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消えていくきみに


「ねえ、どうしたの?」


 時折、哨戒の兵とすれ違う以外、城壁の周辺に人影はなかった。ただひたすら北へと向かう道筋に飽いたのか、めずらしくミラのほうから問いかけられる。

 足を止めることはできなかった。

 どうしても、じっとしていることはできなくて。


「別に」


 視界の端の時計が、残り少ない時間を刻み続けている。

 そっけなく答えたつもりが、逆に焦りが前面に出た声音になってしまった。


「シリウス、さっきからずっと変だよ?」

「――そう、かもな」


 何が残るのだろう。

 これほど短い時間しか遊んでいなくても、惜しいと思うほどに。


「で、何かしたいこととかないのかよ」

「そういうとこがおかしいんだってば」


 βテストなんだから。

 いつか必ず終わりがくることなんて、知っていた。

 すべてがリセットされた上で、正式にサービスインする例も多い。

 そんなことは百も承知の上で、利用規約を呑んで始めたはずだった。


 でも。


「うん……訊く相手がね、違うと思う」


 胸に杖を抱き、ミラは立ち止まる。

 同じように、オレもまた、その場にとどまった。


 鏡のように黒い瞳が、返される。


「シリウスは? シリウスは、どうしたいの?」


 小走りになっていたのだろう。ミラの息は切れかかり、その呼吸は少し荒くなっていた。それでも、まっすぐに問いかける彼女の心は変わらない。

 きっと最初から、迷いながらも。


「オレは」


 同じ音で、兄と呼んでほしくなかった。

 重なる面影が、疎ましかった。

 これだけそばにいるのに、手を伸ばせないんだ。


 途切れたことばは、ミラに対するものではなかった。

 カウントダウンが焦りを増幅して、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。


 そばにいてほしいのに、そばにいたら、ただつらいだけだった。

 そばにいてほしくなくて、だから、引き離した。


 どちらも同じ行動で、結局自分はどこでも変わっていないのだと……自嘲する。視線を逸らした瞬間、低く、厳しい音が耳を打った。


「命の神の祝福を受けし者」


 それは、呼びかけだった。

 目を上げると、口元を引き結んだミラが表情を歪ませ、ことばを続ける。


あなた(・・・)が何であれ、わたしにとっては変わらない。

 魔族を倒す道筋を選ぼうと、ただ世界の果てを望もうと、シリウスはたったひとりの……」


 鐘が。

 時を告げる鐘の音が、響き渡る。


 ミラのことばは最後まで聞き取れなかった。

 それでも、その意味くらい、オレにだってわかる。


 シリウス(オレ)に対して、心ごと突き抜けたミラの決意は、きっと置き去りにしたあとから今も、これからもずっと変わらないのだろう。

 例え、世界が終わってしまったとしても。


 不意に、一通の封書が正面に出現する。以前も見た、不吉な内容を運んできた……システム・メッセージだ。


『プレイヤーの皆様へ

 あと十分で、全ゲーム・サーバーをシャットダウンいたします。

 シャットダウン開始以前に、ログアウトをお願いいたします――』


 脳裏に響く運営のアナウンスに、視線を外へと向ける。

 どこに行けるだろう。そう心がまだ迷う。

 城壁をぐるっと回っていたためか、地図的には相当北側へと進んでいた。そして、先ほどまでは見えなかった「礼拝堂」の文字が、城の真北に出現していることに気付いた。城壁の外側にあるそれの周辺には、庭園のようなグラフィックが見える。


「――急ごう」

「え?」

「一緒がいいんだろ。ほら、急げって」


 馬車も走れるほどの、石畳の道を駆け出す。

 いつの間に持っていたのか、道具袋インベントリに残っていた疲労度回復薬(スタミナ・ポーション)もミラに使用すれば、小声で不満が後ろから続いた。それでも、ミラはついてくる。


「もったいないーっ」

「いいから!」


 この期に及んでマラソンかよ、と思わなくもないが、壁に囲まれてゲームを終了することに比べればマシだ。

 想像したような庭園がちらりと、見え始める。


 その時だった。


 軽快な旋律(メロディ)が流れ、通話を要求するアイコンが視界に出現した。このタイミングでとアイコン上の相手を見れば、何と「アシュア」とある。


『――はぁい、シリウス』


 軽い呼びかけに対して、どう反応すればいいのかわからなかった。

 もう時間がない。まさか今から狩りの誘いということもなかろうに。


『ふふ、β2でもよろしくね。また、会いましょう!』


 それは、最期の別れでありながら、次への約束だった。


「ああ、うん。また」


 愛想のない、面白みのない返事に「うん、まったねーっ」と明るい声音が返されて……通話はあっけなく、終わった。


「え、何?」

「いや、こっちの話」


 フレンド登録した相手、すべてに掛けているのかもしれない。

 アシュアならやりかねないなと思いながら、ようやく庭園へとオレたちは足を踏み入れた。整えられた通り沿いの花壇が目を楽しませる。

 遠目に見える礼拝堂らしき建造物はとても優美な曲線を描いていて、どこかのモスクにも似た雰囲気を醸し出していた。

 走るのをやめて、それでも歩みは、やめない。


 そんな中も、しつこく、システムメッセージが流れていく。

 あと五分か。

 小さく溜息を洩らしながら、同じように歩むミラへと視線を向けた。


「……」


 その表情が、先ほどの厳しさをすっかりと落として。

 白亜の城を見た時よりもなお、頬を薔薇色に染めて緩んでいる。


 神官見習いという立場的にも、彼女には礼拝堂のほうが心を打つのかもしれない。


 そして、オレは目を瞠った。


「――バッカじゃねえの……」


 自分がしたかったことに、今更、気付いた。

 NPCだと知りながら、ミラを喜ばせたかった。

 それがシステムの琴線に触れているだけだとわかっていても。

 ミラという存在を、惜しんで。


 美しい、思い出にしたかったんだ。

 まだ、ここにいるのに。


 立ち止まり、拳で目を覆う。

 顔に当たる風で冷えていたのか、拳の熱さが目をあたため、その一方で頬が焼けるように熱かった。


「シリウス?」

「これならまだ、戦ってたほうがよかったかもな……」


 深々と、溜息をつく。もう今日は何度ついたかわからない。

 後悔を重ねた、βテストだったようにも思う。

 それでも。

 最後の最後まで、このサポートキャラクターを生き延びさせ、共にここまでたどり着いたことを――誇っても、いいだろうか。


 あと一分。

 しつこいシステムメッセージを叩き消し、オレはミラへと向き直った。小さな身体で、不慣れな戦闘に挑み続けた戦友だ。

 ミラは不思議そうに、こちらを見上げている。


「――助かったよ、ミラ」


 どんなことばも、βテスト終了の現実の前には、きっと何の意味もない。データとしてすら、残らない。

 ただ、彼女がふんわりと微笑ったことを、おぼえていたかった。


 ありがとうと、最後に口にできたかどうかは、現実に目覚めたオレにはわからなかった。


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