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many merry bad ENDs 聖女がたどる結末たち  作者: 源泉


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95話 連れていく理由


しばらく、誰も口を開かなかった。

先ほどまでと同じ部屋なのに、空気だけが少し変わったように感じられた。


ルカは膝の上で組んでいた手をほどくと、ゆっくり息を吐いた。



「……僕の国に、長い間、聖女がいないことは知ってるよね」



フィアは小さく頷いた。



「うん。前にも聞いた」


「最後の聖女が亡くなってから、新しい聖女はずっと現れていない」



ルカはそこで一度言葉を切った。



「だから、僕はずっと羨ましかったんだ」


「……羨ましい?」



フィアが聞き返す。



「この国が」



ルカは窓の外へ目を向けた。



「もちろん、今のこの国が平和だって言うつもりはないよ。君たちが追われてることを考えれば、そんなこと言えないし」



少しだけ間を置く。



「でも、この国には聖女がいた。ずっと祈りがあった」



フィアは黙ってルカを見つめた。



「僕の国には、それがない」



ルカの声は静かだった。



「魔物からは自分たちで身を守るしかない。この国とは違って、魔物の脅威がずっと身近にある」



ルカは自分の手元へ視線を落とした。



「さらに、聖女の祈りは疫病や天災も遠ざける。こっちの国で、聖女の祈りに守られてきた土地を実際に見て……正直、羨ましいと思ったよ」



シリウスが僅かに眉を寄せた。



「だから、フィア様をお前の国へ?」



ルカはすぐには答えなかった。

けれど、やがて静かに頷いた。



「うん」



フィアの指先が、膝の上でわずかに動いた。



「君たちを見つけてから……いや、その前から機会があれば、と思っていた」



フィアはルカを見た。



「……最初から、だったの?」


「うん」



ルカは目を逸らさなかった。



「君を僕の国へ連れていけたらって」



部屋が静かになる。



フィアはすぐには次の言葉を出せなかった。

代わりにシリウスが口を開いた。



「連れていって、どうするつもりだった」



声は低かったが、荒れてはいなかった。

ルカはシリウスを見た。



「国のために、祈ってもらうつもりだった」



フィアの目が僅かに揺れた。



「……祈る?」


「うん」



ルカは頷いた。



「一度や二度じゃない。できれば、そのまま僕の国で暮らして、祈り続けてほしいと思ってた」



フィアは何も言わなかった。

ルカは続ける。



「でも、今までみたいに閉じ込めるつもりはなかったよ」



シリウスの視線が鋭くなった。

ルカはそれに気づいていたが、言葉を止めなかった。



「住む場所も用意するつもりだった。できるだけ自由に外へ出られるようにもしたかった。君が嫌がることを無理にさせるつもりもなかった」



フィアが小さく瞬きをする。



「……祈ることも?」



その問いに、ルカの言葉が止まった。


ほんの短い沈黙だった。

けれど、フィアには長く感じられた。



「……そこは」



ルカがゆっくり答える。



「頼めば、受けてくれると思ってた」


「どうして?」


「君が聖女だから」



ルカは言ったあと、自分でその言葉を噛みしめるように口を閉じた。


フィアの表情は変わらなかった。

ただ、膝の上に置かれていた指が少しだけ縮こまった。



「聖女なら、祈ること自体を嫌がるとは思ってなかった」



ルカは続けた。



「今までみたいに強制するんじゃなくて、生活も自由にして、シリウスとも一緒にいられるなら……国のために祈ってくれるんじゃないかって」



シリウスが静かに口を挟んだ。



「フィア様に尋ねる前から、そのつもりだったのか」



ルカはシリウスを見た。



「……うん」


「では、選ばせるつもりだったというより、受け入れるものだと思っていたわけだな」



その言葉に、ルカは一度目を伏せた。



「そうだね」



否定はしなかった。

フィアはルカを見つめたまま、しばらく黙っていた。

やがて小さく尋ねる。



「でも……私が嫌だって言ったら?」



ルカの眉が僅かに動いた。



「その時は、無理にはさせなかったと思う」


「思う?」



フィアが聞き返した。

ルカは困ったように息を吐いた。



「……そこまでちゃんと考えてなかったんだ」



フィアはそれ以上尋ねなかった。

ルカは少し間を置いてから、話を続けた。



「それと、もう一つ」


「何だ」



シリウスが促す。



「聖女の祈りについて、おそらく、君たちが知らないことがある」



フィアとシリウスが同時にルカを見た。

ルカは二人の反応を確かめるようにしてから口を開いた。



「聖女の祈りは、ただ祈れば同じ力が出るわけじゃないらしい」


「……どういうこと?」



フィアが僅かに身を乗り出した。



「本人が、どれだけ心からそう願っているかで変わる」



フィアの目が大きくなる。

ルカは続けた。



「心から平穏を願って祈るのと、誰かに言われたから形だけ祈るのとでは、同じじゃない。聖女自身の意思が、祈りの力に反映される」


「……私の気持ちで?」



フィアが呟いた。



「うん」



フィアはしばらく動かなかった。



「そんなこと……一度も教えてもらわなかった」


「私もです」



シリウスがすぐに続けた。



「守護騎士として聖女に関する教育は受けていますが、そのような話は聞いたことがありません」



ルカは二人を見比べた。



「僕が知ったのは、王家に残ってた古い記録からだよ」


「王家に?」


「昔、僕の国にも聖女がいたからね。その頃の記録が残ってる」



ルカは少し考えてから続けた。



「聖女について調べてた時に見つけた。祈りと本人の意思に関する記述は、いくつかあったよ」



フィアは自分の手を見つめた。


ずっと祈ってきた。

言われた通りに。

国の平和を。

人々の平穏を。


けれど、その祈りが自分の意思と繋がっているなど、一度も教えられたことはなかった。



「……どうして」



フィアの声が小さくなる。



「どうして、私には教えてくれなかったんだろう」



ルカはすぐには答えなかった。



「たぶん」



慎重に言葉を選ぶ。



「知らない方が、都合がよかったんだと思う」



フィアが顔を上げた。



「この国では、聖女に関する情報そのものがかなり制限されてる。僕が調べた限り、詳しい記録に触れられるのは教会の中でも中枢にいる人間だけだった」



シリウスの眉間に深い皺が寄る。



「意図的に伏せられていたと?」


「その可能性は高いと思う」



ルカは答えた。



「少なくとも、聖女本人にも、その守護騎士にも教えないのは、意図的だったんじゃないかと思う」



フィアは何も言わなかった。


自分自身の力について。

自分よりも、教会の人間の方が知っていた。

その事実をどう受け止めればいいのか、すぐには分からなかった。


ルカはそんなフィアを見て、一度口を閉じた。

けれど、今は話を止めなかった。



「だから、シリウスも一緒に連れていくつもりだった」



シリウスの視線がルカへ戻った。



「私も?」


「うん。最初から」



ルカは頷いた。

フィアも顔を上げる。



「……シリウスも、私に祈らせるために?」



ルカは一瞬だけ黙った。



「それもある」



シリウスの表情が僅かに硬くなった。



「説明しろ」


「フィアを君から無理に引き離したら、安心して暮らせないと思った」



ルカはフィアを見た。



「シリウスが一緒なら、君も安心していられると思ったんだ」



その言い方だけを聞けば、優しさのようにも聞こえた。

けれど、ルカはそこで終わらせなかった。



「安心できる場所で、自分を守ってくれる人もそばにいる。今までより自由に暮らせる。少しずつ、僕の国を好きになってくれれば」



ルカは一度息を吐く。



「そうしたら、僕の国のために祈ってくれると思ってた。君自身が、僕の国の人たちを助けたいと思ってくれなきゃ意味がないから」



フィアは目を伏せた。

シリウスはルカから視線を外さなかった。



「つまり」



シリウスが低く言う。



「私がフィア様のそばにいることも、お前の計画の一部だったということか」


「……うん」



ルカは認めた。



「護衛としても頼りになるし、フィアが安心するためにも君は必要だった」



シリウスは僅かに目を細めた。



「私がいれば、フィア様もお前の国へ行くことを受け入れやすいと考えた、と」


「それも考えてた」



ルカの声は小さかった。

フィアがゆっくり顔を上げる。



「じゃあ……どこまで決めてたの?」



ルカはフィアを見る。



「かなり先まで」



答える声に迷いはなかった。



「まず国境まで行く。その前に、全部話すつもりだった」


「全部?」


「僕が王子だってことも。君を国へ連れていきたい理由も」



フィアは黙って聞く。



「それから、二人に僕の国へ来てほしいって頼む」


「王宮へ?」


「いや」



ルカはすぐに首を振った。



「最初から王宮に連れていくつもりはなかった」



シリウスが僅かに眉を動かした。



「なぜだ」


「父上や王宮が、フィアをどう扱うか分からなかったから」



ルカは淡々と答える。



「聖女が来たと知れば、当然、王家も放ってはおかない。だから最初は、僕が管理できる場所に二人を置くつもりだった」


「……管理」



フィアが小さく繰り返した。

ルカの表情が僅かに曇った。



「ごめん。言い方が悪かった」


「ううん。続けて」



フィアに促され、ルカは頷いた。



「僕の持ってる場所か、信頼できる人間のところ。そこで二人に生活してもらう。できるだけ自由にして、まずは落ち着いてもらうつもりだった」



シリウスが尋ねる。



「その後で王に報告するつもりだったのか」


「うん」


「つまり、お前の父親は何も知らない?」



ルカはまっすぐシリウスを見た。


「何も知らない」


「命令ではないのだな」


「違う」



今度は即答だった。



「全部、僕が考えたことだよ」



部屋が静かになる。

ルカはその沈黙を受け止めるように、一度息を吐いた。



「僕なら、どうにかできると思ってたんだ」


「どうにか?」



フィアが尋ねる。



「王子としての立場もある。商人として作った人脈もある。金もあるし、僕の言うことを聞いてくれる人間もいる」



ルカは自嘲するように口元を緩めた。



「シリウスもいるしね」



シリウスは何も返さなかった。



「それだけあれば、君を今までより自由にしながら、国のために祈ってもらうこともできると思ってた」



ルカはフィアを見る。



「二人にとっても、悪い話じゃないと思ってたんだ」



フィアは目を伏せた。



「ここにいれば、君たちはずっと追われる。教会も国も、君を放っておかない」



ルカは続けた。



「だったら僕の国に来て、シリウスと一緒に暮らして、今までより自由に生きる。その代わりに、時々、国のために祈ってもらう」



ルカの声は穏やかだった。



「その方が、ずっといいと思ってた」



フィアは答えなかった。

ルカは、少しだけ間を置いた。



「……でも」



その一言で、フィアが顔を上げる。



「それだけじゃない」



先ほどまでより、ルカの声が低くなった。



「僕の生まれた国を助けたかったのは本当だよ」



ルカは自分の手元へ視線を落とす。



「聖女のいない国で育ったから、この国を羨ましいと思ってたのも本当」



少し間を置いた。



「もし僕の国にも聖女がいたら、助かる人がいる。魔物に怯えなくて済む人も増えるかもしれない」



フィアは黙って聞いていた。



「それは、本当にそう思ってた」


「……それだけ?」



フィアが尋ねた。

小さな声だった。

ルカは動きを止めた。

しばらく答えなかった。

やがて、ゆっくり首を振った。



「……違う」



フィアはルカを見つめた。



「長い間聖女のいなかった国に、僕が聖女を連れて帰る」



ルカは静かに言った。



「その聖女が国のために祈ってくれて、それで国が少しでも安定したら」



そこで一度、言葉が途切れる。



「それは、王子としてかなり大きな功績になる」



先ほどルカの生まれについて聞いた話が、フィアの中で繋がった。


王である父。

第一王子。

見てほしかったという言葉。



「……お父さんに?」



フィアが小さく聞く。

ルカは目を逸らさなかった。



「うん」


「認めてもらうため?」


「それもあった」



ルカは静かに認めた。



「それだけのことができたら、父上も僕を見ると思った」



その言葉を聞いても、フィアは何も言わなかった。

ルカは続ける。



「王になりたいって、ずっと思ってたわけじゃないよ」


「……うん」


「でも、僕にもその資格があるって思ってほしかった」



ルカの口元に、ほんの僅かに笑みが浮かんだ。

けれど、すぐに消えた。



「第一王子じゃなくても、僕だって国の役に立てるって」



フィアの胸の奥が重くなる。

ルカが昨日までとは別の人になったわけではない。


そのことは分かっている。

今目の前で話しているのも、これまで一緒に旅をしてきたルカだった。


だからこそ、聞いている言葉が痛かった。



「……じゃあ」



フィアは迷いながら口を開いた。



「これまで、私たちを助けてくれたのも?」



ルカの表情が止まった。



「最初は、それも計画の中にあった」



フィアの指先が僅かに強く握られる。

ルカは目を逸らさなかった。



「二人を助ければ、僕を信用してもらえると思った」



シリウスの表情が冷たくなる。

ルカはそれを見ても、続けた。



「信用してもらえれば、僕の国へ来るように話もしやすい。フィアが安心してくれれば、祈ってもらえる可能性も高くなる」


「……私が、ルカを信じることも?」



フィアが尋ねる。



「うん」



ルカは僅かに俯いた。

フィアは息を止めた。



「君が僕を信じてくれてるのを分かってて、それを計画に使ってた」



シリウスが低い声で尋ねる。



「では、これまでの言葉もすべて計算だったのか」


「違う」



ルカはすぐに答えた。

その声だけは強かった。

けれど、すぐに少し力を落とす。



「……全部が嘘だったわけじゃない」



シリウスは何も言わなかった。



「助けたいと思ったこともある。心配したことも、楽しかったことも、全部嘘じゃない」



ルカはフィアを見る。



「でも、それで最初に考えてたことが消えるわけじゃない」



フィアはルカの目を見返した。



「最初は……違った?」



ルカは暫く黙っていた。

そして、静かに頷いた。



「うん」



ルカの声は小さかった。



「最初は、君を助けたいだけじゃなかった」



フィアは動かなかった。

ルカは一度息を吸った。

逃げ道を自分で塞ぐように、はっきりと言った。



「君が僕を信じてくれることまで、都合よく計画に組み込んでた」



部屋の中に、重い沈黙が落ちた。

フィアの耳に、遠くの通りを行く馬車の音が聞こえた。

ルカは続けた。



「最初の僕が見てたのは、君じゃない」



フィアの胸が小さく痛んだ。



「聖女だった」



フィアは、すぐには何も言えなかった。

しばらくしてから、小さく口を開く。



「……今は?」



ルカの目が僅かに揺れた。



「今は違う」



答えはすぐだった。



「今は、二人とも本当に助けたいと思ってる」



ルカはフィアを見たあと、シリウスにも視線を向けた。



「フィアを聖女だから助けたいんじゃない。シリウスも、計画のために必要だから一緒にいてほしいんじゃない」



それから、少しだけ目を伏せる。



「でも」



声が低くなる。



「今そう思ってるからって、最初のことがなくなるわけじゃない」



フィアは返事をしなかった。

シリウスも、何も言わなかった。

ルカも、それ以上言葉を重ねなかった。


ただ三人の間に、これまでとは違う沈黙だけが残った。


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