55. アルハトロス王国 龍神の都 皇太子の訪問(3)
親善試合から二日間経った。
あれからエフェルガンとまったく会っていない。まだ都にいると思うけど、やはり政治的な話し合いで忙しいかもしれない。
ローズの生活は普段通りに戻った。朝の運動にハードな練習も普段通りで、昼間は習い事していて、午後になって少しの自由時間で絵描きをしたり、池の魚釣りにしたりした。もちろんキャッチアンドリリースだ。釣った魚の大きさを記録して、再び戻した。勝手に調理でもしたら、鈴に怒られてしまいそうだからだ。
夜になると、いつも通り、屋根の上にいる。近くにいるのに、会えない・・、と考えていると何だか寂しくなった。面倒くさがり屋のローズは、実はとても寂しがり屋でもある。
エフェルガンのことを考えて、何となく・・会いたい。ローズはなぜエフェルガンのことが気になるのか、自分でも理解できない。彼女はエフェルガンの何かに惹かれてしまう。自分がおかしくなるほど、気になってしまう。単なる寂しさに負けて、心が揺れているのでしょうか、と彼女が思った。あるいはエフェルガンの力に惹かれているのか、どれも理解できずにいる。
文通と違って、実際に目の前にいると、気になって仕方がない。心の中で、押さえきれない何かが、彼女の理性を狂わせている。彼女は彼に何を求めているのでしょうか、とその答えが分からないまま、悩んでしまった。あの親善試合の後、やはり自分自身がおかしいと思う。今夜も落ち着かないほど、彼のことを考えてしまう。
「エフェルガン・・」
頭の中でその名を呼んでしまった。
(ローズ?)
あれ・・、と彼女が気づいた。リンクをかけてしまったようだ。
(僕の頭の中に今声をかけたのはローズなの?)
「うん」
気まずいと思っても、彼の問いかけを答えた。
(すごいな。今どこにいる?)
「屋根の上にいる」
(会いに行きたくてもそちらに行けないんだ。あそこは宮殿内だから)
エフェルガンからの答えがあった。
「エフェルガンは今どこにいるの?」
(宿にいる)
「宮殿の近く?」
(ちょっと離れた所だ。花園という名前の宿だ。でもどうした?)
「ううん、何となく、会いたい・・かな」
(僕も会いたいが、陛下は許可して下さらなかった。ローズが試合で疲れているから大事をとって休んでいると言われてね)
「そうか」
(難しいな)
やはり鈴が許可してくれなかった、とローズは思った。
「都には、丸い形の公園があると思う」
(目の前にあるよ。僕の窓から見える)
「試したことがないけど・・」
(何を?)
ローズは目を閉じた。風を感じて、心を穏やかに整えた。周りに暗部がいると分かった。とりあえず降りて、寝室に戻った。
寝室の窓を開けて再び目を閉じて、イメージをかためた。
「瞬間移動」
戦闘でとっさに移動したのだけれど、戦闘以外で移動したことがなかった。だから試してみたい。あの公園まで行けるかどうか・・。
「ローズ・・?」
目を開けると、目の前にエフェルガンがいた。翼を広げて、彼女の目の前にいた。
「こんばんは、エフェルガン」
「こんばんは、ローズ」
「なんとなく、会いたかった」
「僕も、会いたかった」
「そして、会っちゃった・・」
ローズが微笑んで、彼を見つめている。
「ですね。もう寝る準備していたんだ」
「あ。寝間着のままだった」
「ははは、そうですね。寒くないか?」
「ちょっとひんやりかな」
エフェルガンは自分の肩を包んだ布を外し、ローズの肩にかけた。
「エフェルガンが寒いでしょう?」
「このぐらいなら大丈夫だ。スズキノヤマも同じぐらい夜はひんやりしている」
「そうか、ありがとう」
「いいえ。まさか本当に現れたとは、ローズは本当に天女だ」
「大げさよ」
エフェルガンが笑うと、ローズも笑った。
「さて、どうしようかな。何も考えずにここに飛んで来てしまった。護衛官もいない」
「うん。私も何も考えてない。ただ会いたかっただけで・・お邪魔をしてしまったかな」
「いや。ちょうど部屋に入って、ローズのことを思っていたところだった」
エフェルガンがそう言いながら、ローズの手を取った。
「空を飛ぼうか。でもあまり目立つと見られてしまうかな」
ローズが提案したら、エフェルガンは心配そうに彼女を見つめた。
「ここまで飛んで、魔力は大丈夫か?」
「うん。一応自分の部屋に戻れるための魔力がある」
「じゃ、ここであまり無理をしない方が良いか」
「飛ぶ能力も魔力依存に気づいたの?」
「なんとなくだけどね。ローズの話をいっぱい聞いたから、多分そうだと思う」
「話って?」
ローズが首を傾げた。
「あのオオラモルグの戦いの最中に、いきなり司令室から消えたと聞いて、オオラモルグの町で激闘していた後、二ヶ月間もずっと眠っていただろう?」
「うん」
「あれは恐らく体内の魔力が無くなってしまったため、生命維持するために、最低限の機能だけが動いていたんだと思う。心配してドイパ国までお見舞いに行ったが、面会が断られた」
「あの時か」
「そうだよ」
「御礼をまともに伝えられなかったまま、スズキノヤマへ帰ったが・・、再びドイパ国へ行ったらローズはもうアルハトロスに帰国したと言われた」
エフェルガンがそう言って、ローズの手をにぎっている。
「そうだったんだ。ごめんね」
「ローズが謝ることではない。でも僕はアルハトロスに来て良かった。ローズに会えて、本当に良かった」
「私もだ」
「僕と一緒に空を飛ぶか?」
「うん。でも大丈夫かな?」
「大丈夫だ、ばれないように布で隠す」
「うん。なんか、ドキドキする」
「僕もだ。一国の姫様をさらった気分だ」
エフェルガンが小さな声で言うと、ローズは軽やかに笑った。
「そうなる前に瞬間移動で消えるから大丈夫だ」
「頼もしい姫様だ」
エフェルガンはローズを布でかぶせて、両手でローズを抱きかかえて、翼を広げて、空を飛んで行った。高く高く飛んで、都のきれいな夜景を見せた。そして離れた所にある大きな木の上に止まり、彼女を下ろして、座るようにと言った。その木の上から見える夜景がとても美しい。エフェルガンはローズの隣に座る。
「ここは初めてアルハトロスに着いた夜に見つけた場所だ。スズキノヤマとはとても違う感じの夜景を楽しんだ」
「ここはとても田舎でしょう?」
「スズキノヤマの首都と比べたら、確かに人口が少ない。でも田舎ではない。ちゃんとした国の首都だ」
「そう?」
ローズが笑った。
「ローズが育った場所はここではないと聞いた。本当か?」
「うん。青竹の里という地方なんだ。ここよりも遙かに人が少ない地方だ」
「お父上はその地方の方か?」
「うん、領主なんだ。とても大きくて、強い人だ」
「一度会いに行きたい。女王陛下と話しがうまくいかないなら、ローズの父上なら理解してくれるかもしれない」
「外出の許可のことですか?」
ローズが首を傾げた。
「いや、ローズをスズキノヤマまで招きたいという話だ。観光だけではなく、ちゃんと留学するという目的なら理解してくれるかもしれない。実際にあちらの学校に行って、学んで、仕組みを知って、ともに生活すれば、この国にとっても悪い話しではない。スズキノヤマ国にとってもアルハトロスという国を知る機会でもある。お互いに有益だ」
エフェルガンがそう言いながらローズの顔を見つめている。
「行きたいな」
「俺もローズを招きたい」
「ねぇ、提案があるけど」
「聞かせて」
「毎年、何人かアルハトロスからの留学生を受け入れるという案に、父上も女王様もきっと興味を示すでしょう。あ、でもお金がかかるよね・・留学って」
「全額スズキノヤマが負担したらいけるかな」
エフェルガンが言うと、ローズが彼を信じられない様子で言った。
「結構お金持ちな国なんだね」
「そうでもないけど、教育の分は一応余裕に予算を入れていると聞いた。周囲の国々からの留学生も受け入れているから、アルハトロスもその枠に入れれば、大丈夫かと思う」
「そうか」
「良い提案をもらってありがとう」
「こちらこそ」
エフェルガンは翼を広げてそして片方の翼をローズの体を覆うようにした。
「羽根、暖かいね」
「そうだね」
「一つ聞いても良いかな?」
「何?」
「エフェルガンってやはり卵で生まれたの?」
エフェルガンは一瞬固まった。そして大笑いした。
「ははは・・、もう苦しい・・ははは」
「む」
「そうか、ローズは知らなかったか」
「一応、私は4歳児だから、何も分からないよ」
ローズが口を尖らせて、文句を言った。
「この世界に降り立ってから4年か。まだ知らないことがあって当然か。龍神の世界とはまったく違うかもしれないね」
「うん」
「この世界では、女性の種族によって変わるんだ。人型や精霊種族だと、普通に子どもを産む。鳥人族の女性は大体一つの卵を産み、一年間それを暖めて、守る。要するに、鳥人族の男性と人型女性と婚姻したら、子どもは普通の子どもとして生まれてくる。逆に人型男性と鳥人族の女性と婚姻したら、卵として生まれてくる」
「そうか。私は龍神族だから、分からない」
「人型だから、普通に子を生むかもしれない」
「多分ね。記憶の中ではそんな感じだった気がした・・昔の記憶だけどね」
ローズがそう言いながら、遠い昔のことを思いだそうとした。
「龍神の世界って、どんな世界なんだろう」
「それがあまり良く覚えてないんだ。私の記憶が不完全で思い出せないことが多くて・・」
「多分、龍神様は、昔いた世界よりも、今の世界にもっととけ込むように願っている、と思う。きっとローズは龍神様から何らかの役目を持ってここに呼び寄せられたのだろう」
「うーん、そこは良く分からない。今度龍神様に会ったら聞いてみようかな」
ローズがなんとなく言った。
「会えるのか?」
「ドイパ国で飛龍様にあったし、多分会えると思う」
「すごいな。やはりローズは龍神族の姫君だったんだ」
「そこも良く分からない。まだ、自分自身のことを良く理解していないんだ」
「この世界に来てから4年しか経ってないから、おかしくないと思う。でもローズは4歳児ではないな」
エフェルガンが否定した。
「体が小さいよ」
「小さくても立派な大人の女性だ」
「うむ」
「さっき抱いたときに・・気づいた。寝間着が・・薄いから」
「・・・」
エフェルガンが小さな声で言うと、ローズは恥ずかしくうつむいた。
「スズキノヤマではローズのような人々がいるんだ。小さい女性もたくさんいるよ」
「へぇ」
「だから、スズキノヤマでは、体が小さい女性はとても自然な存在だ。アルハトロスでは子ども扱いだろうけど、スズキノヤマに行けば、小さくてもローズは大人の女性として扱われる」
「そうか」
ローズはエフェルガンをキラキラとした目で見ている。
「そもそも、ローズは龍神族だから、他の種族と一緒にされるのが間違っていると思う。成長過程も、思考も、能力も、言葉も、一般的に存在している種族とはまったく違う存在だ」
「そうなんだ」
「あ、でも僕は龍神族のことを良く知らないのに、えらそうに言って、間違ったら、ごめん」
ローズが首を振った
「ううん。大丈夫。私も知らない。だからエフェルガンが言ったことはそうかもしれない」
「良かった」
「やはりエフェルガンって、ズルグンさんが言った通りだ。聡明な方だね」
「ズルグンか。あの人はいつも僕をかばい、守ってくれているんだ。たまに褒めすぎてしまうこともあるから、あまり気にしなくても良いよ」
エフェルガンが笑いながら言った。
「好きなんですね、ズルグンさんのこと」
「僕にとって、恩人であって、味方であって、師匠でもある」
「そうか。じゃ、私もズルグンさんと仲良くしないとね。エフェルガンの大事な人だから、味方に付けないといけない」
「ズルグンはもうすでにローズの味方よ。ローズの話になると、何時間も繰り返して話せるぐらいだ」
「いやぁ、そんなに話題にしたら大変だ」
「ははは。色々な地域から噂や話を聞き回ったさ。新しい話があったときにいつも僕の所に来て伝えてくれた」
「どんな話題にされたか・・気になるけど」
「よく食べるとか、泳ぐのが得意だとか、物事の分析がすごいとか、・・あとなんだ・・、キラキラと光る宝石が好きだとか」
「うむ」
ローズが戸惑った。
「だからエフェルガンは私によくキラキラと光る宝石を贈ってくるんだ」
「そうだね。全部ズルグンの提案で、何が好きかと聞いたら、キラキラのものがお好みだ、と教えられた」
「うむ。それはきっとドイパ国で、買い物した時、宝石店でジャタユ王子に買ってもらった髪飾りが情報の元だったかもしれない」
「そうだな。ズルグンは昨年まで在ドイパ国のスズキノヤマ帝国大使たったから」
「うむ」
「宝石が嫌いだったのか?」
「そうでもない。結構好きだよ。でも派手なものではなく、さりげなく・・美しくて、気軽に身につけられるものが好き」
「覚えておこう。今度そのようなものを職人に作らせよう」
「いや、無理にしなくても良いんだ。それに私はエフェルガンからのお人形が好きだったよ。けど、その人形が里の屋敷に置いてしまったんだ。いつまで都にいるか分からないから、無くすと困ると思って、持って行かなかった。他の宝石もほとんど持って来なかった。エフェルガンからもらった絵も布も全部里の自分の部屋に置いて、都に来てしまった。結局私は都で移住することになった。ここに持って来れば良かったなぁ、と思う時もある」
ローズがうつむいて言うと、エフェルガンが彼女をずっと見つめている。
「ご両親とは、血のつながりがまったくないと聞いたが・・」
「はい。それも知っているんですか」
「いや、考えてみたら、ローズは龍神族である。このことは疑う余地がなく、僕は確信している。この世界に来てから、という僕の言葉を、ローズは否定しなかった。普通だと生まれるという言葉を使うが、ローズの場合、ここに来るという言葉を使った。と言うことは、ローズは里のご両親とは直接できた子どもではないという結論に至った」
エフェルガンはそう言いながら、彼女を探った。
「私は、領主の養女です。今の女王も私とまったく血のつながりがないのも分かると思う」
「女王陛下とは一目でも分かるよ。陛下は蛇人族で、ローズは龍神族だ。例え本当の姉妹であっても、なんとなく雰囲気が違う」
「うん」
「でも、ご両親の養女というのは多分正しくないと思う。龍神の姫君だから、一時的に預かってもらって、戸籍を与えられた。神殿の中に置いておくよりも、家庭の中で育てられた方が人々のことを理解できるからだと思う」
「人を理解するか」
「人としての役割を全うするため・・かもしれない」
「そうか。どんな目的でこの世界に来たか分からないけど、とりあえず生きてみるしかないね」
「スズキノヤマにも聖龍の神殿があるよ」
「聖龍か・・会いに行きたいな」
ローズがまた空を見つめている。きれいだ、とエフェルガンは瞬きながらローズを見つめて、心の中で言った。
「明日女王陛下と話し合うよ」
「うまくいくと良いんだけど」
「今ここでの会話は、僕にとって大切な切り札となった。ローズの願いを叶えるために、使わせてもらうよ」
「本当にエフェルガンって聡明な人だ。敵に回したら怖いな」
ローズは苦笑いした。けれど、エフェルガンの目がとても真剣だった。
「僕は前に言ったと思うけど」
「ん?」
「この命はローズにもらった命だから、ローズのために使いたいと思っている」
「うむ、私はそれは大げさだ、と言った気がする」
「ローズは僕の大切な人だ。その笑顔のためなら、努力を惜しまない」
「ありがとう」
エフェルガンはローズの手を取り、口づけした。
「月の光に照らされているローズの姿を見ると、このままどこかへさらってしまいたい」
「そんなことになったら、戦争になるよ」
「ははは。そうだね。でも、本当に。きれいだ。道具があれば、絵にしたい」
「私をスズキノヤマまで連れて行くことができたら月光の下で絵にしても良いよ」
「なら、頑張らないといけない」
エフェルガンがそう言いながら、微笑んだ。
「うん」
「本当は、もっとローズと過ごしたいが、今宵はもう遅い。休まないといけないな」
「はい。長い時間 付き合ってくれてありがとう、エフェルガン」
「いいえ。僕こそ、ローズに会えて良かった。寝る前に、また頭の中に声をかけてほしい」
「はい」
「では、宮殿の近くまで送って行こう。近くなら、瞬間移動にかかる魔力をあまり消費しないと思う」
「はい」
エフェルガンはローズを両手で抱きしめた。そして背中と脚を手で支え、空を飛び立った。宮殿がぎりぎり見える所まで見計らって、空中で止まった。
「瞬間移動!」
ローズは自分の部屋を座標にして、部屋の中に戻った。窓をそっと閉めて。寝ようとしたら、エフェルガンの肩掛け布が自分の肩に掛かったままだった。
「エフェルガン」
(はい)
「布が・・」
(今夜僕の代わりにローズと一緒に空を飛ぶ夢でも・・)
「うん」
(お休み、ローズ)
「お休み、エフェルガン」
その三日後、女王鈴からローズにスズキノヤマ帝国へ留学する命令が下った。期間は2年間、黒猫のリンカとともに行くことになる。またその他、アルハトロスからの大使もともに行く。ススキノヤマ帝国は正式にアルハトロス王国の同盟国となり、協力体に賛同の意志を示した。また翌年から、優れた若者のスズキノヤマへの留学の受け入れ体制も話し合われていたという。