邪神教徒
木漏れ日の酒場・閉店後
店内には四人だけ。
ヒロ、ガレス、セレナ、リリア。
「乾杯!」
静かにグラスを合わせる。
ガレスが苦笑した。
「悪いな。こんな時間になっちまって」
ガレスは帝国の反対側――公国への三ヶ月に及ぶ遠征から帰ってきたばかりだった。
史上最年少でSランクへ昇格した名は各国へ広まり、今では他国のギルドからも討伐や護衛の依頼が舞い込むようになっていた。
ヒロは笑う。
「困ってる人がいたら、見逃せないもんね」
ガレスは呆れたように鼻で笑う。
「お前にだけは言われたくねぇよ。近所の婆さんの買い物まで手伝ってるやつが」
「放っておけないんだよ」
「結局同じじゃねぇか」
二人は顔を見合わせて笑う。
セレナはそんな二人を穏やかに見つめる。
(やってることは違っても、芯の部分は本当によく似てる)
リリアはくすりと笑い、空いたグラスへ酒を注いだ。
「はいはい。英雄さんも、お人好しさんも、とりあえず今日は飲んでください」
四人の笑い声が、閉店後の静かな酒場にゆっくりと溶けていった。
リリアがグラスを傾けながら首をかしげる。
「それにしても、ガレスさんにしては手こずりましたね」
ヒロは少し頬を膨らませる。
「僕と工房のみんなで装備を整えて、リリアさんがクエストの情報を調べ尽くして、アホ王女に越境の手続きまでしてもらったのに」
ガレスは思わず吹き出した。
「アホ王女って……。相変わらずアンに厳しいなお前」
「事実でしょ」
即答だった。
セレナは堪えきれず笑う。
「ふふっ」
リリアも笑ってから、少しだけ表情を曇らせた。
「でも、本当に心配したんですよ。一ヶ月くらいで戻ってくる予定でしたから」
ガレスは酒を一口飲み、静かに息を吐いた。
ガレスはグラスを置いた。
「邪魔が入ったんだよ」
ヒロが首をかしげる。
「邪魔?」
「ああ。邪神教徒って連中だ」
その場の空気が少しだけ変わる。
リリアが真剣な表情になる。
「邪神教徒……。邪神を信仰している、あの?」
ガレスは頷いた。
「ああ」
ヒロが確認するように口を開く。
「勇者一行が討伐に向かってる、あの邪神?」
ガレスは静かに頷いた。
「ああ」
ガレスは肩をすくめた。
「何を信じようが俺にはどうでもいい。だが、とにかく強い。……それに、しつこい」
リリアが真剣な表情になる。
「彼らは、先代勇者によって封印された邪神を解き放つために活動しています」
一拍置いて続ける。
「そして厄介なのは……邪神は”神”だということです」
セレナが首をかしげる。
「まあ、神って付くくらいだものね。でも、それの何が厄介なの?」
リリアは答えた。
「邪神を信仰する信徒たちは、神の御業――“奇跡”が使えます」
ガレスは黙って頷く。
ヒロが尋ねる。
「教会の神官様が使う治癒魔法みたいなもの?」
リリアはヒロを見る。
「ううん。理屈は一緒。でも、神官様が使うものとは全然違う。」
少しだけ表情を曇らせる。
「邪な技よ。」
ガレスが腕を組む。
「今まで魔法は剣で切ってた」
セレナとリリアが固まる。
「……は?」
ヒロはあっさり頷く。
「ガレスなら当然だね。セバスさんも戦争のときに切ってたし」
「理論上も可能なんだ。」
「剣速が一定以上になると、軌道上に一瞬だけ真空が生まれる。その瞬間、魔力の伝達が途切れるから魔法が維持できなくなる」
ヒロは苦笑する。
「まあ、当の本人たちは無意識にやってるんだろうけど」
ガレスは目を丸くした。
「えっ!?」
「俺、気合いで消し飛ばしてるんだと思ってた!」
ヒロは即座にツッコむ。
「なわけないだろ。」
一瞬の静寂。
次の瞬間――
「ははははは!」
「ふふっ!」
酒場中に笑い声が響いた。
笑い声が収まり、ガレスは真面目な表情に戻った。
「だが、あいつらが使う奇跡は切れねぇ」
一拍置く。
「だから手こずった」
ヒロは納得したように頷く。
「なるほどね」
「そもそも奇跡は魔力を使わない。」
「神聖力を使って発動する別系統の力だから、魔力の伝達を断っても意味がない。」
ガレスは腕を組んだまま頷く。
「だから、切れねぇってわけか」
リリアも静かに続ける。
「はい。神官様の奇跡も、邪神教徒の奇跡も、根源は同じ”神聖力”です。だから魔法とは対処法がまったく違います」
セレナは神妙な面持ちで呟いた。
「だからSランクのガレスでも、一筋縄ではいかなかったのね」
ヒロは静かに俯いた。
「今回ばかりは僕も厳しいよ、ガレス」
「僕には神聖力がないからね」
ガレスは何も言わない。
知っていた。
村人たちを疫病で失ってから――
ヒロはインフラ整備の仕事の合間を縫って、何年も教会へ通い続けていたことを。
誰よりも人を救う力を欲していたことを。
ガレスは静かに尋ねる。
「……無理だったのか?」
ヒロは苦笑する。
「うん。」
少し間を置いて、
「この間、破門されたよ」
セレナとリリアの表情が固まる。
「……え?」
「破門……?」
ガレスは静かに天を仰いだ。
ヒロは幼い頃から、何でもできた。
鍛冶屋モルドの技術を見て盗み。
村長から譲り受けた魔法書は、穴が開くほど読み込み、誰よりも早く習得した。
王都へ来てからも、親方や職人たちから仕事を学ぶ傍ら、インフラ整備のための独自魔法を生み出し。
地下で振るうための剣を自ら鍛え、その剣を最大限に活かす剣術まで編み出した。
そんなヒロにも、どうしてもできないことがあった。
神の奇跡だけは。
ガレスは悔しかった。
自分のこと以上に。
ヒロは何かを学ぶ時、いつだって「ついで」だった。
仕事を覚えるついでに鍛冶を。
生活を便利にするついでに魔法を。
必要だから剣を打ち、必要だから剣術を作った。
だが――
教会だけは違った。
人の命を救いたい。
その一心で通い続けた。
何年も、何年も。
それが、ヒロが初めて仕事のためではなく、誰かを救うためだけに追い求めた力だった。
それなのに。
神は、その唯一の願いだけは叶えてくれなかった。
ヒロはゆっくりと顔を上げた。
「でもね――」
その口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
「十五年も教わったんだ。」
「神聖力はない。」
「でも、神聖力の流れなら肌で感じられるくらいには認識できる。」
ヒロは自信ありげに笑う。
「だから、技が起こる瞬間くらいならすぐに分かるよ。」
ガレスの口元がわずかに緩む。
「……そう来ると思った。」
セレナとリリアは思わず顔を見合わせる。
破門されたという話を聞いた直後だというのに。
目の前の青年は、諦めるどころか、その十五年間を無駄にしていなかった。
ヒロはゆっくりと口を開いた。
「……ガレス。」
一拍置く。
「今回は、僕も噛ませろ。」
ガレスは一瞬だけ目を見開く。
そして、口元を大きく吊り上げた。
「おう。」




