和平
その頃。
帝国軍本陣。
夜も更け、軍議が終わろうとしていた。
その時だった。
軍幕が静かに開く。
二つの人影。
深くローブを被り、ゆっくりと中へ入ってくる。
「誰だ!」
帝国兵が一斉に剣を抜く。
張り詰めた空気が軍幕を包んだ。
二人は立ち止まる。
皇帝は静かにその姿を見つめる。
わずかに眉をひそめた。
「……。」
二人は無言のまま。
ゆっくりとフードへ手を掛ける。
同時に脱いだ。
現れた顔を見た瞬間。
軍幕中が息を呑む。
「……国王。」
「アルバス。」
そして、その隣。
細身の老紳士。
レイピアを腰へ提げた男。
「剣聖……。」
「セバスチャン・グランドール。」
帝国兵たちの剣先が、わずかに揺れる。
皇帝は静かに立ち上がった。
敵国の王。
その王が。
たった二人で。
帝国軍本陣へ現れたのだった。
皇帝は二人を静かに見つめる。
やがて、小さく笑った。
「座れ。」
国王アルバスとセバスは黙って席へ着く。
帝国の将軍たちは誰も口を挟めない。
敵国の王を。
皇帝自ら席へ招くなど、前代未聞だった。
皇帝は酒を一口飲む。
そして。
セバスを見て、豪快に笑った。
「セバス!」
「まったく!」
「力任せに突っ込んできおって!」
「おかげで前線は壊滅じゃ!」
アルバスが吹き出した。
「はっはっはっ!」
軍幕の空気が一瞬止まる。
帝国の将軍たちは目を丸くした。
昼まで命を懸けて戦っていた。
その国の王同士とは、とても思えない会話だった。
皇帝は机を叩く。
「それになんじゃ!」
「あの西門の馬鹿は!」
「獣みたいな声を張り上げおって!」
「開戦の合図も待てんのか!」
セバスは思わず吹き出した。
肩を震わせながら笑う。
「……あれは。」
「ガレスですからな。」
「理屈は通じません。」
皇帝も苦笑する。
「分かっておる!」
「だから困るのじゃ!」
「正門へ行けば!」
「戦姫と魔王が並んで立っとる!」
「あんなの攻め込めるわけないじゃろう!」
「北門は『国家問題に関われない』ギルドマスターが堂々と斧を振りおる!馬鹿かあの男は!それにその隣には”アマゾネス”マーサ!」
「南門を攻めようと思えば!」
「今度はわけの分からん職人に魔術師団を全滅させられる!」
「どうせヒロじゃろう!」
アルバスは笑いながら頷く。
「まったく。」
「職人とは何なんじゃ。」
皇帝は大きくため息をついた。
軍幕の中では。
帝国の将軍たちだけが、状況についていけず立ち尽くしていた。
ひとしきり笑い声が収まる。
静かな時間が流れた。
アルバスは手にした杯を見つめる。
酒面に映る自分の顔を、しばらく眺めていた。
やがて、小さく口を開く。
「……もう。」
「やめにせんか。」
軍幕が静まり返る。
皇帝は何も言わず、アルバスを見つめる。
アルバスは続けた。
「一つ。」
「頼みがある。」
「役人を。」
「貸してくれんか。」
将軍たちがざわつく。
アルバスは静かに言葉を紡ぐ。
「わしも。」
「民を守りたい。」
「貧しい者を救いたい。」
「飢える子を。」
「これ以上、見たくはない。」
杯をそっと机へ置く。
「じゃが。」
「自由だけは奪えん。」
「帝国のようにはできんのじゃ。」
「それでも。」
「役人の知恵を借りたい。」
「制度を学びたい。」
「王国なりのやり方で。」
「民を救いたい。」
アルバスは皇帝を真っ直ぐ見た。
「わがままだと思う。」
「帝国の制度を学びながら。」
「自由は守る。」
「そんな都合の良い話など、ないことは分かっておる。」
少しだけ笑う。
「じゃが。」
「これが。」
「わしの自由じゃ。」
軍幕は静まり返る。
皇帝は何も答えない。
ゆっくりと目を閉じる。
静かに天を仰ぐ。
長い沈黙。
やがて。
ゆっくりと目を開いた。
そして、小さく頷く。
「……あいわかった。」
その一言だけだった。
アルバスは静かに頭を下げる。
「恩に着る。」
皇帝は苦笑する。
「勘違いするな。」
「貸すだけじゃ。」
「次に会う時は。」
「遠慮なく勝たせてもらうぞ。」
アルバスも笑った。
「望むところじゃ。」
その夜。
敵国の二人の王は。
初めて、同じ未来を語り合った。
翌朝。
帝国軍は静かに撤退を始めた。
整然と。
一糸乱れぬまま。
包囲していた軍勢は次々と陣を畳み、王都から離れていく。
誰も追わない。
誰も背中を斬らない。
ただ静かに、その姿を見送った。
この世界の歴史上。
これほどの大軍が挙兵し。
これほど多くの国が参戦しながら。
たった一日で戦争が終わったことなど、一度もなかった。
各門でも。
守備についていた者たちが、それぞれ王都へ戻っていく。
その時だった。
王都中へ、聞き慣れた大声が響き渡る。
「逃げんなぁぁぁぁ!!」
「俺はまだ戦えるぞぉぉぉ!!」
西門の方角だった。
ヒロは思わず吹き出す。
南門の職人たちも腹を抱えて笑い出した。
「ぶはははは!」
「まだ聞こえる!」
「どんだけ声でけぇんだ!」
「ずっと声だけ聞こえてるな!」
その笑い声に、魔族たちもつられて笑う。
「会ってみたいな。」
「そのガレスという男。」
「どうせ馬鹿なんだろうな。」
職人たちは声を揃えて笑う。
「ああ!」
「あいつは馬鹿だ!」
「とんでもない馬鹿だ!」
「でも。」
親方が笑いながら続ける。
「誰よりも真っ直ぐな馬鹿だ。」
魔族たちは顔を見合わせる。
そして。
「なるほど。」
「ますます会いたくなった。」
再び大きな笑い声が響く。
戦争は終わった。
そのことを誰よりも実感させたのは。
王都中へ響き渡る、一人の馬鹿の大声だった。




