夏の残りと秋の空①
未だ暑さの残る秋の初め。
己の残夏という名前は、こういう季節を指しているのではないだろうか。
残夏は教室の窓の外で熱気に灼かれるアスファルトを眺めながら、ふとそんな事を考えていた。ちなみに授業の最中に、である。
勿論、この後すぐ目敏く見つけてきた担任の武田に叱られたのだが、残夏の心はそんな事よりも何よりも現実逃避に全力投球をしていたのだった。
それというのも、ここ最近の残夏の興味に全ての端を発する。
その興味の中心人物こそ、己の隊長であり、恩人であり、畏怖の対象でもある『亜月玲』その人だ。
あの人のことを知れば知るほど残夏の中で、彼の人物像が定まらなくなってくる。
初めの印象は恐怖そのもの。残酷で恐ろしい、近づき難い人。
それなのに玲は残夏を闇の底から掬い上げてくれた。
あの手の温度は今も覚えている。初めて残夏の手を掴んでくれた人。それも2回。
それは救済に等しい行為で、残夏は彼のお陰でまだ生きている。
だから聖人のような人なのかと思えば、梓たちに対するように厳しい人でもあるし、だけどいつもこちらを気にかけてくれる優しい人でもあるし。
かと思えば意地悪だったりと掴みどころがない。
夏休みにはちゃんと約束通り、遊園地に凪と二人で連れて行ってくれた。
人生で初めての遊園地は本当に楽しくて、だけど玲は基本的に凪と二人で自由にさせてくれて自分は殆どベンチに座ったままスマホを弄っていた。
それが遊びではなくて仕事をしているのだと凪に聞いて、益々よく分からなくなってしまったのだ。
そんなに忙しいのに、凪だけならまだしも残夏に構ってくれる理由が分からない。
だからつい、頭の隅で考えてしまう。
ーーでもあんまり考えるのもなぁ……。
玲のことを考えると、いろんな感情が残夏の胸の辺りをごちゃごちゃに掻き混ぜていく。
だから現実逃避に空を見上げるのだが、それでもいつの間にか思考はあの人の事ばかり。
残夏は自分の胸の蟠りを存分に持て余していた。
「新学期に入ったからな。授業もより実践寄りに変わっていくぞ。手始めに、四人1組のグループで今後は実技訓練を受けてもらう。1人の失敗がチーム全体に降りかかるからな。ちゃんと気を引き締めること。いいな。」
だからだろうか。
授業の後半、そんな言葉が耳に入ってきてから初めて残夏は武田の言葉に我に返った。
今、先生はなんと言ったのか。
「四人1組は自由に組んで構わない。お互い、上手く連携の取れそうな相手を選べ。」
サッと自身の顔から血の気が引くのが分かる。
四人1組って。二人組ならいい。凪と二人で出来るから。
しかし、残夏達のことを目の敵にしているクラスメイト達から更に二人。
そんなの組めるわけがない。
咄嗟に凪に顔を向けるが、楽しそうに手を振り返されるばかりで、凪は特に何も気にしていないようだ。あの朗らかさが残夏は少し羨ましい。
結局、余りに余った残夏と凪の二人組と、こちらも余ってしまった男子二人のペア同士で四人組を作ることと相なった。
ちなみに残夏はこの二人のクラスメイトについてはまったく覚えていない。初対面のようなものだ。
「えーと……宮杜雄星……。よろしく。」
「僕は荘野司。僕と組むんだ。足を引っ張るなよ!」
そんな挨拶で残夏達と組むことになった二人は、見るからに好意的ではなかった。
先ずは宮杜雄星。背が高く、がっしりとした琥珀色の瞳を持つ彼はしかしながら気が弱いのか、それとも残夏達が怖いのかおどおどとしており目が合わない。
反対に荘野司は居丈高の山吹色の瞳で、白石のように人を見下すような目をしていた。
「ぼく、蓮池凪!よろしくね!」
「小鳥遊残夏です……。よろしくお願いします。」
特に会話もなく、言葉だけのよろしくを済ませてから残夏は息を吐き出した。
本当に何も気にしていない風の凪が羨ましい。
ーーまた考えることが増えた……。
ごちゃごちゃの中に新たな1つの懸念を加えて、残夏はまた窓の外の空へと視線を向けるのだった。
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「へえ、四人1組の実技訓練?武田先生も面白いことさせるね。」
ふふ、と軽い笑いをのせて、最近残夏を悩ませている人が楽しげに首を傾げる。
その拍子にさらりと流れた黒髪の隙間で、左耳のピアスが一瞬光を反射した。
「でもね、全然だったんだ。ぼくたちぶつかって転けちゃったの。」
凪の言葉にもくすくすと楽しそうに玲が笑う。
その様子から視線を外し、残夏は溜息を吐き出した。凪の言う通り、連携なんて言葉にも届かないくらい実技訓練は酷い有様だった。
そもそも、ほぼ初対面で連携なんて合ったものじゃない。
何ひとつ相手のことが分からないのだ。雄星のことも司のことも。
唯一、分かっているはずの凪は残夏たちの動きを気にし過ぎて終始動きにくそうで。
結果として全員の足が絡まって倒れたのはいいお笑い種だったろう。
そして何よりも問題だったのは残夏自身だ。生まれてこの方、連携などやった事がない。
個人の実技なら少しだけ成長も望めたが、これが他人がいると途端に何をすればいいのか分からなくなる。その結果、残夏が周りを邪魔して変な動きにさせてしまったのだ。
武田からは実戦で転んでも誰も助けてはくれないという厳しい言葉まで貰ってしまった。
「連携ねぇ。まだ早い気もするんだけど……でも、あれかな。早めに打ち解けられるようにっていう先生なりの優しさかな。」
凪の頭を撫でて玲が柔らかく微笑む。
その笑顔に、少しだけ悩んでいた内容が頭から消えた。
残夏の一番の興味は、やはりこの人になるらしい。
「でも、雄星くんも司くんもいい子な気がするよ。ぼく、出来ればちゃんと連携とりたい。皆んなのことちゃんと理解して強くなりたいんだ。」
「そう。……んー、じゃあ少し訓練する?個別指導にはなるけど、連携も自分に余裕がないと出来ないからね。凪の今の実力なら個人訓練もいい勉強になると思うよ。」
「え、ほんと?玲ちゃん教えてくれるの?」
ぱあっと凪の表情が明るくなる。
しかしそれに反して残夏の心は焦りに蝕まれた。
個別指導なんて羨まし過ぎる。出来れば自分も玲に教わりたい。
それでもう少しこの人の事を知ることが出来たら。
「そうだね、俺はーー、」
「オレも!……お、オレも、教わりたい……です。」
咄嗟に言葉を吐き出せば、驚いたような凪と玲の表情に最後の方は尻すぼみになってしまった。
恥ずかしくなって俯いた顔が熱い。
急に大声を出したから、執務室内の他の人まで静まり返って残夏に視線を向けてくる。
しかしそれを払拭するように、軽い笑い声が響いた。
「いいよ。残夏はね、俺からも近いうちに個別指導受けてみないかって提案しようと思ってたんだ。」
「え?」
「お前は下地がないからね。見よう見まねで大変でしょ?折角だから誰かに師事して基礎から習うのはどうかなって。属性も分かって、武器も手に入れた事だしね。」
そっと頭を撫でられて、今度は嬉しさから頬が紅潮するのに残夏は上げていた顔をもう一度俯けた。
良かった。
咄嗟に声を出してしまったけれど、これで残夏も玲に指導してもらえる。
昔指導してもらっていた凪は身体能力も高いし、残夏も何か掴めるかもしれない。
しかしその期待は、玲の次の言葉に呆気なく打ち砕かれた。
「じゃあ二人とも特訓ね。ただ悪いんだけど、俺はちょっと手が離せなくて。凪は柳瀬さんにみてもらってくれる?それと残夏には知り合いに丁度いい奴がいるから紹介しようと思って。残夏、知らない人大丈夫?」
「うん、分かった!」
「あ、え……はい。」
「ふふ、良かった。それじゃあ週末からね。残夏。紹介したいのは2番隊の人間だから、清治に付き添って貰って。」
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組織の長い廊下を歩きながら、光が入り込む窓に目を向ける。暦の上では秋でも、まだ木々は青々としていて秋より夏が近い。
そんな天気の良い週末の午後。
残夏は清治の後ろを歩きながら、これから会う『三島彰良』に思いを馳せていた。
「玲が頼んだのは三島彰良っていう2番隊の人だよ。ちょっと見た目が怖そうだけど、悪い奴じゃないから。腕は確かだし、日本刀を武器にしてるんだ。残夏の両刃剣とは勝手が違うけど基本的な立ち振る舞いは教えてくれると思うよ。」
2番隊を訪ねる前、付き添ってくれる清治はそう言いながら楽しげに笑った。
なんでも彼と彰良、玲、楽は高専時代の同期で今でも仲の良い友人同士なのだそうだ。
楽はよく14番隊に遊びに来るけれど彰良は残夏が来てから一度も訪れた事がない。
でも14番隊ではそれなりに有名な人らしく、梓と圭は何故か苦い顔をしていた。
勿論凪は好意的だったけれど。
「梓と圭は玲に懐いてるからね。それでちょっと面白くないんだと思うよ。彰良もあんまり来ないし無愛想だから……あ、でもたまに来てるかな。残夏が居ない朝早くとか、夜遅くにね。玲が根詰めてる時は、ガス抜きに来るんだ。仲良いんだよ、あの二人。」
「清治さんや楽さんよりもですか?」
「うーん、まあ僕たちもかなり付き合い長いけど……玲と彰良は幼馴染なんだ。だから僕たちとは少し距離感とか関係性が違うんだよ。」
「え、幼馴染?」
声が少しだけ上擦ったのに、残夏は慌てて口を閉じる。
でも驚いたのだ。こんな不思議な世界で幼馴染がいるなんて。
勿論、霊力は遺伝的なものもあるから親子や兄弟で勤めている人も沢山いるらしいのだけれど、幼馴染はそういう血族的な繋がりはない筈だ。
そんな当然の疑問に清治は苦笑を漏らす。
残夏の質問に困ったのではなく、返答に窮しているらしい。
「……まあ、あれだね。多分会えば分かるよ。」
そんな言葉に残夏は首を捻るのだった。
しかして不安と期待をないまぜにしたまま辿り着いた2番隊は残夏の想像を絶する場所だった。
いや別に10番隊のように執務室が研究施設になっているとか、4番隊のように派手な人がいるとかそういう訳ではない。
むしろ質実剛健とした、昔ながらの執務室という感じで14番隊にも通じるものがある。しかし。
「おう。小僧から話は聞いてるぞ。あいつももう少しで帰ってくるから此処で待ってろ。坊主、茶でも飲むか?」
「すみません、北郷隊長。」
「いい、いい。うちの馬鹿もたまには新人教育させねぇとなぁ。あいつ忍耐がねぇんだよ。」
そう豪快に出迎えてくれたのは身長2メートルに届こうかという大男だ。
白髪の髪を後ろに撫でつけ、揉み上げと一体化した髭を生やす体格の良い厳つい顔の老爺。
その瞳は特徴的な黒曜石の色に煌めいている。
彼が2番隊隊長、北郷喜一郎その人だ。
その名で分かる通り、なんとあの楽の祖父らしい。
でも一見しても全然分からない。何せ楽とは余りにも似ていないのだから。
楽は細身の軽やかな体格なのに、喜一郎はまるで鬼のような外見。
それに圧倒されるよりも先に、奥から次々と現れる筋骨隆々の大男達に残夏はすっかり萎縮してしまった。
そう。2番隊の人間は全てにおいてデカい。まるでプロレスラー集団のようだったのだ。
しかも全員相貌が恐ろしい。
残夏は喜一郎自ら淹れてくれた湯呑みを握り締めながら、冷汗が背を伝っていく感覚に顔を青ざめさせていた。
「小僧は最近どうだ。相変わらずか?」
「ええ、相変わらずです。東條さんの命令で行ったり来たり……全然休んでくれないんですよ。」
「変わらんねぇ……。」
そんな世間話を聞き流しながら、残夏はどんどん過ぎていく時間に心臓が音を大きくしていくのを感じる。淹れてもらったお茶すら口にできないまま固まっていると、ざわざわとしていた室内が急にピタリと静かになった。
それと同時に執務室の扉が開かれる。
コツリと重厚な音を立てて入ってきたその人に、清治がぱっと顔を明るくした。
「彰良。」
「……おう。」
簡潔な返事と、低く落ち着いた声。
残夏たちに近づいてきたその人は、精悍な顔つきをした背の高い銀髪の男だった。
日本人にはあまり見ないその色に残夏の視線が引き寄せられる。
深い水底のような濃い青色の瞳と、2番隊の中では細く見えるものの、しっかりと筋肉のついた綺麗な体格。
その表情はピクリとも動かず、目つきは鋭い。
高い位置で結ばれた長い銀髪が歩くたびに靡くのが、水飛沫のようだ。
その男、三島彰良は残夏の姿を認めると、愛想笑いすら浮かべずに静かに言葉を落とした。
「……2番隊副隊長、三島彰良だ。」
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「彰良、玲から伝言。『あんま虐めないでよ』。だってさ。」
「うっざ……。」
訓練場に向かう道すがら、清治の言葉にも彰良の返事は素っ気なかった。
彰良の登場のすぐ後、喜一郎の計らいにより早々に2番隊から放り出された残夏は今、自己紹介すら出来ずに二人の後ろを歩いている。
その道中でも彰良の無愛想さに残夏の不安は増すばかりだ。
「あいつは?」
「今日も東條さんに呼ばれて行ったよ。彰良からも言ってやってよ。僕が何度言っても聞いてくれないんだから。」
「俺が言っても同じだろ。」
吐き出された溜息に、残夏に向けたものではないのに肩が跳ねた。
どうして玲は彼を紹介しようと思ったのだろう。ずっと仏頂面で、歓迎されていないのは火を見るより明らかだ。
そもそも残夏のような新人中の新人にわざわざ別部隊の副隊長をあてがうなんて。
仲が良いとは聞いているが、少しばかり私情が過ぎるのではなかろうか。
「……それで?」
なんて事を考えていたら、彰良が急に振り返ってきた。
その視線の鋭さに残夏の足が地面に縫い付けられる。まるで蛇に睨まれた蛙のような感覚に背筋が寒くなってきた。
しかし、そんな残夏たちの間に清治は平然と割って入ると、残夏を庇うように彰良を睨め付ける。いつもの清治らしからぬ態度だ。
「『……それで?』じゃないよ。言わなくても分かるのは僕たちくらいなんだからね。ほら見なよ、残夏怖がってるでしょ!」
「別に怖がらせてないだろ。」
「彰良は雰囲気だけで怖いんだよ。」
「……名前聞こうとしただけだろ……。」
その言葉に残夏はハッと気がついた。
そうだ。自己紹介がまだだった。失礼なことをしているのはこちらの方だ。
少しばかりバツの悪そうな顔の彰良に向き直り残夏は慌てて頭を下げた。
「た、小鳥遊です……!小鳥遊残夏!よろしくお願いします!」
「ああ。」
そのひと言だけを返すと、彰良はまた歩き出してしまった。
それに呆然と取り残される残夏と、苦笑しながら残夏の肩を軽く叩く清治。
少しずつ遠くなっていく背中に慌てて足を動かしながら残夏は心の底から叫んだ。
ーー凪、助けて……!!
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード4開始です!
雄星、司、彰良。新しい3人の登場人物たちはいかがだったでしょうか?
今後ますます物語に深く関わってくるので、楽しみにしていただけたら嬉しいです。
次回更新は土曜日です!(19:30目安ですが前後する時はXでお知らせします!)
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