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主人公はいつになっても冒険者ランクを上げない  作者: Patriot
青年期

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ごめんなさい


その日、リリアは久しぶりに残業をしていた。


いや。


帰れなかった。


机の上には依頼台帳が開かれたままになっている。


事件報告書も、王都の地図も、そのままだった。


もう何も調べてはいない。


ただ一人、静かなギルドへ残っていた。


リリアはゆっくりと自分の右手へ視線を落とす。


十歳の時。


両親はクエストへ向かったまま帰ってこなかった。


何日待っても、ギルドの扉から姿を現すことはなかった。


あの日から、もう二度と同じ思いをする人を増やしたくないと決めた。


何度もギルドマスターへ頼み込み、受付嬢として働かせてもらえるようになった。


冒険者を死なせない。


無事に帰ってきてもらう。


その一心で九年間、受付へ立ち続けてきた。


危険な依頼は止める。


力量に見合わない依頼は渡さない。


それが自分の役目だと信じていた。


そんな毎日が、少しだけ変わった。


ヒロという少年が現れてからだった。


「おはようございます。」


「ただいま。」


「いってきます。」


何気ないやり取り。


ほんの少しの雑談。


事務的だった受付の仕事が、いつしか少しだけ楽しみになっていた。


そのヒロへ。


毎日のように依頼書を渡していた。


街灯修理。


地下魔力導管整備点検。


下水道水質調査。


橋の補強工事。


どれも危険度の低い、インフラ整備の依頼だった。


だから迷わず判を押した。


その先で、命懸けの出来事が待っていることも知らずに。


リリアはそっと依頼台帳へ手を置く。


その手は、小さく震えていた。


「……ごめんなさい。」


誰もいないギルドに、小さな謝罪だけが静かに響いた。


ふと、リリアは顔を上げた。


壁に掛けられた時計が、静かな音を刻んでいる。


深夜だった。


「……帰ろう。」


もう考えたくなかった。


今日はもう寝たい。


忘れたい。


そう自分に言い聞かせるように立ち上がり、机の上を片付けると静かなギルドを後にした。


その頃、ヒロは地下で作業をしていた。


たまにある


一つの修理を終えたら他の箇所が気になり時間を忘れて没頭してしまう。


ふぅ、息を吐く。


帰るか


その時だった。


地下の魔力灯が一つだけ点滅した。


ヒロは足を止める。


「……?」


球切れではない。


魔力の供給も安定している。


もう一度。


今度は少し先の灯りが点滅する。


さらに、その先。


一定の間隔で。


地下道の奥へ向かって。


ヒロは眉をひそめた。


「故障……?」


小さく呟く。


だが、違和感が残る。


こんな故障は見たことがない。


まるで。


誰かが順番に灯りを点けているようだった。


「……。」


しばらく立ち止まっていたヒロは、小さく息を吐く。


「原因だけ確認して帰ろう。」


工具箱を肩へ担ぎ直し、点滅する灯りを追うように歩き始めた。



一方その頃、リリアは帰路に着いていた。


夜風は少し冷たい。


普段なら人通りの多い大通りを歩いて帰る。


しかし今日は、一刻も早く家へ帰りたかった。


迷うことなく、一番近い裏路地へ足を向ける。


夜の路地は静かだった。


街灯だけが石畳を淡く照らし、人影はほとんどない。


その静寂を破るように、不快な酒の匂いが近づいてきた。


「おっ。」


「姉ちゃん、一人か?」


赤ら顔の男が、ふらつきながら道を塞ぐ。


手には酒瓶。


足元もおぼつかない。


「俺と飲みに行こうぜ。」


「結構です。」


リリアは歩みを止めることなく答えた。


「急いでいますので。」


そのまま横を通り過ぎようとする。


男は道を塞いだまま、さらに一歩近づいた。


「そんな冷たいこと言うなよ。」


「少しくらいいいじゃねぇか。」


「お断りします。」


今度ははっきりと、冷たい声で返す。


男の表情が変わった。


「生意気な女だな。」


乱暴に肩を突き飛ばされる。


不意を突かれたリリアは体勢を崩し、そのまま石畳へ倒れ込んだ。


男はなおも苛立った表情のまま近づいてくる。


その瞬間だった。


ドゴッ――!!


鈍い衝撃音が夜道へ響く。


男の身体が宙を舞い、そのまま数メートル先まで吹き飛んだ。


何が起きたのか理解できないまま、男は地面へ転がり動かなくなる。


リリアはゆっくりと顔を上げた。


月明かりの中。


工具箱を肩に掛けた、一人の少年が静かに立っていた。


「大丈夫ですか、リリアさん。」


リリアはヒロに抱き抱えられながら、夜道をゆっくりと歩いていた。


酔っ払いに突き飛ばされた時、どうやら足を挫いてしまったらしい。


「すみません……。」


「いえ。気にしないでください。」


ヒロはいつも通りの穏やかな口調で答える。


夜風が二人の間を静かに吹き抜けた。


熱くなっていたリリアの頬も、少しずつ冷静さを取り戻していく。


胸の中に押し込めていた言葉が、自然と口をついて出た。


「……ヒロくん。」


「はい?」


「私に、何か隠していることはありませんか?」


ヒロは少しだけ考え込む。


やがて、どこか照れ臭そうに笑った。


「実はですね。」


「以前、酒場の女将さんとセレナさんに誕生日プレゼントをいただいたんです。」


「その時、とても嬉しかったんですよ。」


リリアは静かに耳を傾ける。


「だから僕も、誰かにプレゼントをしたいなって思うようになったんです。」


「その時に、最初に顔が浮かんだのが……。」


ヒロは照れたように笑いながらリリアを見た。


「リリアさんだったんです。」


「だから。」


「リリアさん!」


「誕生日を教えてください!」


リリアは目を丸くした。


しばらく呆然とヒロの顔を見つめる。


そして。


「ふふっ……。」


笑いが込み上げてきた。


「ふふふっ……。」


とうとう堪えきれず、声を上げて笑ってしまう。


「リ、リリアさん?」


ヒロは訳が分からず首を傾げている。


その様子がまたおかしくて、リリアは涙が滲むほど笑った。


何日も。


何日も調べ続けた。


資料を読み返し、地図を広げ、眠れない夜を過ごした。


胸が苦しくなるほど悩み続けた。


そんな自分が、なんだか急に馬鹿らしく思えてきた。


この子は。


誰かを助けたことを誇るような子じゃない。


誰にも言わない。


誰にも気付かれない。


そんなことより、誕生日に何を贈ろうかと真剣に考えてしまうような子なんだ。


(……この子が。)


(自分で事件を解決したなんて、思っているはずがない。)


リリアは笑顔のまま、小さく涙を拭った。


「教えません。」


「えっ?」


「プレゼントは、内緒でもらうから嬉しいんですよ。」


そう言って微笑むリリアに、ヒロは困ったように笑い返した。

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