勧誘
魔力炉の改修工事は、無事に完了した。
ヒロが宣言した通り、魔力の変換効率は大幅に改善された。
アンネローゼの負担は以前より軽くなり、意識が深く沈むことも少なくなったという。
もちろん、これで全てが解決したわけではない。
アンネローゼは今も魔力炉の核として眠り続けている。
代替エネルギーの研究も、まだ始まったばかりだった。
それでも。
王都には、いつもの日常が帰ってきていた。
ヒロもまた、以前と変わらない毎日を送っていた。
朝、ギルドへ向かう。
リリアの受付に並び、クエストを受ける。
昼になればギルドへ戻り、リリアと一緒に昼食を取る。
午後は再び現場へ向かい、仕事を終えればギルドへ戻って報告を済ませる。
そして夜。
「ただいま。」
「おかえり。」
木漏れ日の酒場へ帰る。
それがヒロの日常だった。
その日も、ヒロはいつものように酒場の扉を開けた。
店内には料理の匂いと、客たちの笑い声が満ちている。
ガレスはすでに奥の卓で飲んでいた。
セレナは忙しそうに料理を運び、女将は厨房から客たちへ怒鳴っている。
何も変わらない。
いつもの酒場。
ただ一つ。
見慣れない人物が、カウンター席へ座っていた。
深い色のローブ。
その背中には見覚えがある。
ヒロは足を止めた。
「……アルヴィンさん?」
呼び掛けられた男が、ゆっくりと振り返る。
王宮魔術師団団長。
アルヴィン・ゼノスだった。
しかし今日は、王宮で会った時とは少し様子が違った。
フードは下ろされ、頬はわずかに赤い。
目の前には、すでに空になったジョッキが二つ並んでいた。
アルヴィンはヒロを見つけると、嬉しそうに片手を上げる。
「やあ、ヒロ。」
「お先にいただいてるよ。」
ヒロは空のジョッキとアルヴィンの顔を交互に見た。
「……どうしてここに?」
「君がいつも、この酒場へ帰ると聞いてね。」
アルヴィンは楽しそうに笑う。
「一度、来てみたかったんだ。」
その言葉を聞きつけたガレスが、ジョッキを片手に近づいてくる。
「なんだ、ヒロ。」
「知り合いか?」
「ああ。王宮魔術師団の――」
「アルヴィンだ。」
ヒロの説明を遮り、アルヴィンは自分から手を差し出した。
「よろしく。」
ガレスはその手を握り返す。
「ガレスだ!」
「魔術師か!」
「おう、飲め!」
「もう飲んでるよ。」
「ならもっと飲め!」
アルヴィンは一瞬だけ目を丸くした。
そして声を上げて笑った。
「ははっ!」
「いいね。王宮じゃ、そんなふうに勧められることはない。」
ガレスは満足そうに頷き、そのままアルヴィンの隣へ腰を下ろした。
ヒロも苦笑しながら、その隣へ座る。
セレナが三人の前へ新しいジョッキを並べた。
「いらっしゃいませ。」
「ヒロとガレスのお知り合いなんですね。」
「王宮魔術師団団長だってよ!」
ガレスが大声で答える。
一瞬。
酒場の喧騒が止まった。
周囲の客たちが一斉にアルヴィンを見る。
しかし、当の本人は気にした様子もなくジョッキを持ち上げた。
「今日はただの客だよ。」
その一言で、酒場には再び笑い声が戻った。
女将は厨房からアルヴィンを一瞥する。
「肩書きを置いてきたなら、好きなだけ飲みな。」
「ただし。」
「潰れても王宮までは運ばないよ。」
アルヴィンは楽しそうに目を細めた。
「それは困ったな。」
「僕、帰るための魔法は酔っていても使えるだろうか。」
ヒロが真顔で答える。
「やめた方がいいですよ。」
「座標を間違えたら大変です。」
「じゃあ、ヒロが送ってくれる?」
「嫌です。」
即答だった。
ガレスが腹を抱えて笑い出す。
アルヴィンもつられて笑う。
その夜。
王宮魔術師団団長は初めて、木漏れ日の酒場の輪へ加わった。
王宮でも。
研究所でも。
魔力炉でもない。
肩書きも、立場も関係のない場所で。
ただ一人の魔法使いとして。
アルヴィンは楽しそうに酒を飲んでいた。
アルヴィンはジョッキを片手に、隣に座るガレスをじっと見つめていた。
やがて、不思議そうに首を傾げる。
「気になっていたんだけどね。」
ガレスは肉を頬張りながら顔を上げる。
「なんだ?」
「ガレス君。」
「君は、とてつもない魔力量の持ち主だ。」
「でも。」
「どうやら剣士のようだね。」
ガレスは何の迷いもなく胸を張る。
「そうだ!」
「俺は剣士だ!」
アルヴィンはさらに首を傾げる。
「魔法は?」
「剣の方が速ぇ。」
即答だった。
アルヴィンは言葉を失う。
その様子を見ていたヒロが苦笑する。
「ガレス。」
「説明が足りなすぎだよ。」
ガレスは首を傾げた。
「そうか?」
ヒロはアルヴィンへ向き直る。
「僕たちがまだ村にいた頃です。」
「村長から、一冊の魔法書をいただいたんです。」
「僕は基礎から勉強して。」
「詠唱。」
「魔力操作。」
「一つずつ覚えていきました。」
「でも。」
ヒロはガレスを見る。
「彼は勉強が嫌いだったので。」
「ずっと外で剣を振っていました。」
ガレスは堂々と頷く。
「おう!」
「ある日。」
「僕が魔法の練習をしていたら。」
「突然、ガレスが。」
「無詠唱で、とんでもない威力の魔法を撃ったんです。」
アルヴィンの目が見開かれる。
「無詠唱……?」
ヒロは苦笑した。
「しかも本人は。」
「『剣の方が速い。』」
「そう言って。」
「初級魔法だけ覚えたところで、魔法の練習をやめました。」
酒場が静まり返る。
アルヴィンはガレスを見つめる。
ガレスは豪快に笑った。
「剣でぶん殴った方が早ぇだろ!」
アルヴィンはしばらく黙っていた。
やがて額へ手を当て、小さく笑う。
「……なるほど。」
「君たちは。」
「本当に規格外だ。」
アルヴィンはジョッキを傾けながら、小さく笑った。
「実はね。」
「ガレス君。」
「以前、ヒロ君を王宮魔術師団へ誘ったことがあるんだ。」
ガレスは目を丸くする。
「おお!」
「そうなのか!」
アルヴィンは苦笑した。
「もちろん断られたよ。」
「それも即答でね。」
「『戦闘魔法には興味がありません。』」
「そう言われた。」
ガレスは隣のヒロを見る。
「お前らしいな!」
アルヴィンは笑いながら続ける。
「それで終わりかと思ったら。」
「今度は。」
「『王宮魔法工学研究所へ出入りしたいので、紹介状を書いてください。』」
「そう頼まれた。」
ガレスは豪快に笑う。
「ははは!」
「ヒロらしい!」
アルヴィンもつられて笑う。
「普通は逆なんだ。」
「みんな魔術師団へ入りたがる。」
「研究所へ行きたがる子なんて初めてだったよ。」
ヒロは照れくさそうに笑う。
「戦うより、作る方が好きなので。」
アルヴィンは頷く。
「呆れた。」
「でも、この国の魔法に携わってくれるなら、それもいいと思って紹介状を書いた。」
少しだけ視線を落とす。
「……本音を言えば。」
「戦闘部隊へ入ってほしかった。」
「本当にね。」
そして改めてガレスを見る。
「でも。」
「君はヒロ君以上に惜しい。」
「これほどの魔力量。」
「しかも無詠唱。」
「魔術師として見れば、喉から手が出るほど欲しい逸材だ。」
身を乗り出す。
「ガレス君。」
「王宮魔術師団へ入りませんか?」
ガレスは一秒も考えなかった。
「いやだ!」
酒場中へ響く大声だった。
「俺は剣の道を進む!」
「剣聖になる!」
「そして!」
「最高ランクの冒険者になるんだ!」
アルヴィンは苦笑する。
その横でヒロが静かにお茶を飲み、一言だけ付け加えた。
「アルヴィンさん。」
「僕ならともかく。」
「ガレスを誘うのは、無謀ですね。」
ガレスは大きく頷く。
「おう!」
「絶対行かねぇ!」
アルヴィンは肩を落としながら笑った。
「……やっぱり、そうなるよね。」




