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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
動乱の兆星
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第一航空艦隊2

第一航空艦隊2


 昭和15年4月、日本海軍は保有するほとんどの航空母艦を集中して運用する第一航空艦隊(以降一航艦)を編制する。

 司令長官には南雲中将が就いた。

 艦隊は一航戦、赤城・天城、二航戦、飛龍・蒼龍、三航戦、飛隼・瑞穂、四航戦、摂津・龍驤、五航戦、剣崎・高崎の10隻の空母、三戦隊、金剛・榛名・霧島の3戦艦、大型重巡阿蘇、四戦隊の高尾型重巡4隻、五戦隊の妙高型重巡4隻、二水戦の軽巡利根と駆逐艦12隻、四水戦の軽巡筑摩と駆逐艦12隻、五航戦に随伴する十一水戦の軽巡加古と松型駆逐艦3個駆逐隊12隻と油槽艦4隻で編成されている。

 一航戦・四航戦の4空母と三戦隊の金剛、大巡阿蘇、四戦隊と二水戦で第一機動部隊、二航戦・三航戦と三戦隊の霧島・榛名、五戦隊と四水戦で第二機動部隊を編成した。

 一航艦の司令部は、就役後間もない最新鋭艦で指揮通信能力に優れた阿蘇に置かれた。


 五航戦の空母剣崎と高崎は②計画で高速油槽艦として建造されていたが、ロンドン軍縮条約の失効後飛行甲板と格納庫を設置、機関出力を増大させる改造工事を行う。

 この空母化工事により両艦は、航空機12機搭載の高速油槽空母として昭和14年に再就役している。

 五航戦、十一水戦と油槽艦4隻は、支援艦隊として各機動部隊への補給を担当する。



 一航艦は各空母合計で常用艦載機420機を搭載しており、編成当時では世界最大の航空打撃力を持つと言っても過言ではなかった。

 一航艦は航空戦においては第一・第二の機動部隊の編制で戦う。

 敵艦隊が接近し砲戦が避けられない場合、水上砲撃戦のため航空母艦を分離して後方支援部隊と合流させ、戦艦重巡と水雷戦隊で艦隊を水上打撃部隊に組み直しこれにあたる。

 一航艦司令部座上の阿蘇は旗艦として艦隊戦の指揮を執り、航空戦の指揮は一航戦司令部に委譲するよう定められ、艦隊砲戦の際の指揮権問題は一応解消される。


 空母機動部隊には一航艦の艦隊指揮権問題の他にも、戦闘が長期間連続した場合の航空機稼働率の低下という課題があった。

 搭乗員の蓄積した疲労による操縦能力の劣化や判断能力の低下が引き起こす事故や、整備員の疲労による故障の発生、連続した戦闘により多数の航空機と搭乗員の損耗が発生することが予測された。

 その結果として、失われた戦力の回復のため空母部隊が長期間にわたって戦場から姿を消すことは、戦争の勝敗にも影響を与えかねない大問題だった。


 航空戦力の消耗対策として以下の要目が取り上げられ、昭和14年末から順次実施されていく。

1)搭乗員と整備員の増員により飛行隊を増やし、空母への配備を交代制にし搭乗員に十分な休養と訓練期間を与える。

2)搭乗員と航空機を整備員を含め部隊ごと交替し、継続的に空母機動部隊を運用できるようにする。

3)一機体当たりの整備員定数を増やし、整備員の疲労を軽減する。

4) 軍用航空機の防御力を強化し、被弾による搭乗員の死傷損耗を防ぐ。

5)機体損傷による落下傘脱出者や不時着者の救助回収のための専門救難部隊の設立。


※5)に関して・・・④計画により計画された飛行艇母艦秋津洲型は、設計を大幅に変更し基準排水量を6,500tとして燃料漕を拡大しディーゼル機関を増設、速力と航続距離を増大したうえで、九八式哨戒飛行艇(九八式中艇)を最大6機まで収容可能な設備と同機種の整備補給能力を付与され、航空遭難者救助任務に充当されることになる。尚、秋津洲の本来の要求性能であった大型飛行艇への整備補給能力に関しては、計画通り問題なく運用が可能だった。秋津洲と姉妹艦の千早は就役時から大戦終結までの期間、常に空母機動部隊に随伴し遭難搭乗員の救助に多大な力を発揮した。

 

 航空主兵に戦略戦術を切り替えたことで、搭乗員や整備員の増員は海軍の喫緊の課題となる。

 すでに海軍は養成課程の増員や新設については、航空母艦が多数就役することもあり軍縮条約明け前から取り組んでいた。

 航空戦の重要性が高まってくる中、更なる航空要員の増大のため海軍はより一層の注力が必要となっていた。


 ドイツポーランド戦の勃発により世界規模での戦争の恐れが高まる中、海軍は航空母艦戦力の増勢のため取りうる手段全てを使っていく。

 豪華客船橿原丸の空母化、正規空母雲龍の建造を嚆矢として、翌昭和15年末には軽空母日進の設計をベースに工数を大幅に減らした簡易量産型軽空母回天型2隻の建造を開始する。

 翌16年に入ると、低出力の機関に変更し更に簡易化が進めた安土型6隻が起工され、続いて17年に6隻、18年には10隻の大量建造が進められた。

 これらの軽空母は起工から最短10か月、最長でも1年3ヶ月余りで竣工し、日本海軍母艦航空戦力の一翼を担うことになる。

 さらに昭和16年にはいると大鳳型空母2隻改雲竜型空母2隻がそれぞれ起工され、翌17年には改雲竜型空母4隻の建造が計画されている。

 そのほか海軍の助成で建造された貨客船の航空母艦化、量産型護衛空母の大量建造などが精力的に進められていく。


 昭和15年年末に千歳と千代田が、水上機母艦から航空母艦への改造工事を終え一航艦に編入される。

 入れ替わりで赤城と天城は飛行甲板の装甲化工事の為艦隊を離れた。

 昭和16年に入ると大改装を終えた戦艦比叡と新型戦艦大和と武蔵、大型重巡浅間、小型空母日進、大型空母翔鶴・瑞鶴が一航艦に加わる。

 日本海軍は昭和16年末までに大型正規空母2隻、中型正規空母2隻、商船改造大型空母1隻、戦艦改造の中型装甲空母1隻、軽空母6隻、小型空母1隻、空母型給油艦2隻、練習用小型空母1隻、商船改造護衛空母2隻、合計大小18隻の世界最大規模の航空母艦戦力を擁していた。


  中国大陸の権益をめぐって日米の対立が高まってゆくなか、主力艦隊となった一航艦は日本海軍にとって艦隊決戦勝利の鍵を握る大きな存在となっていく。




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