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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
94/127

あなただけを・・・(12)

地面の上に座り込んでいた由衣は痛みを堪える表情をしたまま一点を凝視している恵につられてそちらの方を見やった。もはや恐怖が体を支配し、スマホを取りに行くことや助けを呼ぶことすらできないでいる。不安が恐怖を倍増させ、いまだ現れない周人に怒りと焦りが追い打ちをかけていく。ピンチになれば必ず駆けつけるといった由衣の騎士は、いまだに現れる気配すらみせていないのだ。周囲を見渡す由衣は駅の方へと続く砂利道を見るが、車のライトすらない闇が広がっているのみで人の気配も全くなかった。そんな由衣を見てニヤニヤと笑う純一郎が向かってくる砂利を踏みしめる音が由衣にそちらへと顔を向けさせた。笑う純一郎に対し、対照的に恐怖におののく顔をする由衣の前に、足からほうきの柄を引き抜いた恵が怪我をした足を引きずる様にしながら由衣の身をかばうように立ちふさがった。そんな恵を見てフンと鼻で笑う純一郎は流れ出る血も止まらない傷口を蹴り上げながらさらに右手の甲でその頬を払うようにして叩きつけた。キャッという短い悲鳴を上げて倒れ込む恵はそれでもなお由衣の元へ向かおうとする。怪我をしながら自分を助けようとする恵を止めるようにしながら、由衣は大粒の涙をぽろぽろこぼしながら今にも恵を蹴りつけようとする純一郎の下半身に体をすり寄せるようにした。


「わかったから・・・一緒に行くから、だから恵さんにはもう乱暴しないでぇっ!」


涙でぐしゃぐしゃになった顔を見下ろす純一郎は邪悪に満ちながらも満足げに笑うと、由衣と視線を同じにするようにしゃがみ込むと、もはや睨む気力すら失った由衣の瞳を覗き込むような仕草を取った。


「いい子だ、ユイ・・・恐怖は心も支配するんだ。これで君は本当に僕のものさ」


そう言うと優しい手つきでそっと頬を伝う涙を拭った。だが、逆にそうされて由衣の目からは大粒の涙が何度もこぼれ落ちていく。


「そうは・・・・させないって・・・・言ったろ?」


その弱々しい言葉は、だが、はっきりとした意志をこめて純一郎に投げられた。目を閉じてため息を深々とつく純一郎は疲れた表情をしながらやれやれとばかりに立ち上がると、背後に立つ光二を振り返った。その足は立っているのもつらそうに小刻みに震え、息も荒く、ボロボロの状態にあるのは目に見えて明らかだった。そんな状態にありながらも、その目には確かに光が宿っている。


「あんた・・・マジ殺すよ?」


そう言われた光二は、そこで笑みを浮かべた。それはまるで、周人が鬼気を発した時に見せるあの笑みに似ていた。


「・・・周人?」

「木戸・・・クン?」


倒れる女性2人はほぼ同時にそうつぶやきながら光二を見上げ、そこにあの絶対無敵の強さを誇る周人の姿を重ね合わせた。


「負けない・・・」


光二はそうつぶやくと、自分の持っている全ての能力を解放した。自分の持つ『変異種』としての能力は何も『相手の心を聞く、意志を読む』といったものだけではない。五感を全て鋭くすることにより、微妙な表情変化や動きを感じる事もできるのだ。今まではそれらを1つ1つ感じるようにコントロールしていたのだが、今は違う。それら全てを一度に発動させて相手の意志を読み、息づかいを感じ、手や足といった体の動きの些細な変化も見るのだ。体中の毛穴が開くような、内側から何かが爆発するような感覚を覚えた後、光二はなんと純一郎にかかってこいという風に指を折り曲げた。


「死ねよ!」


さすがにその挑発に腹が立ったのか、もはや殺す勢いで光二の顔面目がけて素早い蹴りを放った。だが、すでに光二の顔はそこにはない。まるでそこへ蹴りを放つのがわかっていたかのように、純一郎が足を上げるその瞬間にすでに光二は回避運動をとっていたのだ。だが純一郎の対応速度も並大抵ではない。持っている反射神経を総動員して顔を蹴りにいったその足を振り下ろし、自分の左側へ回り込んだ光二に向かって体をひねりながら1歩踏み込んでさらに加速させた蹴りを放った。だが、やはりすでに光二は後方に飛んでおり、またもやその蹴りは宙を舞うのみだった。


「まぐれもここまでだ!」


2度かわされてもまだまだ余裕の表情を見せる純一郎はさっき見せた蹴りと正拳の連携技を繰り出す。さっきよりも早く、そして重い攻撃は、だがしかし光二をとらえる事はできなかった。全ての攻撃が事前にわかるかのように、純一郎がモーションを起こした瞬間に回避運動を始めているのだ。しかも、その回避は純一郎が1度起こしたモーションを変化させることができないほど微妙なタイミングで行われているため、フェイントをかけることもできずにその全てが空を切り裂くのみなのだ。さっきまでとは別人の動きで攻撃を避けていく光二に焦りを覚え始める純一郎だったが、かわすのが精一杯なのか一切反撃をしてこない光二に多少の余裕は残されているのだった。


「すごい・・・全部、よけてる・・・・」


太股の傷口を押さえながら、泣いて震えている由衣に寄り添う恵のその言葉は由衣の中から少しだけ恐怖を取り除いていた。その証拠にさっきまで流れていた涙はもう止まっている。依然として体は震え、不安と恐怖から顔を引きつらせているものの、今の光二の姿に周人を重ねる事ができるほどには心に余裕が生まれつつあった。だが、いまだに現れない周人が気になる由衣は光二の方を見ながらも砂利道や大通りの方へと視線を走らせる。だが、人も車も来る気配はなく、暗闇と静寂のみが周囲を覆っているのだった。


能力を解放して以来、その動きの全てがスローモーションのように見えていた。いや、それだけではない。実際見えている純一郎の姿に重なるように、突きを放つ腕の動きや蹴りを放とうと跳ね上がる右足の動きが合成された粗い目の動画のごとく見えるのだ。その直後、本物の右手と右足がそれをなぞるようにして動き始める。つまり粗い目の動画は実際に動く純一郎の動作を先に映像として見せているのだ。先に粗い動画を見ることによって動きを予知する光二はそれに合わせて先読みした形で回避運動を行う。しかも、光二の動きは信じられないほど軽く、先程まで受けていたダメージも全て無くなっているかのように痛みも何も感じないのだ。それでも予知した動きに合わせて避けるのが精一杯なため、反撃のチャンスはあってもそれを実行に移せないのだ。それに光二は相手の力を利用した投げ技を1つだけしか教わっていない。よしんばそれが使えたとしても、純一郎は自分から投げられるようにしてかわしながら反撃してくるのがオチだ。かといってこのまま避け続けるにも限界が来る。


『コイツを倒すには攻撃してくる力を利用しつつ相手の回避速度を上回り、さらに受け身すら取らせないようにして叩き伏せるしかない』


光二はそれができる技を知っている。だが、それは哲生が門下生の中でも上級者を相手に1度だけ披露したのを見たのみで、習いもしていない自分が使えるはずもなかった。だが見よう見まねながらそれを放つ以外勝つ方法はない。既に何度かタイミング良く相手の腕を取りに行ったのだが、攻撃してくる動きに隙がないために不発に終わっているのだ。数々の実戦をくぐり抜け、修羅場と強敵を超えてきた周人であればその一瞬の隙すら逃さずに早々と技を決めているだろう。だが、光二にしてみればこれが初の実戦であり、命を懸けたやりとりも初めてなのだ。


『隙だ・・・一瞬の、いや、1秒程度の隙さえできれば、あるいは!』


スタミナでも大きく分があるため、このままでは純一郎の攻撃が緩くなる前に自分の方がバテてしまう。現に余裕をもって回避していた自分の動きも今ではギリギリ手前で避ける程度にまでスピードダウンしてしまっている。思った以上に集中力を消費するのか、若干予知する映像も薄くなってきている。そして、集中力が解けたのかその映像がほんの一瞬だけ途切れてしまった。その瞬間、光二の顔面をついに純一郎の右拳がとらえた。脳を揺さぶられ、吹き飛びそうな意識を必死で保つ光二は持てる最後の力を振り絞って意識を集中させた。だが、予知を見せる映像は反動をつけながら振り抜かれる相手の左拳が自分の顔面に当たる姿を告げている。ほどなくして迫り来る幻のその拳が、実際の純一郎の腕が振り上げられる事によって現実になろうとしていた。


『くそ!やられるっ!』


もはや回避も防御も出来ないと迫る拳を見つめるしかなかった光二はそれでもそれを避けようと顔をのけぞらせた。もはや痛みを想定したその顔に悔しさを浮かび上がらせたその瞬間、突然飛来した何かが純一郎の振りかざした拳を握る腕の手首に当たり、その痛みと衝撃からか、純一郎の拳はのけぞった光二の鼻先をかすめて目の前を通過していった。かなりの力を込めていたせいか、反動を受けて思った以上に体を流す純一郎のその一瞬の隙を光二は逃さなかった。気が付けばその左手首を自分の右手が掴み、同時に腰のあたりに添えられるようにしていた右手を左手でつかみ取った。その状態のまま強引に腕を引っ張り、手首を握ったまま体を真正面に、向かい合わせに向けた光二は驚く純一郎の顔を見ながら右腕を左腕の上にひねるようにして持っていった。そしてすかさず純一郎の胸に自分の背中を合わせながら身体を回転させる。バッテンを描く相手の腕をひねりながら折り畳む腰に相手の腹部を乗せ、そのまま足を払った。両腕を交差しながら背負い投げを放つその動きの速さに対応できない純一郎は自分から飛ぶこともできずに光二の動きに合わせて宙を舞った。腕は完璧に十字に極められており、このままでは受け身は取れない。この勢いで背中から叩きつけられれば息ができないほどのダメージを受け、へたをすれば気を失ってしまうだろう。反撃のチャンスを掴むためにも足で受け身を取ろうと膝を折り曲げて着地の瞬間を狙う純一郎は予想もしなかった光二の動きに目を見開いた。なんと腕を交差させて極めてあるその腕を、そこから胸に押し当てるようにして落下速度に加速をつけたのだ。もはや足で受け身を取ろうとしていたタイミングを外され、背中からまともに地面に叩きつけられた純一郎を見やる光二の体がその技が決まった感触を感じ取る。頭こそ打たなかったものの、背中を地面に直撃された衝撃はすさまじく、純一郎の内蔵は激しく揺さぶられ、肺もその機能を麻痺して息もできない状態へと追いやられてしまった。吐き気がこみ上げるが息も出来ないため、地面を転がって悶絶する純一郎は口から泡を吐きながら薄れ行く意識だけを保とうと必死にもがいた。だが、もがけばもがくほど苦しさは倍増し、純一郎は白目を剥きながらピクピクと痙攣をして動かなくなってしまった。そんな純一郎を見下ろす光二は大きく肩で息をしながら全身に泡立つ鳥肌を感じていた。初めての必殺技、しかも見よう見まねで放ったその技の威力に驚いたからだけではない。技を放ち、腕を相手の胸に押しつけるその瞬間、純一郎からではない思念が光二の頭に流れ込んでそうさせたのだ。自分を見て戦慄し、驚くその感情とは別に歓喜にも似た壮絶なものを読み取った瞬間、光二は言いしれない悪寒を感じたのだ。すでに集中力が途絶えてしまったために能力はもう発揮されていない。そして全能力を解放した副作用か、光二は激しい頭痛にさいなまれながらもなんとか踏ん張って立ち上がり、そのついでに足下に砂利に混じって落ちていた十円玉を拾い上げたのだった。


「勝った・・・・勝ったよ・・・」


信じられないのか、恐る恐るそう言う恵の表情が徐々に明るくなっていく。何が起こったのかよくわからない由衣はぽかーんと口を開けたまま呆然と倒れ込む純一郎と立ち上がる光二を見るのが精一杯だった。


「やっぱ、とんでもねぇよ・・・あいつは」


聞き慣れた声が背後でした由衣は体をビクつかせるようにしながら凄い速さでそちらを振り仰いだ。目を見開き、驚いていた表情は安堵と、そして泣き顔へと変化していった。後ろ手に手錠をはめられて涙を拭えない由衣は可愛い顔を台無しにしながらわんわんと大声で泣き始めた。そんな由衣を振り返る恵も驚いた顔を怒ったような、それでいて安心したようなものへと変え、そんな光景を見る離れた場所にいる光二も息を整えるようにしながらにこやかな表情を浮かべるのだった。


「泣くなよ・・・ほら、可愛い顔が台無しじゃん」


しゃがみこんで片膝立ちになったその人物、周人はそっと泣きじゃくる由衣を抱きしめてあげた。淡い微笑を恵に向け、小さく微笑む。恵は怒った顔を緩めながら微笑み返すと、痛む足を押さえながら楽に座れる体勢を取った。それを見た周人は2、3度由衣の背中をポンポンと優しく叩くと身を離し、恵に近寄りながら結んでいるネクタイを取ると傷口を見ながらややきつめにその場所にネクタイを巻き付けていった。縛られて痛みに歪む苦悶の表情をしながらも声を出さない恵に優しく微笑むと、ギュッと結び目を作ってからそのまま恵をお姫様抱っこしてみせた。あまりに突然の事にドギマギする恵は顔を赤らめていたが、落ちないようにそっと周人の首に手を回した。そのまま周人はポカーンと自分を見上げている由衣に右手を差し出して身を起こさせると、自分に寄り添うように近づけた。


「・・・そいよ・・・・遅いよ・・・・遅いよぉ!来るが、なんでよぉ!」


安心したせいか、不安は怒りへと変化していく。またもポロポロと涙を流す由衣に困った顔をするしかない周人は片手で抱き上げた恵を器用に支えながらもう片方の手でそっと由衣の頭を撫でた。その愛おしさが伝わる仕草に恵の胸は痛んだが、以前に感じていた由衣への嫉妬のようなものはもう感じなかった。


「早めに着いたから車を裏手に止めてコンビニに行ってたんだ・・・だから・・・ゴメンな」

「バカ!バカ周人!バカバカバカバカァ!この大バカァ~!」


そう罵りながら周人の腕にしがみついて大声で泣きじゃくる由衣の頭を再度撫でてやると、前へ進むようにうながす。泣いたまま腕にすがりつく由衣を引っ張って光二の所まで来た周人は恵を気遣いながらそっと地面に座らせると、少し落ち着いた由衣を付き添わせるようにさせた。


「助けてくれてありがとう。感謝してもしきれないよ」


素直にそう礼を言い頭を下げる周人に、肩で息をする光二は襲い来る頭痛をこらえながらさっき拾い上げた十円玉を差し出した。周人だけではなく、恵も由衣も、その様子をジッと見つめる。


「お礼を言うのはこっちですよ・・・あの時、これが飛んでこなかったら、『飛燕』がなかったら、やられていたのは僕の方ですから」


そう言って薄く笑う光二に意味ありげな顔をする周人は黙ったままその十円を受け取るとズボンのポケットにしまい込んだ。


「見事だったよ、佐々木の奥義、『砕落さいらく』・・・キレ、タイミング、スピード、どれを取っても完璧だった」


さっき放った投げ技をそう褒めた周人に照れた顔をする光二はいまだに息苦しそうにしている純一郎を見下ろした。


「それもあの『飛燕』があればこそです・・・とんでもないですね、あのタイミングで正確に打ち込めるなんて」

「昔から、射的は得意だったんだ」


そう言って笑い合う2人を不思議そうに見上げる女性2人だったが、つられるようにして表情をゆるめた。


「さぁ、青山さんを病院へ連れて行かないと・・・その前に手錠か・・・」


そう言うと倒れている純一郎のズボンのポケットをまさぐる。だがそこからは何も出てこず、離れた場所に放り出されるようにして置かれていた鞄から何からアチコチ探したが出てこない。仕方なく鎖を素手で千切ろうとしたが、由衣の腕に負担がかかるために諦めた。


「しゃーねぇなぁ・・・・・こりゃ、切り落とすしかないな」


手錠をか、はたまた腕をか、切り落とすと言って塾の裏手の方へと向かった周人は完全に建物の死角に入ってしまい、トランクを閉める音しか聞こえない状態となってしまっていた。この状態にあるからこそ、由衣がいくら車を探してもあの位置からは車が見えなかったのだ。やがて暗闇の中から戻ってきた周人は布にくるまれた細長い棒状のものを手にやって来た。全員がそれに集中していたために、ゆっくり起きあがった純一郎に気付いたのは周人のみである。砂利を踏みしめる音でようやく全員が振り返り、だらしなく涎を垂らしながら大きく肩を揺さぶって息をする純一郎がそこに立っていたのを見ると光二は身構え、由衣は恵をかばうようにしてみせた。


「もう止めとけ・・・今のお前じゃもう戦えないって」


あきれ顔をしながらそう言う周人を睨む純一郎は血走った目をさせながら口を歪めて笑いの形を取った。


「お前ら・・・黒金くろがねさんに殺されろ・・・・・」


『黒金』と言う言葉に反応を示した周人を見た純一郎はさらに笑う表情を作ると大きく唾を飲み込んで徐々に回復してきた息を整えると数歩後へ下がった。


「へぇ、お前・・・黒金の知り合いか?」

「四天王の1人、だそうです」


持ってきた棒状の物を肩でトントン叩くようにしてそう聞く周人は純一郎ではなく光二からそう説明を受けてニタリと笑うとほぉという感じで相づちを打った。


「なるほど・・・」

「黒金さんを知っているなら、わかるだろ?あの人は強いよ」

「お前が四天王じゃ、たかが器はしれてるよ・・・」


自身たっぷりに言う純一郎にあきれた口調でそう言う周人は興味がないとばかりにそっぽを向くように大通りへと顔を向けた。


「確かに・・・お前が転覆を狙える程度じゃ、そういう事になりますね」


周人の言葉に賛同した光二の台詞に対し、純一郎は怒りに身を震わせ、周人はますますあきれたような顔をしてみせた。


「話にならねぇな・・・ま、そう心配すんな、今頃そいつもぶっ倒されてるよ」


はっきりそう言い切った周人に不満があるのか、いまだにガクガクする体を奮い立たせて構えを取った純一郎はますますあきれた顔をする周人を見てさらに怒りを増大させていった。


「お前は知らないからな、あの人の怖さ、強さをなぁ!」

「お前も知らないんだろ?本当の怖さをな」


そう言う周人から一気に膨大な気が膨れあがる。殺意にも似たその鬼気は純一郎の全身を射抜き、その心に真の恐怖を与え始めた。薄く笑うその顔も、ゆっくり近づくその姿も見た目とは裏腹に信じられないほどの怖さをかもしだしていた。由衣はその気を感じても落ち着いた様子を見せていたが、光二と恵は純一郎同様全身を射抜く恐怖を感じ始めていた。徐々に鬼気に怒りが混ざり、純一郎はもはや動くことすらままならない状態となってしまった。知らないうちに毛穴という毛穴から汗が噴き出し、心臓が痛いほど動きを速める。


「由衣をここまで泣かせたのはオレの責任でもあるけど、大元になったテメェにははっきり言って・・・頭に来てるんだぜ」


そう言うともはや金縛り状態にある純一郎の目の前に立ちはだかった周人は右手の中指を折り曲げるとそれを親指で押さえるようにして輪を作り、それをゆっくりと純一郎の額の真上に持っていった。


「ヤクをやってる中学生で『ヤク中』ってか?」


何をされるかはそれを見れば一目瞭然だが、周人の鬼気によって金縛りにあっている純一郎は指1本動かせないままそれを目で追いながらゴクリと唾を飲み込む事しか出来なかった。


「じゃ、おやすみ」


にこやかにそう言うと、周人は広がろうとしている中指を押さえていた親指を開放した。引き延ばしたゴムが勢いよく縮んだようなバチンという音が響いた瞬間、純一郎は軟体動物のように脱力して地面に倒れ込んでしまった。その額には真っ赤な点のような腫れ上がりが出来上がっている。痛そうな顔をする恵と光二をよそに、由衣はざまあみろといった風にべーっと舌を思いっきり出してやった。


「・・・さっき僕をとんでもないと言いましたけど、やっぱり木戸さんの方がとんでもないですよ」


振り返る周人にそう言う光二の言葉に、同じくその言葉を聞いていた女性2人もうんうんとうなずいた。やっとの思いで倒した相手をいともあっさり気絶させたのだ、そう言われても無理はない。


「それもこれも、君がここまでダメージを与えておいてくれたからだよ」

「・・・コイツを倒して・・・自分が強くなった気がしてうぬぼれそうになってましたけど・・・今のを見せられてしまったらそれも無くなりました」

「そう自信をなくすことはないさ・・・あと2年・・・う~ん、3年かな?今までみたいにどん欲に練習すれば、今のオレぐらいなら倒せるようになるよ。そうなったら、手合わせをお願いしたいね」

「その言葉・・・信じて頑張ります」


2人はそう言うとにこやかに笑い合った。そんな4人と倒れている1人を遠くからやって来た車のライトが長い影を落とさせるのにそう時間はかからなかった。


「どうでもいいけどさぁ、はやく、コレ、取ってくんないなかぁ・・・」


座ったまま手錠をはめられた手をブンブン動かす由衣にあわてる周人を見て笑い合う光二と恵はやって来た車が康男の運転する塾のバスである事を確認した。


「ありがと、カッコ良かったよ」

「すみません・・・怪我、させてしまって」


謝る光二ににこやかな微笑みを見せた恵は傷口を縛ってあるネクタイを見るためにしゃがみ込んだ光二にそっと頭をもたれかかるようにした。その仕草はシャンプーのいい香りを交え、光二をいつもよりドキドキさせた。


「ちょ・・・ちょっとぉ、マジ?」


そんな和んだ2人の雰囲気は由衣の悲鳴にも似た声によってかき消されてしまった。そちらを見た2人も思わず悲鳴のような声を上げて驚きの顔をしてみせる。地面に置かれた布は先程持ってきた棒を巻いていた物であり、周人の右手には布を巻かれた短い棒が、左手には黒光りするいかにも重そうな金属の長い棒が持たれていた。長い棒には内側に空洞があるらしく、裏にスリットが見えている。一見すれば刀のさやのような棒を左手に持つ周人はバスのライトに照らされて剣士のようなシルエットとなっていた。だが、剣の柄である布の巻かれた短い棒、剣の柄の部分からはそのスリットに入れるべき刃が見あたらない。そんな疑問を顔で表す3人を無視した周人はそっと由衣の背中を正面に座り込むと左手に持っていた棒を地面の上に置いた。


「絶対動くなよ・・・オレを信じろ」


その言葉に不安そうな顔をしながらもうなずいた由衣は緊張した空気を出しながらゴクリと唾を飲み込んだ。バスを道の真ん中に止めたままの康男も加わり、周人の行動に一同が注目した。周人は右手に持った物体をまるでその先から刃が出ているかのようにして手錠にその見えない刃を這わせる仕草を取った。そしてそのままの状態で腕を動かしながら何も無いように見えるその刃を由衣の右手の手錠にあてがうようにしてみせた。そしてそのまま豆腐でも切るようにしてすとんと地面に落とすと、信じられないことに手錠は綺麗な切り口を残して由衣の腕から音を立てて落ちたのだ。もちろん由衣の肌には血の痕すらない。同じようにして左手にはめられた手錠も切り落とした周人はようやく自由になった手をさする由衣を見ながら立ち上がると左手に持っていた黒い棒を拾い上げた。


「何?一体どうやって?」


何もないとしか思えないその棒でいかにして手錠を破壊したのか、疑問の声を上げたのは恵だけだったが全員がそれを頭に抱いていた。


「『神剣フラガラッハ』・・・この世に斬れぬ物はない、はずだった剣さ」


そう言うと、周人はバスのライトに棒をかざすようにする。やはり何も無いように見えるのだが、よく見ればその棒の先端から1メートル半程度の長さでライトの光が若干ながら遮られ、そこに刃の形を浮かび上がらせた。ほとんど透けているようなその刃は刀ではなく、西洋の剣の刃を形取っていた。かなり薄いのだろう、向こうが透けて見えるほどの厚さしかないその剣がどうして鉄製の手錠をあっさり切り裂いたかがわからない。


「厚さ数ミクロン・・・紙よりもはるかに薄い特殊金属で出来ているけど、強度はダイヤモンド並みにあるんだ」


そう言うとかなりゆっくりした動作で暗闇で見えなくなった刃を鞘にしまうと、落ちていた布状の袋にそれをしまい、付いている紐でそれをきつくしばった。


「かつてキング四天王の1人が持っていた武器だよ。ある人から預かってね、今度実家に帰る時に持っていこうと思ってトランクに入れておいてよかったよ」


そう言うとにっこり笑う周人はいつの間にか輪に加わっている康男を見ると軽く頭を下げた。


「・・・みんな、こんなトコで何やってんの?」


ひとしきりうなずいてから倒れている純一郎を見て、全員の顔を見渡す康男のその言葉に、みなが声を上げて笑うまでそう時間はかからなかった。

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