あなただけを・・・(16)
コーヒーの準備が出来るまで居間にいるように言われた由衣は周人がお酒を買いに出かけて家にいないにもかかわらずリラックスした様子でちょこんと座っていた。先程受けた静佳からの攻撃がよほど効いたのか、鳳命は1人がけのソファに腰掛けてテレビを見ているのみでこれといって何かをしてくる気配もみせなかった。由衣はバラエティ番組が流れるテレビを見ながらまるで自宅にいるようにくつろぐ自分がさっきまで緊張でガチガチだった事を思い出して1人苦笑した。自分以上に緊張した源斗や、和やかな空気をくれる静佳の雰囲気がそうさせてくれている事を実感しながら、由衣はいつかこの家族の一員になっても十分やっていける自信を持ち始めていた。なにより、特異な能力で自分と周人の未来を教えてくれた静佳の言葉を思い出せば自然と頬も赤くなる。一人ニヤけて微笑む由衣を見て可愛いと思いながらふつふつといたずら心が沸き上がってきた鳳命だったが、さっき席を外すように出ていった源斗が戻ってきたために何の行動を起こすことも出来ずに何気ない様子を見せながらそちらを見やった。小脇に何かを抱えて戻ってきた源斗は由衣の横に座ると、その横にアルバムらしきファイルを2冊置いて由衣の前へと差し出す。
「周人のアルバムだよ・・・あいつがいたら嫌がって絶対見せてくれないと思ってね」
その言葉から、最初からこれが目的で周人1人にお酒を買いに行かせたと悟った由衣は瞳を輝かせながら『1』と書かれたアルバムを開いた。そこには色あせながらもはっきりと赤ん坊の頃の周人の写真がきっちりと並べられていた。
「かわいいぃ~!」
思わず感嘆の声を上げた由衣だったが、目も大きくぱっちりしているその赤ん坊は確かに周人の面影を残している。歩き始めた頃の周人などはかなり可愛く、由衣は実際会って抱きしめたくなるような衝動を覚えていた。やがて写真は幼稚園、小学生へと進んでいく。可愛さの中にも生意気さが出てきた周人の写真の中から、由衣は綺麗なフォームで蹴りを放っている写真に目を留めた。
「この頃からじゃな・・・この子が天才だと感じ始めたのは」
懐かしむようにそう言う鳳命はいつの間にかちゃっかり由衣の隣に座って目を細めながらその写真を見つめるようにしていた。その言葉にうなずく源斗も口元に浮かべた優しい笑みもそのままに何かを思い出すような仕草を取った。
「やっぱり、この頃から凄かったんですね」
「歴代最強と言われていた、まぁ実際かなり強いんじゃが、そのワシをたった8歳の子供が投げ飛ばしよった・・・・しかも、手首を完全に極めてな」
「父さんじゃなかったら、オレだったら手首を折られていた」
苦笑混じりにそう言うと、源斗は鳳命を見て互いに笑い合った。その会話からも、やはり周人の強さが絶大なものであるとわかった由衣はあらためて彼の強さを認識したのだった。1冊目のアルバムは小学生の卒業式で終わりを告げ、続いて2冊目のアルバムに手をかけた時、台所からコーヒーの入ったお盆を手にした静佳が入ってきた。手伝おうとする由衣を笑顔で制した静佳はテーブルの上にコップを置いていくと由衣が開こうとしているアルバムを見やって目を細めた。
「由衣ちゃんにしか、見せられないアルバムね」
意味ありげにそう言う静佳に少々戸惑った顔を見せた由衣だったが、にこやかに微笑む静佳にうながされてそのアルバムの表紙を開いた。まず最初のページには中学生になった周人と哲生が仲良く肩を組み合って『入学式』と銘打たれた看板の前に立っている写真から始まっている。小学生の頃の写真にもミカや哲生と一緒に写っている写真が数枚あったせいか、これといった違和感はなかった。ニキビだらけの哲生と違い、周人の顔はまだどこか幼い。ページをめくれば運動会などのイベント行事の写真が現れた。この時点で大きな胸を目立たせ始めているミカの横でおにぎりを頬張っている周人の顔を、由衣は微笑みながら見ていた。
「この頃からかなぁ・・・ミカちゃんが周人に甘え始めたのは」
そう言う静佳もいつのまにか絨毯の上に座り込んでアルバムを覗くようにしている。
「哲生君を好きになってからだったな、たしか」
「私は三角関係になればいいのにって思ってたのよ」
思わぬ事を口にする静佳を見上げると、その視線はバツが悪そうにしている源斗へと向けられている。そんな2人に小首を傾げた由衣の耳元に顔を寄せた鳳命は源斗を横目で見ながらあえて周囲に聞こえる声で耳打ちをした。
「哲生君の父親とうちの息子はその昔、静佳さんを取り合う三角関係だったんじゃ」
「ちょっと父さん!」
その意外な言葉を由衣に投げた鳳命の狙い通りか、驚いた顔を源斗に向ける由衣から顔を背けるその仕草は息子である周人のそれとうり二つであった。困った顔をして頭を掻く源斗を見やる静佳はクスッと笑う顔を由衣に向けた。
「てっちゃんのお父さんとうちの人も幼なじみでライバルだったのよ。でも、そう強くなかったお父さんは試合をしてもてっちゃんのお父さんには勝てなかった。でも、恋の勝負はお父さんの勝ち・・・頑固だけどすごく優しかったし、何より・・・見えたのよね、この人との未来が」
その最後に言った言葉の真の意味をただ1人理解した由衣はにっこりと微笑み返すといまだにすねたような顔をしている源斗を見やった。
「親子で因果な事になるかと思ったけど、周人はミカちゃんを妹のようにしか感じていなかったしね・・・ちょっと残念かなぁ」
「ま、恋も試合も、無効に終わったしな」
つぶやくようにそう言う源斗はここでようやくアルバムへと顔を戻した。由衣はもう1度さっきの写真を見てからページをめくっていった。やがて写真は中学校の卒業式の様子に変わり、そして高校の集合写真が姿を現した。仲良し3人は同じ高校に進んでもその関係は変わらないようで、一緒に写っている写真が多く見られた。紺のブレザーにグレーのズボン、そして濃い赤のネクタイも似合う周人が同じ姿の哲生とやや真剣な目をして蹴りあっている写真に目が行った由衣は、やや長めの前髪もうっとおしそうな周人のその髪型が無性に気に入ってしまった。今と同じぐらいの長さの髪は耳までを覆い、目の下まである前髪以外は軽く後へ流れるようにしてあった。この頃から変わらぬ髪型をしている周人を見て微笑む由衣が次のページをめくった瞬間、その表情が見る間に曇っていった。左側には写真が2枚あるのみで、見開いたアルバムにはもう写真は貼っていなかった。まだ全体の半ばほどでしかないにも関わらず、そこから先に写真は1枚もないのだ。この2枚で終わったアルバムの最後の写真を見る由衣の表情が徐々に険しくなるのを、静佳は見逃さなかった。
「彼女が恵里ちゃん・・・この後の周人の写真は一枚もないわ・・・・」
上に貼られている縦の写真には自転車の後ろに白いワンピース姿の少女を乗せた周人が写っていた。一緒に写っている少女はショートカットのその髪も黒く、艶やかであることがすぐにわかった。お嬢様座りをして楽しそうに笑うその少女を後ろに乗せて走る周人の顔も笑顔であった。たしかに可愛い顔をしているが、特別可愛いといった風ではない。だが、笑顔が似合う、可愛い感じがするその写真を見て康男からも聞かされていた通りの印象を受けた由衣はその姿を目に焼き付けるようにしながらさっき静佳が言った『由衣にしか見せられない』という言葉の意味をここでようやく悟ったのだった。恵里の事を昇華し、受け入れた上で付き合っている由衣だからこそ、見ることが許されないような感じがする。そう思いながら最後の1枚に目をやる由衣は哲生とミカがふざけ合う横で困った顔をする周人を微笑みながら見ている恵里が写った写真に小さな微笑みを浮かべて見せた。今の自分と同じような表情をするその恵里を見てさえ、こうも笑顔を見せられる由衣に源斗も静佳も由衣という人柄に素直に感謝の気持ちをもった。
「好きだっていうの、すごく伝わる写真ですね」
嫉妬するでもなく、だからといって勝ち誇るでもなくそう言う由衣は同じ制服を着た4人を羨ましいとは思いつつも恵里が愛した人を恵里以上の愛情を持って寄り添って行こうと誓いを立てる。なにより、死んでもなお周人を守るためにその彼女である自分すら守ってくれている恵里に感謝の気持ちを持つ由衣にしてみれば、この写真こそ今の周人の原点であると思えて仕方がないのだ。自分の守護神である恵里を受け入れる事が出来る器を持つ由衣だからこそ、そう思えるのかもしれない。微笑みを残して閉じられたそのアルバムを源斗の方へと押すようにして返す由衣を、その手を止めさせた源斗は意味ありげな様子で静佳の顔を見た。その表情を見た静佳は小さくうなずくときちっと正座をして由衣に向き直り、そのアルバムを由衣の前に押し戻した。
「ここから先の空白には、あなたたちの写真でいっぱいにして下さい。2人の想いがいっぱい詰まったアルバムを、3冊目、4冊目と増やしていって下さい。私たちから、由衣ちゃんにしかできないお願いです」
そう言うと丁寧に頭を下げる静佳に続いて源斗も小さく頭を下げた。その仕草にあわてる由衣はかなり困った様子ながら頭を上げてもらうように懇願した。
「そ、そんな・・・頭を下げられることではないです。まだ全然少ないですけど、写真は持っています。もちろんこれからも増やしていきます。そんなの当然じゃないですか。だから改まってそうおっしゃらなくても・・・」
まさかこんなことで頭を下げられるとは思ってもみなかった由衣はあわてた様子でそう言った。ゆっくりと頭を上げた静佳はかすかに笑うような仕草をみせながらも真剣な顔を由衣へと向けた。
「あなたがいなければ、周人はこうも変われなかった。本当に感謝しています。これからも、あの子の事、よろしくお願いします」
まるで結婚する時の言葉の様な台詞を投げかける静佳に、もはや何も言うべき言葉を持たない由衣は頭を下げてこちらこそよろしくお願いしますと言うのが精一杯だった。こうまで自分を受け入れ、歓迎してくれる両親の想いに、由衣はうっすらと涙を浮かべていた。そんな3人を見る鳳命は満足そうな顔をしながらソファに腰掛けると、膝の上にアルバムを置きながら微笑む由衣を見て小さな笑顔を浮かべるのだった。
「あれ?何やって・・・・・・・・・って、そのアルバム・・・」
玄関でただいまと声を発して帰ってきた周人だったが、話に夢中だった由衣たちはそんな事に気付かずに急に入ってきた形となった周人をビックリしたような顔で見上げた。そしてそんな由衣の膝の上に置かれている自分のアルバムへと目をやった周人はあわてるそぶりを見せながらテーブルの上に買ってきたお酒を置くとアルバムをひったくろうと手を伸ばした。しかし、力を入れてしっかり握り、さらにはそれを背中に隠すようにした由衣は小悪魔的な笑顔を見せて周人を見やる。源斗も静佳もそそくさとコーヒーを並べており、鳳命に至ってはいつの間にかいなくなっている始末である。
「おい!勝手に見せるなよなぁ・・・」
ぶつくさそう言う周人にニタッとした笑みを絶やさない由衣はしっかりとアルバムをキープしたままテーブルにつくと、静佳が置いてくれたコーヒーに砂糖を入れていく。
「お父様に見せていただいたの・・・なかなか興味深い写真がいっぱいで、聞きたいことも山ほどできたわ」
実に落ち着いたそぶりを見せながら意味ありげにそう言われた周人からは顔を引きつらせながらそんな写真があったかどうかを必死で考えている様子がありありと出ていた。
「そうね・・アレはさすがに、親として恥ずかしいわ」
由衣に合わせるように冷ややかにそう言う静佳はミルクを入れたコーヒーをかき混ぜながらチラッとだけ周人を見た後、目を伏せるようにしてため息をつきながらコーヒーを味わう。源斗に至ってはムスッとした顔をして腕組みをしている始末だ。そんな3人を見て意味もなく冷や汗を流す周人は必死で頭をフル回転させるが、全く想像も出来ない。
「ど、どんな写真だよ・・・」
ゴクリと唾を飲み込んでそう言うのがいっぱいいっぱいの周人はトイレから戻ってきた鳳命にすがるような目を向けながら耳元でどんな写真だったかを聞いてみた。
「お前・・・信じられんなぁ・・・わしゃ情けない・・・」
だが、大きくため息をつく鳳命は大げさな動きで頭を振ると腰に手をやりながらジトッと周人を睨むようにしたのだ。もはやいろいろな事が頭の中をグルグル回る周人は引きつった顔に冷や汗を浮かべながらどうすることも出来ずに突っ立ったままだった。さすがにこらえきれなくなった由衣が噴き出したのをきっかけに全員が大笑いする様子を見てようやく自分が騙された事に気付いた周人は怒りにわなわなと体を震わせながら、さっき源斗がそうしたようにそっぽを向くのだった。
小高い丘の斜面に沿って規則正しく立ち並ぶ墓石は夕方とはいえまだまだ高い太陽の光を反射してまぶしく輝いていた。周人の実家から車で十五分程度の場所にその墓地は存在し、お盆とあってか夕方にもかかわらず多くの人の姿がそこにあった。霊園というだけあってかなりの敷地を持つそこは丘の斜面の中腹から上をぐるりと囲むようにして墓石が並んでいた。片側2車線ある大きな道路から少し奥に入った場所から急な坂道を上がればすぐに住職が住むお寺があり、そのお寺をすり抜けるようにして脇にあるさらに急な坂道を上がればそう広くはない駐車場が姿を現すのだ。春になれば満開の桜を咲かせるその木は緑の葉を青々と茂らせており、その急な坂道の両端に不規則ながら並んで立っているのだった。その桜の木の間を進むジェネシックは坂を上りきり、丘の中腹にある駐車場へとやってきた。さすがにお盆だけあって駐車スペースは満杯であったのだが、ちょうど今帰ろうとする車のおかげで待たずに駐車できたのはラッキーだ。静佳が用意しておいてくれたお供えの花と、線香とライターの入った小さな紙の手提げ袋を持った周人は夕方とはいえ暑い日差しにうんざりしながらも助手席を出た由衣を待って斜面にそびえる墓石群を右手に奥へと向かって歩き始めた。向かって左側には広大に広がる住宅街が見渡せ、さっき通ってきた大きな道路もはっきりと見て取れる。墓石がそびえる右側の奥には山があって、後ろには青空が広がっているのみだった。見晴らしのいい景色を見ながら周人に並んで歩く由衣は目の前の奥に見える空き地に注意を向けた。どうやらさらに奥まで開発するようで、そこには工事に使う作業車が2台ほど停車していた。その空き地の手前に腰ぐらいまでの高さのコの字形したコンクリートに囲まれた水道の蛇口が見て取れる。墓参りというものをほとんど体験したことがない由衣はその全てが珍しく、その蛇口の横に置かれた物置の様な物体に眉をひそめてみせた。周人はそのままその物置へと向かうと無造作に扉を開く。ややゴトゴトと軋む音を響かせて開いたその扉の中にはひしゃくと桶がぐちゃぐちゃの状態で置かれていた。その中から比較的綺麗な桶を手に取ると横にある蛇口から水を注いでいく。ひしゃくを手に持つ周人を物珍しそうに見やる由衣に苦笑する周人はたっぷり入った水をたたえた桶を手にすぐ真横にある石で出来た階段を上がり始めた。
「真ん中やや左あたりだよ」
両手がふさがっているためにそう言ってアゴで方向を指す周人だが、どれも同じ形をしている上に彫られた文字も見にくいせいか、どれが恵里の墓石かはまったくわからなかった。無言のまま階段を上った周人はおもむろに右側へと向かう。よその家の墓石の前を通り過ぎ、さっき説明したように真ん中よりやや左寄りにある墓石、『磯崎家之墓』と銘打たれたその墓石の前に立った。
「ここだよ」
ちゃんと敷地を囲むようにしてひっそりとそびえる墓石を見やる由衣を横目に周人はてきぱきと花を添えると箱に入った線香を一掴みしてライターで火を点ける。ゆったりと煙を揺らすそれを墓前に立てた周人は桶を手に取ると、ひしゃくで墓石のてっぺんからそっと水をかけた。真夏の太陽によって熱せられた石が冷ややかな水を浴びて歓喜の悲鳴を上げているような気がする。流れ落ちる水は彫られている文字を通過して染みこむことなく下へと流れていった。何度かその動作を繰り返した後、周人は桶にひしゃくを突っ込むと墓石を正面に立って目を閉じてそっと手を合わせた。背後に立つ由衣はジッとその動作を見ているのみで何の言葉も発することはなかった。1分ほどそういてした周人は手を下ろし、まっすぐに墓石を見つめる。
「紹介するよ・・・吾妻由衣、オレの彼女だ」
そう墓石に語りかけた周人は小さな段になっているそこから降りると、由衣の背中を押すようにして墓石の前に立たせた。
「さっきオレがしたようにして水をかけた後、手を合わせればいいよ。話したいことがあるなら、その時話せばいい」
緊張した顔をしながらうなずいた由衣はさっき周人がした動作を繰り返していく。そんな由衣に微笑を浮かべながら見ていた周人は滴り落ちる汗を拭うと眼下に広がる住宅地へと目をやった。こうしてここへ来るようになってもう8年経つ。感慨深いものが胸を埋めていく中、目を閉じて手を合わせている由衣の背中を見ながら何か複雑な想いが胸をよぎった。
「ホント、お前に新しい彼女を紹介する日が来るなんてな・・・」
目の前にいる由衣に聞こえないほど小さな声でそう言う周人は一生懸命手を合わせていた由衣が元の態勢に戻り、さらにそこから頭を下げるのを見て片眉を上げた。
「なんで礼を?」
振り返った由衣を見ながらそうたずねる周人に向かってにこっと笑う由衣は頬を流れている汗をハンカチで拭き取ると飛ぶようにして段を飛び越えると周人の前に立った。
「助けてくれてありがとうって、んで、これからもよろしくお願いしますって」
にこやかな顔を崩すことなくそう言う由衣を見て淡く微笑み返す周人の頬を、そっと優しく風が撫でた。微笑み合う2人はもう1度墓石を見る。
「じゃぁな、また来るよ」
「また来ます」
そう言うと2人は墓石に背を向けた。緩やかな風がさわさわと頬を撫でる中、周人は恵里が由衣を受け入れた事を信じ、そして改めて誓いを立てた。絶対に、何があろうと守り続ける事を。
暑い日中の事を考慮して、今日の夕食はそうめんとなっていた。墓参りから帰った周人は今晩泊まる自分の部屋の片づけをし、由衣は静佳を手伝いにキッチンへと向かった。源斗は居間でテレビを、鳳命は一番風呂を楽しんでいた。元々近所のアパートで1人暮らしている鳳命は度々息子夫婦の家に来ては泊まったり夕食をよばれたりしているのだ。今回は周人が彼女を連れてくると知って押し掛け、さらには泊まるつもりでいたのだった。お風呂場はキッチンの奥、廊下を挟んで向かい側にあるために脱衣所で服を着ていた鳳命の耳にはキッチンで楽しそうに会話している由衣と静佳の声が聞こえてきている。今日会ったばかりなのにすっかり打ち解け合っている2人は実の親子のように仲むつまじく夕食の支度をこなしていたのだった。そんな可愛い由衣の声を聞きながら何かをひらめき、ニタッと笑った鳳命が着替えもそこそこに脱衣所を出た瞬間、2階から降りてきた周人と鉢合わせをした。
「どうでもいいけど、盗撮とか止めてくれよな・・・家族の恥だ」
その言葉にビクッと体を揺らす鳳命は自分の心を見透かした周人にニタリと笑ったが、次の瞬間目にも留まらぬ蹴りを周人の側頭部に向かって放ってきた。七十歳とは思えぬその凄まじい動きは稲妻のようであり、歴代最強と言われたその腕はこの年をもってしても健在と言わんばかりの蹴りであった。だが、周人は必要最低限の動きでそれを避けると、軸足に左手を添えるようにして動きを封じながら右手で浴衣の胸元を掴み上げた。完全に動きを封じられた鳳命はもはや驚きの顔を浮かべるしかない。
「驚きじゃよ・・・今日見ていた限りは相当腕が落ちたとしか思えなかったのに」
「じいちゃんの腕が落ちたんじゃないか?」
そう言うと手を放す周人は無表情のまま鳳命を見下ろした。帰省してから全く気の張った部分を見せなかった周人からその怠けきった空気を感じていた鳳命は、就職して鍛える時間を失っているために今でもみっちり鍛えあげている自分の方が腕前が上だと思っていたのだ。実際、やって来た由衣にセクハラの限りを尽くした時も周人は鳳命をとらえることができなかったからだ。
「昼間は手の内を見せなんだというわけか?」
「いや、本気じゃなかっただけだよ・・・」
そう言う周人からじわじわと殺気が発せられていく。その気に思わずゾクリとした鳳命が無意識的に身構える中、騒ぎを聞きつけた由衣がキッチンから顔を出して廊下に立つ2人に視線を向けた。その一瞬で殺気をうち消した周人はすました顔を由衣に向け、鳳命はそそくさと居間の向かい側にある和室へと姿を消した。
「何やってんの?」
「じいちゃんとぶつかったんだ」
「・・・・そう。もうすぐご飯できるよ」
その言葉に笑顔でうなずいた周人はそのまま居間へと向かった。そんな周人の気配が廊下から消えたのを確認した鳳命は一瞬程度とはいえ、周人から悪寒を感じた自分を信じられないといった気持ちでいっぱいになっていた。
「あやつの強さは底なしか?じゃが、やはり・・・あやつしかおらぬわ」
真剣な眼差しで1人そうつぶやく鳳命はご飯だと自分を呼ぶ静佳の声に軽快な調子で返事をするとさっきまでの怖い表情はどこへやら、スキップ混じりに部屋を飛び出すのだった。
普段は2人だけの寂しい食卓のせいか、今日は周人と由衣、そして鳳命がいるために終始嬉しそうにしている源斗と静佳はいつもよりもよく会話をしていた。何より、家を出ている1人息子が自分の彼女を連れての帰省が何より嬉しかったのだろう、源斗は周人にもお酒をすすめ、由衣の事などを積極的に聞いたりもしていた。由衣も気さくに両親と会話するのを見た周人は終始ご機嫌な様子で夕食を楽しむ事ができた。そして夕食も終わりを向かえ、くつろいだ様子でお茶を飲んでいた周人を見ながら、鳳命はみんなの会話が途切れるのを待って話を切りだした。
「周人、お前、試合をせんか?」
唐突にそう言われた周人は持っていた湯飲みを置きながら何を言い出すのかという風な顔を向ける。由衣や源斗たちも鳳命の意図がわからずに黙ってその言葉の続きを待った。
「誰と?」
明らかに興味がないといった雰囲気を出しながらあぐらをかいた周人はやれやれといった感じの顔で鳳命を見つめる。
「分家の継承者じゃ」
「分家?ああ、木戸無双流かよ・・・」
相手を聞いてもなおつまらなさそうにする周人は鳳命から顔を背けると湯飲みを手にしてそれをゆっくりと飲んでいく。
「一度見たが、あれはかなりの強さじゃ・・・今のお前では勝てぬと思っておったが、ま、それでも五分五分かのぉ」
帰ってきた時すぐの攻防から周人がかなり衰えていると思った鳳命だったが、さっきの廊下でのやり取りから五分に戦える力量は持っていると判断してのその言葉だった。しかし、そう言われても相変わらず興味無しの姿勢を貫く周人を由衣も黙って見つめていた。
「昔のお前ならば間違いなく勝てたじゃろうが・・・お前は弱くなり、あっちは強くなった」
「あっそ、そりゃ悪かったね」
「戦って、どちらが真に『木戸』の名を冠するか、はっきりさせてこい」
「・・・・やだよ」
熱く語る鳳命を完全に相手にしない周人のそのあまりに素っ気ない返事に鳳命は思わず立ち上がり、腕組みして怒りに燃えた目で周人を見下ろした。
「お前!宗家の継承者としての自覚がないのか!」
「継承した覚えはないよ・・・それに、そいつとやり合って何か得になるのかよ」
「木戸家最強の称号が手に入る。それに、長き因縁も断ち切れるしな」
「そんなのいらないよ」
そう言う周人は静佳にお茶のおかわりを頼み、足を伸ばすようにしてくつろぐ体勢を取った。その態度にますます熱くなってきた鳳命は荒い鼻息もそのままにドカッと周人の横に座るとあぐらをかいて腕組みをしたまま睨み付けるようにしてみせる。そんな視線を受けてもまったく表情を変えること無い周人は静佳が差し出した湯飲みを受け取るとお茶の味を楽しむようにしてみせた。
「プライドがないのか、お前は!」
「木戸家がどうとかいうプライドなんて無いよ・・・意味のない試合にも興味がない」
「お前のその技は何のためにある?」
「大事な人を守るため」
何気ないその一言に、静佳はにっこりし、源斗は小さく口の端を吊り上げた。そしてその『大事な人』である由衣は、こちらも無表情のままお茶をすすっている。
「・・・たしかにお前は最強じゃ・・・あの『キング』を倒したのだからな。だが、ワシも若いときは多くの強者と戦った。特にケンカ拳法とかいう技を使う青島という男は強かった・・・」
徐々に話が逸れてきているが、誰もそれを指摘しようとはしない。このまま話が鳳命の武勇伝になれば、それはそれで周人にしてもこの話題から逃げるタイミングとなるのだ。
「お前にもそういう男たちと戦い、おのれを磨いて欲しいだけじゃ」
「十分戦ったよ・・・キング以外にも強いヤツはいたさ」
「だがあの男はキングとはまた違う強さを持っておる」
「いらないって・・・オレはもう、無駄に戦わない」
この話はこれで終わりだという意思表示をした周人は鳳命を見る事無くお茶を飲む。そんな周人を殺気めいた雰囲気で睨み付ける鳳命を後目に、静佳と由衣はテーブルの上に置かれた食器の後片づけに入った。由衣は源斗に手伝わなくていいと言われたが、やはりそういうわけにはいかずに積極的に手伝っていった。
「この腰抜けめが!」
そういって立ち上がると、怒りを表す背中を見せて大股で居間から出ていこうとする鳳命のその背中に、周人は意外な言葉を投げかけた。
「名前は?そいつの名前はなんて言うんだ?」
その言葉を聞いて戦う気になったかと嬉しそうな顔で振り返った鳳命を見ることなくテレビへと顔を向けている周人を見ながら、ニヤリとした引き締まった表情を見せた鳳命は噛みしめるような感じでその男の名を口にした。
「木戸無双流、木戸百零」
「びゃくれい?」
その名前の響きに、周人は眉をひそめながら鳳命を見上げた。新聞を広げていた源斗も、片づけをしていた静佳と由衣も手を止めて鳳命を見ている。
「けったいな名前じゃろ?」
嬉しそうにそう言う鳳命に、『あんたもな』と言いたげな顔をした4人だったが、あえてそれを口にすることはなかった。
「ま、覚えておくよ、一応ね」
「ちなみに、宗家といっても、あっちにしてみれば因縁はあってもそういう意識はないぞ」
過去のいきさつなどはほとんど知らない周人にすれば、宗家だ分家だは関係ない。木戸は木戸でも他人、親戚でもなんでもないのだから。それに2つに分かれた流派が今日まで交わることがなかったこともある。それが何故かは知らないし、知りたくもなかった。だが鳳命はある予感を抱いていた。現代まで同じ年代の継承者がいなかったために戦うことがなかった2つの流派が、今、同年代の、同じ才能を持つ継承者を持っている。こちらを倒すこと、殺すことのみを目標に技を受け継いでいる無双流にすれば、今は千載一遇のチャンスに他ならないのだから。
「交われば、どちらかが途絶える、それだけだ」
鳳命は心の中でそう言い、そのまま居間を出ていくのだった。
夜も更け、1階の和室で鳳命はすでに寝息をたてている。時刻も夜十一時となれば年寄りには少々キツイようだ。源斗もすでに寝る態勢に入っており、最後のトイレを済ませてから居間でテレビを見ている周人の方へと顔を出した。周人はお風呂に入っている由衣を待っているにすぎず、いつでも眠れる状態になっていた。
「だいぶ鍛え直しているようだな」
不意にそう言われて源斗を見た周人は小さく微笑みながらうなずいた。武術家として秀でた才能は持ち合わせていなかった源斗はいつか大事な人ぐらいは守れるようにと小さい頃から周人に基本的な技のみを教えていた。だが、幼くしてその比類無き才能を見せる周人はまるで乾いた砂が水を吸収するがごとくどんどん強くなっていき、歴代最強と言われた鳳命はその底知れぬ才能に惚れ込んで自身が持つその全てを叩き込んだのだ。そして十五歳の周人は鳳命を超えた。当時の鳳命ではなく、若き日の全盛時の鳳命を。だが『キング』との戦いを終えてからはその技を使う事を自ら封じている周人は鍛えているとはいえかなり衰えてしまっていた。特に就職してからはよりはっきりとその衰えを感じていた源斗だったが、今日久しぶりにあった息子の引き締まった雰囲気からそう感じたのだ。
「由衣のおかげかな・・・あの子を守るために、弱くなるわけにはいかないからね」
その言葉に、源斗は嬉しそうな顔をしてみせる。
「随分遠回りしたけど、父さんがオレに技を教えてくれた意味、ようやくわかったような気がする」
そういう息子の肩を2度ほどポンポンと叩くと、源斗は微笑を絶やすことなく周人と向き合った。
「あの子はいい子だ・・・大事にしてあげなさい」
その父の言葉に力強くうなずく周人を残し、源斗は1階奥にある寝室へと去っていった。その源斗と入れ替わりにお風呂から上がってきた由衣が周人に笑顔を見せながら居間へと入ってきた。穏やかな笑顔を見せて自分を見つめる周人に首を傾げる由衣だったが、その顔は同じように微笑んでいる。そのままトイレと歯磨きを済ませた2人は元々周人の部屋となっている2階の洋室へと向かった。部屋の中には小さな棚がいくつかあるのみで、かつて周人が使用していた面影は微塵もない。まともに残っているのはいくつかの雑誌やCDコンポぐらいなもので、いる物は全て桜町へと運んでしまったせいか並べて2つ敷かれている布団も余裕をもっている程であった。少し前からクーラーで冷やしている部屋はそう暑くもなく寒くもない状態を保っており、掛け布団ではなく大きめのタオルケットをかぶった2人はお互いに目を合わせると小さく微笑んだ。こうして並んで一緒に寝るのは初めてのことだ。去年のクリスマスの夜に菅生が用意してくれたホテルでは1つのベッドで抱き合うようにして眠ったため、並んだ布団で寝るということ自体が初めてで新鮮なせいか、どこなく恥ずかしさも感じていた。まるで夫婦のようなこの状態を悪くないと思う2人はいつかはこうして毎晩眠る日が来ることを願うのだった。
「ねぇ、なんで木戸流は2つになったの?」
薄暗い天井を見ている周人にそう問いかけた由衣を見た周人は枕の下に手をやってそれを組み合わせると、その質問の返事を口にした。
「戦国時代から1対多数で人を殺す技を極めた木戸無明流は江戸時代中期に双子の兄弟によって2つに分けられたそうだ。平和な江戸時代においてその技の意味を考えた兄は自身の技を『人を活かすため』に、弟は流派の真理である『人を殺すため』に技を使うことを父親に主張したらしい。結局どちらの言い分も正しいとした兄弟の父親だったけど、結局、2人の戦いの末に兄に木戸流を継承させた。けど、弟はそれに反発して父親と兄を恨み、自らを木戸無双流と名乗り、元々の技の意味をそのままに暗殺稼業や揉め事の助っ人なんかで生計を立てたらしい・・・いつかは木戸無明流を滅ぼすことを目標にしてね」
「んじゃぁ、周人んの先祖は人を活かす方で、びゃくれーだっけ?その人の先祖は殺す方を極めたってことか・・・」
そういう事になるなと答えた周人は何かが心で引っかかるのを感じていた。横浜出張の際に神剣フラガラッハを持って現れた綾瀬桜が残した言葉、『黒金一』と『ゼロ』という2人の男。『キング』の後継者としての器がどうなのかはわからないが、どちらも相当強いと思われる。そして桜が言った正体不明の人物『ゼロ』という男にどうも何かを感じてしまう周人はやや怖い顔つきで天井を見つめたままジッと動かなくなった。簡単に考えれば『黒金』はあの純一郎が四天王を名乗るだけにさほど強くはないと推測できる。問題は『ゼロ』である。
「周人?」
由衣のその言葉にようやく我に返った周人は表情を元に戻しながら由衣の方へと顔を向ける。自分をジッと見つめる由衣を見つめ返す周人だったが、由衣の目つきがきつくなってきたために片眉を上げて怪訝な顔をしてみせた。
「そんな思い詰めた顔をしても、さすがに実家でエッチはできないよ」
真剣な顔をしてそう言う由衣にもはや言葉を失うしかない周人は乾いた笑いをしながら天井へと顔を向けるのだった。




