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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
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あなただけを・・・(15)

やや大きめのバッグを朝とはいえすでに焼け始めている黒いアスファルトの上に置いた由衣は徐々に進入し始めている巨大な白い入道雲を見上げる様にして澄んだ青い空を見やった。青といっても純粋な青ではないその空の青を、由衣は気に入っていた。特に夏の空は好きで、よく自室の窓から眺めたりするほどだ。暑さもその空を見れば和らぐ気がしたのだが、やはりそれは気のせいでしかなく、すぐに窓は閉じてしまうのだったが。最近は自宅前ではなく自宅から少しした場所にあるこの交差点を待ち合わせ場所にしている由衣は、今日はここで待ち合わせした事を正解だと思っていた。今日は日曜日であり、お盆休みでもあった。昨日は周人を自宅に招いた由衣は彼女である自分の娘をそっちのけで周人を独占する母親の実那子にうんざりさせられたのだ。さらに、ご飯の支度をする隙を狙って今度は父親の秀雄が周人と話し込み、結局由衣はないがしろにされて膨れっ面を見せるしかなかった。それでも、自分の家族が周人を好いている事は嬉しい由衣はかなり複雑な心境に陥ってしまったが、周人が帰った後で『いつ結婚するんだ?』と問いかける両親に嬉しさを感じたりもしていた。彼氏として、そして結婚相手として周人を認めてくれた両親だったが、今の由衣に結婚したいという意識はない。いずれはしたいと思うだけで、これといった願望自体はないのだ。そんな由衣は今日、周人の実家であるN県に向かう事になっているのだ。もちろん周人の両親と会うことも話をすることも初めてであり、いい印象を持たれたい、将来の結婚相手と認識されたいと思う由衣だったがいろいろな事が頭を巡ってしまい、その緊張を顔で表しながらそわそわした動きで周人の車を待っていた。自宅を出る際、両親からあれこれ粗相のないようにと何度も言われていた由衣はそこから逃げるようにして待ち合わせ時間よりもずっと早くからここに立っているのだ。あのまま自宅前にいたならば余計に緊張させる事しか言わない両親を怒鳴ってしまいそうだったからである。


「緊張しまくり」


ため息と共にそう口に出して言う事で不安を吐き出そうとした由衣だったが、緊張は全く緩むことはない。それは目の前に周人の車が停車してもなお収まることはなかった。おはようの挨拶の後、とりあえず後部座席に置かれた周人のバッグの横に自分のバッグを並べて置くとシートを戻して助手席に腰掛ける。前を見たまま緊張した顔をして見せる由衣を見て小さく苦笑した周人はギアを入れて車を出発させた。


「昨日電話しておいたよ。昼過ぎには着くだろうって・・・・そう緊張するな」

「し、してないもん」


そう言う返事が既にうわずっている。そうなるのも無理もないかと思う周人は由衣のお気に入りの曲で構成された由衣自身が作成したCDをカーステレオにセットすると高速の入り口に向かってややスピードを早めるのだった。ナビゲーションシステムによる渋滞表示画面からは所々が赤くなり、そこが渋滞した事を示している。普段であれば3時間の道程だが、お盆休みとあって混雑を見込むと4時間はかかるかもしれないと思う周人は黄味島悠斗きみじまゆうと率いるロックバンドグループ『スペリオル』の代表曲を奏でるカーステレオのボリュームをやや上げると、固まったように動かない由衣の横顔を見やった。


「今からそれじゃ、会った瞬間に気を失うぞ」


そう言われてもまだ緊張した顔を周人に向ける由衣は引きつった笑顔を見せた。


「ま、道のりは長いしな・・・途中で息抜きすればいいよ」


道中でなんとか緊張をほぐそうと考えた周人は幹線道路から国道へと出ると、都心部への道を示す道路の看板を見ながら高速道路のインターへ向けてジェネシックを加速させるのだった。


閑静な住宅街には似合わないスポーツカータイプの白い車体がこれで4度目となる角を曲がる。どの家もかなり大きい事からこの辺りに住む家族がお金持ちではないかと思う由衣はますます膨れあがる緊張感と戦いながら、汗ばんだ手に持たれた手鏡で何度も前髪をチェックした。高速道路を飛ばしていた頃は緊張も忘れてあれこれ話をしていた由衣だったが、インター出口を降りた頃から途端に口数が減り、頬が緊張で強ばり始めた。そして国道を走りこの住宅街に進入した頃には息とまばたきをするのが精一杯といった感じでガチガチに固まってしまっていた。


「そこだよ」


すぐ目の前にある白い壁の家を指さす周人はその自宅の壁際に車を止めると緊張から気分悪そうにしている由衣を動かしながら2人分のバッグを担いで車から降りた。助手席からのっそり出てくる由衣は衣服の乱れを直す事も忘れて周人の実家の家周りをぐるっと見渡した。小さな庭には母親の趣味らしい綺麗なガーデニングが施され、その横にある箱形のガレージスペースには黒い大きめの車が止められている。その庭の前にある門を開けて進入した周人に付いていく由衣の緊張はもはや限界であり、吐き気を堪えるのがやっとの状態である。玄関のドアの前で立ち止まり、一旦青白い顔の由衣を振り返った周人はその頭にポンと手を置くと耳元で大丈夫だよと優しくささやいた。その落ち着いた口調と笑顔に幾分吐き気は収まった由衣だが、緊張しきった顔は機械じみた笑顔を形成した。インターホンを押した周人は再度由衣を振り返ったが、もはやドアしか凝視していない由衣は目を見開いたまま少し震えていた。そんな由衣の目が目一杯見開かれたのは木で出来た立派なドアが開いた瞬間であった。中から姿を現したのはショートカットに緩やかなパーマを当てたほとんど黒に近い茶色い髪の色をした中年の女性、周人の母親静佳であった。すでに五十歳を越えている静佳だが、由衣の母親である実那子よりも年上なはずのその容姿はかなり若々しく見えた。その容姿は三十代といっても通用するだろう。優しい笑みを浮かべて由衣を見やった静佳はゆっくりと頭を下げると2人に中へと入るよううながした。由衣はその仕草に反応してすぐに頭を下げると自分から自己紹介をした。緊張のせいかやや声が大きかったが、静佳はにこやかに微笑みながら丁寧な口調で挨拶を返し、周人はそんな由衣に苦笑じみた笑みを浮かべた。静佳に中に入るよう言われた周人は先に由衣を玄関先に入れるとそれに続いて中に入る。ドアが閉じられたがかなり明るい室内は太陽の光を存分に受け入れるような作りになっていた。吹き抜け気味の2階天井部分にある天窓から降り注ぐ太陽の光は明るく玄関を照らしていながら、その熱は遮っているのかそう暑さは感じなかった。


「ようこそ、遠い所を。疲れたでしょう?」

「い、いえ・・・・大丈夫です」


しっかり挨拶できたせいか、はたまた静佳から流れてくる穏やかな雰囲気のせいか、由衣の緊張は随分とましになっていた。その証拠に下駄箱の上に置かれている綺麗な生け花にも目が行くようになっている。だが、廊下の奥にある部屋からのっそりと姿を現した浴衣姿の男性に目を留めた由衣は今までで一番心臓の音を大きくさせるとかなり緊張した空気を発しながらサンダルを脱ぐ動作も止めて直立してしまった。浴衣姿の男性、周人の父親である源斗は険しい表情をしたまま静佳の横に立つとじろっとした目を由衣へと向けた。周人に似た大きめの目で見られたせいか、もはや猛獣に睨まれたうさぎのごとく身動き1つ取れない由衣はどこか泣きそうになりながらも深々と頭を下げた。


「あ、吾妻由衣です・・・はじ、初めまして!しゅ、周人さんとは、いいお、お、お付き合いをさせ、させていただいてますっ!」


極度の緊張から言葉も噛み倒す由衣だったが、大きな声ではっきり挨拶が出来ていた。周人も源斗を見てただいまと軽く挨拶をする。相変わらず源斗はジッと険しい表情のまま由衣を見ており、全く動く気配がない。いつもと明らかに様子が違う父親の姿に顔をしかめる周人を見て、静佳はくすりと笑うと肘で源斗の腕を突っつくようにして見せた。


「あお、お、お、オレ・・・・あう・・・わ、私が周人の、ちちちち、父です。げげげ、源斗と言います!よろ、よろしくお願いつか、まつ、ます!」


由衣よりもひどいどもりように笑いを堪える静佳以外の2人はもはや目を見開いたままポカーンと口を開けて呆気に取られる表情を浮かべていた。周人にしてみればいつも厳格で仏頂面しか見せない源斗がこうもうろたえる姿を見るのは初めてであり、由衣にしてみれば何が何だかよくわからないのだ。


「お父さん、由衣ちゃん以上に緊張してるみたい・・・朝から何度もトイレに行くし、さっきなんて吐きそうだって言うのよ、もう、情けない」


ため息混じりにそう言う静佳にバツが悪そうな顔を見せる源斗はさっきまでの由衣よりもかなりぎこちない笑顔をみせた。そんな源斗のおかげか、緊張もどこかへ吹き飛んでしまった由衣は小さな笑いをしてみせる。周人もあきれた顔を見せ、一気に和んだ雰囲気に包まれた玄関先で源斗は困ったように白髪混じりの頭を掻きながら小さく笑った。


「さぁ、こんな所でくつろいでも仕方がないでしょ・・・奥へどうぞ。お昼はお寿司を頼んだの」


静佳にそううながされ、周人と由衣は居間へと向かう廊下を進んだ。一番奥にいたために既に源斗は居間に入った様で先導する静佳の後ろ姿しか見えない。そして手前の部屋を通過して奥の居間へと入ろうとした矢先、一番後ろにいた由衣が急に悲鳴を上げた。何事かと振り向いた周人に涙目で身を硬直させる由衣は泣きそうな顔をしながら自分の背後を振り返った。


「この柔らかいお尻は・・・・・・安産型かな?いやしかし・・・こりゃまた見事な・・・」


明らかに年寄りとわかるその声にハッとなった周人は由衣の体を半回転させて横を向かせると、そこには鼻の下も伸びきってニヤけた顔をしながら由衣のお尻を揉みしだいている老人の姿があった。


「こんの!エロジジィ!」


しゃがんでお尻を揉むその頭目がけて目にも留まらぬ速さの蹴りを放つが、まるで忍者のごとき動きで由衣の背中を駆け上がるようにしてそれをかわすと、今度は周人と由衣の間に入り、その胸の上に手を置いた。


「むぅ・・・ミカちゃんには及ばないが、これもまた見事な乳じゃ・・・・・・」


グニグニと胸を揉むその腕を掴みにかかる周人の脇をまたも素早い動きですり抜け、狭い廊下を駆ける老人は嬉々とした顔をして居間の前に立った。小柄なその身長は由衣よりも低いせいかまるで子供のようである。両手で胸を覆うようにして固まる由衣の前に立ちはだかった周人は殺意に満ちた目をしてニヤけたままの老人を睨んだ。


「体がなまっとる・・・お前じゃワシは捕まえられん」

「そうでもないさ」

「フッフ~ン!」


周人に対してそう鼻でせせら笑う老人が何かを仕掛けようと動き始めた矢先、着ている浴衣の襟元をむんずと掴んで動きを止めたのは静佳だった。


「それまでよ、お義父さん・・・若い娘さんが来ていたずらしたいのはわかりますけど、由衣ちゃんは大事なお客様、お義父さんのせいでウチに悪い印象を持たれては困ります」


掴んでいた服を放し、そっと人差し指を後頭部に置いた静佳の魔法か、冷や汗を流す祖父はさっきまでの動きが嘘のように金縛りにあったかのように全く動けないでいた。


「今のうちよ、どうぞ」


そう言われて恐る恐る周人の祖父の横をすり抜ける由衣だったが、さっきまでの素早い動きもなく、そのままの態勢を維持したまま目だけを由衣の動きに合わせるようにした。


「しばらくそこで反省ね」


にこやかにそう言うと、静佳は居間と廊下とを結ぶドアを閉じた。それはいかなる技か、静佳に何かをされてしまった祖父は全く動くことなく廊下で汗を流すのみだった。


広い居間には大きめの木のテーブルが置かれ、その上にはお寿司が入った器が5つ用意されていた。ふかふかの座布団の上にきちんと正座した由衣はお茶を入れてくれた静佳に頭を上げると美味しそうなお寿司に目をやった。


「じいちゃんは?」

「そうねぇ・・・・・・由衣ちゃんに任せましょう」


いまだに入ってこない祖父を気にかける周人だったが、静佳がどういう技を持って動きを封じているかは知らない。小さい頃から不思議な力を持つ静佳は哲生と同じ気を操る力を持っているとだけ聞かされているせいか、その力によって相手の動きを止めたり出来ると信じていた。実際小さい頃にいたずらをした周人も今の祖父のように金縛りにさせられた事があり、その怖さは身をもって体験済みだった。その静佳にそう言われた由衣は困った顔をして静佳を見やるしかない。


「許せないならそう言ってね?」

「いえ、もういいですよ・・・せっかくですからみんなで食べたいですし」


普段よりもかしこまり、可愛い声を出す由衣を優しい目で見るのは隣に座る周人だけではない。その周人の目の前に座る源斗もまたにこやかに由衣を見ていた。


「じゃぁ、呼びますね」


そう言うとその場に座ったまま何をするでもなくただお義父さんとだけ呼んだ。その瞬間勢いよくドアが開いたかと思うと由衣より低い身長しかない老人は、その外見に似合わない素早い動きで上座ともいえる周人と源斗の間に座った。


「さ、由衣ちゃんに謝ってください」

「すまんかった・・・・調子に乗っちゃいました」


さっきまでの元気はどこへやら、ぺこりと頭を下げた祖父はテンションも低い状態でうなだれるようにしながら由衣に愛想笑いをした。


「もう気にしてませんから」


実際はかなり不快な思いをした由衣だったが、今はそれよりも静佳が何をしたかの方が気になっており、その不快感はかなり薄れてしまっていた。


「今度したら、メッ、ですからね」


その『メッ』が意味する事がわかるのか、祖父はますますしゅんとして今度は静佳に引きつった笑顔を見せた。


「ではいただきましょうかね」


源斗のその言葉を合図に、全員が箸を手にとって豪華な昼食は開始されたのだった。


食べながらまず周人が家族を紹介していった。一番最初はさっき緊張の極限状態でコミカルな挨拶をしてみせた父親源斗を、そして次に不思議な技で祖父を金縛りにあわせた母静佳、最後にもはや犯罪と言えるセクハラの限りを尽くした人物の紹介に入る。


「で、このエロジジィがおじいちゃんの鳳命ほうめい

「ほうめい?」

「鳳凰、不死たる火の鳥の命と書く・・・木戸鳳命、どうじゃ?強そうじゃろ?」

「えぇ・・・」


強うそうではなく、明らかに変だと思う由衣だがとりあえずの相づちはうっておいた。そんな様子が手に取るようにわかる鳳命以外の3人は全くの無表情のまま黙々とお寿司を平らげていく。


「しかし、思っていたよりもまぁ、べっぴんさんじゃ!」


さっきまでしゅんとしていたのが嘘のようなにこやかな笑顔でそう言う鳳命の言葉に笑顔を返す由衣だったが、今の言葉にうんうんと真剣にうなずく源斗を見て照れた笑みへと変化させた。どうやら良い印象を持たれたようで、由衣はホッと胸を撫で下ろしたが、隣に座る周人もまたホッとしていた。やはり自分の彼女が気に入られるかどうかは彼氏としては気になるところだ。穏やかな雰囲気をかもしだす源斗の様子からしてかなり由衣を気に入っているのがわかる。また、容姿重視の鳳命はまず問題がないだろう。そして普段から穏やかな雰囲気を持っている静佳の反応だけが気にかかるが、こちらもまず問題がないと思えた。その和んだ空気を保ったまま、由衣を交えて会話の弾んだ昼食は終わりを迎えた。洗い物を手伝うことを申し出た由衣の言葉に甘える事にした静佳はそれを由衣に任せ、自分は昼食後のコーヒーの準備を始める。どうやら静佳の効果は絶大のようで、鳳命は由衣に近寄る事もせずに居間で親子3代によるトークに華を咲かせていた。静佳はそんな男連中をそっとしておくためか、居間と台所を仕切るガラスの扉を静かに閉じた。午後の柔らかい日差しが差し込むキッチンは思ったよりも涼しく、由衣は少ない洗い物をテキパキとした手つきで片づけていった。


「ありがとう、由衣ちゃん・・・助かるわ」

「いえ、これぐらい」


そう言う由衣の鼻をコーヒー豆の独特の香りがくすぐる。インスタントにはない高貴なその香りは由衣の緩みかけた気持ちを引き締めた。ここで静佳の印象を悪くして将来の嫁失格の烙印を押されては意味がないのだ。


「ずっと、お礼を言わなきゃいけないって思ってたの」


不意にそう言われた由衣は湯飲みを拭く手を止めて後ろに立つ静佳の方を振り向いた。自分に優しい笑顔を見せる静佳は流れるような動作でコーヒー豆を砕いた粉をフィルターの上に乗せていく。初対面の静佳にお礼を言われる覚えはない由衣は小首を傾げる仕草をしてその疑問を表現した。


「恵里ちゃんを失って・・・あの子は闇の中をずっとさまよっていたの。あの子は、恵里ちゃんを本当に好きだった。だからこそ、命にかえてもという想いで復讐を遂げた」


その事は十分に理解している由衣は持っていたコップを置くと素直にうなずいた。周人が『恵里』を好いていたと言う言葉は今現在の彼女である由衣からすればおもしろくない事かもしれない。だが、そんな嫌な顔1つすることなくうなずいた由衣に、静佳はさらに目を細めて微笑みを強くした。


「でもそれは余計に自分を深い闇の中へ追いやる結果になった。いずれ誰かを好きになっても、あの子の中の恵里ちゃんは消えないものね」


そう言って悲しげな顔をする静佳は顔を上げ、由衣をまっすぐに見た。


「でもそれを消そうともしない、消すことを良しとしない人が、あの子を闇から拾い上げてくれた・・・」


一転にこやかに微笑む静佳はそう言ってから由衣に近づくとその両手を自分の両手で包み込む様にして握ってきた。その突然の行為に驚く由衣だったが、その優しい笑顔は心を落ち着かせた。


「ありがとう・・・あなたがいなければ、あの子はずっと闇の中だった。そして、恵里ちゃんもね」

「私、何度も危ない目に遭いながら、それでも無事にいられているのは恵里さんが守ってくれているからだと思っています。もちろん、助けてくれた周人さんには感謝していますけど」


その由衣の言葉に静かにうなずくと、握っている手に力を込めた。


「彼女は、今、あなたの後ろにいるわ」


そう言うと、そっと目を閉じた静佳は由衣にも目を閉じるように告げた。言われた通りに目を閉じた由衣の頭の中に、ほんの一瞬、フラッシュのような瞬きが巻き起こったかと思うと、その光はショートカットの髪型もよく似合う可憐な少女の笑顔に変化した。びっくりして目を開いた由衣はほんの一瞬とはいえ、今見えた映像を頭の中で何度も繰り返す。同時に目を開いた静佳は由衣の手を離すと胸の前で手を組んだ。


「彼女が恵里ちゃん・・・あなたの守護神よ」

「守護神って・・・・」

「私は『真理眼しんりがん』の持ち主、平たく言えば超能力者・・・今風に言えば『変異種』って人かな・・・実際は違うんだけどね」


微笑む静佳からの思わぬ告白に言葉を失う由衣は後ろのドアを確認するようにしてみせた静佳を見ながら目を何度もパチクリさせた。


「これはね、由衣ちゃんしか知らない事なの。絶対に内緒にしておいてね」

「え?じゃぁ・・・周人さんや、お父さんも?」

「哲生君のように気を操る生まれ持った特殊な能力がある、としか言ってないの。実際は人の現在過去未来を見渡せ、さらに、この世界の時間を含めた全ての構造を変化させる事ができるの」


言っている意味がよくわからない由衣はそう説明されても表情を曇らせるしかない。静佳はそんな由衣の反応は予想の範囲だったのか、おもむろにスプーンを手に持つと空いている手でその1部をそっと指でつまむ仕草を見せた。その瞬間、つまんだ指の間にはスプーンの柄の一部分が握られているではないか。だが、スプーン自体に異常はない。折れてもいなければ歪んでもいないのだ。静佳はそっと抜け落ちて破片となった銀色の物体をテーブルの上に置くと同じ形のスプーンを持って由衣の目の前に2本並べて見せた。するとどうだろう、最初のスプーンは今持ったスプーンよりも短いのだ。つまんで省いた分だけ短くなったスプーンだが、だからといって不自然な事はない。短くなっただけでどこにもいびつな部分もなく、違和感すらない。


「これがその力の一部よ」


そう言いながら破片を手に取るとさっき短くしたスプーンにあてがう。ジッと注意深く見ていた由衣だが、長くなった様には見えないのだが、たしかにスプーンは元の形状へと戻っていた。手品ではあり得ないその現象を見せられても何が何だかわからない由衣は目をぱちくりさせるのがやっとだった。


「さっき鳳命のおじいちゃんを動けなくしてたのは運動神経の時間のみを止めたから」

「じ、時間を?」

「そう言われてもわからないわよね」


くすくすと笑う静佳だが、その能力はまさに最強である。この力があればどんなに強靱な肉体を持つ人間でも静佳の前では無力に等しい。あの『キング』ですら簡単に倒せると微笑みながら言う静佳を、どこか複雑な心境で見つめる由衣は呆気に取られるしかなかった。


「でも、これだけじゃないのよ・・・言ったでしょ、現在過去未来も見えるって・・・だから、見えてたの・・・恵里ちゃんを初めて見た時から、彼女の悲しい運命が・・・」


そう言う静佳はさっきまでとは違う悲しげな顔をして由衣から目を逸らした。周人が家の前で待ち合わせをしていた時、初めて恵里を見た静佳は彼女から死のイメージを見ていたのだ。正確には命を亡くして横たわる彼女の姿を。そして、その死に涙する息子の姿をも。それが避けられない運命の果てにあるものだと知っている静佳は何も言わずに2人の交際を暖かく見守ることしかできなかったのだ。勝手に流れ込んできたその未来は絶対であり、自分の愛する息子だからこそ無意識的に能力が発動したのだろう。この力に目覚めたのは彼女が十歳の時。突然目覚めたこの力は静佳をもてあそんだ。初恋の人が殺人を犯す未来を見たり、親友が麻薬に手を染める未来も見ていた。未来を見た自分にしか出来ことだと、それらを止めようと努力したが、結局は犯行が先送りになるだけでその未来は必ず当たっていったのだ。未来を見る事が出来ても決して役に立つことがないこの力を使い、占いをしてその人に警告を発することしか出来なかったのだ。そんな自分の能力を嘆き、自らの意志では使わないようにしていたのだが、時折その意志に反してその力は残酷な未来を見せてきたのだ。それは意図的にではなく、勝手に他人の心を読んでしまう自分の能力を呪った光二と似ていた。


「『心理眼』はこの地球上に男女1組だけが持つ特殊な能力。高次元の存在がこの次元の宇宙に生きる知的生命体に与えた管理者としての力。私が死ねば次に産まれてくる女の子がこれを受け継ぐの。私たちを通して、神様がその星の管理をしている、そういう感じかな」


自身の能力をそう説明した。必ず男女1組にしか与えられない。今現在、女性は静佳、男性はドイツ人だったが、死んだ今でも魂だけでこの世に留まっていると説明されても由衣にはよくわからない。とにかく、異伝などではなく、神様の気まぐれで継承者が決まるということを説明し、静佳は周人と恵里のことを話し始めた。


「とにかく、運命が見えても私には回避できない。魂のないものを変化させる能力はあっても、力には限界がある。だから、たとえキングに殺される事を回避しても、すぐに別の人が彼女を殺したでしょう・・・そして、周人は結局闇の中をさまようの・・・でも、あの子がこの街を去る時に、今までにない不思議なビジョンが見えたの」


そう言うと、静佳はさっきまでの悲しい顔はどこへやら、優しい微笑みを由衣へと向けた。


「雪の降る中、すごく可愛らしい少女とキスをする周人のビジョンが見えたわ」


そう言われた由衣は5年前の冬を思い出しながら頬を赤く染めた。雪の降りしきる中、自分の想いを告白した由衣は結局叶わなかったものの、愛しい人と初めてのキスをしたのだ。


「そして、もう1つ」


そう言うとさらに嬉しそうな顔を由衣へと向けた静佳は1歩由衣に近づくともう1度手を握りしめた。


「純白のウェディングドレスを着た女性を抱きかかえ、はにかんだ笑みを浮かべた周人をね」


そのドレスの女性が誰かを言わなかった静佳だが、握られた手がその答えを導いていた。もはやどうしていいかわからない由衣はぽかーんとした間抜けな顔をしたまま静佳を見つめ返す事しか出来ない。


「何年先かはわからないけど将来の娘になる、お嫁さんになる人に会うこの日を、周人からあなたと付き合っているという電話をもらってからずぅっと待ってたのよ」

「わ、私?」


確かめるようにそう言う由衣に力強くうなずいた静佳はますます嬉しそうに微笑んだままそっと由衣を抱き寄せた。


「ようこそ、木戸家へ・・・由衣ちゃん・・・随分待ったわよ」

「お、お義母さん・・・・」


思わずそう呼んでしまった由衣だったが、何年か先には本当にそう呼ぶ事になる。そう思うと、嬉しさと恥ずかしさがこみ上げてきてさらに顔を赤くしていった。


「でも、周人に言っちゃダメよ。あの子、未来を知って努力しなくなると困るから・・・未来は決まっているけど、先延ばしはいやだしね。だって自慢できるじゃない?こんな可愛い娘ができるんだもの」


そう言いながら優しく抱きしめてくれる静佳に、由衣は言葉もないぐらいに感謝した。自分の未来を言われてしまったわけだが、こういう未来ならば大歓迎だ。そして、この人ならば義母ははと呼んでもうまくやっていけるという自信が沸いてきた。静佳は由衣から離れるとまたも手を握りしめ、そっと優しく微笑んだ。由衣もまた微笑み返すと、2人でそのままくすくすと笑い合った。


「母さん、父さんたちがお酒買ってこいって言うんだけどさぁ、家に無いの?」


不意に扉を開いて顔を出した周人はそう言ってから手を握りあっている2人を見て眉をひそめた。静佳は意味ありげに由衣に向かってウィンクすると、由衣は小さくうなずいて湯飲みを拭き始めた。そんな2人をますます怪しむ周人だったが、その疑問を口にする前に静佳が目の前に立った。


「これで買ってきて。スーパーの場所わかる?」


戸棚から財布を取り出してお札を渡す静佳に怪訝な顔をするしかない周人はにこやかに鼻歌を歌う由衣を見てから首を傾げる仕草をしてみせた。ついさっき会った2人にしては実に和やかな雰囲気を持っている。もうずっと以前から知り合いのような、そんな空気すら漂っているのだ。


「何で手を握りあってたわけ?」

「仲良くやっていきましょうって、誓いよ・・・ね?」


そう答える静佳に賛同してうなずく由衣はお互いに目線を合わせてくすりと笑った。そんな2人にますます怪訝な顔をする周人だったが、2人は何も答えずに各々の作業に戻るのだった。

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