第68話 対峙
道中は順調に進む。
ふたりは旅程に支障がない程度に、石哭谷についての情報を集めた。
「名前と場所は知ってんだけど、行ったことないからなぁ」
メイランがそう言う。
「岩山に挟まれた谷地で、強い風で石が転がって音をたてるから、石が哭く谷。村のひとつもなくて、洞窟に時折盗賊が住み着くぐらいって話」
「じゃあ、本当に何もないのね」
「らしい。その盗賊退治を青嵐が請け負ったことがあってさ、俺もその話を聞いただけだから」
メイランの話に、シルリネアが首を傾げた。
「そういうの、メイランが行かないなんて珍しくない?」
安洛城では、メイランの武勇伝をいくつも聞いた。かっこいい話から失敗談まで、それこそ幅広く青嵐の人たちは話してくれた。特に照嵐は、シルリネアが手伝っていた月嵐の診療所までわざわざ来て、話をしていった。
その中に、石哭谷の盗賊退治の話はなかったはずだ。
メイランが笑う。
「だって俺、その時12歳ぐらいだったから。初陣が13か14あたり。影兄にひっついて話をせがんでさ」
その様子が容易に想像できてしまい、シルリネアも笑った。
「目に浮かびそう」
「だろ。あの人優しいから、俺がうざくても蹴ったりしねぇの」
シルリネアが苦笑する。
「それぐらいで、普通は蹴られたりしないんだけど」
「そうかなぁ」
「メイランだってやらないでしょ」
メイランは少し考えてから、口を開いた。
「俺はやらねぇけど。弟を蹴るとか考えたことなかったし。でもあの好戦的な人がやらねぇのも……うーん……」
考え込んでしまったメイランを見て、シルリネアはもう一度苦笑した。
「影嵐さんのことを優しいって言ったり好戦的って言ったり、忙しいのね」
そして、彼の言う弟とは——ザフィルなのだろう。照嵐や黒嵐ではなく。
やっぱり弟なんだ。彼にとっては。ここに至ってなお。
一抹の不安がシルリネアの心をかすめた。
******
石哭谷の手前、最後の集落。
人里での最後の夜。
今にも泣きだしそうな曇天が、空を覆い尽くしている。
シルリネアの不安は膨らんでいた。
メイランが変わらなさすぎる。
緊張も気負いもなく、いつも通りの軽い調子。
どうしてここまで、変化がないのだろう。
わからない。メイランの気持ちが。
——だめだ、このままじゃ。
引きずられるな。意識しすぎるな。
メイランにはメイランの覚悟の決め方があって、それがこの形になっているだけだ。
迷いがあったら、ザフィルと対峙できるはずがない。
あいつを殺す。
それだけを考えないと。それだけを——。
******
翌朝、シルリネアは転移符を起動させた。
ヴェンツェルが現れる。
「おはようございます。石哭谷は、だいぶ荒涼とした場所なのですね」
周囲を見渡し、ヴェンツェルが言った。
高い樹木が減り、灌木ばかりが目立つ場所だ。天気があまり良くないのもあって、全体として陰気な雰囲気だと感じる。
「人が住まねぇ場所だからなぁ」
メイランがそう言って笑う。ヴェンツェルも微笑んだ。
「すべて片付けてきましたよ。シルリネアの偽聖女問題は、ゲルハルトに任せました。相変わらず進んでいないのが心苦しいですが……いっそここでザフィルを倒せば、すべて解決できるかもしれませんね」
「そういうものなんですか?」
驚くシルリネアに、ヴェンツェルが答える。
「あなたを異端だと言っているのは『人』で、ザフィルを討伐せよと言っているのは『神』です。少なくとも、リュミエールの理論で言えば。神意を遂げた人物を、『人』ごときが決めた異端として追えると思いますか?」
「なるほど……」
理屈で言えば、その通りだ。少し嬉しそうなシルリネアを見て、メイランは苦笑する。ごく純粋に喜ぶ彼女に少し意地悪をしてみたくなって、口をつっこんだ。
「そうなると最高だな。ただ、そんな綺麗に割り切れないのも『人』って気がするけど」
「そこが問題ですね」
ヴェンツェルもメイランの意見を認め、苦笑した。みるみるシルリネアが意気消沈していく。
わかりやすい反応が可愛らしい。だが罪悪感がすごい。メイランは二度とやらないと誓いつつ、彼女の背中を優しく叩いた。
「まあでも、立場が悪くなることはないだろうし。やって損はなさそうだな」
「倒せば少なくとも、リュミエールとの交渉が楽になりますよ」
ヴェンツェルも補足する。
ふたりの優しさを感じて、シルリネアは微笑んだ。
「ありがとう。そういうことは、後で考えることにしたから大丈夫」
とにかく今は、ザフィルの打倒以外を考えないことにしよう。シルリネアはそう決めた。
******
石哭谷の入口。
相変わらず天気は優れない。今にも雨が降りそうだ。
雨が降ると厄介だ。そうメイランが考えていた時。
「こんにちは」
男児の声が聞こえた。犬の姿のカルブが、目の前にふわりと現れる。
「来てくれて嬉しいよ、兄様、シルリネア、ヴェンツェル」
首にくいこんだ赤い首輪が、不吉に露出した。
「……ザフィルの魔法生物か」
ヴェンツェルが即座に看破し、カルブがにんまりと笑う。
「さすが。魔法王国の宮廷魔術師は優秀だね。話が早いから嬉しいよ……『沈黙の書』も読んでくれたみたいだし」
ヴェンツェルがピクリと反応する。
「お前の仕業か」
「あそこに置いたのはボクだけど、主様の指示だよ。あなたなら使えるだろうって、主様が」
カルブが小首を傾げる。無邪気な仕草だが、ヴェンツェルにはあまりにも邪悪に見えた。
「魔法生物であるお前が、主の死を望むのか」
ひどく歪んでいる。だが魔法生物をここまで歪めたのは……主であるザフィルの魔力だ。
首に食い込んだ、血のような色をした真紅の首輪。これもザフィルの破滅願望の表れだろう。
「だって、主様はずっと死にたいって言ってるから」
カルブの紡ぐ子供の声が無垢すぎて、耳に障る。
メイランが無言で剣を引き抜いた。即座に斬りかかる。
カルブの目が、メイランを見た。ザフィルと同じ、褪紅色の瞳。月白色の毛並み、痩せた体躯——。
「……アハ」
カルブが小さく笑う。メイランの剣がカルブを捉えた。
剣が触れた瞬間、カルブは消滅した。
メイランによって。魔力を分解されて。
「スッキリした」
スッキリしない顔で、メイランが言った。
******
石哭谷。
確かにその名が相応しい場所だった。
風が常に吹いていて、石が小さく揺れて音を出す。
押し黙ってしまったメイランを、シルリネアはあえて思考から外した。
そうしないと、不安に押し潰されてしまいそうだった。
ヴェンツェルも口数が少ない。
雲はますます厚く重く垂れ込めている。
足元の石が、チリチリと小さく哭いた。
ひときわ大きな風が吹き、ゴウと大きな音を立てて灌木を揺らした。
その時。
ザフィルが姿を現した。
「こんにちは」
カルブと同じ言葉を、ザフィルの口が紡いだ。カルブよりも低い声で。
ぞわりと鳥肌が立った。温度を感じない声が、あまりにも不気味だ。
メイランが、無表情に剣を抜いた。
ヴェンツェルが、いつでも詠唱を開始できるように準備する。
シルリネアも、短剣の位置を確認した。
「カルブを殺した」
メイランが口火を切った。
「お前の一部を、勝手に消した。悪いことをした」
謝罪にも似た言葉をメイランが口にする。ザフィルは首を傾げた。焦点を結ばない虚ろな瞳が揺れる。
「どうでもいい……ああそれとも、メイランはあいつを気に入っていた?」
ザフィルの影が蠢いた。それはあっという間に姿を変えた——カルブの姿に。
「いくらでも作れるよ——ほら」
数が増えていく。1匹が10匹に、10匹が30匹に……数えきれない量に膨れ上がっていく。
「好きなだけあげる」
あまりの数に、シルリネアが身構えた。ヴェンツェルが魔法生物を消すための魔法の詠唱を始める。
メイランが怒りで顔を歪める。
「ふざけんな!」
踏み込んで横薙ぎに一閃すると、それだけで幾多の魔法生物が消滅した。残った魔法生物たちは微動だにせず、ザフィルの表情も変化しない。
「気に入らなかった? どういうのがいい? 好きなものを、作ってあげるよ……」
メイランが歯噛みをする。その瞬間、ヴェンツェルの魔法が完成し、大量の魔法生物が一度に消滅した。
「10呼吸ほどの時間をください。ザフィルの魔力を封じます」
「おう」
メイランは頷き、シルリネアの前に立つ。
「離れるなよ」
シルリネアに一言告げ、メイランは前を向いた。




