話も減ってしまった。
名前だって呼ばれていない。
デートだって出来ていない。
それでも。
私が誰よりも信頼しているのは彼だった。
「どうしました?」
振り返った彼の目を見て、私は息を飲み込んだ。
昏く、濁った目。
前に見た、シュクリーム殿下と同じ。
いつもの優しい微笑みのはずなのに。
いつもの柔和な声のはずなのに。
その目が怖い。
……違う、大丈夫。
きっと彼ならわかってくれる。
「アクジョレーテさんの事なのですが──」
その瞬間、彼の表情が変わった。
「いい加減にして下さい」
冷たい。
あまりにも冷たい声だった。
「──ぇ?」
「ヒスリック、何故そんなにもアクジョレーテを敵視するのですか?」
言葉を失う。
私が、彼女を……?
「て、敵視などしておりません!」
モノクルの奥の瞳が私を見る。
まるで私を責め立てるように。
「彼女は平民です」
「……はい」
「慣れない環境で必死に頑張っています」
「…………それも知っています」
「ならば、何故彼女を追い詰めるような真似をするのですか?」
理解出来なかった。
何故そんな話になるのか。
「私はただ──」
「ヒスリック」
ナナシュタイザー様が、私の名を呼ぶ。
久しぶりに名前を呼んでもらえたのに。
胸が苦しい。
「少し、見損ないました」
世界が、止まった。
「ナナシュタイザー、様……」
「貴女はもっと聡明な女性だと思っていました」
視界が滲む。
「貴女は彼女が気に入らないから排除したいだけだ」
「違いますッ!」
思わず声を荒げる。
違う。
違う。
違う。
「私はただ」
言葉が続かない。
彼に、私の言葉が届かない。
「……失礼します」
彼はそれだけ言うと足早に去っていった。
振り返りもせず、気にもとめず。
私はその場に立ち尽くす事しか出来なかった。
彼の遠退く背中を見つめる事しか出来なかった。
苦しい。
悲しい。
辛い。
でも、それでも。
「違うんです……」
私は彼を信じたかった。
きっと誤解だと。
きっと一時的なものだと。
きっと元の関係に戻るのだと。
そう思わなければ。
立っていられなかった。
──その日を境に。
私は彼に近づく事さえ出来なくなった。
ほとんど会話もなくなって。
視線が合う事もなくなって。
デートのお誘いもなくなって。
気づけば彼の隣は。
アクジョレーテの席になっていた。
「またアクジョレーテさんですの?」
エリザベス様が疲れ切った顔で言う。
「はい。昨日もです」
アントンコリン様も辟易した顔で言う。
「最近では人目も気にしなくなりましたわね」
「周囲も噂しておりますね」
学園中に広がる噂。
『王太子は平民の娘に夢中』
『高位貴族の令息達が平民の少女を囲っている』
『婚約者達は捨てられるらしい』
誰も彼もが噂していた。
神童達の醜聞を。
婚約者達の悲惨さを。
それでも誰も止められない。
国王陛下でさえ、アクジョレーテを気に入ってしまったのだから。
世界が歪んでいく。
世界が軋んでいく。
私達はもう、ただ見ている事しか出来なかった。
私にとって、忘れられない運命の日が訪れた。
年に一度の舞踏会。
本来なら私は婚約者であるナナシュタイザー様にエスコートされて会場へ入るはずだった。
けれど。
「……来ない」
待てども、待てども。
ナナシュタイザー様は現れなかった。
嫌な想像だけが膨らんでいく。
それを振り払うように、急いで会場へ向かう。
「これは……」
ざわり。
異様な空気を感じた。
皆が同じ方向を見ている。
心臓の音がうるさい。
嫌な汗が流れる。
「あ、ヒスリックさん」
私は、ゆっくりと視線を向けた。
そこには、アクジョレーテの腰を抱いて歩くナナシュタイザー様の姿があった。
「────」
頭が真っ白になる。
周囲の声が遠い。
何も聞こえない。
ただ、彼が私ではなく彼女を選んだという事実だけは、嫌でも理解出来てしまった。
「ヒスリック嬢」
ナナシュタイザー様がこちらを見る。
私のもとへ歩いてくる。
「貴女に言いたい事があります」
聞き慣れた声。
大好きだった声。
その声で何を言うの?
前のように愛を囁いてくれるの?
「私は──」
濁った目で。
彼は迷う事なく私に告げた。
「──貴女との婚約を破棄したい」
私の世界は、そこで色を失った。




