第1話 こちら、何歳児ですか
就職先の採用試験は、黒竜に食べられないことだった。
「懐かれなければ、雇えない」
鉄格子の向こうで、巨大な黒い塊が動いた。
金色の目。私の腕ほどある牙。口元から立ちのぼる、黒い煙。
絵本で見た竜とは、ずいぶん違う。
少なくとも、絵本の竜は、洗濯籠を噛んでいなかった。
「噛まれそうになったら、この線から下がれ。結界の内側なら届かない」
説明する男は、竜より怖い顔をしていた。
銀髪。左の眉を横切る古い傷。目の下には濃い隈。
ヴァイス辺境伯カイル。
王都では、泣く子も黙る怪物伯と呼ばれている。
泣く子が黙るなら、うちの園に来てほしかった。
そんなことを考えて、私は頭を振った。
前世の保育園は、もうない。少なくとも、私には戻れない。
私はリゼ、二十二歳。
前世は保育士だった。病気で亡くなり、この世界へ生まれ直した。
幼い頃から記憶はあったが、魔法の使い方は一つもわからなかった。
魔力も、一滴もなかった。
両親を失ってから世話になっていた叔父のベルン伯爵は、私が二十二歳になるのを待って言った。
『無能を養う義理は、もうない』
屋敷から出るよう命じられた翌日、職業紹介所に行った。
読み書きはできる。子どもの世話もできる。
紹介された仕事は、幼獣の世話係だった。
住み込み。三食つき。給金は月払い。
条件がいい理由を、今、目の前で見ている。
黒竜が洗濯籠を投げた。
格子に当たり、派手な音がした。
私は思わず肩をすくめた。
すると竜は、ぴたりと止まった。
こちらを見て、それから、壊れた籠を見た。
大きな鼻から、細い息が出る。
「……あ」
わかった、とは言えない。
竜のことは何も知らない。
けれど、投げた積み木が大きな音を立て、本人がいちばん驚いたときの顔に、少し似ていた。
「こちら、何歳児ですか」
辺境伯が、私を見た。
「四歳。黒竜の成長は、人間と違う」
「お名前は?」
「ノクス」
私は線の内側にしゃがんだ。
竜の頭より、ずっと低い位置。
「ノクス。びっくりしたね」
金色の目が動く。
「籠は、壊れました。あとで片づけます。口は、痛くない?」
竜は答えなかった。
けれど、片方の頬を、太い前足で押さえた。
「歯を、診てもらえますか」
「昨日も診た。新しい牙が出ている。病気ではないそうだ」
「それなら、噛んでいいものはありますか」
辺境伯は少し黙り、壁に掛けてあった厚い革の輪を取った。
「これなら、壊しても飲み込めない。医師が用意したものだ。渡そうとすると、怒る」
私は輪を受け取った。
近づかず、格子の前の床へ置いた。
「ノクスのです。いらなければ、ここに置いておきます」
私は一歩、下がった。
竜は輪を見た。
私を見た。
また、輪を見た。
長い首が、そっと伸びた。
輪をくわえ、奥へ引っ込む。
牙を立てると、目が少し細くなった。
辺境伯が、ゆっくり息を吐いた。
「三人目だ」
「はい?」
「今日、面接に来た者は、君で三人目。逃げなかったのは、君だけだ」
そのとき、竜の口から声がした。
低く、たどたどしい人の言葉。
「……いる?」
私は、輪を置いた場所を見た。
ああ、輪のことではない。
私のことだ。
「今日は、ここにいます。お仕事をすることになったら、明日も来ます」
竜は首を伸ばした。
黒い鼻先が、格子のところで止まる。
「あしたも?」
隣で、辺境伯が低く言った。
「採用する。条件の説明は、今からだ」




