72. スズキノヤマ帝国 キヌア島(3)
「助けて!」
彼女が必死な思いで言った。すると、ケルゼックが急いで扉を閉めた。そしてハインズに灯りを消すようにと合図すると、部屋全体暗くなった。外で複数の男達の声が聞こえている。彼らはその踊り子を捜しているようだ。しばらくしていたら、外が静かになった。どうやら遠くへ行ったようだ。
ハインズは再び灯りを付けた。ローズとリンカが見えていると、踊り子がローズの顔を覚えたようだ。
「あ、広場のお嬢さんだ」
彼女がローズの顔を見て、言った。
「知っているのか?」
リンカは警戒しながら事実を確認した。
「うん、昼間一緒に踊ってくれた踊り子のお姉さんだ」
ローズが言うと、彼女がうなずいた。
「はい、そうです。あ、痛い」
「お姉さん、大変だ。」
ローズが心配そうな顔で言って、彼女の手を見ている。エフェルガンがケルゼックに合図を出すと、彼はその踊り子の手の紐を切った。リンカは台所からお湯とタオルを持って、踊り子の傷をきれいに洗った。そして持ってきた清潔な包帯で手当した。魔法を使わないようにした。身元がどこからかばれてしまうと困るからだ、と事前に約束した。
「助けて頂いて、ありがとうございます!」
踊り子が嬉しそうに言った。
「お姉さんはどうしてその男達に追われていたの?」
ローズが聞くと、踊り子はローズを困った顔で見ている。
「私も分かりません。あ、申し遅れました。私はニラと言います。ムイネ村から出稼ぎに来たんです」
「私はロサ。この人はうちの冒険者旅団の団長です」
彼女が自己紹介すると、ローズも自己紹介した。
「で、ムイネ村からなぜここに?」
エフェルガンがニラを聞いた。
「お祭りだから、年に一度の稼ぎだと思って来たのです。踊り子として雇ってくれる所もたくさんあって、その中に一番賃金が大きいオレオラ劇団に入ったのですが、休んでいる時にいきなり襲われて、知らない男達に運ばれていたところだったんだ」
「なぜ俺たちの所に?」
「灯りが見えたからです」
「なるほど」
ニラがそう言いながら、エフェルガンを見ている。
「ニラさんを襲ったのは劇団の者だったのか?」
ケルゼックが聞いた。
「分かりません。暗かったから、襲った人の顔が見えませんでした。でも馬車に乗せられて、そこにいたのは知らない男の人だった」
ニラが答えた。
「馬車の上からどうやって逃げた?」
「急に馬車が止まったので、その時に馬車の上から飛び降りたのです」
「なるほど。それで、なぜ馬車が止まったのだろう」
「分かりません」
「ふーむ。まぁ、とりあえず、今夜ここで過ごしても良いが、明日警備隊に保護してもらおう」
エフェルガンが言った。彼は、ニラに信用しないようだ、とローズが見て、思った。
「しかし、見ての通り、男ばかりでね。女子の部屋は狭くて、二人でいっぱいでどうしましょうか」
ケルゼックが言った。
「私はこの部屋で良いんです」
ニラがそう言うと、エフェルガンが首を振った。
「そうはいかないな」
しばらく全員が考え込んだ。
「ロサは私の布団で寝れば良い」
「狭くなりますよ、リリさん」
「大丈夫だ」
ローズがリンカに言うと、リンカは微笑んだ。
「じゃ、決まりだ。やはり女子は女子同士で休んだ方が良いな」
「分かりました。ありがとうございます!」
踊り子ニラはほっとした顔で御礼を言った。しかし、エフェルガンの目は鋭い。
ローズが数ヶ月間エフェルガンと一緒に暮らしているから、エフェルガンの癖が分かってきた。顔に出さない時の感情に、彼の目の感じが違う。小さな違いかもしれないけれど、ローズには分かる。あれはニラを信用していない目だ。ローズと一緒に一晩過ごすと言うことで彼にとってかなり不満があるけれど、ここはリンカに任せるしかないことも理解しているようだ。
外の様子を確認してきたオレファが帰ってきた。もう外は誰もいないようだ、とオレファは報告した。そしてさっきから姿を見せないガレーとエトゥレが、多分、あの男達の行方を追っているのでしょう。
扉や窓の戸締まりを確認してから、ローズたちは再び各寝室に入り、寝る準備をしている。リンカは真ん中にいて、ローズとニラはお互い反対側に寝ることになる。灯りが消えて、静かになる。エフェルガンが眠れないでしょうと思って、頭の中でリンクをかけると、その通りだった。
ニラが来てから数時間が経った。なぜか、ローズも眠れなかった。宿の外にガレーの波動を感じた。帰ってきたようだ。けれど、彼は中に入らない。と、複数の人の声が聞けてきた。誰が来たのでしょうか。そしてその足跡が段々と近づいてきている。リンクでエフェルガンとハインズに知らせた。どうやら、彼らも寝ていなかった。
リンカはぐっすりと寝ているようにみえるが、実際はどうなんでしょうか、分からない。しかし、彼女の寝る姿でも本当に美しい。女のローズでさえ、見とれてしまうほどな美しさだ。ローズも非公式リンカファンクラブに入部しようか、と悩んでしまうほどだった。
貸家の周りに、複数の人が集まってきた。気配からすると穏やかな気配ではないようだ。リンカの目蓋がゆっくりと開き、あの青い瞳がとても冷たく感じる。ニラはまだ寝ているようだけれど、実際はどうなんでしょうかも分からない。
突然外から扉が破壊された。しかし、エフェルガン達がもう剣を構えている。けれども、入って来たのはなんと警備隊だった。戸惑いながら、エフェルガンは警備隊の質問に応じて、剣を鞘に収めた。警備隊の一人はローズたちの部屋の扉を開けた。そこに突然泣き出したニラがその警備隊に助けを求めている。
どういうことだ?、とローズが首を傾げている。
しかし、状況から見ると、これは明らかに罠だ。警備隊とニラは組んでいるのでしょうか?、と彼女が思う。
警備隊はエフェルガン達を人さらいの容疑で逮捕すると告げた。見覚えがない容疑に怒りを露わにしようとしたエフェルガンに、ケルゼックが押さえた。まだしばらくおとなしくするしかなさそうだ、とケルゼックの合図で分かった。
ガレーが動かなかったのもきっと理由があるのだ。だからローズとリンカもおとなしくしている。ニラはロエフェルガン達に騙されていることを警備隊員に言って、保護を求めている。
結局その夜、ローズたちが寝間着のままで、警備隊本部に連れて行かれてしまった。エフェルガン達は牢屋に入れられて。ローズとリンカは知らない所に連れて行かれた。
ローズはエフェルガンにリンクを維持しつつ、ガレーにリンクをかけた。やはりずっと追ってくれているのだ。エフェルガンにローズが見たものを彼の頭の中に映像として伝わっている。これは彼女の能力だ。リンクをすると、相手に言葉だけではなく、見たものをお互い共有することができるのだ。
大きな建物の前に馬車が止まった。ニラが慣れている様子で足を運び、その建物の主らしき男と声を交わした。その男はローズとリンカを見て、品定めのようないやらしい目つきで見ている。そして、金貨が入っている袋をニラに渡した。音から聞くと、かなりの金貨が入っているようだ。それを受け取ったニラは微笑みながらローズとリンカを残して、屋敷を後にした。
男はリンカに近づいて、再びいやらしい目でみている。寝間着姿のリンカは、まるで女神のように美しい。どの男でも目が奪われてしまうほどだ。けれど、その美しさの裏に、死神と呼ばれるほどの恐ろしさがある。しかし、この男が知らない。しかも、リンカは無表情で男の目を許している。
男はリンカの手をひいて、奥にある部屋に連れて行った。一方、ローズは別の部屋に連れて行かれた。そこに何人かの若い女性がいた。皆おびえている様子で泣いている人もいる。ローズが入ると、外から扉が閉められてしまった。
「ここってどこなの?」
ローズは近くにいる少女に声をかけた。少女が首を振り、知らないと答えた。彼女は今日祭りを見るために、近くの村から来たらしいけれど、慣れていない夜道でさらわれてしまった、と泣きながら言った。他の若い女性も同じことを言った。彼女達の様子をエフェルガンに伝えた。
彼らはなぜ女性たちをさらったのか、その目的がまだ分からない。けれども、人をさらうことは基本的に違法だから、摘発しても良い気がする、とローズは思った。そして、警備隊が関わっていると分かった以上、恐らく、上の誰か関わっているでしょう。
しばらく外は静かになった。ローズの周にいる少女達はまだ泣いている。本当のことをいうと、ローズはリンカのことを心配していない。というよりか、ローズはリンカと一緒にいる男が心配だ。それは殺されて死んでしまったら、取り調べができなくなるからだ。それに、ローズはエフェルガンのことも心配だ。暴れてしまわないでしょうか?、と。
ローズの心配は的中した。
エフェルガンは牢屋から脱出して、こちらに向かっているようだ。どうやらエトゥレが動いたらしい。それに会わせてガレーも動いた。扉が外から開けられて、ガレーが現れた。彼女たちに静かにしてもらって、こっそりと外へ逃がした。
リンカに連絡すると、その男を片づけたという返事が返ってきた。リンカは建物の中にいる者を全員倒してから合流すると答えた。捕食者モードのリンカはもう誰にも止められない。彼らが生きて捕らえられるように、と祈るしかない。
ローズたちは外に出ると、翼を羽ばたいて駆けつけてきたエフェルガン達がいた。機嫌悪そうなエフェルガンの顔に対して、ケルゼック達は相変わらず冷静だ。ローズが見えていると、エフェルガンは直ちに来て、彼女の無事を確かめに声をかけた。ローズが無事だと答えると、エフェルガンは安堵した様子になった。リンカがいないと気づいたエフェルガンは、オレファにリンカを探すように命じた。オレファは武器を構えて建物中に入った。
建物の外にいた衛兵は次々とケルゼック達に倒されて完全に制圧された。ガレーはあの踊り子とその仲間を捕らえて、エフェルガンの前に連れてきた。踊り子ニラはガレーに縛られて、不機嫌な顔で睨みつけた。しばらくしてからオレファとリンカが建物中から出てきた。リンカはすっきりした顔で、満足した様子でオレファと会話しながら、ローズたちの方へ向かってきた。
「お帰り、リンカ」
「ただいま」
「中はどうだった?」
「大した強い人は居なかった。全員倒した。素手で」
「殺してはしないよね」
「多分、死んでいないと思う、・・分からないけど」
多分なのか、とローズが呆れた様子だった。
「そうか、後で縛らないと逃げられてしまう」
「オレファ殿が縛ってくれた」
「良かった」
オレファは笑っただけだった。このベテラン護衛官は、案外、リンカと良いペアになれるかもしれない。
エフェルガン達は建物の中に入り、屋敷の中にいる者たちを広い居間に集められている。主らしき者と数人の護衛、使用人数名、そして立場的に不明な人たち五人ほどいる。ケルゼックはリンカが倒した主らしき人物をエフェルガンの前に引っ張りながら、連れてきた。けれども、彼がまだ気を失ってしまった。エフェルガンはその居間で一番大きな椅子に座って、えらそうな態度で彼らを見ている。
外では、空の色が変わり始めている。もうすぐ朝になって、日が登っている色が見えた。けれども、ローズが眠くなり始めた。ずっと一晩も寝ていなかったから、彼女はエフェルガンの近くにあるソファに座って、眠った。
数時間後、ローズはどのぐらい寝てしまったか分からないけれど、騒がしい音で目が覚めた。そしてやはり目の前に機嫌が悪そうなエフェルガンがいた。
エトゥレが軍事基地から国軍を連れてきたおかげで、キヌア島の警備隊長とその部下達を押さえることができた。皇帝の視察命令を受けたエフェルガンは大きな権限を持っているので、国軍がエフェルガンの命令に従わなければならない。
エフェルガンの前に跪いた別の男がいる。男が泣きながら許しを願っているけれど、エフェルガンの顔がますます不機嫌になっている。その顔は、ローズに見せたことがない顔だ。多分彼と知り合ってから、初めてみた顔だ、とローズは思った。
あんなにうんざりとした顔がかなり印象的だった、とローズは静かにことの流れを見つめている。
オレファは部屋に入って、別の男を連れてきた。その人は、この屋敷の主だそうで、リンカに不埒なことをしようとした男だ。ことの重大さに気づいたらしく、泣き叫びながら許しを願っている。でも、エフェルガンの口から許すという言葉が出てこないでしょう。キヌア島に配属されている国軍隊長と数人の部下はエフェルガンの命令で、その男らを連行した。
本日から、この島の領主とその一族お呼び警備隊全員に対して、すべての権限が外されることになった。また領主の権限は皇太子であるエフェルガンが預かることになった。