師匠
ある日。
王都の地下。
ヒロはいつものように魔力導管の整備を行っていた。
工具を動かし、魔力の流れを確認する。
「……よし。」
「こっちも問題ありません。」
隣では親方が腕を組み、静かに頷いた。
しばらく無言で作業が続く。
地下には工具の音だけが響いていた。
やがて親方がぽつりと口を開く。
「なあ、ヒロ。」
「俺の師匠に会いに行かねえか。」
ヒロは顔を上げた。
「親方の師匠ですか?」
「ああ。」
親方は懐かしそうに笑う。
「毎年、顔を見せに行ってたんだけどな。」
「もう、俺も年だ。」
「長旅は堪える。」
そう言って腰を軽く叩く。
「修行がてら、お前が行ってこい。」
ヒロは少し驚いた表情を浮かべる。
「僕でいいんですか?」
親方は鼻を鳴らした。
「十五年育てた弟子だ。」
「会わせるなら、お前しかいねぇ。」
その言葉に、ヒロは静かに頭を下げる。
「……分かりました。」
「行ってきます。」
親方は満足そうに頷く。
「ついでに、あのクソジジイがまだ生きてるか確かめてこい。」
ヒロは思わず笑う。
「ちゃんと伝えておきます。」
「親方が『クソジジイ』って呼んでましたって。」
親方は顔をしかめた。
「それは余計だ。」
地下に、二人の笑い声が静かに響いた。
◇
◇
◇
数日後。
冒険者ギルド。
親方は受付の前で呆れたように腕を組んでいた。
その視線の先では、ヒロが受付で依頼を受け取っている。
リリアは手続きを終えると、一枚の依頼書をヒロへ手渡した。
「はい。」
「手続き終わったよ。」
ヒロは依頼書を確認する。
Fランク依頼。
手紙の配達。
親方は大きくため息を吐いた。
「……そういや。」
「お前、冒険者だったな。」
ヒロは首を傾げる。
「そうですよ?」
親方は苦笑する。
「忘れてた。」
「いつも工房か地下にいるからよ。」
その依頼は、親方自身がギルドへ正式に出したものだった。
依頼内容は一つ。
師匠への手紙を届けること。
仕事として受ける以上、正式な依頼である。
ヒロは依頼書を丁寧に畳み、鞄へしまった。
その横で、リリアが旅支度を始める。
「替えの服は?」
「入ってるよ。」
「工具は?」
「もちろん。」
「保存食。」
「ちゃんとある。」
リリアは鞄の中を一つひとつ確認していく。
ヒロは困ったように笑った。
「リリアさん。」
「僕、二十五歳なんだけど……。」
リリアは顔も上げずに答える。
「知ってる。」
そして鞄の口を閉じると、満足そうに頷いた。
「よし。」
「これで忘れ物はないね。」
その様子を見ていた親方は腕を組みながら笑う。
「がはは!」
「すっかり夫婦だな。」
リリアは一瞬で顔を真っ赤にした。
「ち、違います!」
親方はニヤリと笑う。
「そういうことにしといてやる。」
ギルド中に笑い声が響いた。
◇
◇
◇
王都の城門。
一台の荷馬車が停まっていた。
荷台には荷物が積まれ、出発の準備はすでに整っている。
御者台から、一人の商人が大きく手を振った。
「ヒロー!」
ヒロは驚いたように足を止める。
「あれ?」
「どうしたんですか?」
商人は笑いながら親指で荷台を指した。
「親方から聞いたよ。」
「ドワーフの里へ行くんだろ?」
「途中まで乗せてってやる。」
ヒロは目を丸くした。
「ありがとうございます!」
「でも、どうして?」
商人は豪快に笑う。
「どうしても何もねぇよ。」
「ヒロはいっつも荷馬車の整備をしてくれるし。」
「帝国との街道も、お前が整備してくれたおかげでずいぶん儲けさせてもらってる。」
荷馬車の車輪を軽く叩く。
「これだって、お前が直してくれたやつだ。」
「困った時は、お互い様だろ。」
ヒロは少し照れくさそうに笑った。
「……ありがとうございます。」
商人は御者台へ飛び乗る。
「さあ、乗った乗った!」
◇
◇
◇
王都を出発して数日後。
商人の荷馬車は、大きな分かれ道で止まった。
「俺はここから南だ。」
「ヒロは真っ直ぐだな。」
「はい。」
ヒロは荷台から降りる。
商人は笑いながら手綱を握り直した。
「気を付けて行ってこい!」
「ありがとうございます!」
荷馬車がゆっくりと動き出す。
ヒロはその場に立ち、姿が見えなくなるまで大きく手を振り続けた。
商人も何度も手を振り返す。
やがて荷馬車は地平線の向こうへ消えていった。
ヒロは背負った荷物を背負い直す。
「さて。」
ここから先は徒歩だ。
目指すは、ドワーフの里。
親方の師匠が暮らす場所。
長い道のり。
普通の冒険者なら気が遠くなるような距離だった。
だが。
ヒロの表情に疲れはない。
むしろ、その瞳は少年のように輝いていた。
「楽しみだな。」
思わず口から零れた。
親方が尊敬する職人。
十五年間、その話だけを聞き続けてきた人物。
どんな人なのか。
どんな技術を持っているのか。
想像するだけで胸が高鳴る。
徒歩であることなど、まったく気にならなかった。
ヒロは弾むような足取りで、ドワーフの里へ向かって歩き始めた。
◇
◇
◇
村長の家。
応接室へ通されたヒロは、椅子に腰掛けて村長を待っていた。
だが、落ち着かない。
部屋の中をゆっくりと見渡す。
棚には見たこともない鉱石。
古びた設計図。
そして。
壁一面に整然と並べられた工具。
「……。」
ヒロの目が輝く。
思わず立ち上がり、一つひとつを食い入るように眺め始めた。
「この鑿……。」
「見たことない形だ。」
「こっちの鉋も……。」
夢中だった。
「まったく。」
低く渋い声が部屋に響く。
「珍しいガキだ。」
「道具を見て、そんな顔をする奴は初めてだ。」
ヒロは慌てて振り返る。
入り口には、一人の老ドワーフが立っていた。
立派な白髭。
歳を重ねてもなお衰えを感じさせない鋭い眼光。
ヒロは慌てて頭を下げる。
「すいません!」
急いで椅子へ座り直す。
(……なんか。)
(前にも、こんなこと言われた気がする。)
老ドワーフは静かに口を開いた。
「俺の名前はゾルドだ。」
ヒロは首を傾げる。
「……ゾルド?」
返事をすることもなく、ゾルドの視線はヒロの肩へ向いた。
正確には。
肩から提げられた、一つの工具箱へ。
「……。」
その表情が固まる。
「その工具箱。」
「見せてくれ。」
ヒロは言われるまま工具箱を机の上へ置いた。
ゾルドは震える手で留め金へ触れる。
ゆっくりと蓋を開く。
中には、長年使い込まれながらも丁寧に手入れされた工具が整然と並んでいた。
一本一本へ視線を走らせる。
やがて、静かに目を閉じた。
長い沈黙。
そして、小さく息を吐く。
「……教えてくれ。」
「あいつの。」
「モルドの最期を。」
そう言われ、確信を持った。
ヒロは静かに息を吸った。
「……村が疫病に襲われました。」
「原因は、地下の魔力導管の老朽化でした。」
「汚染された魔力が地下水へ流れ込み、村中に広がっていたんです。」
ゾルドは何も言わない。
ただ、静かに耳を傾けている。
「親友が異変に気付きました。」
「僕たちは村中を走り回って、食料と水を集めて……看病も続けました。」
「でも。」
ヒロは拳を握り締める。
「誰一人、助けられませんでした。」
部屋が静まり返る。
ヒロはゆっくりと工具箱へ視線を落とす。
「モルドも……。」
「あの日まで、最後まで鍛冶場にいました。」
「僕が駆け付けた時には、もうほとんど話せない状態で。」
「それでも。」
「モルドは僕を見て、こう言いました。」
「最期に。」
「『魔力導管だ。地下を見ろ。』」
「そう言って、この工具箱を僕に託してくれました。」
工具箱へ、そっと手を置く。
長い沈黙が流れる。
ゾルドは開いたままの工具箱を見つめる。
一本一本の工具へ、震える指をそっと伸ばす。
「……そうか。」
その一言だけだった。
だが、その声はかすかに震えていた。
ゾルドは工具箱を静かに閉じた。
深く息を吐き、苦笑する。
「……なんと因果なことか。」
「弟が勝手に里を飛び出し。」
「人間の子を育て。」
「その子が、今度は俺の弟子の元で働いている。」
ヒロは静かに耳を傾ける。
ゾルドは小さく笑った。
「まったく。」
「あいつらしい。」
ゾルドは工具箱を優しく撫でた。
ゆっくりと口を開く。
「俺たち兄弟はな。」
「仲が悪かった。」
苦笑しながら、自分の左目の下に走る古い傷を指差す。
「ものづくりの方針で、いつも揉めてな。」
「その度に殴り合いだった。」
ヒロは思わず傷へ目を向ける。
ゾルドは静かに笑った。
「この傷も、その時のもんだ。」
しばらく工具箱を見つめる。
「これは。」
「俺が、あいつの誕生日にやった工具箱だ。」
震える手で蓋を撫でる。
「あいつは悪態をついたよ。」
「『みっともない。』ってな。」
小さく笑う。
「あいつらしい。」
その笑みは少しずつ寂しさへ変わっていく。
「あいつは、そのまま里を出ていった。」
長い沈黙。
ゾルドは工具箱を抱くように両手を添えた。
傷だらけの木箱。
何度も修理された金具。
磨き続けられた木肌。
そして、中へ整然と並ぶ工具。
ゆっくりと息を吐く。
「……大事に。」
「してくれたんだな。」
部屋には、静かな沈黙だけが流れていた。
村長の家を後にする。
ヒロは深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
ゾルドは小さく頷く。
「ああ。」
「ゆっくりしていけ。」
ヒロは肩に掛けていた工具箱を静かに下ろした。
両手で抱え、ゾルドの前へ差し出す。
「これ……。」
「お返しします。」
ゾルドは首を横へ振った。
「いらん。」
ヒロは困ったように工具箱を見る。
「でも……。」
ゾルドはヒロの言葉を遮った。
「それは。」
「もう、お前の物になってる。」
静かな声だった。
工具箱へそっと手を置く。
「弟が、お前に託したんだ。」
「なら、それはお前が持つべきだ。」
ヒロは何も言えなかった。
ゾルドは少しだけ口元を緩める。
「大事に使え。」
「弟がそうしたようにな。」
ヒロはゆっくりと工具箱を抱き寄せる。
「……はい。」
「一生、大切にします。」
ゾルドは満足そうに頷いた。
「それでいい。」
ヒロはもう一度深く頭を下げると、工具箱を肩へ掛け直し、ゆっくりと歩き出した。
ゾルドはその背中が見えなくなるまで、静かに見送っていた。
◇
◇
◇
一ヶ月後。
ドワーフの里の入り口。
そこには里中のドワーフたちが集まっていた。
「おーい!」
「また来いよ!」
「あの酒は次まで取っといてやる!」
皆が思い思いに手を振っている。
ヒロは思わず苦笑した。
「……こんなに見送りに来てくれるなんて。」
一ヶ月。
当初は一週間だけ滞在する予定だった。
それが気付けば、一ヶ月。
技術を学び。
工具を握り。
朝から晩まで働いた。
ドワーフたちから見れば、人間の、それも若造。
技術だけを見れば、まだまだ未熟だった。
それでも。
仕事へ向き合う姿勢は、誰よりも真っ直ぐだった。
最初は一人。
また一人と。
「今日は俺が教える。」
「いや、今日は俺だ。」
「昨日はお前だったろ!」
最後の方には、誰がヒロへ教えるかで本気の殴り合いになる始末だった。
ヒロは苦笑する。
「あれは止めるの大変だったな……。」
そしてもう一つ。
ドワーフたちに気に入られた理由がある。
酒だった。
「飲め!」
「もう一杯!」
「まだ飲めるだろ!」
毎晩のように酒場へ連れて行かれ、気付けば里中のドワーフと杯を交わしていた。
「……楽しかった。」
思わず本音が漏れる。
ゾルドは腕を組み、小さく笑った。
「だから長居したんだろ。」
ヒロも照れくさそうに笑う。
「はい。」
「当初は、一週間の予定だったんですけどね。」
里中に笑い声が広がる。
ゾルドは静かに頷いた。
「また来い。」
「今度は弟子としてじゃねぇ。」
「家族としてな。」
ヒロは深く頭を下げた。
「はい。」
「また必ず来ます。」
そう言って背負った工具箱を軽く叩くと、ゆっくりと里を後にした。
◇
◇
◇
数日後。
王都。
木漏れ日の酒場。
「ただいま。」
扉を開けると、リリアがこちらを向く。
一瞬。
本当に一瞬だけ、安心したような笑顔を見せた。
だが。
次の瞬間。
笑顔が消えた。
「ヒロくん。」
「はい。」
「一週間って、何日だった?」
ヒロは固まる。
「えっと……。」
「七日。」
「そう。」
リリアはにっこり笑う。
「今日は何日目?」
「…………。」
ヒロは指を折って数え始めた。
「たぶん……三十日?」
「たぶんじゃありません。」
酒場中に響く声だった。
ガレスは吹き出す。
「ぶはっ!」
セレナも口元を押さえて笑う。
女将は料理をしながら肩を震わせる。
ギルドマスターは酒を飲みながら大笑いした。
「はっはっは!」
「帰ってきて早々説教か!」
リリアはヒロの両肩を掴む。
「心配したんだから!」
「途中で何かあったんじゃないかって!」
「毎日毎日、帰ってくる人に聞いて!」
「手紙もなくて!」
「本当に……!」
そこまで言って、声が震える。
ヒロはようやく気付いた。
「……ごめん。」
「修行が楽しくて。」
「気付いたら一ヶ月経ってた。」
リリアは大きくため息を吐いた。
「もう。」
「そういうところ。」
そう言ってヒロの額を軽く小突く。
「次からは、ちゃんと連絡して。」
ヒロは苦笑しながら頷いた。
「うん。」
「約束する。」
リリアは少しだけ頬を膨らませたまま、小さく笑った。
「……おかえり。」
「ただいま。」
その一言に、酒場のみんなも嬉しそうに笑っていた。
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