第39話 どこへ
「っあー……」
ライラから渡された紙を読んで、メイランは思わず唸ってしまった。
「これは天嶺か……?」
シルリネアは、十王国に戻ってヴェンツェルに状況を伝えたいと言う。
だから十王国に行きたいのに、どんどん遠ざかる。
「北西に行きたいのに東かぁ」
ミルザードを出てから最初の休憩地点。西方から来るリュミエールの追手と距離を取るために、ひとまず東に足を向けたものの、次の行き先はまだ決まっていない。
西はリュミエールなので論外だ。いっそ北西にそびえる山脈越えをしてやろうかと考えたが、あの険しい道をシルリネアに強いるのは、あまりにも酷だと思い直す。
身体能力に自信のあるメイランでさえ、一度で懲りた程の険しさだ。砂漠とは違う意味で、あまり行きたくない。
「見せて」
シルリネアが覗き込んできたので、メイランは紙を渡した。
紙が黒く見えるほどの密度で、文字が書かれている。数枚の紙面は、小さな文字で端から端まで隙間なく埋め尽くされ、最後に簡単な地図が添えられていた。ミルザードから先が描かれているようだ。
まず書かれていたのは、南のエルデ王国の話だった。
治安は安定しており、旅をするのに支障はないようだが、南の海には海賊が跋扈しており、船がほとんど動いていないとのことだった。
天嶺方面は安定しているが官吏の腐敗が著しく、アズ=ハディールは騒乱の兆しがあり、鉄製品がよく売れると書かれていた。
「エルデから船が、一番良かったんだがなぁ」
メイランが嘆息する。
「どうして?」
シルリネアが問うと、メイランは渋面を緩めて返事をした。
「船に乗っちまえば、追っ手とか面倒なことを考えなくていいだろ。陸に上がるまでは、人の出入りがないから」
「……確かに。じゃあ、どうしてアズ=ハディールじゃなくて、天嶺が良さそうなの?」
さらに問いかけるシルリネアに、メイランは少し感動していた。
彼女はどんどん成長している。以前はただついてくるだけだったのに、今では自分で行き先を考えようとしている。
次は行き先について相談しようとメイランは心に決めつつ、ひとまず今回は、シルリネアの疑問に答えることにした。
「アズ=ハディールは、土地が真っ平らだから。馬がよく走る。あっちは馬だったから、向こうの有利な場所には行きたくない。となると、天嶺方向だけ、と」
紙に書かれた簡単な地図を、メイランは指で辿る。ミルザードから、天嶺の入口まで。
「まぁでも、北回りで天嶺は悪くないかもな。山沿いだから、馬でも多少は動きが鈍るだろうし。南回りは馬が有利な道だからダメ。天嶺から先は、また様子見だな」
そう言いつつ、メイランは可能性をひとつ残していた。できれば頼りたくないが、仕方ないかもしれない。
天嶺には、青嵐の本拠地がある。
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「北回りで天嶺……」
カルブは犬の姿で藪の中に潜み、クスクス笑う。
「ボクの、主様の昔話、聞いてくれるかな……?」
片耳を地面に押し付ける。何かの音を聞いているかのように。
「ああでも、殺してくれなくなっちゃうのは困るな……」
首に食い込む真紅の首輪が、血線を想起させる。禍々しい。
「同情されないようにしなくちゃ……」
首をゆらゆらと左右に揺らす。考えているのか、遊んでいるのか。声の調子からは、まったくわからない。
「でも挨拶ぐらいは、いいよね。ルハサーンだけじゃ、不公平だから」
ささやかな声でひとりごち、スルリと消えた。
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アーロンたちはジャバリ家を訪れ、崩れかけた屋敷と、そこに集まる家を失った人々を見た。
多数の人々が、解放された庭と部屋を往来している。怪我人は大部屋に収容され、手当を受けていた。
だが怪我人への対応は、あまり良いものとは言えない状態だ。多数の物資が水で流されてしまったとのことで、使える道具が少ないようだった。
「私は怪我人を看てきます。光の神の慈悲が、彼らを救ってくださいます」
レナーテはそう言って、怪我人たちのもとに行ってしまったので、今この場にはいない。
この場にいるのは、アーロンとギデオン、シドゥ、そして、この屋敷の主であるライラと家宰。
崩れずに残った応接室の一室で、彼らは対面していた。
「このようになっていたとは知らず……お見舞い申し上げます」
アーロンが口火を切った。おそらく彼女は、多忙を極めているだろう。この街全体が、ジャバリ家に託されてしまったようなものだ。
有力者は他にもいただろうに、この有様では生きているかさえ定かではない。
「恐れ入ります」
ライラは貞淑に、控えめに頭を下げた。その様子は、アーロンに好感を覚えさせる。
「ところで、なぜこのような状態になったのでしょうか。私でさえ、砂漠の華の名は知っておりましたのに……」
アーロンの問いかけに応じて、ライラは語った。突如現れた魔法使いによって、水で崩壊させられた様子を。ライラはザフィルを見ていないが、目撃者の話と自らの体験談を組み合わせ、全体の状況をわかる範囲で伝えた。
「……これは……」
ギデオンが唸り、シドゥが重々しく頷いた。
「ザフィル、でしょうな……」
大神殿の虐殺と同じようなことを、今度はミルザードで起こした。そう考えざるを得ない。
ザフィルの目的がわからない。それなのにあいつは、死を撒き散らしていく。アーロンの背筋がゾッと冷えた。
「カル=ナハルの王家は、動かないのですかな」
ギデオンが重々しく問いかけると、ライラは頷いた。
「既に使いは出しております。遠からず動くでしょう」
なるほど。ライラは、あるいはジャバリ家は、王家またはそれと近しい存在に使いを出せる程度には、有力者なのだ。
その構造を、アーロンは頭に叩き込む。今後使える場面があるかもしれない。
「そう伺えて安心しました。ところで我々は、光の神の聖女を偽称した者を追っております。心当たりがありましたら、ぜひ教えていただきたいのですが……」
アーロンはそう前置きをしてから、偽聖女のことを話した。
神の力に依らない癒しを光の神の信徒に使い、聖女と誤認させ、その場にいた信徒たちを混乱させた大罪人と、その女を守護する男について語り、そのふたりを追討する意義を熱弁した。
ライラは冷静に耳を傾けている。話を聞き終えた後、彼女は小さく頷いた。
「その者たちなら、街が壊滅させられる数日前に来ました、彼らはこの先の地域についての情報を求めていましたので、詳しい者を紹介しました」
「その者を、我々にも紹介していただけませんか?」
アーロンの言葉に、ライラは少し表情を曇らせた。
「彼は行方不明なのです。行商人としても、隊商を率いてもらうにも、優秀な者だったのですが……」
「それは失礼しました」
アーロンは謝罪した。この状況で行方不明となると、彼がどうなっているかは疑いようもないだろう。ライラは首を横に振り、気にしていないと告げた。
「仕方がありません。それよりも、皆様は光の神の忠実な信徒の方とお見受けいたします。できれば、ここに避難している者たちに、光の神について説いていただけませんか。皆、不安な日々を送っておりますので、神のご慈悲について語っていただければ、嬉しく思います」
「それはもう、喜んで」
前のめり気味に勇んで応じるアーロンの後ろで、ギデオンが渋い顔をした。彼にとっては、布教よりも偽聖女追討の方が重大事であった。シドゥはギデオンに向けて、今回は諦めろとでも言うかのように、苦笑した。若者への配慮も、年配者の務めだと言わんばかりの様子だ。
ライラは微笑み、一礼した。
「ありがとうございます。光の神の慈愛に感謝を。その間に、彼らに語った内容について書いたものを探しておきます。念のためと思い、何を語ったのか、聞き取らせておりましたので。見つけたらお譲りいたします」
「……本当ですか、感謝いたします」
なんという好都合。アーロンは小躍りしたいぐらいの気分だったが、さすがにこの場で踊る訳にはいかない。その喜びの分を上乗せして、勢いよく頭をさげた。
アーロンたちを見送った後、ライラは家宰のユスフを見て微笑んだ。
「2日後ぐらいでどうかしら。エルデ王国に行くように、文章を整えてちょうだい。あのおふたりはきっと、天嶺方面に行くのでしょうから」
ユスフは一礼して、主の意向に沿うために立ち去った。ひとり残ったライラは、シルリネアとメイランの表情を思い出す。被害者に手を差し伸べる優しさと懸命さ、遺体を発見した時に見せる、悲しそうな顔を。
きっと姪と夫も、あのようにして救われたのだろうと思う。
だからライラは、あのふたりを信じることにした。
元々光の神の信徒は、融通が利かなくて嫌いなのよね、と小さく呟いた。




