57. スズキノヤマ帝国 ヒスイ城
「着いたよ。ようこそ、スズキノヤマ帝国へ。ここはヒスイ城、僕の住んでいる所だ」
エフェルガンが言うと、ローズが混乱した様子で周囲を見つめている。
「えーと、屋敷と言っていなかった?」
「城の一部は屋敷だ」
「そうなんだ」
良く理解できない、とローズはその城を見て、瞬いて、考え込んでしまった。
「まぁ、後でゆっくりと案内するよ。これから二年間、ローズの住む場所になるから、ちゃんと覚えないと、迷子になってしまう」
「はい」
エフェルガンがローズを降ろして、笑った。
「びっくりした?」
「うん。確かにこれだけ広いと、守りにくいね」
「兵士はいるけど、でもやはりローズを僕の目の届くところにおきたい」
「はい。あれ、ニエル大使とケルゼックさんがいない」
「あ、大使は今外務省で入国手続きをしている。また明日の打ち合わせもあるから、その関係で先に行かせた。大使は今夜ここに泊まるけど、明日から外務省が用意する建物に移動する予定だ」
エフェルガンが説明しながら、歩いた。リンカもオレファに降ろしてもらっている所だ。
「エフェルガンって仕事をしているの?」
「そうだよ」
「へぇ。すごいな」
「褒めてくれてありがとう。最近、皇太子として、色々な仕事を皇帝陛下から任されているんだ」
「そうなんだ」
一人の執事が近づいて挨拶した。
「お帰りなさいませ、エフェルガン様」
「ただいま。留守中に変わりはないか?」
「ございません。こちらの方々は?」
「龍神の姫であり、アルハトロス王国第一姫君のローズ姫だ」
「おお!ようこそ、ヒスイ城へ。私は執事のフォレットでございます。ローズ姫を歓迎致します」
フォレットは丁寧に頭を下げながら、歓迎の言葉を言った。
「ローズです、よろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
「うむ、フォレットさん、そんなに敬語を使わなくても良いんです。私は緊張してしまいますから、普通に話して下さい。姫も付けなくても良いんです。呼びすてても、構いません」
「えーと?」
ローズの注文に、フォレットが首を傾げた。
「ははは。ローズは敬語苦手だ。これから二年間ここに住むことになるから、不自由がないようにとよろしく頼む」
「かしこまりました」
「侍女二名も付けてくれ。あと毒味役一名と護衛官二名も手配をしてくれ」
「はい。早速手配致します。その後ろの方はどなたでしょうか?」
「リンカさんだ。ローズの付き人兼護衛官兼黒猫」
「猫?」
「そうだ。彼女はたまに猫になるから、城中に自由に出歩く許可をする」
「かしこまりました。ではお二人のお部屋はどうしましょうか?」
「ローズは海が好きだと言ったが、どこが良いかな。できれば僕の部屋の近くにおきたいが、良い提案があるか?」
エフェルガンが尋ねると、フォレットが少し考え込んだ。
「私はどこでも良いんですよ。無理に海が見える所じゃなくても、かまいません。海がみたいなら見える所まで歩けば良いと思う」
ローズがそう言うと、エフェルガンがうなずいた。
「そうだな。それなら助かる。後で海が見える所を案内するよ。では、ローズは「王妃の部屋」に。リンカさんはその隣の護衛官の部屋にする。繋ぎ扉があるから護衛しやすいと思う」
「かしこまりました。では早速準備を致します。失礼します」
フォレットは頭を下げて城の中に入った。城は石でできていて、とても丈夫そうだ、とローズは周囲を見渡した。大きな扉の向こうに、広い居間があって、その左右にそれぞれ扉がある。またまっすぐ行くと大きな階段があって、途中で左と右に別れている。そこにまた廊下があって、いくつかの部屋がある。
エフェルガンはローズとリンカに城を案内しながら簡単に説明した。ダイニングルームや寛ぎの場所や図書室もこの階にある。ちなみにエフェルガンの執務室もある。扉の前に衛兵が立っている。
食事が準備されるまで、ローズたちは寛ぎの部屋に入り、休憩することにした。広い空間でとてもセンスがよい空間だ。南の国とはいえ、ドイパ国とまた違う雰囲気の部屋だ。金糸で刺繍されたカーテンで、窓から入る太陽の光をきれいに反射してきらきらと光っている。大きな窓で外の景色がきれいに見える。部屋のど真ん中に、大きなソファがあって、その周りはふわふわとした絨毯がある。ソファの前にテーブルがあって、その向こうにあるのは暖炉だった。
「あれ、ここは南の国だから、暖かいと思うけど、なんで暖炉があるの?」
ローズが暖炉の前でしゃがんで、周りを見ている。アルハトロスでは、暖炉がないからだ。
「雨期だと寒くなるんだ。ここはかなりの高地だからな」
「そうなんだ」
「ローズの部屋にもあるよ」
「へぇ?で、王妃の部屋って、昔ここに王様が住んでいたの?」
「いや、基本的に「王の部屋」と「王妃の部屋」があって、元々城主のための夫婦の部屋だったんだ。僕は王の部屋を使っているから、ローズはその近くにある王妃の部屋で良いかと思う」
「エフェルガンに奥さんができたら、私は引っ越すよ」
「そんなことは気にしなくても良いよ。王妃の部屋はローズに与えたんだ」
「あ、はい」
エフェルガンがそう言いながらソファに座る。
「あの・・」
リンカはエフェルガンに声をかけた。
「なんでしょう、リンカさん?」
「リンカで良いですよ。えーと、確認したいことがあります」
「はい」
「ここでは・・夜這いはありませんよね?」
出た、とローズは苦笑いした。
「夜這いか・・あるとしたら、どうする?」
「あるとしたら、毎晩ローズの寝台で寝ます」
リンカは即答した。
「そのような伝統があるが、僕はするつもりがない。ローズを無理矢理自分のものしても意味がないと思う。ローズに嫌われるし、龍神様に祟られるのも困るし、怒って暴走をしたらこの城が無事では済まされない」
「分かりました」
リンカがほっとした様子でうなずいた。
「たが、ローズが望んでいれば、僕は快く歓迎する」
エフェルガンがローズを見て、微笑んだ。
「うむ。今はそれを考えていない」
ローズが複雑な顔で見ると、エフェルガンが笑った。
「二年もあるから、これから楽しく暮らそう」
「はい」
「この部屋も自由に使って良い。僕の執務室以外は、他の部屋も好きなだけ使って良い。侍女や使用人、執事のフォレットもローズの世話をするようにと命じたから、安心して暮らせ」
「ありがとうございます」
「ローズは僕にとって、大切な人だ。ここは自分の家だと思ってもらいたい。欲しい物はなんでも言って下さい」
「はい」
「食事の後は、少し休もう。休んだら、少し見せたいところがあるから、僕と少し飛んでみようか」
「うん。楽しみ」
食事の準備が整えられたという知らせを受けて、ローズたちはダイニングルームに移動した。数々の料理が並べられて、当然すべて毒味をされたものだ。ローズとエフェルガンと二人で食べた。リンカは他の護衛官と一緒に食堂で食事をすると言った。
食事の後はフォレットに部屋を案内してもらった。なんていう豪華な部屋だ、とローズが周囲を見ながら思った。部屋に入ると、大きな天井付きベッドで、ふかふかの絨毯がある。部屋にソファとテーブルがあって、近くに勉強机のような机もある。高級感が漂うダークブラウンの机に椅子とセットしている。部屋全体の色合いは赤と茶色とクリーム色で調和されている。窓から庭が見える。エフェルガンが言った通り、部屋に暖炉がある。全体的にとても美しい部屋だ。
「気に入った?」
「うん。とてもきれいな部屋だ」
「良かった。また何か欲しいものがあったら、僕かフォレットか侍女に言えば良いよ」
「はい」
ローズがうなずいた。
「部屋にはトイレがあるけど、お風呂がない。お風呂はどこにあるの?」
「湯殿に行けば良い」
「分かりました」
ローズがうなずいた。
「アルハトロスだと基本的に部屋の中にあるよね」
「うん、他人の前で裸を見せないのはしきたりだから」
「なるほど」
「でも、ドイパ国で皆と一緒にお風呂を入ったから結構楽しめた」
「ははは、そうか。僕もローズと一緒に入りたいが、残念なことにここでは男女別々になっている。リンカと一緒に入れば良い」
「うん」
「じゃ、ローズは長旅で疲れただろう。休んで良いよ。後ほど、僕と一緒にこの辺りを飛んでみよう」
「はい、ありがとう」
エフェルガンはローズの手をとって、口づけした。そして部屋を出て行った。部屋を見て回って、隣を繋ぐ扉を見つけてノックした。リンカの返事が聞こえて扉を開けてみた。そこにはシンプルな部屋があった。大きさはローズの部屋と比べたら小さいけれど、とても快適な部屋になっている。机と椅子もあって、二人かけのソファと机がある。ローズの部屋と同様に、部屋の中にトイレがある。
「またリンカさんと一緒に長い旅になるね」
「うん。リンカで良いよ、ローズ」
「なんか大先輩を呼びすてにすると、失礼かな」
「ローズは身内だから平気よ。私も二人だけの時にローズを呼びすてにするわ。人の前だけ様を使うけど」
「はい。そうします。これから二年間、よろしくお願いします、リンカ」
「こちらこそ」
「でもエフェルガンは夜這いをしないと言ってくれて、少し安心したけど」
「さぁ、ここでもそのような伝統があると分かった以上、油断してはいけないわ。例えエフェルガン殿下はしなくても、他の皇子が忍び込む可能性がある」
リンカがため息して、周囲を見ている。
「ここではエフェルガンが主だから、他の皇子は来ないと思う」
「ローズは明日皇帝陛下と会う予定が入っているから、他の殿方の目にとまる可能性がある。それに殿下はするつもりはないと言ったけど、絶対しないとは言っていなかった。殿下も男だから、信用できない」
リンカがそう言いながら、ローズを見ている。
「ふむ。でもリンカはずいぶんと警戒しているね」
「ジャタユ王子はほぼ毎晩ミライヤの部屋に忍び込んできたからだ」
「まぁ、あの二人は結婚前提で付き合っているから、仕方がないと思う」
「そうね。ローズはどうするの?殿下と結婚するつもりなの?」
「姉上に結婚しないと約束したけど、・・正直に言うと、よく分からない」
「そう?私はローズが望むままで良いと思う。ローズが幸せであれば、それで良いと思う。恐らくダルゴダス様も同じ考えをしている」
リンカがそう言って、微笑んだ。
「でも姉上は、アルハトロスのためにエフェルガンと婚姻をしないように、私の前に頭を下げてお願いしたの」
「そうか。でも無理をしないように。ローズは女王陛下と立場が違うから、自分の気持ちを大切にすれば良い」
「はい。リンカと一緒に来て良かった。なんだか解放された気持ちになった」
「良かった。じゃ、少し休みなさい」
「うん。ありがとう。またね」
「はい」
ローズは自分の部屋に戻った。靴を脱いで、ベッドに転がって・・すーと、寝てしまった。
体が揺らされて、目を開けると二人の侍女らしい女性がいた。
「ローズ様、そろそろ起きないと・・」
「んー」
ローズは身を起こして、寝台に座った。二人の侍女を見つめる。二人は慌てて自己紹介してくれた。髪の毛がくるくるとしている子はカリナという。カリナより少し背が高いのはジャミマで、髪の毛が肩まで長い。二人とも鳥人族で、ミミズクフクロウの羽根耳が頭にある。やはりその羽根耳がかわいい。カリナの目の色は黄色くて、ジャミマは茶色だ。二人とも今日からローズの侍女として勤めることになった。
今日は皇子と出かける予定があるため、支度のために部屋に来たわけだ。リンカも部屋に入って、支度の手伝った。荷物の開梱はまだしていなかったため、とりあえずすぐに使う服だけをカバンの中から選び、身支度した。侍女ジャミマに髪の毛の手入れを簡単にしてもらっている間に、部屋に一人の男性がきて、侍女カリナが作ったお茶を毒味してからそのお茶をローズの前に持って差し出した。どうやら、毎日口に入れるすべてのものを毒味されないといけない、と告げられた。
支度が終えると、部屋を出たら、扉の前に先ほどの毒味役と二人の護衛官らしい男性がいた。二人ともやはり鳥人族で、侍女達と同じくミミズクフクロウの種族だ。髪の毛が明るい茶色で、瞳が黄色いのはハインズで、背が高くて、とても筋肉質でガッチリとしている。もう一人は少し小さめの者はエファインと言って、黒っぽいの髪の毛で、黄色い瞳をしている。二人とも今日からローズの護衛官になる。
リンカと一緒に、ハインズとエファインの案内を受けた。ここは三階、とても広い城で覚えられるかどうか心配だ。階段を降りて、ダイニングルームの反対側にある扉を出ると広いベランダがある。エフェルガンはそのベランダで待っていた。先ほどの服装のズボンと布が変わった。やはり上半身の服を着ない、とローズはエフェルガンを見て、思った。肩に布をかけるだけだった。
ローズが見えると、エフェルガンが大きな笑みで迎えにきて、手に口づけをした。そして翼を広げて、手を差し伸べた。
「一緒に飛ぼう、ローズ。ここなら誰もあなたの飛ぶ姿をおかしく思う者がいない」
「はい」
ローズはとても嬉しく思って、うなずいた。空を自由に飛べることを、人の前で隠さなければいけなかった生活から解放された。飛ぶことを念じると、体が浮いてきた。護衛官達は一瞬驚きの表情をしていたが、その後彼らが何も言わずに見ている。エフェルガンはローズの手を取り、翼を羽ばたき、空を見ている。
「行こう、空へ!」
「はい!」
ローズがとても嬉しくて、飛ぶことを念じた。上に、上に、高く、高くと空を飛んで、風を感じる、うれしさのあまり、思わず笑ってしまった。エフェルガンはスピードを落として、羽ばたきながら停止した。ローズも停止して、周りを見渡した。とても美しい景色がみえている。月に照らされている地上に広がる大地で、荒々し海と波の色だ。言葉で言い表せないこの美しい自然を目に焼き付いた。
「きれい・・」
「はい。これを見せたかった」
「空の色が、とても美しい」
「そうだな、僕はこの空の色が好きだ」
「いつかこのような美しい絵が描きたいな」
「僕はこの美しい空とローズが描きたい」
「道具はどうするの?置く場所がない」
「飛びながらじゃなくても良いと思う。山の上でもできる」
「そうか」
「今度、月の光がきれいな夜に都での約束を果たしてもらうね」
「ん?あの月光の下の話?」
「そうだよ。そのために頑張ったから、今度はローズが僕のためにおとなしく描かせてもらう」
「うむ、恥ずかしいな」
「その恥ずかしそうな顔が良いな」
エフェルガンは近づいてきた。翼が羽ばたいている音がばさばさと聞こえている。とても近くて、彼の温もりを感じている。エフェルガンはローズの長い髪の毛をとって、口づけた、そして彼の両手はローズの両手をとって、にぎりしめた。
「僕は今とても幸せだ。やっと会いたかったローズに会えて、そしてここまで連れて来ることができた」
「スズキノヤマの美しい空が見ることができて、私も嬉しく思う」
「スズキノヤマはとても広いから、これから少しずつローズを連れて行って廻りたい」
「はい、楽しみです」
「明日から忙しくなるけど、少しずつ時間を作って二人で楽しむ時間を増やそう」
「はい」
ローズがうなずいた。
「公務で会えない日もあるかもしれないけど、できるだけ朝餉と夕餉を一緒に食べられるように努力する」
「大丈夫だよ。あまり無理をしないように。仕事が大事だから、私はなんとか一人でもできるようにする」
「僕はもっと、・・ローズにとって頼れる男になりたい」
エフェルガンがローズを見つめながら、近づいた。
「左か右か分からないこの国では、エフェルガンに頼りっぱなしになっているんだけど」
「それ以上に、もっと、頼って欲しい」
「はい」
ぐ~~~~~~~~~~~
こんな時にまたあの恥ずかしい音がおなかから出た。
「うむ、早速ですが、頼っても良い?」
「夕餉か」
「うん」
「降りようか」
エフェルガンが彼女の目を見つめながら言った。
「でも星がきれいに見えるね」
「そうだね。またいつかきれいな星空を見に行こう」
「はい」
エフェルガンは両手でローズの体を支え降りた。彼の心臓の音が聞こえてきた。ローズにとって、とても懐かしい心臓の音で、柳を思い出してしまった。柳と別れてから、ロッコを男として認識してしまったものの、ロッコは今任務中で会えない日々が数ヶ月間も経った。そして今この遠いスズキノヤマでときめきを感じてしまった。恋に落ちてはいけないと分かっていても、押さえきれない何かが理性を狂わせてしまった。けれども、心を強くして、本来の目的をやらないといけない、とローズは思った。
明日から姫として皇帝陛下に会って、挨拶をしなければいけない。公務が終わったら、今度は留学生としてしっかりと勉強しなければいけない。頑張れ、私!、とローズはそう思いながら、赤く染まった顔でエフェルガンの心臓の音を聞いた。