英本土上陸
英本土上陸
カリブ海島嶼部とフロリダ半島への攻撃を終えた第一航空艦隊は、ビスケー湾ラ・ロシェルに戻ると搭載機の過半を陸上の基地に移動し、5月の半ばには次の作戦の準備のため日本へ向かった。
日本の機動部隊が去った大西洋では、英米海軍が主力機動部隊を動員した大規模護送船団による英国救援の輸送作戦が数次にわたって実施されていく。
枢軸海軍の水上戦力の規模では英米連合機動部隊との正面対決は未だ望めなかったため、枢軸側の交通破壊戦は潜水艦によるものを除けば低調なものとなっていた。
枢軸国と連合国のドーバー海峡を挟んでの航空戦は、昭和18年4月時点では英国の航空機生産が交通破壊戦の影響で減少している影響もあり、連合軍は枢軸側に数的劣勢を強いられていた。
5月中旬から英米主力艦隊が船団護衛に積極的に投入された影響で大西洋の交通破壊戦が沈静化したこともあり、6月後半までに連合軍の航空部隊が大幅に増強された結果、イギリス本土上空の双方の戦力は拮抗し始める。
昭和18年8月15日、日本軍の北米西海岸上陸作戦が開始されたその日、英仏海峡の英国側各所に張り巡らされた電子警戒網のPPIスコープは、英本土に向かって飛来する大量のプリップで埋め尽くされた。
その日、北フランスとオランダから英国南部の主要都市や航空基地に向けて発射されたドイツ軍の秘匿新兵器V1号飛行爆弾の総数は5,800発を超えていた。
その内400近くはレーダー波を受信すると自動的にその発信元に向かって飛行する装置を積んだ特殊仕様になっており、この機体による攻撃で防空警戒網の要となるレーダー基地が多数破壊されたことにより、英空軍の防空体制は混乱し一時的に機能不全を起こした。
英米空軍の戦闘機部隊は飛来する飛行爆弾の迎撃を行ったが、銃撃を受けた敵機体は大爆発を起こしそれに巻き込まれて墜落する戦闘機が続出する。
初めて相まみえるドイツ軍の飛行爆弾に対し、この時点では連合軍戦闘機部隊はこれを撃破する有効な攻撃手段を持たなかった。
飛行爆弾への対処に混乱する連合軍戦闘機に向けて、飛行爆弾に紛れ込むように飛来した枢軸戦闘機部隊が攻撃を始める。
未知の新兵器への対処に追われ、さらに防空警戒網が寸断され有効な戦闘指示を失った連合軍戦闘機部隊は、大量の機体を揃えて侵攻してきた枢軸航空部隊に圧倒されていく。
枢軸戦闘機によって掌握された英国南部方面の空の下、枢軸爆撃部隊は飛行場、対空陣地、レーダー基地などの軍事目標に向け終日攻撃を続けた。
緒戦の戦術的奇襲攻撃によって航空優勢を奪われた連合軍は退勢を挽回することができず、その防空ラインは大幅に後退し、8月16日には枢軸軍は英国南部の制空権を確実なものとした。
翌8月17日、英仏海峡は枢軸側の艦船で埋め尽くされた。
英国側の沿岸各所に設置されていた沿岸要塞は航空攻撃と独仏伊の14隻の戦艦の砲撃により沈黙した。
枢軸側各国の海軍から集められた掃海艇が沿岸各所に敷設された機雷の処理を終えると、戦艦や巡洋艦、駆逐艦の艦砲射撃の支援のもと、上陸用舟艇がドーバー海峡からイギリス海峡にかけて無数の白い軌跡を残し英本土海岸に向かった。
連合軍はヨーロッパ各所に張り巡らせた諜報網により、枢軸国による英本土上陸が間近に迫っていることを察知していた。
当初はアイルランドへの上陸が予想されていたが、日本艦隊が大西洋から去ったことから枢軸空軍の航空支援が厚い英本土南部上陸へと防衛の重心が移され、すでに8月には現地の部隊は即応態勢に入っていた。
英米主力艦隊もそれに合わせ船団護衛の任から離れ、一朝有事には直ちに英本土防衛に直行できる態勢を取っていた。
15隻の戦艦と16隻の空母、巡洋艦29隻、駆逐艦60隻余りからなる英米海軍の総力を結集した艦隊は、護衛空母20隻とその護衛艦で編制された艦隊を後方に引き連れ北米から出撃、8月19日にはアイリッシュ海を抜けセントジョーンズ海峡に入った。




